住宅政策と住宅産業史

住宅政策と住宅産業史

掲載日2011 年 2 月 14 日

メールマガジン特別号
インサイダーによる日本の「住宅政策と住宅行政」物語
第1回(2月12日)
特別号刊行の趣旨
1985年9月「プラザ合意」に当たり前川日銀総裁が取りまとめた「前川レポート」は、国際社会において日本が取り組むべき国際社会における政策としても、日本国内で取り組むべき政策としても、住宅政策を中心とした内需拡大政策の必要性を提起した。メールマガジン第391号(2月14日)でその重要性と、現代、工務店が取り組むべき課題を前川レポートとの関係から指摘した。
「温故知新」といわれるように、住宅問題は人類の長い歴史の中で人びとの生活そのものとして社会経済と不可分一体の関係をもっていることから、その歴史を正しく理解することは、現代の住宅経営をするうえで貴重な取り組みの示唆を与えてくれる。
私は、住宅と都市問題に関し、立法、行政、司法、住宅産業、調査研究、大学・専門学校教育という広い分野で仕事をしてきた半世紀の経験を、「現代の住宅産業関係者に参考になる情報・知識」として伝えていきたいと考えてきた。
しかし、現代の出版事情の中でこの種の本は刊行する可能性が少なく、取りまとめた原稿はコンピューターの中に眠りに着かされている。私は、現代住宅産業関係者に関心をもってもらえるような「連載物語」として、これまで纏めた原稿を再構成して、毎回2000字以下の独立した読みきりの読み物として「メールマガジン特別号」として毎週1回連載することにした。

はしがき
(1)    日本の住宅と戦後の住宅政策の基本(その1)
粗大ゴミと扱われる日本の住宅

第2次世界大戦終了後60年余が経とうとしている。政府と御用学者たちは、盛んに、わが国の住宅は、欧米の工業先進国と肩を並べるようになったと「自画自賛」をしている。しかし、日本の住宅の優秀性を、住宅の性能表示をした住宅であるからと主張するが、その性能の評価された住宅が所有者自身にとっては、粗大ゴミとしてしか評価できず、建設廃棄物として破壊されてきた。
政府は住宅寿命の国際比較を持ち出して、日本は26年米国44年、英国75年といっているが、比較のベースが全く違っている。日本は実際に26年で住宅を建て替えて寿命自体が20年程度となっているが、英国は第2次世界大戦で壊された住宅は建設後60年たっていないだけで、取り壊されたわけではないし、米国は移民も含んで戦後増大した住宅自体の経過年数が経っていないため,既存住宅の平均年齢を言っているだけである。
さらに、日本で性能表示された住宅は、表示どおりの実体性能を評価する方法はなく、居住者に実体性能を保証しているわけではない。計画性能を持って実態性能があるような表示をして販売する営業は詐欺商売である。性能表示は、住宅会社の販売上の口実以上のものではなく、表示された性能の有無を争うにも計測の方法がなければ、「水かけ論」にしかならない。

住宅と都市との関係を断絶した日本の住宅政策の失敗
住宅の資産価値は、住宅単体の性能で決るものではない。市場で取引される住宅の価値は、価格として、住宅の効用(デザイン、機能、性能)と価格との関係を反映した需給関係で決定される。住宅は土地の上に定着し、土地の一部に吸収されて、その効用を発揮する。住宅の需給関係は、まず住宅のロケーションで決められ、住宅単体の効用は、住宅のロケーションが決定された次の段階の選択肢である。しかし、日本だけは「世界の例外」として、土地と住宅は、それぞれ独立した不動産と法律上扱われ、別々に登記され、別々に評価される。住宅単体の性能が住宅の効用を規定しているかのような社会科学に照らして間違った扱いが、政府の手で進められてきた。
「土地の高度利用」の名の下に、良好な低層住宅地にマンションやアパートの乱入することを、政府は許し、御用学者はそれを正当化し、または、「邸宅地の跡のミニ開発」を、プチブルジョアの「土地つき持ち家の供給」という「夢の実現」と住宅産業界は支持してきた。
さらに、他社の住宅との性格の違いを、当社の優秀性であるといって販売する「差別化」が、住宅産業の業務の中心になってきた。これらの住宅建設は、既成市街地や分譲宅地の街並み景観を考えずに、「独立した土地」の上に「独立した住宅」を自由に建て詰らせ、そのデザインが街並み景観を悪化させた。それが住宅地自体を無政府状態にし、住宅環境を社会的に腐らせ、国民の資産にできず、短期に粗大ゴミにしてきた理由である。

