法令

渋谷区鶯谷ラ・ツアー・代官山

掲載日2010 年 8 月 24 日

HICPMは本訴訟原告竹居さん(HICPM個人会員)を支援するため、本訴訟に関し、被告及び裁判所の判決のないようについて、都市計画法及び建築基準法量行政に関する専門の学識経験者としての立場から、その主張及び判決内容を分析検討し、何が問題であるかの原稿を作成し、弁護士の作成する書面のたたき台を作る作業をしてきた。

本控訴理由書の原稿に関してもHICPMで作成し、弁護士の取り纏めに当たって協力してきた。そこで最終的に東京高等裁判所に提出された理由書を此処に掲載する。

平成22年(行コ)第207号 開発許可処分無効確認等請求事件
控 訴 人(一審原告)  竹 居 治 彦  外 3 名        
被控訴人(一審被告)  渋 谷 区       外 1 名
(原審 東京地方裁判所平成22年(行ウ)第35号)
控    訴    理    由    書:頭書事件につき,控訴人らは以下のとおり控訴理由を陳述する。:

平成22年8月3日
控訴人ら訴訟代理人弁護士      武  内  更  一弁護士   升  味  佐 江 子弁護士      野  本  雅  志
東 京 高 等 裁 判 所 第 2 3 民 事 部   御中

第1  序
原審の判断理由は,畢竟,控訴人らに本件訴えの原告適格が認められないとの本案前判断のみを理由とするものと言うほかない。
しかし,このような判断は,開発許可処分に対する抗告訴訟の原告適格に関する無理解に基づく違法な判断であり,破棄を免れない。
原審判決は,控訴人らの原告適格について,総論としては,「当該処分を定めた行政法規が,不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解消させるに留めず,それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとする趣旨を含むと解される場合」に,当該処分によりこのような利益を侵害される(おそれのある)者は、当該処分の取消訴訟における原告適格を有する」として,さらに,「その侵害利益の有無を判断するに当たっては」「当該処分の根拠となる法令の文言」「当該法令の趣旨及び目的」「目的を共通にする関係法令の趣旨及び目的」をも参酌し,「当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては」,「害されることとなる利益の内容及び性質並びにこれが害される態様及び程度」をも参酌すべきとの,それ自体は特に問題のない前提基準を立てながら,都市計画法33条1項各号の要件について,本案前の訴訟要件の段階でありながら,自ら稚拙な事実分析に踏み込んで,本案・実体審理というほかない推論を行いながら,これを元に訴訟要件欠缺による形式的却下をするなどという支離滅裂な判断をしている。
これは,極めて異例且つ不当なものであり,控訴人らの原告適格は認められるべきである。
以下詳論する。

第2 判決全体ついての問題点

1 裁判において審理すべき順序の倒錯
既に述べたように,原審判決では,控訴人は,開発許可の処分庁の資格と権限を,「都市計画法上権限のない者(特別区長:都市計画法第29条違反)のなした処分であり,無効である」ことを指摘している。ところが,原審判決は,開発許可処分自体が都市計画法第29条に照らして成立するか,しないかの基本問題に言及することを避けて,判決を出している。
しかしながら,都市計画法第50条の審査請求に対する開発審査会による処分は,開発許可等に関する処分庁の上級処分庁が行う都市計画法上の最終の判断を示すものとして,「開発許可制度と一体的に創設された制度」であり,開発審査会は,多数の開発許可を実施する処分庁の処分に対し,その行政上の判断の誤りを是正する上級処分庁として位置づけられている。
よって,開発許可処分に対して不服がある場合,行政庁としての最終処分庁の判断を受けることなしに(開発審査会の最終的な処分を経ないで),裁判所に提訴することはできない,と規定してある(審査前置の規定)のであり,このような「判断権者の判断を経ない提訴」はそれ自体許されていないのである。にも拘らず,原審判決は、そもそも本件行政処分である開発許可処分について,その権限自体が存するかどうか自体に争いがあるのに,その点についての判断すらせずに本件処分を許容するものであり,極めて不当というべきである。
さらに,原審では,都市計画法に明文化された規定に違反した処分庁のなした開発許可が,法律上の手続きおよび内容の審査をしていないことについても全く問題にしていない。その審査に代わって,裁判官は判断基準とすべき法律の規定を無視して,「法律上に根拠のない」裁判官自身の恣意的な判断によって「 いずれも当事者適格がない者による訴えである」として,本件開発許可処分の都市計画法上の法的正当性に対する審理すらせず,控訴人の求める判断を全て回避して訴えを却下したのである。
このような手法は,控訴人らの法律に根拠を置く裁判を受ける権利を蹂躙したものと評せざるを得ない。

2 行政事件訴訟法の目的と当事者適格の審査
控訴人が求めていることは,あくまで都市計画法と建築基準法という行政法の適法な施行である。行政事件訴訟法上,「開発許可の処分庁が行政法に照らして適正な判断をしていることが証明される」ならば,本事件に関する原告自体が生まれることはない。つまり,もし,裁判所が,行政処分自体に違法な処分がなされていないことを認め,それを立証できれば,この行政事件による「行政上の処分による不利益が発生していない」ことが明らかになることから,行政事件訴訟自体が成立しなくなるという関係にある。本事件の場合も,裁判官自体が暗に,「開発許可処分の違法性を認めている」からこそ,この行政事件訴訟の「訴えの正当性を認めて,審理を実施してきた」とも解し得る。都市計画法に基づき,「開発許可処分自体に違反がない」と判断されるならば,裁判官は,まず「処分の適法性を証明する判断」を下せば,行政事件としては,それ以上の審理をする必要はないのである。
確かに,伝統的法理論においては,裁判における判断は,まず,形式的な訴訟要件である「事件性」,「当事者適格」などの本案前の前提要件を具備して初めて本案判断に入り,その訴訟要件を満たさなければそもそも本案判断をすることすら出来ない,という理解を前提として構築されているので,本案判断を理論的に先行するとして,訴訟要件の具備を確認することなく常に判断することは躊躇されることは理解できる。実際にも裁判制度は,国民の代表が「民意」に基づいて一般的抽象的に定めた立法府における政策的判断を前提に,個別具体的な問題に対して,直接の利害関係を有する者が,具体的・最終的な段階でその直接・個別の利害関係からの主張を尽くして決定する段階の制度であるから,過度に一般的な判断をそこで行うことは出来ず,そこで過度に一般的な意思決定をしてしまうことは,却って,代表者の合意の形成過程(立法権)を経ずに,具体的段階での少数者間の意思決定が他の多数の者を拘束してしまう危険もあり,常に妥当とは思われない。このことは,当事者適格がないと思われる者が訴訟に参画し,そこで敗訴した場合に他の者にも事実上その敗訴の不利益が及んでしまうことから,却って個々の国民にとって不利となる場合もあることを想定すれば容易に理解できるものである。
しかしそのような不利益は,当事者適格の判断における利害関係の直接性について柔軟な判断をして適切な範囲で訴訟参加を認め,その上で実体審理を実効的に行い,既判力については,当事者に不利益な効力について適宜柔軟にその効力の及ぶ範囲を限定することによって十分に対処可能なのであり,最初から当事者適格の範囲を狭く限定して,本案判断が必要な場合にこれを回避することばかりに腐心することは,国民の裁判を受ける権利を実質的に侵害するものとして不当と言うべきである。
そして,いやしくも,法の支配の最終的担い手であり,他に見られないほど高度な身分保障を歴史的にも確立してきた裁判官は,かりそめにも「行政事件訴訟のなじみの客」である被告行政庁に癒着・迎合してはならないことは極めて当然である。したがって,訴訟で「処分庁の違反の事実を明らかにする」ことを恐れて,「処分に違反の事実がある」ことの審理をせず,控訴人の訴えを門前払い(回避)をしたと疑われるような所為は厳に慎まれなければならない。
にも拘らず,原審判決は,これを詳細に読めば明らかなとおり,「本行政処分は果たして適法であったのか,それとも適法ではなかったのか」という法律の適正施行がなされていることに対する裁判所の判断を求めたことに対し,裁判所自体が全くその審理をせず,結論を出していない。これは,国民が法律に照らして正しい行政処分をすることを求めた訴えに対して,裁判所が,訴訟費用を受領しながら,それに見合う裁判事務をしないことを意味し,国民の訴える権利を不当に剥奪したと言うべきである。

