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メールマガジン第441号

掲載日2012 年 1 月 30 日

メールマガジン第441号(2012.01.30)
みなさんこんにちは

先週一週間、常夏のハワイに、「ハワイ大学での講義に併せて、親戚旅行出かけ、帰国したら、そこは雪国だった。」ということでした。

ハワイ大学での講義

私の娘でハワイ大学の歴史学部の教授で、現在、日本歴史のうち近代史を教えることになったので、私が建設省時代に取り組んだ「部落問題と在日朝鮮人問題」について75分の講義をしました。その準備には思った以上に時間をかけることになりました。
部落問題と在日朝鮮人問題は、日本の近代史の中の鍵を握っている歴史であるにもかかわらず、政府も教育界もタブーとして、全く扱っていない問題でもあります。日本人の感覚は、今回、野田首相が韓国大統領李明博と会談したときの慰安婦問題に象徴されています。外交的には、慰安婦問題が解決積みのことを李大統領は当然、十分知っています。しかし、それでも国内的に大きな社会問題となっていることへの配慮をせず、野田首相はあえて外交的には解決済みということを繰り返し、会談は成果の得られないものになりました。

戦前までの「部落問題」と「朝鮮人問題」

戦時中、日本政府は、朝鮮人を奴隷として扱い、落盤の頻発する主として北海道の炭鉱や京浜地帯の軍需産業で、たこ部屋に入れ、厳重な監視の下に酷使しました。
明治政府以来、部落民は四民平等といいながら、その戸籍の頭に、行政が「新」の文字を書き足して「新平民」と書き、「新平」と蔑称をつけ、江戸時代からの部落の皮革や食肉の仕事を奪い取る一方、職業機会を奪い差別をしました。やむなく、売春、やみ商売、芸能・娯楽・サービスの世界でしか職業を選べない状態が続きました。
日本軍が東南アジアに戦線を拡大するとき、慰安婦として日本国内の部落関係者と並んで、朝鮮から強制徴用された女性たちが、慰安婦として、組織的に戦地に送り出されました。

政治・行政で部落民や朝鮮人の差別をしてきた日本政府は、彼等の人権を無視した扱いをする一方で、いつもその差別扱いをしてきた人たちからの報復、反乱に脅えていました。差別の構造を不当と考える社会主義思想は、差別をされた人たちの怒りに火をつける導火線のように怖れていました。差別されている部落民や朝鮮人と社会主義者との関係を分断しようという対策は、日ごろから官憲によって計画され、行動が準備されていました。
関東大震災時に「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」というデマが流され、多数の朝鮮人が検束され、射殺されました。朝鮮人は日本語の濁音の発音がうまくできないということで,それを言わせ、朝鮮人と認定し、惨殺し、苦しめました。そのとき同時にでっちあげられた事件が大杉栄、幸徳秋水を初めとする当時の社会主義者をほとんど網羅する形で検束し、「天皇殺害事件をでっち上げ、幸徳秋水や多数の社会主義者が死刑に処せられるという事件がありました。これこそ政府がいつも報復に脅えていた証拠に違いありません。

第2次世界大戦中のと「部落問題」と「朝鮮人問題」

ハワイのパールハーバーの奇襲攻撃で始まった第二次世界戦争は、途中で、日本軍がソ連に戦争(ノモンハン事件)を仕掛け、手痛い敗北を喫しました。ソ連は西部戦線で手一杯で、日本にも満州にも攻撃を拡大しませんでした。そのため、日本政府及び軍は、「ソ連は基本的に親日である」勘違いし、関東軍を東南アジア戦線に振り向け、「鬼畜米英」と米国に最大の敵愾心を向けてきました。そして、戦線の状況が悪化するに従い、天皇陛下の安全を確保するために、ソ連に天皇の保護を打診し続けました。ソ連は最後まで回答を留保し、ぎりぎりになって日本の要請を拒否しました。そこで日本政府および日本軍のやったことは、皇居の長野県の松代の地下への移転と、皇居周辺に天皇の皇居からの脱出を図るための東京湾に抜ける地下秘密道路の建設でした。この機密大土木工事は、軍の手で機密事項として進められ、その秘密を隠蔽するために工事に関係した朝鮮人労働者は、全て殺害されました。証拠隠滅のためであり、戦後の天皇の訴追を免れるためでした。

私が3年間働いていたインドネシアでも、「泰緬鉄道建設のためインドネシア人の強制徴用があり、10世帯に1世帯程度の比率で犠牲者がいるので、人里はなれたところへの旅行には気をつけたほうがよい」というアドバイスを現地のインドネシア人から何度も注意されました。日本の近代化は、欧米諸国の植民地政策と奴隷活用をそっくり真似たもので、それにより富と労働力を奪い、日本の近代化、経済成長ができたといってよいといえます。「日本による3年半の植民地支配は、オランダによる350年の植民地支配よりはるかに残虐であった」(インドネシア共和国国定高等学校教科書)と言う記述があります。

