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HICPMメールマガジン第506号(5月13日)

掲載日2013 年 5 月 10 日

メールマガジン第506号(5月13日)
皆様こんにちは
「村興し」に向けて

シューマッハ箸『スモール・イズ・ビューティフル』は、1970年代のベトナム戦争末期のエネルギー危機及びドル危機の時代の「米国の社会・経済の再生の処方箋」として書かれた経済理論書と私は考えています。しかし、その処方箋はその時代には実践に移されず、1980年代のEUの経済力台頭の時代の「自由時間都市」、米国でのシーサイド(フロリダ)におけるTND(伝統的近隣住区開発)、1990年代のニューアーバニズム、「21世紀の都市白書」、さらには、2000年代に入ってからのアグリカルチュラルアーバニズムの経済理論として発展的に生かされていると思います。

私の『スモール・イズ・ビューティフル』の理解
十分な所得を得た人が、フィッシングやセーリングに出かけ、有機農業による農業や園芸を楽しみ、山歩きや造林に出かけ、料理づくり(調理)やワイン造り、肉や魚の燻製作りを楽しんだりします。その行っていることは、ホビー、レジャーとしてやっているのですが、産業としてみると、農業、漁業、畜産業、飲食業という産業に分類される業者が行っていることと同じことです。これら産業はいずれも現代社会では高い所得の得られにくい産業です。十分な所得を得ている人たちが自らの生業(生業)としては望まない産業です。

その理由は、これらの産業で高い所得を期待できないからです。大きな価値を生まない産業は「価値の低い産業」であると社会的に評価されているため、子どもたちもこれらの産業に就職することを望まなくなっています。しかし、大きな所得を得ている人たちがホビーとしてでもこれらの産業で行っている理由は、彼らがその業務自体を行うことが「面白い」と感じているからです。「これらの産業は、実は、価値を創造する業で、価値の創造に面白さがある」という見方が『スモール・イズ・ビューティフル』の考え方の基本で、その価値を再評価せよという問題の提起でもあるのです。

「おしん」の時代
子どもを働きに出さなければ生きていけなかった「おしんの時代」の農民たちは苦しい生活を余儀なくされていました。私自身、終戦後、親が「不在地主」として農地は奪われ、公的所有の河川敷を無断利用し、桑畑の隅の「猫の額」ほどの土地を農地として借り、自宅から人肥を越え桶で運んだことを思い出します。桑畑の所有者は、桑に肥料を維やらないで済むと考え、貸してくれた土地ですが、ちゃんと地代は請求してきました。

戦後2年間ほどの間は、野草を取り作ったスープに団子(すいとん)を浮かべて食べるような日が続き、白飯等食べることはなく、芋を食べられるときは大変なごちそうでした。戦時中、海軍教授(文官)であった父は、戦後できた新制大学の教授の仕事を紹介されましたが、まずは家族の食を確保するため農林学校の先生になり、演習農場からの収穫物を購入し、リュックでの家に運ぶ通勤でした。しかし、自分で耕した農地で、種蒔き、雑草取り、農地からの収穫はそれぞれが自然を理解する驚きで、経済的には貧しくても、とても楽しかったことを今でも思い出します。

田んぼの経験
わたくしたちの困った状況を見て、その昔、祖父が開業医をしていたことで世話をした人たちの支援もあり、農地解放で殆どの土地は奪われましたが、一部の田畑は返還され、水田で稲作をし、畑でナス、キュウリ、カボチャ、ジャガイモ、サツマイモ、キャベツ、白菜、ネギ、ホウレンソウ、小松菜など育てました。土造りということで鶏やウサギを飼って、鶏糞やウサギの寝床のわらを農地に運び、堆肥もつくりました。害虫との闘いや雑草との闘いも大変でした。

田んぼの畔に豆を植え、肥料をやらないでも大豆が根粒バクテリアで大きくなることを教えられたときは驚きでした。寒い初夏の水田は、驚くほど温かでした。田んぼの中にはドジョウやフナが沢山住んでいて、それを取るのも楽しみでした。その理由が、「日向水」ということでした。しかし、その後、硫安や硝安という化学肥料が取り入れられ、使われるようになるとドジョウは済まなくなりました。イナゴやバッタ、トンボもいなくなり、田んぼは冷たくなっていきました。田んぼの中の生物が死んでしまったのです。