日本の住宅の実体
日本の大多数の住宅は、住宅単体としてはもとより、その連坦して立てられた住宅地としてのデザインの歴史文化性は全くない。電柱から住宅の外壁に蜘蛛の巣状に電線が醜く纏わり付き、ルームエアコンの室外機と配管配線が醜く後付された外観とは、工業先進国の中でも飛びぬけて貧しい。
住宅の中に入ると、客をもてなす晴れの空間と、日常生活空間の機能的区分が出来ていなく、小さな個室の数だけを重視し、家族を分離し、孤立させることを、「居住水準の高い」、プライバシーの高い住宅と勘違いしている。一枚ガラスのアルミ製の黒色の窓は、気密性こそ高いが、断熱性能に貧しい住宅である。国民が不幸にされている事実は、覆い隠すことが出来ない。性能は高いという歴史文化性を失った贋物材料に包まれた住宅は、「欧米に並んだ住宅」と言う「羊頭狗肉」住宅であることは、誰が見ても良くわかることである。
また、日本ほど長期の住宅ローン返済期間の国はなく、国民が住宅を購入することで、個人資産を失っている国はない。「住宅ローンを払い終わったとき、住宅資産は無価値になる」と日本の政府自身で公言している住宅政策とは、一体どういう政策なのだろうか。

第2回(2月14日)
(1)    日本の住宅と戦後の住宅政策の基本(その2) 
住宅の資産価値が上昇する国の理由(欧米の不動産評価)

現在、日本以外の国では米国で発生した住宅バブルの崩壊のように、住宅が投機の対象になった特殊な経済環境や、産業構造の変化で生活の基盤となる産業が崩壊した場合を除けば、住宅価格は長期的にはほとんど例外なく上昇している。英国や米国では、住宅資産価値は「長期預金金利以上の比率」で増加している。住宅の資産が増加している国で、住宅の価値が増加している理由は、ストックの住宅に人びとが住みたいと望む住環境の元で、住宅地経営管理されているためである。その不動産評価は以下の三つの方法で評価され、それを総合的に批准して決定される。
第1は絶対評価である。
既存住宅が年とともに熟成し、市場で新築住宅以上に豊かな生活の出来る需要の対象となっているため、需要者は、現時点で住宅を取得しようとするとき、既存住宅の不動産価格として、新築住宅としてその住宅を購入するための土地費、建材購入費、建設労務費及び工務店の平均的粗利を加算した「推定再建設費」として見積もられる(コストアプローチ)ため、その評価は物価上昇に連動する。
第2は相対評価である。
住宅は償却資産ではなく、住宅に使用されている部分が物理的に老朽化する減価償却部分に対して、計画的に修繕を施すことによって、住宅自体は建設当初の物理的環境を維持することができる。そのため、既存住宅と計画修繕費用を合算した住宅の推定再建築費用は物価にスライドすることになる。その上、住宅の居住者は、その所得の向上や、社会の文化の発展にあわせて、住宅の機能や性能を向上させるリモデリングを繰り返すため、そのリモデリング投資額の約65%程度は資産価値増になる。住宅の提供する効用との関係で住宅価格が上下するとする相対評価の考え方による。
第3は収益還元である。
住宅地に住宅が計画どおりに建設され、住宅地が熟成することで、住宅は同じであっても、居住者に対する利便サービス、教育文化サービス等が向上する。そのため、より高い生活を希望するより所得の高い人が移住を希望することで、住宅の取引価格が向上し、住宅の資産価値は飛躍的に向上する。所得の高い人はそれだけ住居費支払い能力が高いため、その住宅を賃貸住宅とした場合いには、より高い賃貸料(不動産が生み出す収益)を配当と考えた場合の資産価値(収益還元価値)と評価される。

米国と英国の資産価値向上の事例
米国では、優れた住宅地は年間平均で6%程度の資産価値は上昇しているが、ホームビルダーランキング100に名を連ねたビルダーは「わが社の供給する住宅は、年間平均で8%以上の資産価値増を保障している」ことを売り物にして、「7年毎のライフスタイルの変化に対応した住み替え時には、住宅は購入か各自の56%以上資産価値増をし、容易に住み替え(ムーブアップ)を支援してきた」、と説明している。
一方、英国では、レッチワース・ガーデンシティー、ハムステッド・ガーデンサバーブで聞き取り調査をしたところ、いずれの住宅地でも、20年居住していた住宅では、最低購入価格の4倍以上の資産価値増を約束して取引されている。戦後最初に開発されたハーローニュータウンでは、建設後30年居住していた住宅が適正な管理をされていれば購入時の6倍、管理を怠っていた住宅でも5倍以上の価格で取引されていた。そのじゅうたくにとって最重要なことは、建設当時の街並み景観が厳重に管理され、より所得の高い居住者が入居することで、居住空間を拡大する方法として屋根裏改造に取り組んでいるが、街並み景観の変化となるドーマーウインドウの設置に関し、計画許可(プランニングパーミッション)の審査がうるさいといわれている。要するに、街並み景観こそ、住宅地の文化環境の基本とされている。

