メールマガジン

メールマガジン第360回

掲載日2010 年 7 月 16 日

メールマガジン第360号(7月16日)

皆さんこんにちは!今週末は17,18,19日と連休に入りますのでその前に特別号「弁護士の実体」をお送りします。
先日、私のところに玉川学園の街づくりで、町の破壊を心配してこれまで「町田市の住民不在の行政」に対し、不服審査請求により、その是正に取り組んでこられた方が、沈んだ様子でHICPMの事務所にこられました。ほとんど何もいわれなくて「どうしたのですか」と水を向けますと、「私達の行政訴訟が駄目になるかもしれませんので、ご報告だけでもしなければ」、と思って立ち寄ったところです。
事情を聞きますと、私が推薦した弁護士が、「原告予定者に対して、とても勝てそうな事件ではありませんが、皆さんがそれでもやるというならば弁護団はやってもよいのですが」という事で、その日の夕方、弁護士の事務所で「最終の話し合い」をするということになった、ということでした。その流れのなかで、原告参加を予定していた何人かが脱落して、多分訴訟は不成立になるということでした。

私はかねてから、弁護士という肩書きを持った訴訟請負人は、ほとんどが、「正義をカサに着て、大上段に見得を切る」か、または、「法律の専門家を売り物に、小ずるい事も、悪質なことも、犯罪までも、法律解釈で適法にできる、と売り込む」ことを行動指針にしており、結局は「銭のためだけに振り回されている」と批判してきました。

今回のケースは、事前に「住民のまちづくりが侵害されていること」を弁護団に話し、「原告団には、余りお金がないので、HICPMとしてできるだけの行政法上の支援をするから、彼らの負担できる範囲で原告団の委任を受けてください」とお願いし、「了解を得て」、取り組みが始まりました。弁護団としてお集まりになった方の顔ぶれから、それ相当弁護料が得られることを期待していたと思います。しかし、その負担できる費用が大きくなりそうにないと感じたからでしょう。私に言わせれば、一種のゆすりと同じで、「金を用意しなければやれない」という言葉を、「勝ち目が薄い」といっていきたのです。

そのように批判している私自身、決してお金と切り離して行動をとってはいません。しかし、私はHICPMの定款に規定された公益的な活動をすると言う看板を掲げていますから、HICPMとして行う仕事には、契約する労働の対価としてお金をもらうことで仕事をし、お金をもらわなければHICPMとしては仕事をしません
つまり、HICPMの会員になってくださらない人の支援を、私がHICPMの時間を使ってはできませんという行動をとってきました。お金をもらわないときは、個人としてすることにしています。これまで多くの仕事をして感じたことは、「お金を払わないでした仕事」に対しては、多くの場合、「価値がないからお金を払う必要はない」と勘違いして、真面目に私の労働の成果を専門家の業務と評価して受け取らないということがあります。

今回の件は、都市計画法及び建築基準法に照らして明らかに実体違反がある、という事実が、玉川学園の生活にあまりにも危険な環境を生み出しているという事実に関しては、住民だけではなく弁護団もそれを認め、これまでに打ち合わせを繰り返してきました。
私は、「住民が危険だと感じていること」が、「行政法に照らしてどのように違反しているか」ということとして説明することが、これまで行政法の立法及び施行に関係した経験からできる役割と認めていただいて、住民から参加を要請されてきたわけです。

仕事の進め方としては、住民は生活感覚でおかしいと感じていることの多くを、環境に関する行政法の基準に抵触している、ということを証明することです。そこで訴訟として争う立場は「事業の賛否」ではなく、「事業が適法か、違法か」という法治国の原点です。
そのため、都市計画及び建築設計の理論と技術、都市計画法や建築基準法の立法の歴史的背景、「姉妹法」としての「法律の構成」と「法律の文理」に照らして検討した結果を提供してきました。その検討結果を弁護士に理解してもらい、それを訴訟専門法律家として法廷で原告住民の主張として裁判官にしっかり理解してもらうというやり方を求めてきました。

しかし、多くの弁護士達は、これらの行政法に関する知識・経験が全く不足しているにも拘らず、謙虚に学ぼうとはせず、書店の行政法解説や、過去の間違った判例を金科玉条の知識として振り回し、私の説明に対してまともな反論をするのではなく、無視して、「戸谷の言っていることを主張しても勝てない」と言い、原告に自分のやりやすいやり方を押し付けて、結果はやはり敗訴を繰り返してきました。国立マンション事件のときだけではなく、町田IBM跡地マンション、千歳烏山マンション、青葉台2丁目マンション等、枚挙に暇がありません。

行政事件訴訟法の取り組みで原告住民が敗訴になる理由の大きな部分が、原告弁護士の小遣い銭稼ぎの感覚で仕事に臨み、自分の権利と利益が侵害されているという原告の気持ちから離れていることにあります。弁護士達は、法律を商売道具にしていますが、法律に対して正しいことをやっているわけではなく、自分らの金儲けのため、依頼主によって「白ともいい、黒ともいう」という「鵺(ぬえ)集団」ということをしっかり理解しておく必要があります。

訴訟をする原告側に問われていることも、何を訴えようとしているのかをしっかり考える必要があります。弁護士はもとより裁判官も法律知識は訴訟手続き以外に関しては非常に貧困です。彼らは自分の立身出征、昇進のためという目先の利益のために、その90%以上の行動が縛られています。法律の番人として真摯に行動している人は皆無に近いのではないかと思います。

その最大の証拠は、最高裁判所の判例が明らかに法律違反をおかしていることに対して、絶対その判例の誤りを指摘した意見を取り上げようとしないことです。
最高裁判所に楯突くことは、連中にとって立身の妨げになるからです。それでは国民の代表者が国会で議決した法律はどうなるのか、裁判官によって蹂躙されている現実を許すのか。そこで裁判官の否認投票をする理由が生まれているのです。 戸谷 英世


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