メールマガジン

メールマガジン第463号

掲載日2012 年 7 月 9 日

メールマガジン第463号
みなさんこんにちは
皆さんは狭山事件をご存知ですか

「狭山事件とは、1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明になり、殺された事件です。警察は40人もの警官を張り込ませて、身代金を取りに現れた犯人を取り逃がしました。当時吉信ちゃん事件に引き続く大失態を演じた警察は世論の大きな批判をあびました。捜査に当たった警察は、付近の被差別部落に見込み捜査を行い、5月23日、部落の青年石川一雄さんを別件逮捕し、嘘の自白をさせ、犯人にでっちあげたのです。これまでに石川さんは無実を示す沢山の証拠が明らかになっており、現在弁護団は、東京高等裁判所に再審を開始するよう求めています。49年に及ぶ石川さんの無実の叫びを聞いてください。狭山事件の再審と冤罪をなくす司法改革を訴えています。」(狭山事件の再審を求める市民集会実行委員会)

50年間の冤罪との闘い
わたくしは諏訪2丁目マンション建て替え事件の控訴審判決を受けるために東京高等裁判所に出かけたとき、裁判所の玄関でビラと街頭でのマイクで、裁判所への呼びかけが成されていました。石川一雄さんの冤罪の問題は解決済みと思っていただけに驚き、話を聞いてみますと再審が開かれていない段階ということでした。石川さんの奥さんが署名を求めてこられ、「夫が今マイクでご挨拶をするから、その前にご紹介しましょう」といわれましたが、石川さんはその前にマイクを持って話しはじめられました。私と同じ年齢(72歳)で、この事件は、わたくしが住宅地区改良法を担当する直前に発生したもので、当時、私は未開放部落問題に関係した事業の担当であったことから、石川さんの事件は、これまで証拠がありながら警察は不当である、と憤りを感じた鮮明な記憶が今でも残っています。当時、女性を殺害したと思われる人が自殺しているにもかかわらず、その原因究明をせず、いずれも石川さんのものではないことが判明した地下足袋、その他を証拠品として員数集めし、法廷に提出し、十分な数の証拠品があると石川さんに冤罪をお仕着せたのでした。

公権力によるでっち上げ
わたくしは警察や検事が自分の業績稼ぎで証拠を捏造することが、日上茶飯事で行われてきたことは聞いておりました。戦前、高等文官で海軍教授をしていた父が、戦後のどさくさで生活するために国家警察の鑑識課技官をしていたとき、旧帝国大学教授が検事とつるんで多数のでっちあげ証拠を作成した話を頻繁に聞きましたが、刑事や御用学者という職業人が犯罪の片棒を担ぐなんて信じられませんでした。また、建設省に入省した後も、その後、内閣副官房長官になった元警視庁刑務部長と縁戚の関係で何度か警視庁の部長室で面会したことがあります。その折、捜査にあわせた証拠捏造の話を他人事みたいに話していたことに驚いたこともあしました。私と話をしている間にも、多数の国会議員や高級官僚に犯罪のもみ消し指示を出していました。警視庁というイメージと真逆の伏魔殿であるという実体を見せられた思いでした。

限界効用逓減の法則
私の部下で、家族の全員が警察関係の職員がいました。当時神奈川県警の不祥事件が社会問題になっていました。その職員がわたくしに「何故、警察に不祥事が多いのか分かるか。」と尋ねたことがあります。「分からない。」と答えると、「『朱に交われば赤くなる』という諺を知っているか。」と追っかけ問われた。答えられないでいると、「警察官は犯罪者と付き合っているので、犯行の手口を身につけ、それに対する警察の対応が分かっているから犯罪に手を貸しても絶対安全ということをやる。その犯罪の中には、自分の業績を上げるための犯罪のでっちあげも入る。証拠捏造のためには刑事関係の学者も巻き込むこともある。それが『限界効用逓減の法則』により、犯罪がエスカレートしていく。そして、表沙汰になるのは、自分は刑罰を逃れられる過信になり、行き過ぎに及んだとき、犯罪として立件されるだけで、それは氷山の一角である。」という分かり易い解説をしてくれました。

政官癒着は国民の税金の私物化
先週、諏訪2丁目住宅管理組合のマンション建て替え事業がいかに違反を積み重ねられたかという歴史を解説しました。この建て替え事業は、はじめの国土交通省の官僚T.I.が、実績造りのために、白昼堂々と東京都や多摩市長に補助金の不正交付を約束していました。実はその裏にもう一人住宅局長になった黒幕がいると私は疑っている。官僚は、自らの立身出世のためには、「政治家の引き」を必要としている。政治家は政治資金と票集めに執着しており、その資金や利権は官僚を利用して、国民の税を「補助金」という形で政治家に還流させることが、官僚にとって最もやりやすい途としてやられてきた。田中角栄の官僚操作術もそうである。政治家も官僚も、税金は自分で勝手に使えるお金と考えている。国民のお金と口先では説明しても、本当に国民のお金と考えている官僚や政治家はいない、のが実情である、と思わざるをえません。

