メールマガジン

メールマガジン第442号

掲載日2012 年 2 月 6 日

メールマガジン第442号(2012年2月6日)

みなさんこんにちは
2月1日、HICPMとGKKによる第1回ブリックセミナーを実施しました。
今回のハイライトは、内海さんの自宅訪問でした。子供の頃、母親が毎日のように「風とともに去りぬ」のビデオを楽しんでいました。そのビデオで繰り返し映し出されるにプランテーションの豪邸の豊かさにいつの間にか魅せられていました。そして、何とかあんな住宅へという思いが、成人して実際に米国に出かけ、実際に米国でかつて夢のようと思っていた住宅を見て蘇えってきました。自宅の思いをデザインとしてまとめ、自分の会社で生産しているブリックを使って、実現しました。今回見学した住宅は、内海さんの米国の住宅への憧れに対するこだわりの住宅でした。

田園調布に建つ内海さんの住宅
内海さんの住宅は、「資産形成できる住宅は、前面をセットバックし、そこに住宅が詩のようなリズムを奏でるように建築される」という原則を忠実に守って建築されていました。広い前庭には自動車道路と平行してサイドウォーク(側道)が、街を歩く人のために造られています。米国の街並みでは、このサイドウォークが連なって安全な住宅地の歩道網を形成することになります。
田園調布の中で、サイドウォークが個人の敷地内に造られている住宅は、ここにしかありません。ほかの住宅は、道路境界線一杯に塀が立てられ、道路沿いに切り立った擁壁が築かれています。多分住宅の所有者は、自分の住宅を「小さなお城」のつもりで建てているのでしょう。
かつて、小林一三の指導を受け、田園調布の開発のため米国を訪問した渋沢栄一は、米国の住宅地では、全ての住宅の壁面が、前面道路幅員と同じ距離だけ後退して造られている状況を見て、「日本ではそのような贅沢はできない」と考え、前面道路幅員の半分の壁面後退をして田園調布が開発されたと伝えられています。
当時は、塀を造ってはならないというルールもありましたが、現在は、ミニ要塞の集積になっています。街路樹があるおかげで、街の景観が救われているといってよい状況です。
そのなかで内海さんの住宅が孤軍奮闘している感じですが、その住宅の前に立つと、やはり、その周辺の住宅地に対し、努力をした甲斐のある優れた街並み環境の担い手になっていることがわかります。この住宅のおかげで、その周りの住宅もゆとりのある住宅になっています。

東京駅周辺に建つレンガ建築
今回のブリックセミナーの現地見学では、日本を代表する東京駅から始まり、三菱1号館東京銀行協会、法務省、工芸館といった東京都心にある明治から昭和にかけて日本で建築された代表的レンガ建築を見学しました。
東京駅から東京銀行会館というレンガ外壁保存をした超高層建築の前を通って、景観問題で話題になった東京海上火災のラーメン建築レンガ化粧建築をバスから見て、三菱1号館を見学しました。
三菱1号館は、ジョサイア・コンドルの設計したクイーンアン様式によるレンガ建築を、三菱地所が国(文化財指定を受ける意思表示をしていて、闇にまぎれて取り壊しました。)をだまして、高度成長期に金儲けのために壊してしまいました。国を騙しておきながら、文化性のある建築空間を造ることがより高い空間利益につながることに気づいて、改めてジョサイア・コンドルの設計した昔のレンガ建築を、三菱地所の資産形成のために復元したという建築です。
このレンガ建築は、当初は貸し店舗用に建築されたということでした。ロンドンに行くと、同じ形のビクトリアンテラスを沢山見ることができます。前面道路から半階昇って1階床があります。昔どおりに復元しただけあって、優れた建築デザインとなっています。

東京駅周辺のレンガ建築
東京駅の建築は、目下リモデリング中で見ることはできませんが、工事囲いの表に、パネルで東京駅の歴史と特色を説明してあり、この建築物の保存改修している理由など重要なことをパネルで説明してあり、内容を理解しやすく解説してありました。東京駅においでのときは、是非ご覧になってください。
東京駅は、天皇制による近代国家の天皇陛下の玄関ということで、オランダのアムステルダム中央駅に倣って設計されたものです。当時世界の近代国家はいずれもルネッサンスデザインの建築物を建築していたことから、ルネッサンス様式で建築されました。
丸の内側が皇居に面した表の顔で、そこには、レンガを化粧財として使った鉄骨補強レンガ建築として、東京大学建築学科第1期卒業生辰野金吾によって設計されました。東京駅側には三菱1号館もそうですが、昔は、全てレンガを化粧に使った建築物が建築されましたが、同じ時代に銀座や築地に立てられたレンガ建築は、全てモルタルで化粧され、石造のデザインとして立てられました。