ドジョウやイナゴは当時の私の家族にとって重要な蛋白質の取得源でした。米作の収量を上げるためには、イナゴやドジョウが取れなくなっても仕方がないと教えられました。田んぼの裏作は小麦や大麦を育てました。今考えても、当時は貧しかったが、自然から多くのことを学んだ生活は豊かだったと思い出します。

お金を手に入れる豊かさ
豊かになることは、「お金儲けること」とみんな考えています。お金を見、金貨の音を楽しむ人もいますが、一般的には、お金はそれで欲望を満たせるから欲しいと思うもので、お金自体を貯めることが目的にはなりません。ミッテラン時代にドイツやフランスは経済的に豊かになり、お金を儲けた人たちは世界中を旅行して楽しみました。

しかし、楽しむ時間が足りないと考えました。自分が「自由に使える時間を増やすためにどうすればよいか」が人々の関心になりました。他人から「時間を買って」も、自分の時間として使えません。自分の「時間を売らなければ」、自分の時間は沢山できます。しかし、それを貯めて置く訳にはいきませんし、自分の時間を売らなければ、所得(賃金)は少なくなります。しかし、すでに十分な所得(賃金)を得ている人には、自分の自由な時間と、そこで豊かさを味わえる「時・空間」が欲しいと考えるようになりました。

ミッテラン大統領は、「自由時間省」という官庁を創り、国民が自由に使える時間を増やし、その時間を使って、お金を使わないで自由に豊かさを楽しめる空間を作る政策を展開しました。その中心となったものが海や山の自然と対話のできる空間づくりでした。グリーン(自然)トゥーリズム、アグリ(農業)トゥーリズム、ホワイト(雪山)トゥーリズム、ブルートゥー〈海〉リズムと言われるものです。自然を理解する喜びや自然に働きかけて価値を生み出す喜びが、実は人間にとって大きな喜びなのです。

現代日本が取り組むべき問題
日本では「限界集落」という言葉や、「コンパクトシティ」などという言葉が登場し、農村の合理化を進めようとする政治家、御用学者、行政マンが急増しています。これまで列島改造を進めてきた都市改造土地区画整理事業で立派な農地や山林を破壊してきました。「区画整理事業は都市計画の母」と彼らは異口同音に区画整理事業を礼賛してきました。しかし、そこでの開発地は区画整理が中途で挫折し、都市衰退もできず、建物が建設できない区画整理地が造られました。

「どのような街をつくるのか」、「どのような人に住んでもらうのか」を考えず、居住者不在のままで、土地で儲けようとする不動産業が公共事業と結んで進められた全国総合開発とその開発の手段として使われた区画整理事業が基本的に間違っていたのです。その総括をしないで、「限界集落」と「コンパクトシティ」といった用語を持ち出して都市の切り捨てをする政治行政の責任を転嫁する行政は間違っています。

淡路市と小笠原での挑戦
目下人口減少に直面している淡路市で、HICPMの会員の淡路市議会議員の竹中さんが、淡路市合併前の綱町の町会議員時代から村興しに取り組んできました。竹中さんの「村興しに対する考え方」が真面目で、村人の歴史と文化を大切にし、その利益を守るという私の歴史認識と共通できるため、これまでも淡路市の村興しを一緒に考え、淡路の職員や議員の研修も一緒に実施してきました。

先月末市長選挙も終わり、淡路市にも落ち着きが生まれたことで、13日と14日は現地で竹中さんと一緒に村興しを検討することになっています。すぐ事業を組み立てるのではなく、住民の意向を網羅して方向付けをしっかりすることから始めようと考えています。

また、HICPMの会計事務を支援してくださっている会計事務所の方と父島、母島などの世界遺産の指定を受けた小笠原の村興しを支援することにしています。6月中旬に現地に出かけることになっていますが、当地は私が足を踏み入れる初めてのところであり、謙虚に実情把握に努めたいと思っていますが、そこにも、私が理解するシュウマッハ箸『スモール・イズ・ビューティフル』の考え方を応用すること、つまり、ジミーカーター元大統領が退官後「住宅のセルフビルト」に取り組まれましたが、住宅をつくることの喜びを取り入れたスェーデン型セコンドハウス造りとヴィレッジホームのエコロジカルな住宅開発の方法が、重要なヒントを与えてくれていると考えています。
[NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世]



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