既成事実の積み重ねを正当化する「公定力」
許認可の不正と国庫補助金の不正交付をしても、行政事務として次の段階に進むと、補助金の不正交付自体を前提にして、事業を進めることが「公定力」として正当性がもたれるため、それを覆すことは、国家という列車を急停車させて、逆に走らせるような難しさが生まれます。そのような違反をお膳に戻すことが経済的に大きなマイナスになるため、裁判では、「違法性が認められても、加罰性は弱い」と違反を追認する言い訳をしてきました。その司法の判決が、自民党を利権集団として育て、現在の国家の政治家と行政間のモラルを堕落させてきました。既成事実を「公定力」として、既成事実として積み上げることにより、どんな不正も、「法令には抵触しているが加罰性はない」とか、「違法性は認められても、これまでの行政秩序はそのようなやり方で日本国の秩序が守られてきたから、それを問題にする必要はない」というおよそ理解不能な屁理屈となります。現在の中国共産党に支配されている中華人民共和国と同じです。

自分の醜い顔を映し出されても自分の顔と分らない面々
石川さんの半世紀に及ぶ冤罪との闘いを聞いていて、私がマンション建て替え問題で支援している2人の老い先き短い老人の問題を重ね合わせ、気の遠くなる思いで聞いていた。法の番人という公正人間の顔をしていて、国民の立場に立った裁判と言う憲法の規定に背き、石川さんにも保障されるべき憲法で定めた裁判を受ける権利を踏みにじり、心は自分の立身出世しか考えていない裁判官たちの醜さを、思い出していました。
裁判官たちは、自分たちの書いた判決に醜い人格が映し出されているにもかかわらず、それを見ても涼しい顔をしていいます。「つくばにいる蝦蟇にも劣る連中」(自分の醜さを判決という形で見られるようになっても、それを裁判官の醜い姿であると自覚せず、他人事のように笑っている馬鹿さ加減)だと思いました。

裁判官としてのモラルとは何かが、分らない裁判官
裁判官は自らの判決が、主権在民から大きく逸脱したものであることが見えていても、見ないふりをしています。私がこれまでかかわった行政事件の判決は、ほとんど例外なく、裁判官の不当判決である。国民の訴えが無視され、行政官の不当な処分を追認する判決しか出されていないことを見れば、裁判官の行政追随は明らかです。高等裁判所の判決日に傍聴席に出掛けてご覧になるといいです。行政事件訴訟は、そのほとんどが行政が被告または被控訴人で国民が原告または、控訴人です。15分くらいの時間に20件近い行政事件の判決言い渡しは全て棄却か却下です。判決理由など説明することはありません。憲法で国民の裁判を受ける権利には、判決に国民に対し説明責任を果す判決理由を書くことも、その説明を判決時に説明することも当然含まれなくてはなりません。原告である国民の訴えが判決結果に見られるように間違った訴えをしているとは思われません。裁判官は裁判の専門的知識もモラルもないといっても言い過ぎではない、そのことは良識ある一部の裁判官自身が認めていることであります。

裁判官には専門性が不用であることを認めた裁判員制度
その証拠が裁判員制度である。裁判官自身自分たちの専門的知識とモラルの不足を認めたために、全く素人の国民に裁判権を裁判官同様に与えてもそれをおかしいとも思っていません。欧米の陪審員制度と日本の裁判員制度とはまったく違っています。陪審員制度は主権在民の下で国民の選良が立法した法律に基づき裁判官が裁判した結果が、主権者国民の立法内容に照らした判決になっているかをモニターするものであり、裁判の審理は裁判官という専門職にしかできないとしています。
日本の裁判員制度は、裁判事務を司法官という専門職でなくても、素人でもできるとしたことに裁判官が賛成しているのであるから、裁判官自身が自分を素人であると自白していると同然です。

裁判で知ることのできた裁判官の法律能力と司法官としてのモラル
原告の法律知識が行政官や裁判官より低いとは思われません。むしろ逆である。原告である国民は、それ相当のお金と時間をかけて原審判決を不満として訴えているのです。控訴審判事に思い上がりがあるだけではなく、いかに効率よく事件を裁き、自分の出世本位の判決を書いているとしか思えません。
控訴人に対して納得のゆく説明責任を果たすことの出来る判決でなければ、民主国家の判決ではありません。裁判長としての権威を濫用しているだけで、法律知識は貧しく、それを自覚せず、裁判長という肩書きで司法権を濫用しているだけです。肩書きを外し、裁判官の言っていることが国民に通用することは絶対にありません。それが日本の裁判官です。
私はこれまで100件近い裁判に、原告、被告、補佐人、参考人、原告または被告原告の支援者として参加してきた経験に基づいて経験です。皆様にもご一緒に考えていただきたい問題であり、国民として考えるべき事柄です。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷英世)



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