メールマガジン

HICPMメールマガジン第503号

掲載日2013 年 4 月 22 日

HICPMメールマガジン第503号(4月22日)
皆さんこんにち

東日本大震災3周年目になります。多くの日本人が、国の復興事業としては当然のこととし、国民各層が、東日本大震災にいろいろな形で関心を持ち続け、義捐金、チャリティ事業、または、ボランティア支援事業というような形で、これまで被災者を支援しています。東日本の犠牲者の問題を、自分の問題の一部と考えることが、日本人としての東日本支援の第一歩と言えます。

政府の東日本大震災対策を監視しよう
その中でも重要なことは、同じ日本人の共通の認識として、つまり、納税者として、「東日本大震災復興事業が日本国の政治として、どのように実施されようとしているか」という復興計画と、その計画を実行に移すための国民の支払った税の一部が、どのような形で東日本大震災に使われているかを確かめることは、国民として行うべき重要な視点であると思います。
しかし、国民の税金が東日本大震災の被害者の生活再建に向けてどのように支出されているかは、これまで、ほとんど説明されていません。国民が東日本大震災の被害者を支援する気持ちがあるならば、もっと義捐金を出し、ボランティア活動をするべきであると言わぬばかりの政府の情報操作には大きな疑問があります。

少なくとも、私達がTV,新聞、ラジオ、商業雑誌等に報道から分かっていることは、これまで国民の関心とは逆に、東日本復興対策は国民にその全貌を知らせないまま、政治と官僚が勝手な財政支出を行い、不明瞭な事業をやってきたようです。大きな公共事業をする場合でも、その公共事業が被災者の生活再建のためのプログラムにとってどのように寄与するかが説明されていてもよいと思います。被災者に、明確に国の行うことが説明されれば、それによって、被災者も生活設計を立てることができます。
政治家と官僚がやってきたことに対し、国民が関心を持ち、実際に政府が国民の税金を使ってやったことを監視することが大切なことだと思います。私たちが個人の支出としてできる支援も重要なことですが、まず、私たち国民の税金を使って本当に被災者のための復興事業をやっているのかということを監視しなければならないと思います。

私達が納税しているお金が東日本大震災に正しく使われているでしょうか
義捐金を出すことも重要なことですが、それらのお金が、支援している人の気持ちを納得するように使われているかということは、お金を出すことと同じように大切なことです。日本では多くのジャーナリズムが義捐金や、チャリティ事業やボランティア活動を応援してきましたが、その取り組みの成果や集められたお金がどのように使われたかを納得いくようには報道してきませんでした。少なくとも国はこれらのお金を集めた団体の収支及びその寄付を行ったところでの会計に関し、国民が確認できるようにしなければなりません。国民が関心を持つべき代表的なものが、国民からの税金を原資とした財政支出による国の直轄事業、補助事業、国が行ったパブリックコメントや提案などによるNPO,一般社団法人、一般財団法人などに対する不明瞭な補助事業による東日本対策の収支と実績です。

少なくとも私の目と耳に入ってくる建設業界や住宅産業界で話し合われている「政府の東日本対策」は、「建設業者向けの経済政策」です。単刀直入に言うと、業界団体の事業利益を政治献金との関係で、東日本対策事業を迂回し、政治献金や官僚や公務員の天下り団体にお金をまわす、その仕組みを隠蔽する形で復興事業がやられているように思われます。
つまり、東日本大震災対策は、罹災した国民の福利とはかなりかけ離れた対策にしか思えません。
国会議員会館内でやり取りされている東日本対策といわれるものに対して、事業の提案者、支援議員、関係省庁の関係を明らかにすることができたら、国民は、護送船団を構成する連中が、いかに私利私欲のために政治、行政を行っているかを知ることができると思います。

東日本大震災地に出かけることの重要性
今回、私は、仕事の合間を見て、東日本大震災チャリティツアーと言う民間の旅行社の1泊2日という短いツアーでしたが、商業ベースでの東日本震災とその後の対策を、垣間、観ることができました。私自身は、今回で東日本被災現場を訪問するのは3回目です。結果的には、震災後被災地を毎年訪問してきたことになります。
その比較をしてみると驚くべき遅いスピードでしか対策が採られていないことが判りました。国民相互の「絆」という言葉や「連帯」ということ(国民の責任)が言われていますが、国家と国民とが結んで憲法という基本契約に立った「国家の責任」の追及という声はほとんど聞こえません。