第2次世界大戦後の「「部落問題」と「朝鮮人問題」

連合軍司令長官マッカサーは、ソ連が北海道分割を要求してきたとき、社会主義国(ソ連、中国、北朝鮮)と対決するためには、日本のような強力な軍事国家の仕組みを利用する以外の途はないと考えました。そこで日本の軍事産業を含む戦時中の部落民と朝鮮人の奴隷支配の仕組みを米国の極東戦略のもとに組み直そうとしたのです。北海道の炭鉱労働者の80%以上が朝鮮人に担われており、軍需産業の多くが朝鮮人労働力によって担われていたため、マッカサーは、マニラから日本政府に対して、「朝鮮人を戦勝国民として扱わず、戦敗国民として扱え」という命令を出し、国内に拘束することを日本政府にやらせました。

部落民と在日朝鮮人は、基本的に奴隷として扱われ、自由を得た人たちも職業選択で差別され、闇商売、芸能界・性産業、パチンコ・博打、屠殺・食肉、廃品回収業、汚物処理、といった一般の職業から差別された産業で活動するほかありませんでした。経済が拡大するにつれ、政治、経済、金融界が、国家的な産業政策、国土総合開発計画として、政府の財政及び金融を通して、官主導の成長をしました。

高度経済成長に伴なう「部落問題」と「朝鮮人問題」

政治家と官僚たちは巨額な税収を背景に財政主導の公共事業、産業政策を行い、その実現のために闇の世界を使うことで、その政治行政目的を早く実現しようとしました。田中角栄流の政治手法は「闇将軍」ともいわれたとおり、闇の産業を組織化し、その政治目的を実現し、党利党略を駆使して、利権政権を私物化し、私利私欲を拡大しました。

そのうちに、それまで闇の世界の中におかれて、資金力を持つようになった人が、その資金力で拝金主義の表の政治家や官僚を支配するだけではなく、やがて、自らが表の世界に現れ、政治、経済を支配するようになってきました。アメリカのかつてのマフィアや、アラブの政治、戦前の軍国主義政治の構造も全て基本は同じ構造に乗ってやってきました。このような歴史認識で、近代史を「部落問題と朝鮮人問題」の視点から説明しました。講義は娘の解説を挟むことで、受講者には興味深い話として聞いてもらえたようでした。

ハワイの親戚旅行

親戚旅行としてのハワイは、初めにハワイ島で2泊、オアフ島で2泊を過ごしました。全体で300余の島からできているハワイは8つの主要な島が西から東に向けて、プレートテクとニックス(大陸移動説)どおり、地下のマグマが島を造り、順次西に運ばれています。そのため、西の島ほど土壌が熟成し、植生も動物も多様化するとともに複雑化し、熟成していきます。しかし、火山で生まれた島は、海の潮に襲われて、島は西に向かう歩で小さく削り取られていきます。ハワイがプレートに乗って日本の領土に来る頃には、全て海面下に崩れてしまうということでした。キャラウエイ火山は、新しい東のハワイ島にあり、ダイヤモンドヘッドは休火山になり、オアフ島にあります。

ハワイ島のような新しい島は、東側と西側での気候がまったく違い、東はマグマが冷えた状態ですが、西は、高温多雨に恵まれ、巨大な樹木のジャングルを形成しています。また、火山で急峻な土地であるため、高地は涼しく、温帯地方の高原野菜がある反面、水面に近いところは溶岩や砂浜で、背の低い蛸足の潅木の密集地もあります。自然が多様で神秘的であるため、昔から多くの民話があるところで、踊りも歌も、音楽も大変豊かなところです。ポリネシアセンターやハイヤットハワイアンセンターなどハワイの民族族芸能を観光客に見せるとこともたくさんあり、日本からも、米国本土からも大量の観光客が繰り返し訪れる全島が豊かな観光資源の満ち溢れているところです。

私たちの親戚旅行の中に車椅子利用の人もいましたが、ハワイではハンディキャップを感じさせない対応を市民がやってくれ、観光に出かける上での障害になることはありませんでした。日本からの観光客だけではなく、その昔、日本から移住した人たちが3世、4世といった時代になっています。たとえば、ハワイ島にはヒロを中心に、現在の人口数18万人と同じ数の18万人の日本人が移住し、日本の衣・食・住文化の生活文化もこの地に根付いており、懐かしさや、親しさを感じることのできるところです。

カメハメハ王がハワイの統一を果たし、英国の強力な指導の下に現在の国旗に象徴されているような8つの島の連合体としての国造りがされました。王侯貴族たちは英国に留学し、英国の血と英国文化をこの国の誇りとして受け入れ、国民によい政治を行ったと説明されているとおり、英国のよき文化があちこちに見られます。建築や住宅文化に関しては、ホノルルの市街地にある非常に興味ある特色を見ることができました。基本的には米国大陸同様、住宅による資産形成の考え方は強く、それが都市資産を詰めに改善する動機になっていることが分かりました。

住宅地の価値は、最終的には住み手によって左右されます。ここの居住者はばらばらに住宅を選定しているようでいて、実は個性的な要求に応えてインテリアはそれぞれ変化していきます。多様な生き方をする人が増えるほど、住宅地全体の多様性が生活の豊かさを高め、隣同士でまったく違うライフスタイルを尊重し合う住宅地ができ、住む人に多様な生活を楽しめるようになります。居住者の生活の多様性が、住宅地として資産価値を高めようとすることでは結束するため、相乗効果が発揮されます。
(特定尾非営利活動法人 理事長 戸谷英世)



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