3 裁判官の判断と対象
都市開発は,都市施設を始め都市生活文化全般に広く係わっている。開発許可権者は,開発計画が開発許可の基準に適合していることを審査して開発許可をするものであるが,開発許可の基準(都市計画法第33条)は,開発計画の都市計画行政との関係を広く審査することを求めており,そもそも,その専門行政上の審査および技術的判断が,すべて開発許可権者によって出来る業務であるとは想定されていないのである。
すなわち,関連公共施設を始め,都市生活に関係ある行政機関は,関連行政法を根拠に,それぞれの行政領域ごとに最も技術的に適合した内容の国民生活を守る行政を実施するよう要請されている。よって,新たな開発をしようとする事業者は,開発許可申請に先立って,開発計画の内容が,それらの関連公共施設の管理者の行っている行政と調和する計画内容であるかどうかについて,事前にこれらの関係各分野の専門家である公共施設の管理者の審査を受け(協議し),実質的に法令の基準(開発許可基準)に適合しているとの同意を受けてから開発許可申請をすることを要求されているのである。
裁判所には,「関連公共施設の管理者としての権限も専門的な技術能力」もなく,「裁判官が関連公共施設の管理者のなすべき判断をした」からといっていて,その判断が法律上適正であることを証明することは出来ないのであり,本件判決のような判断を裁判官がすること自体,裁判官のなすことのできる業務領域を逸脱した非常識な裁判である。
言い換えれば,裁判官の任務は,「都市計画法第32条に定めてある手続きが適正になされたかの審査を行うこと」であって,関連公共施設の管理者が関連行政法に基づき開発計画内容が適正に計画されていることを,裁判官が直接判断することではないのである。それにもかかわらず,本事件の裁判長は,法律上裁判官に求められてもいない「関連公共施設の管理者のなすべき判断」にまで踏み込んで,関連公共機関自身が行ってもいない判断を,裁判官自らの恣意的な素人判断で行ってしまった。
すなわち,開発許可手続きに違反し,関連公共施設の管理者等から開発許可基準に適合しているかいないかの判断がなされていない同意事項を,裁判官が「開発許可に違反していない開発計画である」と認め,控訴人には関連公共施設に関する不利益は及んでいないから,控訴人には「原告適格はない」と結論付けた。その判断の根拠は裁判官自体の恣意でしかない。このような判断を公然とすることは,裁判官が全能と考えるごとき傲慢さと評さざるを得ず,これは,実質的には,立法権,および行政権を侵奪している越権行為であり,それは司法権自体の自殺行為,引いては近代法国家の司法制度の破壊に至ることは必至の不当な所為である。 

