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HICPMメールマガジンだ御514号(2013年7月1日)

掲載日2013 年 7 月 1 日

メールマガジン第514号(2013年7月1日)
皆さんこんにちは
「脱法ハウス(倉庫の住宅利用)」問題

「脱法ハウス」の問題を、この一週間、多くのジャーナリズムで大きな問題として取り上げている。「脱法ハウス」の言葉から連想されるものは「ドヤ」である。「ドヤ」とは、「宿(ヤド)」を逆に読んだ隠語で、1960年代の東京の山谷・吉原(玉姫)、の江東区の高橋(たかばし)、大阪の釜が崎・飛田(愛隣)など地区が、農村地帯からのターミナル駅である上野、天王寺というロケーションと結びついて、大都市の労働市場、風俗・娯楽・遊興市場、ヘップサンダルなど労働集約的下請家内工業集積地となり、歴史的には未解放部落や遊郭が集積するところに建てられた日払い家賃の代表的な住まいであった。これが旅館業法の旅館か、それとも労働者住宅なのか、労働者用簡易宿泊施設何かという議論もあった。

住宅問題・住宅政策の歴史的な課題
しかし、問題の「脱法ハウス」はエンゲルスの『住宅問題』やディッケンズの『二都物語』、細井和喜蔵の『女工哀史』を連想する悲惨な労働者の住宅であることには変わりはない。新聞やTVでは、カプセルハウスとか漫画喫茶に近いもののように扱っている。しかし、その実態は、「ドヤ」の現代版である。ドヤは基本的に日雇い労働者の住宅であったが、高度成長時代の挙家離村した農家の人も、出稼ぎ労働者に混じってドヤで生活することもあった。「脱法ハウス」は、住宅の下位にある正に現代版のドヤである。政府及びジャーナリズムの扱いには、官僚の行政責任を採否させるため、「脱法ハウス」を「住宅」であるとして扱おうとする意志は見られず、人間を一時収容する「倉庫」という扱いである。

「ドヤ」と「脱法ハウス」
ドヤ街で、労働者を呼び込みにくる手配師達を、道路沿いで「朝早くから待っている労働者」が「たちんぼう」である。屈強な身体の労働者を「選り取り見取り」で高値で連れて行く。日当だけを言い、行き先も仕事も詳しく説明しない、日帰りするとは限らず、長期の場合もある。帰ってこない場合もある。朝早いほど高い賃金である。高い賃金で働く意欲と労働能力のある労働者は、早々に連れ去られる。
手配師が一段落すると仕事にあぶれた労働者を相手に、東京都や大阪市の公共職業安定所という公式名称のある「労働市場」が、8時半に開店される。高齢者、疾病を抱えた人、家族を抱えた人、前日酒によって寝坊した人などが集まってくる。彼等は「ニコヨン」と呼ばれ、生活で使い尽くす費用が最低賃金日当として、254円が支払われた。経済波及効果が高い景気刺激策・ケインズ経済学の分かりやすい政府施策事業の実践として取り組まれた。

「あぶれ」労働者の生活
それでも仕事を得られなかった人たちはドヤからも追い出され、くず拾いの仕切り場でリヤカーを借り、くず拾いや、フィッシュソーセージの繋ぎ材料とした野犬や野良猫を捕まえに出かけた。ドヤではドヤ代前払いである。毎日のように出入りある居住者が布団を持ち出されないように、窓には格子が入っている。居住密度を高めるために2段ベッドが一般的で、通常の住宅や旅館の居住密度に比べ何倍も高い。ドヤ賃も、当時大都市周辺に雨後の筍のように建築された木賃アパートや文化住宅に比べ遥かに割高であった。それでも労働市場としての好立地のため、需要と供給との関係を反映して、ドヤ賃の高さは問題にされなかった。ともかく仕事が得られなかった人、即ち、失業者は「あぶれ」といわれ、一日をパチンコに費やすわけである。

