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HICPMメールマガジン第524号(2013年9月9日)

掲載日2013 年 9 月 9 日

HICPMメールマガジン第524号(2013年9月9日)
皆さんこんにちは

丁度2年前、東日本大震災の高潮被災を受けた方々の中には、お亡くなりになった方とともに大怪我をされたり、家族を失われた方も多数いらっしゃいます。また、住宅を高潮で流されたり、地震で住宅が倒壊し、大修理を余儀なくされ、住むことができなかった方が沢山いらっしゃいます。それらの人に対しどのような支援策が「日本の住宅政策」として行われてきたのでしょうか。
流出した住宅のローン返済義務を全面的に被災者に押し付け、住宅ローンの担保に、「住宅の外に土地まで」余分に抑えた金融機関にその担保を引き取らせず、苦しんでいる被災者が自力で立ち上がろうとしているのに、政府は、更なる2重ローンを背負わせる「おぼれる者を、再度、水に突き落とす」残酷な処置に臨んでいます。米国はもとより、世界の住宅ローン制度ではあり得ないわが国の住宅政策のこの理不尽さを、今回は、支援に来日した米国人の疑問を通してお話します。

同盟国米国からの調査団の驚き
東日本大震災直後、米国の住宅産業界の調査団が米国の同盟国支援のためにボランタリーで日本にやってきました。最初に米国からの調査団に被災者の直面している住宅問題、即ち、「高潮で住宅が消滅した人には住宅ローン債務だけが残り、新たな住宅を買おうとすれば、2重ローンは避けられない」という日本の住宅政策について話ました。すると調査団は、「日本では通常でも年収の6倍を超える(米国の2倍もの)住宅ローンを背負っている人に、年収の12倍を越すローンでは、再起できないのではないか。」と日本の住宅政策の残酷さに驚きました。そして、「何故、流出した住宅のローン債務を金融機関が責任を負わないで、被災者が負わなければならないのか。さらに、金融機関は被災者が返済できないほどのローンを被災者に負わせ、生活自体を破綻に追い込んでいる。なぜ、政府はそれを容認しているのか。」と次々に疑問を投げ掛けてきました。

「土地と住宅は別の不動産」(民法)の科学的誤り
二重ローンになる理由は、日本では住宅ローンの最終の担保が住宅不動産ではなく、個人信用であるためです。つまり、国民を守る不動産政策と住宅政策が不在だからです。金融機関は住宅とその土地を、それぞれ別の不動産と扱い、両者に一番抵当権を付けます。しかし、金融機関は、土地と建物の担保では、ローン債務を相殺しません。金融機関はローン担保に取っている土地・建物と生命保険の総額は、ローン額の3倍にもなっています。そのことに聞いて、「それは過大な担保ではないか」驚いて、「金融機関は融資に当って担保の不動産価値評価をしていないのではないか。」と質問をしてきました。そこで日本の不動産鑑定制度を説明したところ、「土地と建物を独立した別の不動産」と扱う日本の不動産評価制度に対し、科学的合理性のないことを指摘しました。その上で、「不動産評価を3つの方法で実施する日本の不動産鑑定評価方法の構成は米国に似てはいるが、内容は相違し、間違っている。」と一刀両断に切り捨てました。「そんな不動産評価をする国は世界中に日本しかない。」と驚き、「日本の制度が国民を不幸にしている。」と指摘しました。

日本以外の国の「住宅不動産」の取り扱い
米国の調査団は、日本以外の国の住宅不動産の扱いを次のように説明しました。住宅建設は、宅地造成の延長線上の土地(環境)の加工方法です。米国社会は、世界各国同様、「建設された住宅は土地と一体の不動産になる。」と考えています。土地は、敷地と住宅の設計の仕方で様々な効用を持つ住宅不動産になります。敷地と住宅それぞれの効用は分離できず、不可分一体の不動産としての利用されます。それにもかかわらず、日本の「土地と住宅とをそれぞれ別の不動産」の扱いは、社会科学的に不合理で、法的扱いの理屈がわからない。つまり、土地も住宅も相互に無関係に不動産価値評価ができるとする日本の不動産評価は、一般常識や経験則に照らしてもおかしいだけでなく、日本の法律制度上および不動産学上の扱いには、それを正しいとする根拠はないと、わが国の不動産鑑定評価方法に疑問を投げ掛けてきました。

日本の不動産取扱いで露見した矛盾
米国からの調査団のメンバーに理解できなかったことは、「土地と住宅は別の不動産と扱いながら、住宅のローンの担保として、土地が住宅と独立した不動産であるというならば、住宅を担保に取ることは当然としても、土地まで担保に取らねばならない法律上の根拠はない。」と言います。
住宅が独立した不動産で、その担保として、「土地建物が不可分一体で分離できないから、土地も建物と一緒に担保とする。」と言うのならば、初めから米国のように、「住宅は土地の上に建設されることで土地の一部に吸収され、一体の住宅不動産になる。」とするべきではないか。
住宅のローン担保として、住宅と独立した土地にまで抵当権を設定する「土地の担保」は、土地を別の不動産として扱うならば、一体の担保に土地まで押えることには、法律上の根拠がありません。さらに生命保険まで過剰な担保にする理由はないと指摘しました。