法務省のレンガ建築
法務省の建築は、エッケとベックマンというビスマルクの建築顧問を日本政府が招聘し、東京の中心である官庁集中計画案のマスタープランを描いたとき、その一環として設計してもらった法務省(当時の司法省と大審院)の建築です。
当時はソルボンヌ大学法学部主任教授ボアソンード博士を招聘し、不平等条約の中の重要な領事裁判権を改めるために、日本の法制度を整備することに国を揚げて取り組んでいるときでした。
当時、岩倉欧米視察団が帰国し、日本がモデルにする欧米の国としては、ドイツが最もモデルに適しているということで、大学教育をはじめ、医学や都市計画、建築法も可能なものは全て、ドイツに学ぶということになり、多くの建築家もドイツに派遣されました。
その当時、ドイツの影響を受けて建てられた司法省と大審院は、領事裁判権を止めさせるためにも、日本の司法省は欧米に匹敵することを建築物によって示そうとしたものでした。
この建築物は、第2次世界大戦で空爆を受け、私が霞ヶ関(建設省)で働き始めたことは、まだ爆撃を受けた後のままでした。
私は建設省が第一希望でしたが、郵政省、科学技術庁、文部省、法務省からも誘いがあり、人事院に申請し受験し、いずれも合格しましたが、その2次面接で「法務省に入ったらどんな仕事をするのですか」と尋ねたところ、刑務所や拘置所の設計や工事管理という営繕の仕事ということでした。もし、法務省に入省して、運がよければこのレンガ建築にも関係できたかもしれないかな、と昔のことを思い出していました。
私はこの建築物の隣地にある東京地方裁判所と高等裁判所にはよく来ましたので、法廷の待ち時間が長いときには、法務省のレンガ建築を見学に入ることにしてきました。今回も時間が取れるようでしたのでツアーの一環として内部に入りました。いつも笑ってしまうのですが、法務省の守衛が、「いらっしゃいませ」と大きな声で歓迎してくれます。入館者はいつも少なく、いつも落ち着いて見学できます。3階の展示室はきれいに展示されていて建設当時の内装を見ることができ、実は図面も見ることができます。

中央官公庁街と工芸館
法務省を見てから霞ヶ関の官庁街の端をお堀沿いにバスで移動し、60年日米安全保障条約で、国民と国家の関係が悪化した事態の修復のために、国民が利用できなかった皇居の一部である現在の北の丸公園になっているところを、国民に公開することになりました。そこには新たに武道館と科学館が立ちましたが、それ以前から建っていたレンガ建築をその後、工芸館として、公開利用されることになりました。
千鳥が淵を背に立つ工芸館は、皇居の本丸と北の丸の間を走る桜並木の丘陵に面して建てられ、景観は抜群ですが、その玄関扉にシャッターが取り付けられているのには驚きました。レンガ建築の前面には二つの大きな現代彫刻がおかれていますが、建築とは調和していません。欧米の優れた建築の玄関にシャッターを取り付けた例を私は知りませんが、このような建築物の景観を損なう方法が工芸館という建築物に対して取り付けられていることは異常で、日本の現代の建築文化の大切に扱うやり方が文化の保護ではなく、機能上の堅固な防御でしかないと思いました。

HICPMセミナールームでのブリックセミナー
ブリックプロダクツ東京の黒瀬さんによるロッキーハウスとブリックプロダクツ東京これまでの仕事の中で勉強されたブリックの知識と経験についてのセミナーがおこなわれました。黒瀬さんのセミナーに続き、その話を補強する形で私がセミナーをしました。その中心は、現在の住宅市場における消費者の購買力が低下し、その傾向は今後回復することは見込めないため、今後以下のような対応をすることが必要であるということを説明しました。
(1)年収の3倍以下の住宅価格で、消費者のニーズに応える住宅を造るためには。同じ容積でエンベロップ(外壁と屋根)面積を最小にするキュービック形の住宅とするか、セミディタッチドハウスやアタッチドハウスにすることで、同じ容積の住宅で使用する材料及び労務量を最小にする。
(2)窓・ドアーの使用する種類を一種類に絞り、繰り返しによるリズムのできる住宅デザインとする。外壁は基本的に四つの「出隅」(矩形又は四方形平面)とし、「入り隅」は設けない。
(3)標準化、規格化、単純化、共通化を徹底し、作業を平準化し、生産性を高め、工務店は期間当たりの粗利を最大にするとともに、職人に対しては期間当たりの賃金を最大にするように努める。
そのためには、CM(コンストラクションマネジメント:建設業経営管理)技術を学び実践する。
(4)住宅を販売するのではなく、住宅環境を販売するということを間違わないようにし、アタッチドハウスやセミディタッチドハウス、フォープレックスにチャレンジし、1戸当たりの外壁面積を最小限化する。
(5)レンガは、基本的に圧縮材料で、その利用上の制約は大きい。そのため、歴史的にレンガを使って「シンプルアンドビューティフル」な建築がたくさん建てられてきた。そのノウハウを学ぶことが最も実践的なレンガ建築を建てることができるようになる。

GKKの小林さんがこれまでの海外ツアーで撮影したレンガ建築のスライドを用意してくれました。昼食時に小林さんの解説で見てもらいました。

立教大学と慶応大学のレンガ建築
教室セミナー終了後、冒頭に紹介した内海さんのご自宅を訪問しました。その後、立教大学と慶応大学のキャンパス内に建っているレンガ建築を見学しました。長い歳月を経て大切に維持管理されたレンガ建築は、それだけ多くに人たちに支えられ時代を伝える都市空間や、大学のキャンパスの空間を造ってきました。

私たちは、空間を考えるとき、空間を単に立体(3次元)と考えるのではなく、そこには、過去から現代を経て未来に伝承する空間(4次元)なのです。そこに歴史文化を伝える懐かしさと帰属意識を感じます。
立教大学や慶応大学で学び卒業した人たちにとって、レンガ建築は大学への帰属意識をもつうえで重要な役割を担っているということもできると思いました。

今回のブリックセミナーの成果を、次回に向けて発展させようと考えています。
2月はNAHBのIBSとシーサイドへのツアーがあり、そのツアーと同じツアーをポラスの社内研修で実施するため、私は1カ月の半分以上を留守にします。もし、ご上京され、私にご用のある方は、事前に私の在否をご確認くださってからおいでください。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷英世)



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