メールマガジン

メールマガジン第365号

掲載日2010 年 8 月 19 日

メールマガジン第365号(8月19日)

皆さんこんにちは。お盆はいかがお過ごしでしたか
今年はショパン生誕200周年記念ということで、日本からポーランド直行便をチャーターして、多数の観光客が「ショパンの足跡を辿るツアー」に出かけました。
私も、HICPMの仕事を(家内の手伝いも得て)何とか一人体制で進める目途がついたので、この機会に長年のこだわりともなっていたポーランドを訪問することができました。

ショパン生誕200年記念
最近では、住宅デザインの関係の仕事をしていらっしゃる桜井さんから誘われて、時々、奥様であるバイオリニスト劉薇(リュウ・ウエイ)さんのコンサートに出かけることがあります。息子や娘たちのように自ら楽器を楽しむということもなく、年に数度、面白そうなコンサートに出かけるくらいの関心しかありませんでしたが、ショパンというポーランド国民の息子、世界の人々にとっての音楽の英雄、に惹かれて、楽しみに出かけました。
実は、私には、音楽とは別に、第2次世界大戦の中心地もなったポーランドを、その復興も含めてぜひ見ておきたいと思っていました。高校時代に友人が「夜と霧」と言うアウシュビッツの事実を明らかにした本を見せられたときの驚きをその後も永く忘れることができませんでした。

大学と建設省時代が蘇って
その後、大学時代にエンゲルスの「住宅問題」がきっかけで住宅問題に興味を持ち、建設省に入省する決意をしました。その際、住宅政策に関係するようになって、学生時代には彰国社の「建築学体系」などで「雲の上の人」と感じていた市浦健さんや前川国男さんや西山卯三さんと、わたくしの建設省時代に、建築士行政やその関係、住宅白書(汐文社)執筆の関係で直接建築・住宅政策上の問題を議論をしました。今回のツアーで、あらためて市浦さんや前川さんや西山さんから耳にした話を思い出して、これらの先輩達が戦時下で取り組まれたことと、ヒットラードイツの政策との関係を垣間見る結果となりました。

トロッケンバウ(木造乾式工法)
建築の乾式工法を日本に紹介された前川さんのトロッケンバウが、あの「シンドラーのリスト」に登場する第2アウシュビッツの木造家屋に採用されていたことを発見しました。金物を使わずに木材の組み立てだけで建築を造ってしまう工法は、ヒットラードイツが戦時下でバウハウスに求めた大きな要求でした。私が建設省に入省することを決めた後で、ドイツの住宅をバウハウスとの関係で勉強したことを思い出しました。日本でも戦後対策ということで乾式工法の開発が必要だといわれ、その魁(さきがけ)を前川さんが取り組んだという話は大変衝撃でした(いつ衝撃?)。その実物を見た(いつ見た?)ことで、何か大きな得をしたように感じました。

最小限住宅の理論と実践
もう一つは「シンドラーのリスト」にも登場するのですが、伝染病がユダヤ人ゲットーから発生して、それがドイツ人に拡大することを恐れたヒットラーは、ユダヤ人が過密居住をしても伝染病が発生しない程度の過密状態の住宅を「最小限住宅」と呼んで、開発を進めていました。それはたいした学問ではなく、要するに1見、人道上の配慮をしているふりをして、ユダヤ人らを最悪の環境に陥れるためのものだったのです「棺桶ほどの空間があればよい」というのがその結論でした。

「食寝分離」と「就寝分離」
枢軸国の日独伊は、対ソ三国防共協定を締結していたことから、最小限住宅の開発を足並みを揃えて取り組んでいました。日本は、その国家開発のモデルとして先進工業国度ドイツに学ぶということで、陸軍省は当時の住宅営団に関係していた市浦さんと西山さんらに、その開発検討を命じて、まともな研究開発として取り組んだのでした。しかし、西山さんは、その取り組みを、住宅の物理的な規模を自然科学上の衛生で見るのではなく、人間の尊厳としての生活の仕方で捕えようとして、「食寝分離(食事空間と寝室空間の分離)」、「就寝分離(成人男女別就寝)」の原則として纏め、結局陸軍省には使ってもらえず、戦後の公共住宅の居住のあり方の基礎となりました。

