メールマガジン

メールマガジン第467号

掲載日2012 年 8 月 7 日

メールマガジン第467号(平成24年8月8日)
みなさんこんにちは

興奮と熱気を伝えてくれるオリンピック
連日、ロンドンオリンピックを見ていますが、世界中のアスリーツが死に物狂いになって努力してきた結果を争っているもので、非常に高い水準の競技が続き、どの競技を見ても感動させられます。スポーツ能力には素質もあるには違いませんが、その素質をどれだけ磨いてきたかということや、気力が成果に現れ、成果には偶然ということはないと感じました。競技であるかぎり相対的であるという事実はありますが。
一番気の毒なことは、素質もあるアスリーツが当日の条件の中で所期の成果を挙げることが出来なかった場合です。「運も実力の内」ともいいますが、いずれにしろ、結果としてそれまでの努力が報われなかったことは気の毒な限りです。スポーツを見るときその優れたところを積極的に見ることは、スポーツを面白く見ることであり、気の毒という視点が入ると、スポーツを見る視点が後ろ向きになるような気がします。

東北の夏祭り見学
週末、これまで、長年、TVではよく目にしてきましたが、実物を観たいと思ってきた青森の「ねぶた祭り」、秋田の「竿灯祭り」を見てきました。
インドネシアの日本大使が、偶然、秋田の「竿灯まつり」を見にきておられました。これらのお祭りを見ていて、私が家族と過ごした35年ほど前のインドネシアでの生活を思い出しました。バリでは、常住人口の100倍くらいの観光客が集まり、ほぼ通年的に各地で毎晩のように開催されている部族ごとの「ラーマーヤナの踊り」をガメランの音楽にあわせて、夕方から夜が更けるまで踊っているのを観るのです。
そのお祭りを最も楽しんでいる人たちが、観光客ではなく、現地のバリ人です。観光はバリ人たちの興奮を一緒になって楽しんでいるので、演じる人と観客との境がなくなっていました。観光客も現地の踊りを現地人一緒になって演じている気持ちになっているのです。この関係は、TVがどれだけ情報を克明に放映しても、現場の興奮をTVで実現することも、TVを見ていて味わうことも出来ません。

夜行バスが走れない理由:バス運転手が払底
今回の観光ツアーは、当初、夜行バスツアーで格安に計画されていました。しかし、夜行バス事故が相継ぎ、その実態は下請けのバス会社へのしわ寄せがバス運転手に対する不当労働行為にあったことが明らかになりました。適法運転をすれば、下請けバス会社の方で、バス運転手が集まらなくなり、やむを得ずバス旅行をあきらめざるを得なくなったのです。今回はその結果として、やむを得ず、大手ツアー企画観光会社が、「夜行バスを新幹線ツアーに計画変更し」、実施されたものでした。
大手ツアー会社がこれらのお祭りの大きな支援者になっていて、もし、これらのツアー会社の事業がなかったならば、東北の大きなお祭りは、実現できなかったに違いありません。観客となる住民は少ないツアー費用負担でツアーをすることが出来なかったでしょうし、お祭りの実行組織、旅館業界、商工会は、このように観光事業を盛大に実施できなかったでしょう。地元も経済的に潤うことはなかったでしょう。また観光事業を放映するTV局もこのような興奮を視聴者に味あわせることもなかったと思います。

マス・トゥーリズムを組織する大資本
「ねぶた祭り」も「竿灯祭り」も地元民が、組織的に地域や参加企業を上げて、組織し華やかな衣装や踊り、鉦、太鼓、笛などの楽器、演奏技を競い合い、毎年の事業の積み上げの実績のうえに、たぶん丸1年かけて準備し、その成果を数日のお祭りで全力を挙げ競技の形で爆発させ、観衆を魅了させているのではないかと思いました。
踊りや音楽が、祭りの総合的な企画演出と照明・音響といったチームワークがなければ出来ないお祭りは、見ている人たちにとっても、はらはらどきどきの連続で、お祭りが、観衆を取り込んでくれるため、大きな盛り上がりとなっていると思いました。
このようなお祭りは大きなお金がかかります。事前の報告宣伝、広報等の投資に見合った効果がない限り実施することは出来ません。そのため、お祭りを地域の産業復興と理由に、お金が、その最大公約を支えるものとして、行政が先頭に立って、大企業を巻き込んで実施できているわけです。
これも見方を変えると、お金を都市から農村に移転する重要な方策だと思います。地域の住民自身もお祭りを主体的に取り組んでいる事実は分りました。しかし、確かに、楽しんでいるようにも思えましたが、中心になっていると感じられたことは、地元もこの機会に屋台を出してお金儲けをしたいということに重点が移っていました。
お祭りを楽しんでやろうとすることはどうやら脇役的で、地元が「中心になって楽しんでいる」というようには思えませんでした。むしろ、「街の事業という官僚主義」の中で、組織的に役割を果たすことでがんばっている様子が目に付き、主体性を持ってお祭りを楽しむという感覚は弱いように思えました。