第3 「当裁判所の判断」について

1 同(2)「法33条第1項1号(用途制限)」について
(1)「予定建築物」と開発許可制度の関係について
原審判決は,控訴人ら(竹居及び三村)の訴えている「地震により倒壊した場合にその生命身体又は財産に危害・損害が及ぶおそれ」という(用途制限違反による)不利益は,「予定建築物が建築されることによりもたらされる不利益」であるから,建築物が実際に建築されない限り発生しない,「本件訴の原告適格はない」と言うものである。
しかしながら,このような立論は,社会科学的に建築物は敷地と一体不可分である事実を無視するものであるだけではなく,開発の許可は開発後の予定建築物の建築を正に「予定」しているのであり,「予定建築物」の建築を離れた抽象的な「開発」自体想定出来ないことを等閑視する不当な見解である。
なぜならば,そもそも開発許可の対象となる「開発行為」とは、「主として
建築物の建築又は特定工作物の建設の用に供する目的で行なう」土地の「区画形質」の変更をいうと明示してあり(都市計画法第4条12項),(予定)建築物の建築(又は特定工作物の建設)の用に供する目的のものと、都市計画法自身が明文で規定しているのであって,予定建築物と分離した「開発」自体,法は想定していないのである。
そもそも,建築基準法による確認段階で建築物の審査と開発許可段階での審査とでは,審査する行政内容・審査事項が異なるのであり,「審査対象が同じであるものは,建築確認で一括して審査すればよい」という判決理由は,現実の法律の体系を無視した暴論である。
確かに,開発許可制度において,開発許可の基準(その1:第33条第1項第1号)が建築基準法第3章に関する建築主事の行う確認審査と重複する「審査義務を課する」文言になっていることは,都市計画法の審議過程において再三議論されてきた。しかしながら,開発許可の審査は,開発内容それ自体について,それが既存の「都市施設との関係で適正な開発行為」であるかを事前審査するためのものであり,一方,建築確認は,適正な開発行為・基本都市計画を前提に,個別の建築計画内容がその適正な都市計画決定に適合しているものであるかを審査するものであって,その審査の目的,内容は全く異なっている。だからこそ,1968年の都市計画法制定当時,開発許可制度は建築確認制度の「屋上屋ではない」とする行政事務領域の確認が,建設省の都市局と住宅局との間でなされた経緯があるのである。
建設省の両局の共通理解としては,両制度の関係については,開発許可において審査することは,主として既存の「都市施設の負担」との関連で開発内容自体を事前審査するものであり,住宅局の建築行政のもとでの確認では,「具体的な建築物の形態」の審査をする,ということになったのが,制度上・歴史上の事実であり,そもそも,建築確認の段階では都市計画自体が既存都市施設との関連で適正かどうかの審査まで行うことは全く想定されていないのである。原審の判断はこのような法制度の歴史的・構造的理解を欠くものと評するほかない。
両制度は,開発許可,または,確認のそれぞれの処分の段階ごとに,それぞれの法律でそれぞれの審査段階で,法律の規定に的確に対応するべき関係であり,建築確認をするから開発許可段階で審査をしなくても良いとする原審判決を正当化できる根拠は全く存しない。
(2)「用途の制限」(原審判決17頁-18頁)の解釈について
原審判決は,また,開発許可に当たって要請される要件である,予定建築物等の用途が建築基準法による「用途の制限」を受けるものであるときは,その「用途の制限に適合していること」を要する,との明文(法33条1項1号)要件の解釈として,「開発許可の段階での審査は,予定建築物等が建築基準法第3章第3節の各規定が定める『建築物の用途』に関する制限に適合しているか否かに限られ」る,との独自の見解で法文の意味を矮小化し,建築基準法第48条に規定する『建築物の用途』に形式的に適合するものが申請書に記載されているかどうかだけに限定して判断すれば足りるものであるかの如き判断をしている。
しかしながら,同文言をそのように形式的限定をして解釈することは,開発許可判断を単に形式的な無内容なものにするに等しく全く不合理である。
①「用途制限適合」の意義
そもそも,歴史的にも,実質的にも,都市計画法第33条第1項第1号に定める「用途の制限に適合していること」という開発許可の基準に於ける「用途の制限」とは,基本的な敷地の土地利用全体計画(規制)それ自体を表現している。よって,「用途の制限に適合していること」という文言は,「その敷地に都市計画決定により定められている土地利用計画」そのものに個別の開発内容である「建築設計指針(アーキテクチュラルガイドライン)」が適合していることを,規定していると解すべきなのである。
敷衍すると,「用途」とは,都市計画決定された「基本計画(マスタープラン)」に示されているとおりに,「予定建築物が,それぞれ固有の敷地を持ち,それぞれの敷地が幅員6(4)メートル以上の道路に接道し,且つ,建築物用途との関係で建築基準法第3章に規定する建蔽率,容積率,建築物の各部分の高さ制限の諸規制に従うべきこと」(これらは同法33条第1項1号から14号の各号に明示されている「用途」の主内容である。)という、都市計画決定された基本計画(マスタープラン)そのものを示すものである(これは,都市計画法に根拠を置いて計画決定される「地域地区(都市計画法第8条)」と「都市施設(都市計画法第11条)」で,一般的に「マスタープラン」と呼ばれている長期的から短期的までさまざまな計画の統合体である。)。
これらの「都市計画決定された基本的内容(用途)」に「当該開発内容」が適合していることを,開発許可制度・開発許可の基準として,「用途の制限に適合していること」,という文言で表現しているのである。
② 開発許可において「用途制限適合」を審査する意義
この開発許可に際して判断される開発行為の基本プランは,個々の建築物が,建築基準法上の「用途」に適合するかどうかを判断するための基準それ自体を予め策定するものである。
すなわち,これは,当該開発計画が,その計画の及ぶ地域地区全体について,既存の地域環境,隣接都市計画との関係で,皺寄せ,弊害が生ずることがないと予め判断される範囲の土地利用計画であるかどうかを,一般的な枠組みとして事前に検討することで,その計画に従って具体的な建築物が建てられる限り,隣接・既存の地域を含めた地域全体のインフラ(これは,今日では「産業や生活の基盤として整備される施設」を意味する。狭い意味では、道路・鉄道・上下水道・送電網・港湾・ダム・通信施設など「産業の基盤となる施設」を、広い意味では学校・病院・公園・福祉施設など「生活の基盤となる施設」全体を意味するものである。)を破壊することがなく,地域全体として調和の取れた都市を構築できるようにすることを目的としている,と想定できる内容のものかどうかを判断して,これに許可を与えるものである。
そして,そのような内容の計画であるとして許可を与えられた開発行為を,その後になされる一般的な「土地開発及びそれに伴う建築物の従うべき枠組み」として設定する行為なのである。
すなわち,都市計画決定された基本計画に基づく開発許可行為は,既存環境との整合性,インフラの整備,既存インフラとのバランスの如何を判断して,この基準内で予定建築物が建築されるのであれば,適正な都市計画が実現される,として策定される,いわば,当該地域地区の建築上の「マグナカルタ」,規範を定立する作業と解すべき制度なのである。
そして,この都市開発の「マグナカルタ」が定立されて初めて,予定建築物がこのマグナカルタに照らして,具体的に適合した建物となっているかの建築確認判断が可能となるのであり,この段階で開発行為の内容が実質的に判断されていなくては,建築確認の段階で判断する基準そのものがないことになり,そもそも建築確認判断自体不可能であるとすらいい得るのである。
③「土地開発と予定建築物との一体性」について
なお,日本では、民法上,土地と建築物とは一応別個の不動産として扱われているが、都市計画理論上、世界中の近代都市計画理論が適用されている国(英国、フランス、ドイツ、米国を始め世界の工業先進国)では、社会科学的にも行政法上も「土地と建築物とは不可分一体」であると解されており,日本でも機能的・社会経済的には不可分一体なものとして解すべきことは共通している。
したがって,都市計画決定された基本計画(マスタープラン)で定められ,規制されるべき都市環境には、単なる土地の開発行為だけでも,予定建築物だけでもなく,建築物が建築されることが予定されている敷地部分の土地の開発行為自体を含めた,都市を構成するすべての建築物全体が含まれるべきであるのは当然である。両者が共に,予め定められた地域地区に関する土地利用計画(マスタープラン)に示される建築の「用途」に関する規制(建築物の用途、建蔽率、容積率、建築物の書く部分の高さ)(アーキテクチュラルガイドライン)に従うことが要請されているのであり,そのための具体的な規制が,土地開発段階の開発許可であり,建物建築段階の建築確認という関係となっているのである。
よって,開発計画で定め,開発許可において審査を受けるべきことは,「都市計画法で遵守すべきとされている条件が満たされているかどうか」(都市計画法第33条の文理解釈に基づく都市計画決定との整合性)であり,これを審査しないで,「建築基準法第48条」の文言に限定して審査することは全く意味がない。このように「用途の制限」が都市計画決定された基本計画に適合すべきことを意味することは,都市計画法学の基礎・前提であり,都市計画法上暗黙裡に合意されている。
このように,都市計画法によるマスタープラン(基本計画)と建築基準法によるアーキテクチュラルガイドライン(建築設計指針)とは,「紙の表裏の関係」のように一体不可分の関係にあり,それを両法の「姉妹法の関係」と呼んでいるのである。
(3) 開発許可と建築確認の関係について
原審判決は,また,「予定建築物等が地震に対して安全な構造のものかどうか(同法20条)や,高さ制限を満たしているかどうか(同法56条の2)といった点は,建築確認の段階で別途審査すべきことが予定され開発許可の段階では審査されないことが明らかである」などとしている。
しかし,既に明らかなように,開発許可の段階において,既に,予定建築物は,それぞれ固有の敷地を持ち,それぞれの敷地は幅員6(4)メートル以上の道路に接道し,建築基準法第3章に規定する建蔽率,容積率,建築物の各部分の高さ制限を規定し,諸規制に従うべきことが求められている。このように「予定建築物が確実に建築することのできるような開発行為が,建築確認申請に先立って完了していなければならない」とする行政制度こそが,開発許可制度であり,予定建築物についても不可欠の審査内容を有するものなのである。
都市施設は,毎年,たかだか全敷地面積の0・5%以下程度の量の建築行為(都市の成長)に合わせて整備されていくものであり,必ずしも最初から全ての都市計画決定どおりの土地利用に合せて先行整備されるものではない。したがって,開発許可制度は,新たに計画される開発計画が,「既存の都市施設の対応できる範囲」で,または,「既存施設にしわ寄せをしない方法でなされること」を個別的に審査検討し,それに続く個別の建築確認によって,建築計画がその許可された開発行為に従っていることを確認し行く過程で,少しずつ「既存施設を前提にした既存市街地の居住環境の保護と,新規開発の実現との調和」を図ることにしたものである。
このように,開発許可と建築確認とは,両者共に適切な段階で適切な観点から予定建築物についての都市基本計画を実現させるための不可欠の両輪となる制度であり,建築確認だけで予定建築物についての都市計画上必要な審査が尽くされるはずがないのである。

