メールマガジン

メールマガジン第311号

掲載日2009 年 7 月 21 日

メールマガジン第311号(7月21日)
みなさんこんにちは
先週から今週にかけて行政事件関係の仕事で忙殺され続けました。

「関口地区」(文京区)の行政不服審査請求
私がやっている具体的なことを少し知ってもらうために、今週の日曜日、江戸時代には「お駕籠で登城した人たちが住んでいた関口」で環境を破壊されようとしている人たちの打ち合わせの議論を紹介しましょう。

関口には巨大なマンションが「一団地の住宅施設」としての都市計画決定もしないで「一敷地一建築物」の規定を蹂躙して計画されています。そのため敷地内の4棟の共同住宅は、一棟だけは広幅員道路に面していて、その道路からのサービスが受けられますが、残りの3棟は、事実上の幅員2.75メートルの「2項道路」からしかサービスできない敷地として計画され、このまま開発されれば、交通安全上極めて危険な開発となります。しかし、開発許可権限のない文京区長名で開発許可が下り、確認申請も受理されているのです。

門前払い
処分庁は、法律上の根拠を字句上でこじつけて、審査請求を内容審査に入らないで、審査申請人の条件「原告適格」と、審査申請時期の経過を理由「出訴期間の徒過」を理由に、不服審査請求を却下させるために、文京区長は場外乱闘を仕掛けています。処分庁からの対応は、申請人を法律には明るくないと見くびって、申請人をまともに相手にせず、行政権者としての権威で、法律を処分庁の恣意的な解釈を審査会に押し付けて、「門前払い」をしようとするものです。あえて、申請人に、「出訴期間を経過した」、「原告適格はない」、などと頭ごなしに、「あなたたちの訴える権利はない」挑発的な態度に出てきています。

処分庁の弁明書

処分庁は法律事情の根拠はなに一つ示されておらず、「行政権を握っている処分庁が言っているのだから、それに従え」と言っているのに対して、住民は、「処分庁の言っていることは、過去に文京区職員が口にしたことと矛盾するではないか」、「この弁明はでまかせで、かってな事実をでっち上げるな」と言うことで大変怒っています。処分庁から送られた弁明書は、処分庁から任された弁護士が処分庁と相談して、門前払いをするために書いているもので、「実際は、どうだったか」ということを調べないで、住民を挑発することをやっているのです。

処分庁の「弁護士」の作戦は、開発審査会の場で、「言った」、「いわない」と言う議論に持ち込めれば、それで時間だけを稼いでおけば、双方の主張は平行線で「立場の違い」となり、2ヶ月に限定された審査期間では、それ以上の審理の進展は望めません。このような作戦で臨んで来た理由は、処分庁は、「法律上間違った処分」をやっているため法律論で議論をすることを出来るだけ避けて、法律上の根拠以外の、「感情論でのやり取り」に持ち込むことを望んでいて、あえて挑発的な言い方をしているのです。

処分庁の弁明の挑発に乗らぬこと
このような弁明書を見て、住民が感情的になることも仕方がないと考えて、不当な弁明は、はっきり指摘し、抗議し、反論すると言う原則で戦ったらよいと思います。しかし、相手の希望する「法律という土俵を無視した泥仕合」に持ち込まれて、「痛みわけ」の形で、「処分庁の言い分には問題がないというわけではないが、これまでの行政の流れとして容認できる」と言うような採決を、審査会に書かせてはならないと思っています。

住民は、開発許可処分を知った時期「出訴期間に関し、住民説明会が開かれた日から2ヶ月以内に不服審査請求をしたことに関し、処分庁は「住民の一部が開発許可処分のあったことを調べていて、今回も運動の中心にいて、知らぬ、存ぜぬ、とは何事か、このうそつきめ」と言うに等しい追及をしてきました。処分庁のやり方は、個人的な非公開のパソコンに侵入して推測を下に、誠にけしからん追及の仕方で、その弁明「挑発」のしかたに反論をしないでは治まらない気持ちを皆が感じています。