挫折した米国からの民間支援
震災直後に米国の民間大企業から、「日米安全保障条約を前提にした支援の申し出」に対応し「日本側が望む支援を」という回答を受けました。そこで、私たちは日米関係に関心を持つ人たちで協議をし、日本からは「ニューアーバニズムによる震災復興」を米国に求め、米国も「その要請に対応しよう」ということで7名のニューアーバニスト等が来日しました。
そこで、国会議員や関係省庁の幹部に面会し、援助の可能性を検討する状況になりました。米国人の事前調査団と一緒に調査した東日本大震災現場(釜石市、松島周辺ほか)では、全体計画がないまま、震災対策は復興建設事業という形で、被災者不在のまま政府主導の建設事業が地元業者への利益配分という形で取り組まれていました。それは米国人にとってだけではなく、私にとっても驚きでした。

その象徴的なものが入居者の見つからない「空き家のまま放置されている仮設住宅」の建設でした。その事業を緊急事業として請負った地元の建設業者は、「どの被災者に向けての対策か」、「誰を入居させるために建設するか」も知らせられず、知ろうともせず、一ヶ月間で、特命で仕事を請け負い、50億円近い売却益を上げたと大変喜んでいました。その事業の裏には中央官庁や国会議員の意向が強く反映されていました。その状況を見ると、政権を取った民主党は、火事場泥棒のように、政治家、官僚、業者が護送船団で談合し、緊急性を口実に、誰も入居したがらない仮設住宅を建設した、とうのが政府の実体でした。
米国からの援助申し出に対しても、政府同様、その機に乗じて、金儲けをしようという卑しい業者の介入があり、米国からの援助は実現できませんでした。真面目に米国からの援助の受け入れに取り組んできた日米の関係者は、皆非常に悔しい思いをさせられました。

震災1年後の復興の状況

その1年後、ワシントン州の建材セミナーに合わせて来日した米国の住宅産業者の希望にこたえて、グローバル研修企画㈱がワシントン州政府とNPO法人HICPMと共催でツアー(陸前高田ほか)を計画しました。そのツアーには多くに国内の住宅産業者にも参加して頂きました。震災後の後片付けが、やっと目鼻がついていることと、政府がデモンストレーション的に進めた一部仮設住宅が、地元市町村の意欲的な取り組によって主体的に建てられた成功事例を見ることができました。
仮設ということで杉丸太の掘立基礎に、恒久使用を可能な住宅が収容所形式に建てられているのは、とても「文化的な環境を被災者に与えるもの」とは言えないものもありました。

しかし、これら仮設住宅でも、時間の経過とともに入居も進み、居住者にも明るい希望が与えられていることを見ることができました。それはやはり住まいの問題に限定されていて、「生活と仕事」という関係で住宅立地を考えるところには手が及んでいませんでした。
その段階でも「高台移転」が大きな問題になっており、働く場所である「海(漁場)」、「漁港」、「漁船」、「漁具」、「漁師の仕事場」も整備されておらず、その見込みもわからないということでした。
漁師は仕事震災前の漁業が出来ないので、とりあえず住む場所として高台の仮設住宅に移転してきているという人もいましたが、漁業との生活をどうするかは、未だ考えが及ばないというところでした。

震災後3年目を迎えての現地
今回視察した田野畑駅周辺では、実際に津波で住民の避難誘導に携わった人のお話と現場を見学しながら、当時の災害と避難状況の説明を聞くことができました。このように時間を経過して被災者が総括している話を通して、もう一度震災を考える機会を得ました。
大きな問題は、いまだ現場とかい離した中央政府や中央にいる識者と言われる人たちの「羹に懲りて膾を吹く」の無責任な対応が続いていることが、地元が立ち直る妨害をしていることになっていると感じさせられました。政府と官僚の現場から遊離した感覚で、「今回の高潮震災地には、絶対に建築を建てさせない」という間違った基本方針(制限)の下で復興事業を取り組んでいることでした。

港湾周りのかつての漁師たちが仕事と生活をしていた「最も活発に利用できる漁村市街地」と、漁業するために最も効率的に利用できる土地が広々と更地のまま放置されている一方で、そこからかなり離れた高台の上で住宅用地の開発工事が行われていました。その開発に住民の合意はできているようには思えませんでした。漁港の復興も災害後3年目を迎えるのに、まだ完成とは程遠い事業がだらだらと取り組まれています。何か「国は、漁民が希望を失って廃業してくれることを望んでいるではないか、漁業のスクラップ・アンド・ビルドのため、漁業の再興を邪魔しているのではないか」と疑いたくなるような、ゆっくりしたスピードで復興事業が進められていました。

「角を矯めて牛を殺す」政府の施策
政府がこの復興事業に関係する場合も、日本は自由主義の資本主義国家ですから、政府は大きな港湾の改修事業に集中し、漁業の復興に関しては、漁師たちの希望するように自由に彼等の生活再建を支援したらよいのではないかと思いました。漁師たちが高潮を受けたところで漁師のできる自分たちの住宅と漁に必要な施設の整備と、自分たちにすぐに取り掛かれるで漁業から始めたに違いないと思います。彼らの主体性を尊重すれば、100年に一度の高潮の来ることを前提に、全ての漁師は自分の生活設計をすると思います。まずは、自宅の再建を被災地で始めるだろうと思います。

