ビルダーズマガジン

ビルダーズマガジン第177号

掲載日2011 年 5 月 14 日

MX-3100FN_20110510_142331_001本号の特集記事は、住宅政策・住宅産業史「澤田、救仁郷の時代の終焉と私」です。わが国の住宅産業が、プレハブ住宅を中心に進められたことは、多くの方のご存知のとおりですが、その歴史をご存知ですかと問えば、多くの方は巧くお答えになられないかと思います。

本号ではかつて建設省住宅局長を経験し、「住宅産業近代化」政策を構想した澤田光英とその部下で公営住宅との関係で触れハブ住宅を担当した救仁郷斉のご両人が今年2月に逝去され、私の官僚生活で直接間接に非常な指導、薫陶、支援、妨害を受け、多分私のような関係でこのご両人との関係を結んだ官僚はいないと考えています。

今後の住宅政策を考えるとき、結果論からその歴史的必然性を論じるのではなく、その歴史の現場で直接的、主観的に歴史に挑戦してきたインサイダーの歴をを知ってもらうことの重要性を考えて、2号にわたり、との歴史を紹介することにした。

2.インターナショナルアーツ&クラフツ

--ウイリアム・モリス:ステンドグラス:シンバルを持った吟遊詩人の天使、1869年

3.カレントトピックス

--東日本大震災:津波と原子力発電所事故

4.若本修治のレポート

--仮想や風水の商談で迷走したら

5.黒瀬洋のレポート

--レンガを使った町付きリの事例紹介:(株)に野茂や建設

6.特集:住宅政策・住宅産業史(その1)

--澤田、救仁郷の時代の終焉と私

私が建設省住宅局の入省した年に、建設省の「住宅生産工業化政策」が要綱行政としてスタートした。日本の最初こプレハブ住宅に関する国による都道府県に対する研修が建設大学校で1ヶ月の期間にわたって開催され、東京街道団地には無数の民間を含むプレハブ住宅が建設陳列された。この年にプレハブ協会が設立され、住宅パネル工業協同組合が設立されました。これらの一連の出来事には、入省当時で使い走りに近い立場でしたが、インサイダーとして直接関係して言いました。私の本省の業務の印象は、入省したばかりの人間も、課長のような立場の人も同じ立場で議論し、その結論を職階を使って実践する民主集中制、平たい言葉で言えば、中小企業経営のような取り組みを見て驚きました。

住宅需要が大きいにもかかわらず、労働者は工業に吸収され、住宅関係には労働者が集まらず、当時の建設大臣河野一郎は、住宅建設を急げと発破をかけたが、何とも住宅供給はすすまなかった。「鍋や釜でも量産すれば安くなる」という考え方が、当時米国の連邦住宅都市開発省(HUD)が、OBT(突破作戦:オペレーションブレイクスルー)と言って進めていた工場生産住宅性格にならって取り組んだのが「住宅生産近代化政策」であった。その考え方を一つの論文として世に問うたものが、通産省住宅産業か課長補佐の内田元亨が昭和42年に中央公論に寄稿したものである。

本連載は、多分、当時の住宅産業政策がどのように進められたかを生き生きした形で理解することができるものだと思います。その中でもと日本共産党秋田支部長米倉豊夫が「自分の夢の実現」を住宅産業に向けたエピソードも忘れないで書き込んでおきました。

10.竹山清明の街並み講座

--サンフランシスコのやや低価格住宅の町並み

11.渋谷征教による「街づくり講座」

--分譲住宅地作りのコンセプト

12.図解 建築のディテール(47)

--タイルと石工事(メイソンリー)

14.長期優良住宅実現の途・住宅資産形成のための「三種の神器」

--オースマンの思想とはワードの「ガーデンシティ」

16.アメリカンハウススタイル

--セカンド・エンパイやー(第2帝政様式)

18.新 コンストラクションマネジメント講座 第18回

--不動産製造業としての工務店の関心事:現場生産性

19.読者からの質問(68)

--PUD(プランドユニットデベロップメント)とサブディビジョンコントロール

20.書籍注文・編集後記


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