(4)「管理者の同意」の必要性について
原審判決は,「開発許可申請の手続に於いては,予定建築物等の用途を記載した申請書を提出すれば足り,予定建築物等の詳細を明らかにすること求められていないこと(法30条1項2号)を勘案すると」として,「開発許可の段階での審査は,(形式的な)「建築物の用途」制限に適合しているかに限定される」根拠として,開発許可段階では用途を記載した申請書の提出しか要求されていないことを挙げている(原審判決18頁上3行から6行)。しかし,このような理解は全く開発許可制度の仕組みについて無知・無理解を曝け出すものという他ない。
法は,開発許可申請手続に際して,単に「用途」を記載した(刑式的な)申請書を提出することをのみ求めているのではなく(もちろんそもそも「用途」の理解自体間違っているのであるが),申請書には法32条第1項に規定する同意を得たことを証する書面,同条第2項に規定する協議の経過を示す書面及びその他「国土交通省令で定める図書」を添付しなければならない(法30条2項)としているのであり,開発許可の段階で,既に,現実になされる開発行為及び予定建築物の既存環境への影響を十分に調査・判断できる能力と責務を有する公的団体が事前に環境に対する影響を判断した書類を見て,いわば専門家としての環境影響判断を行ない、それを十分に踏まえた上で開発許可判断を行うべきことを厳しく要求しているのである。
すなわち,都市計画法と建築基準法とは,まず,マスタープランに照らして予定建築物の敷地の整備計画(開発計画)自体が,第32条の同意書等の添付確認とあわせて,建築基準法第3章規定に適合していることを都市施設との関連で審査されることが強く要請し,その上で,開発許可制度の中で「予定建築物が建築できる敷地の整備」がなされたことを確認した上で開発行為が完了することを求め(開発行為の完了公告:都市計画法第36条),その後,予定建築物について,その「敷地が開発許可どおりに完成したこと」を前提に「建築確認申請」を行う,という各段階を経て初めて実効的にマスタープランが実現されていくことを予定しているのである。
したがって,法30条が,予定建築物の詳細を踏まえて開発許可の可否の判断をすることを求めていないなどという見解は,正に開発許可制度の基本的な構造に対する無知・無理解を露呈する不当な見解という他ない。
(なお,都市計画法制定当時,最も重視されていた審査項目が学校教育施設であった。近時の政治改革での規制緩和の結果,多数のマンションが,第32条の同意書の審査を免脱して開発許可がなされ,大幅に学校教育施設が不足するという社会問題が起きていることは,法律違反が横行している事例でもあり,開発許可に際しての関連公共施設との適合性審査の免脱により,如何に実際上の自然・社会環境上の弊害が生じ得るかを証明する適例である。)
原審判決で裁判所は,開発許可違反による不利益に対する行政不服申請は,予定建築物の建築確認処分に対して行うことが可能なので開発許可の段階でする必要はないとして,都市計画法第37条違反および建築基準法第6条違反の建築物の確認申請を前提とした都市計画法および建築基準法の施行を是認し,「開発許可をした内容の開発行為自体が完了せず、建築確認申請の前提になる敷地の物理的環境が形成されていないにもかかわらず、確認申請通りの敷地が既に整備されているとした架空の状態に対して、確認済証を交付する」という法律の構成上考えられない法律違反の解釈を示しており,法治国の秩序無視の不当判決と言わざるを得ない。
(5) 建築確認制度ではカバーし得ない不利益について
原審判決はまた,「原告らは,本件建築物の建築確認の適否を争うことによってその主張する不利益に関する救済を受ける機会を得ることが出来」るから保護に欠けることがない」などとしている。しかし,そもそも,開発行為が予定する予定建築物が原因となって生み出す両法が国民に約束している都市の空間に関して有する利益の侵害という行政法上の不利益は,既に開発許可の段階で生じているのであり,そのような開発許可を前提とする建築段階でいくら審査しても到底その不利益を回避することが出来ないことは言うまでもない。