「住宅難世帯」の問題
脱法ハウスの問題が新聞のトップ記事に取り上げられたが、それは1960年代の「ドヤ」の時代をカミングバックさせるものであった。1965年に住宅建設計画法が制定され、住宅政策の基本が「量的に絶対不足の時代から住宅の質的向上へ」が住宅政策の基本に置かれることになった。政府は居住水準を国家の責任で設定し、行政主導で公営、公団、公庫住宅供給で、居住水準以下の住宅を滅失させ、居住水準以上の住宅を供給する政策である。「住宅建設計画法」に政策転換したのは、戦後の住宅難世帯が解消され、絶対的住宅難がなくなったからである。それ以前の住宅政策は「住宅難の解消」であった。住宅政策上の「住宅難の概念」は、次ぎの4種類である。戦争中の壕や倉庫や兵舎、電車やバスの車両その他雨露を凌ぐために寝泊りをする「非住宅居住」、海外からの引揚げ世帯を中心に「余裕住宅開放」を義務付け、血縁のない世帯や遠い血縁世帯が同じ住宅に居住した「同居居住」、構造耐力的にも危険な「要大修理住宅居住」および「狭小住宅過密居住」の4つのカテゴリーの居住世帯である。この「住宅難世帯」の解消が戦後の住宅政策の目標とされた。

「同居」は住宅なのか、「日本の伝統的な居住形態」なのか
その中で面白い例は「同居」であった。戦前の軍国主義を温存したのは個人の人権を認めない大家族制にあると民法改正され、「一夫婦一世帯」が家族の基礎単位とされた。その結果、別世帯が同一住宅に生活する世帯の居住形態は封建的とされ、「住宅難世帯」として計算された。その「同居」が住宅建設計画法時代の住宅統計上の数合わせで、「住宅難世帯」はなくなったので、新しい居住水準を軸にする住宅政策に変更された。当時は日本経済が朝鮮戦争以降の軍需需要を背景に、重厚長大産業が復興し、都市化が急速に発生したため宅地の需給関係が逼迫していた。そのため、政府は宅地需要を生まない住宅供給として、三世代同居や二世帯同居という以前の「住宅難解消」を掲げた時代では「住宅難」に区分された住宅を、日本の伝統的な居住形態である「伝統文化の復興」と「手のひらを裏返す」ように変更して、同居住宅の供給を開始した。

住宅難時代の国の住宅政策立案官僚が東京大学教授になったときの発言
その無節操な政策転換に乗った民間住宅が旭化成ホームズ㈱「2世帯住宅研究所」であった。その取り組みは社会経済的要請に応えたものとして発展した。住宅局で住宅難問題と住宅計画に取り組み、東京大学都市工学部教授に転出したS.・Kが、「同居問題の住宅政策上の扱いは、矛盾した扱いで良いのか」と、自ら官僚として取り組んでいた政策の弁護もしなければ、新しく転換された政策に対する批判もしないで、政策転換に対し何の説明もなかった国の住宅政策の定見のなさをぼやいた。官僚OBの学者は例外なく御用学者で、個人としての意思はなく組織の言いなりの歯車でしかない。東京大学や京都大学の学者・研究者のほとんどはその代表で、御用学者には官僚や政策批判はできないし、しようとも思わない。せいぜい皮肉か自虐的批判程度である。批判精神こそ学問研究の中心に置かれるべきものである。御用学者に教育された大学卒業生からまともな国民の立場に立った人間は生まれることは難しい。

「脱法ハウス」の住宅政策
欧米の工業先進国ではほとんど例外なく国家が国民の住宅に関し、国民の健康で文化的な内容であることを住宅行政の対象にし、一定条件を満足しない住宅は閉鎖処分にされた。しかし、日本には建築基準法があり、建築時点での建築物の安全に関し、計画の確認と完成住宅の検査済み証の交付が出されている。しかし、その住宅が計画とおり国民の生活を守る点で正しく使われているかを検査するシステムはない。民間の住宅産業は「売り逃げ」の住宅産業であるとすれば、政府は政策をやったふりをして、「御墨付け」手数料(口銭)取のやりっぱなしの住宅政策でしかない。憲法25条で定めた健康で文化的な生活の実現を、国民の住宅という視点で実施する住宅行政が存在しない。そのような非人道的な環境の住宅が供給されていることに対して、御用学者は批判をしないし、又できない無定見な知識人である。