無限地獄といわれる住宅政策
個人資産の合計が、国富としての住宅資産である。日本の国富としての住宅資産総額は、少なく見積もって1000兆円ある。その住宅資産が増加するか、それとも減少していくかにより、国富及び個人資産の状況は全く違ってしまう。日本以外の国では、基本的に住宅資産は増加しているのに対し、日本だけは毎年平均約3%、30兆円づつ消滅している。その失った資産とほぼ同額の30兆円が、毎年新規の住宅投資及びリモデリング投資としてやられているが、そのいずれも住宅の資産価値増の投資にはなっているわけではない。住宅を安く購入してリモデリングして生活すれば、その住宅を新築したとき相当の価値の住宅になるといった勘違いがある。住宅地としての効用(街並み景観デザイン、生活利便性の機能、物理的・社会的安全性性能)の欠如している住宅地の中の住宅をリモデリングしても、所得の高い人の需要の対象にはならぬため、その住宅の取引価格は上がらない。住宅会社が巨額な広告宣伝費を使って高額な住宅を販売しても、政府・民主党がリフォーム大作戦で高額のリモデリングをすれば住宅の資産形成となると宣伝しても、住宅投資額を拡大するだけである。いずれも消費者が多額の資金を住宅に消費をさせているだけで、住宅産業の売り上げは増加して利益を上げることになっても、少しも国民の投資額相当の資産総額の増加にはならない。国民が「働けど、働けど、住宅地が資産漏れ経営」になっていることにより、資産蓄積がされない。国民のストック資産の形成をを軽視し、住宅産業にフローによる利益を提供している政策が、政府の住宅政策の実体である。

住宅の価値と連動すべき住宅金融
日本でこのようなことが当然のように起こっている理由は、住宅建設計画法による住宅政策がGDP最大にする日本経済政策の一環をになって、スクラップアンドビルド政策をしてきたことにある。その実行部隊として、日本住宅公団(現在のUR)が1955年の発足後、産業政策に対応した勤労者住宅供給として、住宅地経営をしないで住宅建設及び建設用地の供給をし、住宅金融公庫が1950年設立して2006年に業務を廃止するまでの56年間に、政府の住宅政策として、住宅自体の価値を無視した住宅金融を実施することによって、粗大ゴミになる住宅供給システムを確定させてしまった。
特に、政府施策住宅の圧倒的多数を担ってきた住宅金融公庫は、住宅購買者の購買能力を決定する住宅ローンをするに当たって、住宅の価値を担保に住宅ローンをせず、生命保険で保証された個人の信用を担保に、住宅ローンを行い、個人の信用を生命保険で保証してきた。その結果、供給された住宅は巨額な広告宣伝費用を使って、安いコストで建築できた住宅の2.5倍もの販売価格をつけて販売されてきた。住宅購入者は、顧客の嗜好を生かした邸宅建築であるかのように勘違いさせられた「注文住宅」を、価格相当の価値があると思い込まされて購入した。
そのため、住宅生産者も住宅取引業者も住宅自体の価値を考えずに、住宅の価値と切り離して住宅価格を操作して、価格操作で高く売り抜けた。その利鞘(差益)分は、不動産製造で生み出された価値・「付加価値」のほかに、過大な価格設定という営業利益が加算されている。しかしそのすべてを「付加価値」と称して正当利益とした。住宅購入後、その販売価格を不満とする購入者の買戻し要求には、絶対に応じてこなかった。社会的に販売価格相当の価値のある住宅ならば、再販手数料を支払えば、販売価格で買戻しに応じて当然である。再販できない価格であるとしたら、その価格は合理性がない。
元住宅局長が、「ハウスメーカやマンション業者が急成長できた理由は、これらの業者の言いなりの価格に対して住宅金融公庫が住宅ローンを認めたからである」といい、これらの業者は完了OBをもっと受け入れるべきであると天下りを業者に強要してきた事実がある。