2 (3) 都市計画法第33条第1項第2号(空地)について(原審判決18頁下から6行から)
(1)2号の趣旨の無理解
原審判決は,「その趣旨は,同号で定めるような開発行為を行う場合においては,開発行為を行うもの以外の者が開発区域内に居住するなどして開発行為の成果を利用することになるため,そのような居住者等の利益を特に保護する必要があるという点にあると解される」などという,およそ開発許可制度の趣旨を全く誤解・曲解した実際の法律の規定内容と全く反対の解釈を展開している。
都市計画法立法時に既存市街地に対する新規開発地のしわ寄せの問題が重視されてきたことが開発許可制度の創設された理由(立法趣旨及び法律の文理解釈)であることは,明らかな歴史的事実であり,立法の背景であるし,そもそも,条文構造,制度趣旨から言っても原審判決のような転倒した理解が誤りであることは極めて明らかである。
都市計画法第33条第1項第2号は,いうまでもなく,既存の都市に行われる開発行為が,予定建築物の内容によって,その開発敷地内部で自己完結しない部分で,都市の環境問題として,環境の保全上,災害の防止上,通行の安全上,または,事業活動の効率上の支障という矛盾(しわ寄せ)として外部化することがあるので、そのようなことがないように開発計画を審査せよとした条文である。裁判所の判断はこのように法律の規定を全く理解しないもので,重大な瑕疵のあるものであると言わざるを得ないものである。
(2)「開発許可の審査内容」(原審判決19頁中段以降)について
また,原審判決は,「同号は開発区域内の居住者等について,環境の保全,災害の防止,通行の安全,又は,事業活動の効率といった利益を図るために,道路,公園,広場等を設けるべきこととしたもの」(19頁上から13行から)と記述し,また,「開発区域内の主要な道路が開発区域外の相当規模の道路に接続するよう設計を定めるべきこととしたのは,開発区域内の空地の配置と道路が適切になされているか,どうか等を判断するに当たり,開発区域外の事情を考慮するべきことにしたものに過ぎず,開発区域外の周辺住民の利益を保護すべきこととしたものとはいえない」(19頁下から10行から)などとしている。しかし,この文章の意味自体が,法律の規定内容から逸脱しているだけでなく,文意自体不明瞭で,そもそも「何を言っているかわからない」と言わざるを得ないものである。
開発区域外の道路との接道を,区域内の空地の配置と道路(の接道)とが適切になされていることの判断のために要求されている,などということは,法律論理的にも,文理解釈的にも,都市計画法の規定する「既存の都市環境との調和を図る」との規定とも矛盾逆行するものである。
原審判決文は,単に,「開発区域外の住民たちには訴えの利益がない」という結論を導き出すために,被告の支離滅裂な弁明を,都市計画行政の専門機関の法律上正しい解釈と思い込んで,その内容を法律に基づいて確認することなしに,理解もせずに引用したものにすぎない。
この基本的な誤りは,都市計画法第33条第1項第2号の条文が「開発区域内の住民の利益を対象にしている」という間違った先入観の下で法律を読んでいるからである。新しい開発が行われることにより,その周辺都市に開発矛盾が転嫁されることを未然に防ぐということが開発許可制度の立法目的となっていることが全く理解されていないことによる。
(3)また,原審判決は,「仮に,法第33条1項2号について,開発区域外の周辺住民の利益を保護すべきこととしたと解する余地があるとしても,」(19頁下から4行から)など仮定をしている。
しかしながら,都市計画法は既存の都市居住者の合意で,将来の都市のマスタープランの都市計画決定がおこなわれるもので,既存住民の利益を保護することは言うまでもない都市計画法の大前提であり,裁判官のこのような記述自体,「都市計画法が既存の市街地住民の環境保護をまず尊重すべきとしている」との前提を理解せず,開発事業を優先して考え,そのついでに既存住民のことも考えることが出来るといった「都市計画制度に対する無知・無理解」をさらけ出しているものと評するほかないものである。
(4)原審判決は,さらに付け加えて,「このような(開発による)影響は,広い意味での生活環境の悪化であって,直ちに周辺住民の生命,身体の安全や健康を脅かしたり,その財産に著しい被害を生じさせたりすることまでは想定し難いところである」(20頁上から2行から)と断定しているが,このような判断は全く根拠のない決め付けに過ぎない。このような判断は,開発事業者の開発計画を都市計画法による開発許可の基準に専門家が具体的に照合して初めて判断できることで,法の専門家に過ぎない裁判官が勝手に「想像し難いところである」と想像をめぐらすべき問題ではない。
現実に都市計画法及び建築基準法が考慮している都市災害は,関東大震災級の大震火災のような大きな天変地異と関係して起きるものを想定しているもので,戦時中の防災都市計画として,同様の観点で,木造火災を遮断するための広幅員道路の建設が取り組まれたのもそのような観点からであった。
ところが,本件のような挟幅員のいわゆる「2項道路」で構成された低密度市街地の中央に,突然,周辺道路環境の整備をしないで高層高密度の巨大共同住宅地が建築された場合,そこからの発生交通量の増大により,周辺の「2項道路」では,路上駐車や,避難を急ぐ車による渋滞で道路は混乱し,一旦交通事故が発生すると,道路自体が機能しなくなる虞がある。したがって,大震火災時や,阪神大震災やハイチ大震災のように,道路交通が機能しないために災害の対策を採ることが出来ず都市災害を拡大させることは必定なのである。
開発許可制度の開発許可基準は,主としてこのような緊急時の対応が出来る都市を作るために作られているのであって,現在の開発行為が完了したからといって直ちに災害が起こるかどうかなどを想定しているものではないし,完成時点の通常時の都市の安全に矮小化して開発許可の審査をしている訳でもないのである。
また,原審判決は,最高裁平成20年(行ヒ)第247号を引用して,「このような生活環境に関する利益は,基本的には公益に属する利益というべきであって,法令に手がかりになることが明らかな規定がないにも拘らず,法が周辺住民等において上記のような影響を受けないという利益を周辺住民等の個別的な利益として保護する趣旨を含むと解するのは困難といわざるを得ない。」などとしている。
しかし,原審の引用する判決は,そのような抽象的な表現はしているが,それは,直接法文の制約目的に現れていない法益,対象者の保護について言及しているだけであって,本件のような明文上明らかな保護対象がある場合の記述では全くなく,正に「適用範囲を逸脱した」不当なものである。実際には,当該判決は,その後に続けて,本来の保護の対象である地域の関係医療従事者については,一定の範囲で,個別的な利益として保護する趣旨を含むとして当事者適格を認めているものであり,原審の引用は正にためにする,誤導のための引用という他ない。