「嘘」の口実作り
アウシュビッツには、当時のドイツが考えていた「最小限住宅」というものがどんなものかという事実を見せてくれます。嘘であっても、言い訳の口実になるというヒットラーのやり方は「うそは大きいほど真実味を帯びてくる」という言葉に象徴されています。当時のドイツは約130万人以上の者を犯罪者としてアウシュビッツ収容所に収容しながら、収容者の登録記録のある者は、40万人程度に過ぎません。収用対象者自体の基礎となる人数がでたらめであっても、それらにさまざまな口実を付けて収容所内で裁判を行い、さまざまな処刑を行ったのである。大量殺戮としてガス室送りがよく知られているが、収容所内での見せしめの銃殺や、見せしめ絞首刑を行い、収容者を恐怖に陥れていた。

なぜドイツ人はナチに疑問を持たなかったのか
多数のドイツ人がその狂気の中で、なぜ疑いを持たず、抵抗しなかったのだろうか。未来社刊「白バラ通信」は、当時のドイツにおける反ナチ運動としてインテリゲンチャが取り組んだ数少ない取り組みであるが、ナチの政策が狂っているということがわかっていても抵抗することができなくなってしまった恐怖政治に眼を向ける必要があります。「事大主義(大きなものには巻かれろ)」という姑息な生き方といってしまえばそれまでかもしれない。しかし、実際には、政治の流れを口実として、その中で自分の利益を追求する浅ましい生き方が社会を覆ったからである。

現代の日本に生きているアウシュビッツの病根
それは現代の日本でも、小泉内閣のやった規制緩和に踊った行政、司法の関係者が口をそろえたように違反処分を、法律に照らして容認できる、といい、またどうしても違反を認めざるを得ないときには、その前に「訴えの利益のないものには訴訟する権利はない」という「原告適格」の判断を法律によらず恣意的にやっている現実の中に見ることができます。もっともらしく市民を守ると口にする弁護士の多くが、なぜ裁判所の意向を気にして最高裁判所の違法な判例に楯突こうとしないのか。「口先弁護士」の多くとこれまで付き合ってきて、やっぱりこれらの人達は、戦時中の日本では軍に協力し、すべての責任を時代のせいにし、自らの弁護活動は、自分がうまい飯を食うためにしかやらないということです。安全地帯から「俺は正義の味方だ」といっている口先弁護士たちに「アウシュビッツへいってこい」といいたくなります。

自戒をこめて「弱虫」になるな
アウシュビッツはその極地であるが、学校のいじめから始まって、社会の差別に基づくいじめのすべてが同じ構造の中で成立しており、いじめる側に立つことでしか生きられないとドイツの統治関係者が自己弁護してきた。アウシュビッツは過去の話ではなく、現代の社会にも流れている「差別支配」の構造なのです。私自身のこれまでの生涯を振り返ってみて、「弱虫になってはいけない」と思いつつも、差別する側の立場に身をおいて安全側に立とうとしたことが何度もありました。
今回のアウシュビッツの現場を見ることで、あらためて恥じています。少なくとも法治国である限り、「法律を守る」という共通点まではがんばれるはずである、という考え方が今の私を支えてくれています。

残暑に耐えての学習を
今日は第3木曜日で、早速「CM」の定例セミナーです。暑い中受講してくれる方々に少しでもお役に立てればと気を引き締めています。
HICPMとGKK(グローバル研修企画)との共催、オンザジョブトレーニングの国内研修ツアーでは、輸入住宅にこだわってこられた「つくばの大創」と訪ねます。大創は「輸入住宅」にも大きく取り上げられました。大創の「仕事への 熱いこだわり」に直に触れることができます。9月1日(水)です。ご参加をおすすめ致します。
暑い残暑に耐えて皆様のご活躍を期待しています。
戸谷 英世


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