地元住民自身が楽しみ、その熱狂が観客を取り込む
このお祭りのような大きなイベントだけではなく、各地にはいろいろな歴史文化として優れたものがあり、それらをもっと個人のスケールで楽しめるものが、「グリーンツーリズムの原点」と思いました。お祭り騒ぎの屋台も、お祭りを楽しくさせるものです。
インドネシアでは、パッサールマラーム(夜市)といって毎日夜に日が暮れると市場があります。暑い毎日ですので日が落ちてから村中が散策に夜市に出かけます。お祭りの指揮者がいないのに、自然発生的で、いつも賑わっていました。これはインドネシアの生活文化の一部になっていて、皆も楽しんでいます。
当時、私も頻繁に家族を連れて出かけたものでした。多分、エアコンがない時代の日本にも夜市や夕涼みといって、屋外で将棋をしたり碁を打ったり、といった生活がありました。それらの生活は子沢山という家庭環境とエアコンのない生活といった住環境とも深く関係していたと思います。農村には昔の貧しい時代の生活をしないと観光にならないといっているわけではありません。まず農村では、農村の景観を自分たち自身で楽しめるように個性的で集団として美しく作ることが出来れば、その景色を観に都市の人たちは集まってきます。その原点は、村人自身が楽しめる伝統に対する村人の誇りです。

大資本の利潤追求の仕組みに巻き込まれた観光
今回の観光旅行を通じて、観光のやり方が大観光資本に依存せざるを得ないというだけではなく、「国民大衆にとっても、大観光資本に依存しなくては格安な観光をすることが出来ない」という社会経済の変化をしっかり認めなければなりません。
しかし、グリーンツーリズムというヨーロッパを中心に広がってきて、それが新しい生活の一部になっている大観光資本に依存しないで出来る観光も、それを可能にする理論と国家規模での取り組む必要があると感じました。そこには、1980年時代のフランスとドイツの政府が取り組んだ「国民の労働時間短縮と、そこで生まれた自由時間を国民が有効に使う」という労働者(国民)の視点に立った「自由時間都市」のような生活を実現する国家的な政策が必要です。
国からの補助金政策ではなく、農村の人びとがその文化に誇りを持ち、都市生活者にとっても農村の優れた文化が、自らが農村の歴史文化を享受することで都市では得ることのできない豊かさを感じることを認識することがグリーンツーリズムの原点になります。

日本のグリーンツーリズム
すでに日本各地ではペンション経営など、地元農村の生活の持っている歴史文化を都市生活者に提供しようとする日本型グリーンツーリズムも各地で取り組まれています。しかし、「それが何故、グリーンツーリズムなのか」ということに対する認識がそろっていないことにあります。
どうも日本の場合のグリーンツーリズムには、それを社会文化運動として捉えないで、農村経済の問題に矮小化したり、地元と一体とならない自己満足的な主張があり、その地域の中にさえ、それをグリーンツーリズムと認めない不協和音があります。
「山に登ろう」と呼びかけながら、「どこの山に登るつもりか」について社会全体の共通認識がないことです。各地でグリーンツーリズムと自覚した「ドイツやフランスに倣った本格的な事業」が取り組まれていることも事実です。
しかし、それがヨーロッパのように展開できていない原因は、日本のグリーンツーリズムは、農村の経済主義が表に出て、経済的にヨーロッパでなされてきたことを事業として断片的に取り組まれてきましたが、文化運動としての側面が弱く、基本的の農村の経営が基本になっています。それらが社会的な共通認識が育っていない状況で、個人ベースで無政府的に実施されており、国家としても地方としても、何のために都市のライフスタイルを豊かにするという視点が弱いことにあります。
さらに、日本の農村には村落としての街並み景観や自然景観やそれを構成する建築が粗末であることが大きな原因になっていると思いました。「ねぶた祭り」も「竿灯祭り」も夜の帳で醜い都市の景観が消えているから楽しめると思いました。もし、醜い街並み、ビルの街並みを見ていたら、とても歴史文化の伝統としての祭りは見てはいられないものになると思いました。

住民主体のグリーンツーリズムをささえる3原則
私が知っている欧米の町のお祭りは、クリスマスなどの夜の帳が下りてからも幻想的なものもありますが、昼間の美しい街なみを背景に楽しむものも沢山あります。祭りを楽しむためにはその舞台となる歴史の街並みや自然を含むランドスケーピングが集まる人に歴史文化を楽しませてくれます。舞台装置としての歴史の空間がお祭りには重要です。
街並みは祭りの舞台です。観光の重要なところは、見て感動し、食を味わい、その感動(お土産話、写真映像、土地のお土産)をお土産にして持ちかえって貰うことで、本人自身がリピーターになるとともに、お土産を貰った人たちにツアーをお勧めすることになる、と考えられています。今回も角館に足を伸ばしました。
私自身、角館には何度も出掛けていますが、おそらく口コミもあってでしょう。年を経るにつれ、見学者がののちの街並みの美しさを口づてに伝え、いつも、さくらの季節同様に、その中心となっているものは、街並みの美しさです。政府が住宅品質確保法で言っている条件で角館が賑わっているということは絶対にありません。

大きな観光と小さな観光を欧米の経験を学んで実践しよう
グリーンツリズムは、地方の大きな観光イベントに含まれますが、より基本的には、都市生活者が、個人の生活に合わせて農村生活の歴史文化を、個人の関心にあわせて楽しむことの出来る個人の文化生活を豊かにすることを中心に組み立てられるものです。
大資本に支配されずに、個人の生活を豊かにすることができるようにすることが、個人にとって豊かな観光を実現するために大切なことだと思います。もちろん大きなイベントは、大きな資本が入ることもあっても当然です。それだけでは全て大資本のできるものだけになってしまいます。
そのイベントの利用も合わせてその地域の文化を楽しめる計画が個人ベースで作れるようなグリーンツーリズムのネットワークが必要です。そのネットワークとは、農村生活者自身が豊かさを感じて楽しめる「豊かさを生み出すことのできる農村の生活文化」なのです。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷英世)



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