3 (4)法33条1項6号・9号及び10号「周辺地域に於ける環境の保全」(原審判決19頁下段)
(1) 原審判決は,同6号・9号に規定する環境保全の趣旨について,開発区域それ自体の内部の環境を保護しようとする趣旨であるなどという,独善的な立法趣旨を編み出した上で,「環境の保全の利益は,開発地周辺住民にとって,広い意味での生活環境に関するものであって,基本的には公益に属する利益であると言うべきところ,これらに関し周辺住民の個別的利益としてもこれを保護する趣旨を含むと解すべき手がかりとなることが明らかな規定をも見出だすことは出来ない。」などとしている。
しかし,法は,開発許可の基準をきわめて具体的に記述しており,それぞれの関連公共機関がそれぞれの行政基準に照らして、適合しているかどうかの審査をすることを明確に規定しており,「法令に手がかりとなることが明らかな規定がない」などという事実はあり得ない。
実際にも,本件の関連条文である都市計画法第33条第1項第2号および同条第2項との関連で都市計画法施行令第25条に於いて規定していることは,敷地面積1000平方メートル以上の面積の開発の場合には,既存の市街地の交通にしわ寄せをしないように幅員9メートル以上の道路が存在するか(都市計画法施行令第25条第2号),または幅員9メートル道路を築造することを求めている。それが出来ない場合には開発地からその中の主要道路を延長して直接幅員9メートルの道路に接続すること(都市計画法施行令第25条第4号)を義務付けている。
さらに,現実の都市における住宅資産価値は,その住宅が所在する都市環境により大きく左右されるものであることは言うまでもない。環境の保全状況如何が住宅・敷地の取引価格に極めて大きく影響することは,不動産鑑定制度上も,一般社会常識上も極めて明確な事実である。実際上も,本事件の控訴人らの住宅取引価格は,歴史遺産の埋設されている住宅地の取引価格が,巨大マンションが建設される今回の開発行為によって,著しく下落させられ,明らかに個人的な不利益をもたらすことになったのであり,原審判決が如何に糊塗しようが,その説明は社会の常識と全く違っている。
また,都市が都市住民にとって歴史文化環境の集積であることに対して疑問を持つ者はいない。都市環境の中でも歴史文化環境は最も重要な環境である。本事件の場合,当地は旧石器時代や弥生時代の東京都区部で最大級の遺跡が発見されたところである。歴史的にも優れた住宅地という条件を具備していることで,ここには全体で25戸の住宅で構成される豊かな住環境が存在していた。そこは都市計画法に基づく土地利用計画として第2種低層住居専用地域と指定され,建築物の絶対高さ12メートルの指定がされている土地であった。
この敷地には,多数の樹木がたちならび,都市の自然環境としてだけではなく,都市の歴史文化環境を形成する森を作っていた。控訴人らのこの地区に対する取り組みは,これまで都市生活文化の中で欠くことのできない帰属意識を持てる街の条件として,この地の居住遺跡と森を守ってほしいという要求を伴っていた。都市の中の森林や住宅地のすべてにおいて,社会的に都市の構成要素として評価を受けてきたものについては,これを社会的施設として適切に保護すべきであったのであり,社会的コンセンサスなしで勝手に破壊することが許されることがあってはならない。
(2) 都市計画法第33条第1項第10号「騒音・振動等による環境の悪化の防止のための緑化」について
原審判決は,開発許可の基準に関し「開発許可の申請時点ではそれを具体的に把握することが出来ないという開発許可制度の規制方法からして」などという裁判官の法律違反の個人的・主観的な単なる感想から,規制の趣旨が述べられている。つまり,裁判官のこの判決に示した見解は,実はこの判決文のすべてを象徴していて,自己中心的に法律の解釈を創造してこれを一方的に開陳する誤りを犯している。自由心証に基づく裁判所の判決といえども,それは法律を離れた客観性のない単なる感想レベルの意思を絶対化するものであってはならない。裁判官の自由心証は,あくまで,法の規定・文言の範囲で,客観的合理性のある論理力の下で,社会通念に従った最低限の論理・通念に従い,純理による厳正な判断として許容される限度で是認されるものに過ぎないというのが,人でなく法の支配を定める近代法での当然の前提である。
原審判決は,その間違った予見に基づいて,「推論に基づく判決文」が書かれている。都市計画法は,都市環境に関する技術を前提にして科学的な規制が行われており,そこで規制しているものはきわめて具体的である。それは第3者が同じ方法で評価すれば,社会的に同じレベルで評価することが出来るように規定されているものである。
都市計画法第33条で規定する開発許可の基準は,それ自体が開発行為に対する都市環境上のアセスメント(環境影響調査にもとづく開発計画の評価)であって,その評価結果を具体的に把握することが出来なければ,それにより国民を拘束することは法律論的にも困難である。そこで,都市計画法はこれらの評価を,それらの諸関係法を施行する行政機関と協議し,その結果を踏まえて審査するべきことを規定しているのである。
(3)「開発許可における審査資料」について
また,原審判決では,「開発許可にかかる申請においては,予定建築物等の具体的な形状等が明らかにされないことは,前記判示のとおりであるから」とのみ記述して,事実上それ以降の判決における説明責任を回避したものとなっている。つまり,この判決文は,法律と行政の実態との両方に違反した開発許可申請の前提まで勝手に崩し,裁判官が勝手な理屈を表明しているだけと評せざるを得ない。
さらに原審判決は,「予定建築物等がもたらす日影およびビル風による被害の有無及び程度が審査されることは予定されていないといわざるを得ない」と断言している。しかし,開発許可申請において第33条第1項第2号では都市環境の評価をすることを開発許可の基準としており(その環境は自然科学的環境にとどまらず,人文科学的環境,社会科学的環境を含むことは,あえて説明するまでもないことであるが),それらの環境評価をなすべきことは法文上当然に要請されているのである(本件では全くやっていないが)。
都市計画法および建築基準法では高さ12メートル以下にすることを第2種低層住居専用地域として都市計画決定しており,その都市計画決定された計画に対応した建築規制の制限を,行政組織上下位に位置するに過ぎない特定行政庁が,「総合設計制度」により無視できるという法律上の根拠はない。
「総合設計制度」は、建築基準法上の原則である「一敷地一建築物」を前提にした規制を定める建築基準法第3章の規定(同法59条の2)の認めるものであり,一敷地一建物の原則の適用範囲内を前提とする狭い範囲での例外的運用を一定の条件・一定の限度内で認めるに過ぎない規定である。
これに対して,本確認で前提にしている「一団地制度」は,建築基準法第6章雑則の第86条が根拠となるものであり,これは,都市計画法第11条1項8号に定める「一団地地の住宅施設」として「都市計画決定」をした場合にのみ,初めて認められる規定に過ぎない。すなわち,法は,まず都市計画法第11条1項8号で「都市計画決定」の一内容として「一団地の住宅施設」という定めが可能なことを示し,既に都市計画の段階で,幅広い観点から,既存環境,周辺環境への影響を総合的に判断して,一定の区域内のインフラを害することがないことを,準立法機関による審査を経る都市計画決定をすることを条件に,そのような総合的・広域的な専門的判断を経て初めて,複数の土地について例外的に合一的取扱いを認めた規定である。
そのような都市計画決定があるときに限って,その具体的内容として,建築基準法適用の段階でも「一団地の住宅施設」としての例外的な扱いが出来るものとして,建築基準法第6章「雑則」において,「一団地」認定が可能なことを建築基準の観点から再度規定したものであり,建築基準法第86条の規定は,当然「(都市計画法第11条1項8号により都市計画決定された)一団地」についての例外的規制を定めたものに過ぎないのである。このように,姉妹法関係にある両法令相互の関係上も,相互の条文構造上も,同条項の「一団地」という文言には,当然(都市計画法第11条1項8号により都市計画決定された),という文言が不文,暗黙裡の前提として付加して読み込まれるべきなのである。
したがって,この建築基準法6章雑則の86条の規定を,一団地としての都市計画決定が何らなされていない複数の敷地に対して適用をすることはそもそも出来ず,予想もされていないのである。
本件開発許可に於いては,そもそも,本件開発の対象の土地も予定建築物も,「一団地の住宅施設」の都市計画決定を受けていないのであるから、第86条の「一団地」規定を適用することはそもそも不可能である。この場合、法令上は,この開発において、各住宅棟に関し固有の敷地を定め、そこに第59条の2の規定をそれぞれ適用するべきことになる。したがって,そもそも本件開発に含まれる複数の敷地全体について,本件開発許可で採用している総合設計制度の適用をすること自体,法令上出来ないのである。
にも拘らず,本件開発行為では,本来適用の出来ないはずの「一団地」規定を適用した上でさらに総合設計制度を重疊的に適用するという法律違反の解釈を強行して本件開発許可を正当化しており,不当という他ない。
また,日影やビル風に関しても,第2種低層住居専用地域で守られている環境を破壊するということになれば,それは制限されなければならない。
ここで環境を破壊しているか,どうかの判断として分かりやすい法律上の判断を示せば,都市計画決定どおりの開発計画であれば日影が及ばないところに,本計画での日影が及んでいるとしたら,そのことだけで法律違反を犯していることが証明されたわけであるから,許可をしてはならない。同様のことはビル風においても適用できる。その評価は,理論的に,または実証的にビル風の影響を評価し,審査すれば出来ることである。