漁師たちは、限られた時間を漁業の復興と自宅の再建をするためにどうするかといえば、これまでの生活の延長線上で、つまり、被災地で復興をするのが、「当然の取り組み」だと思います。「今、政府が復興にかけている財政支出をしている資金を漁民にそっくり供給したら、彼らはどのように使うでしょうか。決して高台移転はやらないと思います。私たち国民が考えていることは、震災復興により漁民が昔の生活を回復するための道筋を間違わないことです。安全を錦の御旗に「高台移転させて1000年に一度高潮に安全な住宅を与えること」により、結果的に、「猟師に漁業をあきらめさせること」ではないとおもいます。

漁港周辺の職住近接の住宅地を造り、高潮時には的確な警報を行い、そこから迅速に安全な高台に避難移動できる自動車道路でも造れば、それの方が、高台移転をして職住分離をして家族をバラバラにするよりも遥かに有効であることは、誰の目にも明らかです。限られた1日の生活時間を、「漁業関係時間」と「家族との生活時間」とに配分する方法で、それ以外の「通勤」という移動時間に多くの時間を費やすことは適当ではありません。漁師たちが「時間をいかに有効に使うか」ということを、まず考えなければなりません。
政治は国民目線で行われるべきで「高台移転」のような政策は「角をためて牛を殺す」のたとえどおり、「安全にしたつもり」でいて、結果的に「猟師を殺している」のです。被災地の猟師達が、これまでの3年間、このような状態に放置されているということは、政治的には全く「政治不在の状況」というほかありません。

人工地盤「NCZ工法」の東日本事業への適用を
被災地を見て、強く感じた私たちの提案の再確認をお知らせしておきたいと思います。
現地を視察した私の印象では、福岡の「荻裏ガーデンサバーブ」の事業㈱大建の松尾社長と一緒に開発した人工地盤「NCZ工法」を使って、これらの高潮が襲った罹災地に住宅を復興することはきわめて有効と再認識しました。半地階部分を鉄筋コンクリート造の構造で造り、その上に2階、または、3階建ての住宅を建築するようにします。半地階部分の階高は、天井を少し高目の3メートルくらいに造り、その地階部分を鉄筋コンクリート構造で、気密・水密のドアで上階と区画することが出来るように造ります。すると、高潮時には、「トルネード(竜巻)対策に造られてきた地階空間」と同様に、高潮時の安全区画を居住者に提供することになります。

高潮が襲ったときには、住宅の居住者は地階に入って地階区画をしっかり閉めると、高潮が襲来し、それが去っていくまでの間、安全であればよいのです。今回の高潮の場合、被災地に滞在する時間は30分程度であったということです。
高潮が来襲している時間(せいぜい1時間。仮に2~3時間としても、その間の避難施設としては避難する時間)は安全上万全です。仮にその上階の住宅が高潮に奪われても、地階部分はそれだけで、高潮後の最低限の生活を行うことも可能です。この提案をご活用になりたいと思われる方は、実例が、福岡県糸島で、すでに㈱大建が建設し、実用化されていますので、ご覧になれます。どうぞお申し出ください。

「所得移転」という現地支援
今回の観光旅行で考えさせられたことは、東日本大震災の被害者目線での取り組はされているとはいえず、護送船団の構成員が自分たちの利益本位での仕事を、あたかも被災者向けの対策のように説明しているだけで、被災者対策にはなっていないとしか思えなかったということです。
3年目を迎えようとしているときに、政府は被災者にしっかりした展望を示していないということは、彼等に希望を失わせ、その力を発揮させないため、復興の主体となるべき人たちを殺しているとしか思えません。これは現在の日本の全ての政治の縮図のようにも思われました。そのようなわけで、今回の旅行はわたくし自身、気分的に大変疲労させられることになりました。

しかし、私たちが日ごろ主張している「地域おこしの基本は所得移転」であることの実践として、日頃の生活に使う食品を買い出しの気分でそれぞれリュックサックと手提げ袋一杯食品を購入して帰りました。旅行会社のこの種のチャリティツアーは、政府の施策に縛られないで、地域の再興に大きな力になっているのではないかと思いました。
私のラフな試算でも、1回の1泊2日の一つのツアー(30人くらいのグループ)で旅行費用と個人支出のうち地元で消費された金額は、150万円程度になります。このような額が地域で地元にお金が支出されると、今回も4組ほどのツアーグループに出会いましたが、全体で年間100以上行われるとすれば、15億円にもなります。このようなツアーは国民誰でもが取り組める東日本大震災を監視するとともに地元に経済効果を与え震災復興支援ツアーと言っても過言ではないと思います。
(NPO法人 住宅生産生研究会 理事長 戸谷 英世)




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