第3回(2月14日)
(1)    日本の住宅と戦後の住宅政策の基本(その3)
住宅産業の利益本位の政策

しかし、わが国では政府自体が住宅金融公庫をつかって、始から住宅の価格自体を担保にしないで住宅ローンをするやり方をやってきた。そのため、住宅金融機関がまともに住宅の価値を問題にする環境が破壊されてしまった。日本以外の国の住宅ローンは、基本的のモーゲージである。モーゲージとは、その融資期間に住宅購入者がローン返済不能事故を起こした場合には、担保にした住宅を差押さえして住宅市場で競売に掛けたとき回収できる保養を限度の住宅ローンを行うというものである。不動産鑑定評価は将来の不動産の市場取引を正確に予測することを根拠に成り立っている。
しかし、住宅金融公庫は、現在及び将来住宅市場での住宅取引価格の予測には関心をもたず、現在ハウスメーカーやマンション業者が不当な高値操作をした価格で住宅を販売できるようにすることに手を貸してきた。住宅産業は市場の需要供給で住宅価格が決定されるという自由主義経済の市場構造を破壊し、住宅の価値と無関係の価格設定を操作し、営業販売を強化して売り抜ける詐欺的商法を一般化してきた。政府も御用学者も、本来住宅産業活動を支える住宅の経済的価値を表す取引価格を、経済取引ではなく、性能表示といった物理的な使用価値、「差別化やトレンド」といった購買者の嗜好の操作を「個人の認める価値」として、経済的判断と違う「価値」を「経済価値(販売価格)」と同一のものと勘違いさせて売り抜けてきた。

日本のジャーナリズム
新聞雑誌は、広告宣伝会社電通が始めた記事広告「広告掲載を条件に取材記事を掲載する」ことが不当にジャーナリズムを支配し、TV公告は購買者のマインドコントロールの手段として使われた。本来批判精神を持たなければならないジャーナリズムが、広告主批判と移る記事を掲載できなくしてしまった。創価学会と公明党に批判記事がジャーナリズムから消滅したのも全く同じジャーナリズムの拝金構造によるものである。
住宅産業界ではその構造を活用し、「差別化」といって「他社住宅と相違する違いを自社住宅の優秀性と説明し、政府の住宅表示制度という辞退性能の計測方法も存在しない「詐欺商売幇助構造」を容認した高い価格設定を支持してきた。「住宅性能表示制度の不当さを指摘した「原稿を持ち込んだ私に対して、「うちの紙面を見ていただければ分かるとおり、広告主の不利益になる記事は載せられません。」というので、それを批判すると、「あなたはうちの新聞を1部しかかっていないのですよ」と開き直られて購読を止めることにした。「手離れの良い住宅」と言って、購入者が「瑕疵」の追及をすることを免れる販売方法をやってきた。
日本共産党は,「党として住宅性能表示は国民の利益になると判断し住宅品質確保法に賛成した」たことに対し、その判断の誤りを指摘した。ところが、「赤旗は、住宅性能表示を支持する社会的要望に応えることが、読者拡大に繫がり、その要望に応えることが大衆のニーズに応えることと考えている」と言ってきた。この説明は、これまでの共産党の公式な(国民の利益を守る)立場とは違い、住宅産業と政府によるの大衆操作の一環に組み込まれている体制迎合等であることを露呈したものであった。それが、わたくしを赤旗購読をしないように決断させた理由である。

消費者を守るという基本姿勢を失った住宅政策
「瑕疵」という民法上の用語の定義は、「契約の不履行、不等価交換」をさしている言葉である。しかし、政府は瑕疵という言葉を歪め、「価値のない住宅を高い価格で販売する」こと(不等価交換)も米国の裁判では「瑕疵」として扱われている。米国という自由主義経済社会における住宅取引は、購入者が求める住宅の効用(デザイン、機能、性能)と、その支払うお金との交換が、契約当事者にとって同じ程度の満足を与える(交換価値が同じ)であることを前提にしている。住宅購入者の求める効用を有した住宅の経済的な価値は、消費者の視点では、設計図書どおりの住宅を建築するために必要な直接工事費に工務店の平均粗利25%を加算した見積額と計算される。一方、住宅販売価格は住宅市場で流通する適正市場価格である。その価格は、貨幣による表示価格として示されるものであるから、供給する住宅は貨幣表示価格どおりの価値を表す。購入者の求める工事見積価格と住宅業者が手にしようとしている販売価格とが同じである(交換価値が同じ)とされることで交換が成立する。しかし、購入した住宅が住宅市場で、「購入価格を著しく引き下げなければ販売できない」ことになれば、等価交換の契約は実施されなかったことになる。そのような場合、その取引は瑕疵として保証の対象になる、と言う米国での判決である。しかし、日本の住宅品質確保促進法では、住宅の瑕疵は、単なる構造耐力と雨漏りに限定した建築性能問題に矮小化して、国民に販売価格相当の価値のない住宅を売り抜けることに目を瞑らせる道具に変えてきた。
さらに政府は、「瑕疵保証保険」として強制的に実施しようとしている保険の実体も、民法上の瑕疵の保証ではなく、建設業者は倒産する惧れがあるという理由により、住宅所有者に保険料を転嫁してもよいとする精度にしている。それはもはや瑕疵保証保険ではなく、損害保険である。瑕疵保証という看板を掲げ、補償されるべき消費者に沽券量を支払わせるという「羊頭狗肉」のやり方で、国民に不当な負担を押し付けている。その結果、日本では住宅により、個人も国民も、「住宅取得により資産を失う」ことが、当たり前になってしまった。


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