4  (5) 法33条1項1号33条1項1号3号「雨水,下水処理」(原審判決23頁から24頁)について
原審判決は,裁判官の一般人としての貧しい上下水道の知識を前提に,素人判断で「本件開発行為により,本件開発区域から溢水等により,周辺地域に被害が生じるおそれが増したということは困難である」などと断言している。
しかし,開発前の25戸で構成されていた住宅地にその6倍近い139戸の住宅が詰め込まれれば,下水量はその倍数だけ増大することは極めて明らかであり,局所的な下水量の増大が既存の低層住宅地のインフラに大きな影響を与えないはずはない。また,以前までは森林と緑とが豊かで雨水の流出係数がゼロに近い環境であったものを、マンションと舗装によって地表を覆うことで事実上流出係数1に近い環境にしておいて,裁判官が言うように「影響がない」などということは常識的にもあり得ない。
しかしながら,このような判断それ自体の当否如何以前に,そもそも,このような判断は,専門家である行政主体がその判断をすべき専門的判断であり,これらは,前者(下水道)は下水道事業者が,後者(雨水)は河川管理者が,その能力・地位・立場からする専門的知識に基づいて判断すべきものであるから,そのような判断を非専門家である裁判官が行うこと自体,法の趣旨を踏みにじるものである。
そればかりか,原審判決では,あえて,「仮に本件開発区域から,溢水等が生じたとしても,それが上記原告らの土地に滞留して,その生命,身体の安全等に対する被害を及ぼす可能性はきわめて低いといわざるを得ない」,とおよそ行政事件訴訟の判決とは考えられない主観的感想文を垂れ流している。この発言は,「行政法に違反をしても被害を及ぼす可能性が低いと裁判官が思えばどんな違反を犯してもよい」といっているに等しい暴論であって、極めて非論理的、非常識なものといわざるをえない。
行政法が,起こり得るべき事態に対して規定している開発許可の基準(第33条)を,原審判決では,裁判官が法律の規定とその規定の考え方を無視して判断を下している。それは,「行政法自体が必要以上の規制をし,規制内容自体が間違っている」といわんばかりの「関連公共施設の管理者等の同意がなくてもよい」という判断を判決で示してしまっているのである。都市計画法では,開発許可の基準への適合性判断は、「関係行政機関で権限を持った審査を受けること」を前提にしているわけであるから,そのような審査の結果としての「同意書」のない開発許可は受け付けてはならないし,仮に受け付けたとしても,処分庁は開発許可申請者に関係公共施設等の管理者の同意を持ってこなければ開発許可は出せないというべきである。裁判官は,都市計画法どおりの手続きを求めればよく,本判決のように裁判官が恣意的に解釈する場面では全くないのである。

5 (6)法33条1項1号33条1項1号7号「地盤沈下等」について
原審判決は,ここでも,「本件開発区域の形状,開発行為の内容,本件開発区域と原告らが居住する土地との接合状況および高低差等に照らすと,本件開発行為により,がけ崩れが生ずる恐れがあると認めることは出来ず,上記控訴人らががけ崩れによる被害を受けることが予想される範囲の地域に居住していることと認めることは出来ない」などと述べている。このような判断を裁判官が行うことの不適切性は前項と同様である。

6 (7) 法33条1項各号「開発工事自体からの騒音・振動等」について
原審判決は,「開発許可の基準には,開発行為のための工事から生じる騒音,振動等を一定の程度以内に制限することを念頭に置いた基準自体が見当たらず,工事自体からの騒音,振動等が生じることにして開発許可が違法となることはないと解さざるを得ない」としている。しかし,控訴人らは,「本件開発許可自体が違法であるから,それに基づいた工事もまた開発許可の基準に違反した違法な工事であることを指摘し,違反を犯した工事で大きな振動騒音被害に巻き込まれているのは不当である」と訴えているのである。開発許可違反であれば,この工事自体をすることが出来ないことは,誰でも理解できるはずである。本件開発許可は,それ自体本来許容され得ない大規模な周辺への侵襲を来す工事を必然的に伴うものであるからこそ否定されるのであり,許可の違法が直接に過大な被害を来す工事をもたらすものであるから,正に違法な許可がそのまま違法な工事を来しているものと解するべきなのである。
しかるに、原審裁判官は、法令違反であるという嫌疑の掛けられている開発許可に対して,その判断を回避するばかりであるのは不当と評する他ない。
現実に開発行為と一体的に建築基準法違反の建築工事が行われている事実を知っていて,この判決はいったい何を目的としてなされているのか。敢えて言えば,犯罪を見過ごしておいて,犯罪の結果生じている被害は犯罪そのものではないから取り締まる規定はない,といっているのと言うに等しい暴論である。