開発許可に対する不服審査請求の出訴期間
今回の不服審査請求に当たって、「少なくとも公式な形で住民が説明会に参加した時」を起点に、審査請求日を「開発許可の説明会開催日から2ヶ月以内」に不服審査請求を行ったと言うだけのことで、「開発許可処分をなした」という法律上の議論はしませんでした。
今回の処分庁の弁明は、処分の内容審査に入らないようにするための「門前払い」のために、これまでも再三処分庁がとってきた常套的な手口です。この処分庁の主張が法律に照らして間違っていることを論証することが、ここでは重要なことです。その概要は以下のとおりです。

法律上の開発許可処分は、計画段階の「開発許可(狭義の開発許可)」と、工事がなされて「完了公告(広義の開発許可)」の2段階が完了するまで継続しており、その間であれば都市計画法第50条の不服審査請求は出来るのです。
建築基準法第6条で建築基準関係規定(建築基準法施行令第9条)を、「都市計画法第29条第1項」と規定しているのは、第29条第1項自体が第3章第1節の冒頭の条文で、この節の規定全体を指しているのです。確認審査は開発許可による開発工事が完了しなければ、開発許可の実体ができていないので、確認申請自体も受け付けられません。

確認処分の規定が開発許可に掛かる工事の完了公告がなければならないことを、処分庁は開発許可事務は完了公告までは終わらないことを知っていて、開発許可は開発計画の許可までが完了した段階までで開発許可が終わったといっています。住民はそれを知ったときから2ヶ月を経過してしまっているので不服審査請求することは出来ないと主張してきました。

法律の土俵から離れた「場外乱闘」を避けること
処分庁が仕掛けてきた「問題の本質をすらそうとする場外乱闘」には、不服審査請求人は
誰も乗りたくありません。しかし、弁明書と言う公文書の中で、このように「嘘つき」呼ばわりされて放置しておくことは、一緒に運動をしている人は皆いやです。そこで、少なくとも審査会には処分庁が理不尽な誹謗中傷に近いことをしてきたということだけは、反論書の中で、「添付資料として住民側の主張は出しておう」と言う提案をしました。

処分庁がけしからんことをしたことに対して、それ以上の強腰で、「けしからん」と言うことは一向に構わないのですが、それこそ処分庁の期待している「場外乱闘」を意味しています。この種の場外乱闘は短期(口頭審査まで)には勝負はつかず、それに時間をかけていると、肝心の行政法上の審査が行われず、結果は、「処分庁のなした処分でもよい」と審査のなされないままの不愉快な結果になることが心配されます。

行政不服審査の本質
日本国憲法で、国民の生命財産や文化環境を国家が国民に守ることを保障(約束)しています。その結果、衣食住のすべてに関し、その生産のためには専門性のある高い技術が必要ですが、国民は専門的な知識や技術を持たないでも安心して生活できる要になっていなければなりません。
国家は国民の生活を守るために国民の税金を使って、優秀な人材と巨大な行政組織を作り、それに膨大な予算を支出してそれらを活用して、憲法で国民に約束した内容を実現しています。その国家と国民との約束を具体化する実定法が行政法です。

そのため、行政法自体には高い公共性が与えられていて、国家にも国民にも行政法を遵守することを求めており、行政法違反に対しては、国家が警察、検察、司法、監獄と言った社会科学的な性格としての「暴力装置」を使って、行政法の遵守を国家と国民の双方に強制しています。そのため、行政法のことを「準刑法」とも呼んでいます。行政法で実現する内容は、公共的利益の実現であって、私的な利益の実現ではありません。

行政事件訴訟法で争われる原告適格
裁判の原則として、利益のないところに訴えは成立しません。それは行政事件訴訟でも同じです。行政事件の不利益は、関係行政法の施行(処分又は不作為)にあって、行政庁(処分庁又は不作為庁)が、行政法に違反をしたことで行政法によって期待されている公益が侵害された場合に、その公益を奪われたり、侵害された不利益を回復するため、言い換えれば、法治国が法律どおり運営されるために、国民が『行政は法を守れ』と行政訴訟を争うことになるのです。最近の流行の言葉では、政府のコンプライアンス違反の追及です。