「脱法ハウス」に対する創造される政府施策
「住宅として造られ、事務所に使われ」、逆に、「倉庫として作られ、住宅として使われ」ている。脱法ハウスは、いわゆる倉庫の荷物として人間の生活を扱っている。安倍政権は国民の住宅が憲法違反の状態を恥ずかしいと感じる常識を持っていないことが今回の「脱法ハウス」の対応で明らかになった。住宅行政担当の国土交通省住宅局から、脱法ハウスについて住宅政策の責任を、官僚から意見を聞くことは難しい。現在住宅局が推進している長期優良住宅の中で、住宅性能表示が住宅政策上、住宅減税や国庫補助金で大きな役割を担っている。住宅関係者の中でこの制度により住宅価格を高くすることがあっても、住宅の品質を向上できていると本気で信じている人はいない。性能を口実に住宅価格を引き揚げる詐欺商売の小道具だからである。その性能評価関係の手続き期間に官僚や役人OBが群がって血吸い蝙蝠のように国民から金を奪い、住宅価格を高くし、その分だけ自らの利益を太らせてだけである。

「世界の住宅政策」と全く異質な「我が国の住宅政策」
現在の住宅行政を担当している官僚たちに、脱法ハウスで生活している国民のことなど分かるはずはないし、考えようとすることもない。脱法ハウスが次現在の住宅政策を担当している官僚にとって、利益がないと考えているからである。長期優良住宅に対しても、官僚の関心は、住宅メーカーや、工務店が消費者に売り抜くまでで、それ以降には関心を持っていない。現在社会問題になった脱法ハウスの最も重要な問題は何か。それは、居住している国民の立場で考えることである。そうすれば、憲法25条に違反して国民に「非住宅居住」をさせる一方で、脱法ハウス経営で利益を得ている企業に対し取り締まるとともに、そのような住宅にしか住めない世帯に対し、住宅政策上の救済を行うことが政治である。

脱法ハウスが政治及び行政上の取り組の対象になる条件
脱法ハウス問題は、欧米工業先進国なら、「住宅政策」の貧困の問題として政府、民間、ジャーナリズム、学会も取り上げることになる。しかし、日本では国土交通省住宅局は、「馬耳東風」の知らぬ顔の半兵衛を決め込み、それを国勢調査の調査対象から脱落した統計上の総務省国政統計課の問題として取り上げた。安倍内閣が行おうとしている憲法改正は、第9条(戦争の放棄)が目的ではなく第25条(国民の安全、健康で文化的な生活)ではないかと勘繰りたくなる。
脱法ハウスの問題は国勢調査のカテゴリーの問題であることも事実である。しかし、最も問題にされなければならないことは、憲法第25条に関係して、国民の住宅として国家がどのような責任を住宅政策として負おうとしているかである。今まで官僚が政治家と結託し、国民不在の政治行政を進めてきた。こと住宅に関し、安倍内閣の政策は、脱法ハウスに営業上の市民権を与え、そこから税金を徴収することを憲法改正の目的にしているのではないか。

国家の政治行政を私物化する日本の政治行政
政治家の関心は、自分に投票してくれる選挙民と、自分に政治献金をしてくれる業者と選挙民だけであるという。今の政治に信頼のもてないご時勢に、自分の金を信頼できない政治に出せる余裕のある人はいない。実際の政治献金を行っている人を見ると、ほとんど例外なく、税金を補助金として手に入れる仕組みを政治家と官僚とが結託して作成し、税金を補助金として手に入れる仕組みを利用して、政治献金する人を世紀献金と言う形で迂回して、政治家と官僚に回している。補助金で利益を得た選挙民が、その利益の一部を政治献金するように、政治家と官僚が選挙民を外郭団体などに組織化していく。社団法人、財団法人、NPO法人が行政機関の外郭団体として作られ、それが政治家に税金を補助金として交付させ、政治献金としてキックバックさせる。その外郭団体に退職後の官僚が天下りをし、実質定年延長となり収入を確保する。そんな連中が護送船団方式の組織中に歯車として組み込まれている。その連中が脱法ハウスに取り組むとしたら、政治家と官僚に税金をキックバックする方法でしか取り組まれることはない。
(NPO法人住宅生産生研究会理事長 戸谷英世)



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