7 (8) 法33条1項1号33条1項「具体的利益」(原審判決23頁から24頁)
原審判決は,「本件は共同住宅の建築に供する目的で行う開発許可の適否が争われている事案であって,適用法条を(都市施設の事件)と異にし,それぞれの適法とされる要件の定めが異なるから,それぞれの処分に当たって保護されるべきものとされる法律上の利益の内容も異なるといわざるを得ない。したがって,都市計画法上の制度であるという類似性から直ちに,違法な開発行為に起因する騒音,振動その他の影響によって周辺住民が健康または生活環境に著しい被害を受けないという具体的利益が保護されていると解すべきであるとする上記控訴人の主張は,採用できない。」などとしている。
しかし,原審判決内容は,一体,共同住宅の建築目的での開発許可の適否の争いと都市施設の可否の争いによって,具体的に何がどう異なるのか,その相違点により保護内容がどうしてどのように異なるのかについて,全く示すことがなく,ただ,法条・要件が違うからという形式的な理由のみで重大な結論の違いを帰結するばかりで,全くその根拠が示されておらず,妥当ではない。原審判決は,およそ行政法の本質が,憲法で定めている国家と国民との契約履行に関する問題である,という根本的な理解を基本的に欠いているものという他ない。国民は納税義務を果たす代わり,国家は国民に対し行政法で定めた内容を実現する対価的義務を負っている。開発許可処分という「行政処分が法律に違反していることを原因として発生している損失」に対して,行政には保障・補償義務があることは当然のことである。「都市計画決定を行政が実施し,または実施を義務付けられていることに対する行政機関の負うべき義務」の存在に対応する問題である点で問題は共通しており,その具体的な保護利益の考え方にも共通するものがあることは当然である。

8 (9) 開発地と同一都市計画区域内の住民の当事者適格について
(1) 原審判決は,「原告の上記主張は,前記(1)で述べたところに照らして採用の余地はない」という一文で開発地と同一都市計画区域内の住民の当事者適格を一蹴して否定している。
しかしながら,前記(1)では,判決は,抽象的な一般論を示すばかりで,何ら具体的な場合の当事者適格の有無について基準を導くような記述はなく,基本的に控訴人の主張に対して何一つ具体的な回答をしていない。このような国民を無視した説明責任を果たしていない判決は不当といわざるをえない。
(2) また,原審判決は,「都市計画法は,開発許可の基準に関し,同法33条第1項各号に定める要件を設けるとともに,予定建築物等の具体的な形態。構造等を想定した上で開発行為及びその後の建築の許否を審査するものとはしておらず,予定建築物等の建築の許否については,建築基準法に基づく建築確認等の段階において行われる仕組みになっていることに照らすと,建築基準法の趣旨および目的や建築確認の際に適用される同法の各規定が,周辺住民の個別的な利益を保護する趣旨を含むものであるとしても,そのような利益を,都市計画法が開発許可の段階においても当然に保護する趣旨であると解釈することは困難であるといわざるを得ない。」などとしている。
しかしながら,この判決の記述は,既に述べた通り,開発許可に関する規定及び建築確認に関する規定とその相互関係について,いずれも間違った説明となっている。開発許可の段階では,予定建築物の敷地に関し都市計画法および建築基準法どおりに開発行為をすることを審査することであり,建築確認は,予定建築物の建築物が既に審査された都市計画など建築基準関係規定に適合することが確認審査される。開発許可段階でも建築計画がしっかり計画されていなければ,そもそも建築確認において実効的な審査をすることは出来ない。開発許可で審査されなかったことは,建築確認段階で審査されることはないのである。判決はこのような法律で規定されたことを基本的に理解していないと言わざるを得ない。
また,原審判決は,「それが構築されるとすれば建築基準法の趣旨及び目的や同法の各規定により保護されるべき周辺住民の個別的利益を害することとなるのが明らかであるといった特段の事由が開発許可の段階に於いて認められるとすれば」別異に解する余地がある,などと弁明的に一言しているが,正に本末転倒,原則例外の逆転論理を示すものと評する他ない。控訴人らは,正に開発許可の段階でそのような判断を下すことが可能で且つそうすべきであり,それが開発許可制度の原則的形態だと正当に指摘しているのである。
(3) 原審判決は,この判決理由を閉じるにあたって「2 以上によれば,その余の点については判断するまでもなく,本件訴えはいずれも不適法であるから,これを却下し,」と総括している。しかし,この最後の説明は,「いずれも不適法」とすることは当然であると記述しているが,その断言を裏付けることを何も説明していない。さらに「その余」といっている中には,「開発許可を行った処分権者の権限問題」も含まれることになるのか,それともならないのか,一向に示すことがないのである。
確かに,前述のように,伝統的法理論においては,裁判に於ける判断は,まず,形式的な訴訟要件である,事件性,当事者適格などの本案前の前提要件を具備して初めて本案判断に入り,その訴訟要件を満たさなければそもそも本案判断をすることすら出来ない,という理解を前提として訴訟は構築されているので,このような判断構造は一面理解できないではない。しかしながら,本件で問題となっている「開発許可をなす権限」をそもそも渋谷区長が有するのかどうかという問題は,個別の実体判断に先立ち,個別の実体判断と切り離して判断が必要且つ可能な問題である点では訴訟要件に類する問題構造の下にある争点である。にも拘らず,原審はこの問題に全く答えることもなく形式的訴訟要件の問題として訴訟を打ち切るという暴挙にでたものである。
しかも原審は,一方では,形式的たるべき当事者適格の問題に対して,そもそも判断権者ですらない裁判官が,素人的な実体判断に介入してまで不自然な当事者適格判断を行い,これを門前払いしたもので,二重三重の意味において不当な判決と言うべきである。
このように,当事者が提訴していることについて何一つ審理をしないでなした原審判決は,形式的には訴訟費用のただ取りであり,内容的には,「国民を愚弄した判決」である,というよりもむしろ,「司法自体を侮辱しその存在価値を喪失せしめる不当な判決」というべきである。
以 上


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