そのため、原告である国民は行政事件で勝訴しても、特段の私的利益が得られるわけではありません。言い換えれば公共的利益の実現を政府に対して正々堂々と訴える「志の高く、かつ、社会性の高い人」でなければ出来ない取り組みです。国会議員や地方議会議員はもとより、公務員のすべてが、本来ならば住民の行政事件訴訟に対し、内容をよく調べて、法律に照らして正しいものであれば、応援しないとおかしくないと言う取り組みです。

弁護士の多くの対応
多くの弁護士は、このような行政法の仕組みや目的に関して殆ど知らないで、恥ずかしくもなく、行政訴訟の依頼を受け、訴訟を担当しますが、その目的は弁護資料を手にすることだけであって、まともな訴訟をする意図を持っていません。
ある訴訟で、原告を前に、「法律の専門家」であることを恥じもなく口にしてきた弁護士が、「原告適格」をめぐって、周辺の関係者住民が多数いるにもかかわらず、「予定建地区物の高さ又はその2倍、つまり、H,2Hの範囲外に居住している人には原告適格はない」と言って、その範囲の住民を原告に取り入れることに全精力を傾注していました。

都市計画法第8条で都市計画決定された内容に違反した都市計画法施行者の処分に利害関係のある者は、その都市計画区域の居住者全員であることは法律上明らかです。弁護士に、「行政法上の論理でしっかり主張をすべきである」、と言う私の意見に対して、「直接の利益のない人が訴えるなどと言う夢のようなことを言っても、裁判所では受け入れられない」と言って、私に対し「観念論を言うな」といわぬばかりに弁護士の主張をしてきました。

あまりの「行政法の常識を知らぬ馬鹿さ加減」を聞かされて怒るより、唖然とし、2の句も接げませんでした。しかし、思い直して、「この行政訴訟で勝っても、負けても、依頼人の原告は、何の私的利益もえられないのです。行政訴訟で、弁護士は弁護士料という利益を得ていますが、行政訴訟というものが分からないでいて依頼を受け、訴訟をやっているとしたら、弁護士法に照らして問題ではないですか」と指摘したところ、「弁護士法第2条に照らして間違ったことをやっていない」とぼそぼそ言っていました。

行政事件訴訟事件の結果
弁護士と並んで司法の判事たちの行政法の知識も大変貧しく、行政法知識の貧しさからコンプレックスを抱いています。その結果が四方の判決に現れているとおり、行政庁の言い訳に追従してきました。「馴染みの客(行政庁)のご機嫌取りをしている結果、住民側の敗訴になっているのです。その責任は司法にもありますが、行政事件訴訟において原告側の弁護士がちゃんとした訴訟での主張をしなければ、裁判官も裁きようがないのです。

弁護士が「H,2H」というような原告の利益自体の認識がない上程で行政事件訴訟を起こしても、原告の利益というものが公共的利益という基本が分からなくて訴訟をしているのですから、裁判官としては。「原告が主張していないこと」まで口出しして、「あなたの要求することは、あなたの要求とは違うことになります」といった判決が書けるはずもありません。その意味で弁護士のだめな場合には、はじめから、「弁護士料をふんだくられるだけの訴訟に成る」と考えたほうがよいと思います。

残念なことに、弁護士会は、この体たらくの「弁護士の傷をなめあう集団」で、国民のために弁護士たちで研鑽努力をしようという気持ちすら持っていないといってよいと思います。それでも日本は法治国であり、私たち一人ひとりが行政事件に出会ったところで、逃げないで、法律の厳正な施行のために努力することしか、日本の行政を改善するうえで有効な道はないと思っています。今日も午後には2つの事件準備の打ち合わせがHICPMでやられます。今日の弁護士は、「例外的によい弁護士」の方たちです。
戸谷英世


トラックバックURL:


コメント投稿




powerd by デジコム