過大のローン担保(不等価交換金融の謎)
日本以外の国では土地建物が一体ですから、土地と建物を住宅ローンの担保に取ることは当然です。日本の場合のローンは建物の建設費に対するローンですから、ローンの対象外の土地代を加算した担保物件の価値は、担保額としては、土地の価値分多過ぎます。さらに、生命保険加入を融資条件に付ける金融上の合理的理由はありません。しかも、「ローン額は生命保険額と同額以上でなければならない。」とする理由は理解できません。生命保険が最終的な担保であるとするならば、土地建物を担保にする必要はないはずです。なぜ、日本の住宅金融ではそんなに高額な不等価交換の担保が必要なのですか。それでは金融機関は安全過ぎ、担保を取り過ぎているのではないですか。なぜ、融資額をはるかに上回る担保を金融機関が求めている不当な担保を、国が何故認めているか、の理由はわからないと疑問を投げかけました。担保設定の方法は「かつて、住宅金融公庫が国の住宅政策として実施したことを民間の金融機関も踏襲しているもの」という説明を聞いて、米国の調査団は、「政府の住宅金融機関がその方法を作ったこと自体が不当である。」と驚いていました。

不可解な「土地・建物・生命保険合わせ担保」理由
日本では住宅を土地建物一緒に売っても、建物部分のために借りた住宅ローン残高以下の価格でしか売れない事例がこれまでにも多数ありました。その理由は、日本では政府も不動産鑑定士も、土地の評価は、土地には住宅が載っているから「建て屋付き土地」と評価され、また、住宅は償却資産で残存価値として評価されます。そのため、その合算した不動産価格はローン額より少なくなることもある過去の事例を説明しました。その説明に対して、「その説明自体が土地建物は不可分一体のものであることの証明で、それぞれが独立した不動産として扱えないこと」を説明していると指摘してきました。米国では建物が建てられていない土地は収益を生まず、その価値評価は低くなり、建物が立って住宅不動産から賃貸料という利益がもたらされるので、「建て付け地でないと利益を生まず、低い評価となる」、という日本とは逆の世界が米国にあることを知らされました。

米国人には信じられない日本のローンの担保
日本でローン債務の清算を生命保険が使われた事例があります。それはバブル経済が崩壊した際、多発した事例です。企業が倒産し、またはリストラによって、住宅所有者が仕事を失い、住宅ローン返済不能に陥った事例でした。クレジットローン(個人信用金融)では、借受人が生きている限りローン弁済義務が残ります。その回収のため、債権者である金融機関のローン取立人が、「あなたの住宅は差し押さえられ家から追い出されても、ローン債務が残る限りその返済を迫られます。しかし、生命保険を行使(自殺)すれば、ローン債務は棒引きになり、妻子には住宅不動産をそのまま残せる」と教唆しました。このような住宅ローン債務者が自殺に追い込まれるケースは、毎年約3千件に及んでいます。米国から来た調査団は、再三、「冗談だろう」「信じられない」と問い返しました。そこでバブル経済が崩壊したとき、多数の生命保険会社が倒産した事実と、多くの保険会社は今も住宅ローン事故に起因する倒産の不安に脅えていると説明したところ、納得したようでした。かつて住宅金融支援機構に「ローンの支払えない人に自己破産の途があることを教えるのか」と質問したところ、「金融機関は口が裂けても、借金棒引きの途は教えられない」と答えました。その話には調査団は笑っていました。

「モーゲージ」とその語源
米国では土地と建物は一体の不動産です。住宅ローンはモーゲージといって、融資期間内に維持される住宅の価値評価を根拠に、直接工事費分(通常は、住宅販売価格の80%)の費用を融資します。ローン返済が滞れば金融機関はローンの担保である住宅を差押え、それを既存住宅市場で処分しローン債務を回収します。担保(ゲージ)とローン債務とが相殺(モルト:死滅)されることから、「モーゲージ(モルト・ゲイジの合成語)」の語源が生まれました。東日本大震災の津波被害者たちは、米国であれば土地建物が一体の不動産担保ですから、担保としては住宅が流され土地しかありませんから、金融機関は担保の土地を差し押さえるしかありません。住宅所有者のローン債務は、住宅が流出した土地を金融機関に提供すれば、それでローン残高分の債務は消滅します。

「ベニスの商人」金融を行う日本の住宅ローン
高潮災害は被災者の責任で生じた訳ではありません。日本国憲法(国家と国民の社会契約)に、国家は国民の納税義務の見返りとして、国家には国民の基本的人権(生命財産)を守る義務があります。しかし、東日本大震災の結果を見る限り、国家は住宅を失った国民の財産の損失を救済せず、住宅ローンの貸し手(金融機関)の利益を守りました。金融機関が「土地・建物を担保に押えていながら、一方的に担保を受け取らない。」とした金融機関の横暴を、政府は全面的に幇助しました。『ベニスの商人』の戯曲と同じ行為が、日本では、政府によって正当化されています。
国家の想定外の津波に住宅をさらわれた国民は、国家と同様津波被害を想定できず、住宅の立地選択の誤りました。同様に、その住宅にローンを行った金融機関も融資対象物の判断に誤りがありました。とはいえ、国家(国と地方公共団体)にも想定外の災害で、対策が不備であったことの責任があります。損害は国、金融機関及び個人が、それぞれ、応分の負担をし合うべきと米国人は考えていました。日本でその論理が使えない理由は何故でしょうか。
しかし、日本では「個人財産に関する被害者責任は、その総てが個人の責任に帰属し、国は個人の資産形成のために税金は使えない。」と説明してきました。国民の納税義務は憲法で定めた国民の生命財産の保護と表裏の関係にあります。その論理上の結論として、納税者の損害に対する国家の被害補償義務は、政府の言うように皆無であるとは言えません。

国民の代理者(国会議員)の理解できない対応
政府が個人資産形成に税金を投入した例は、無数にあります。卑近な例では、都市再生関係事業で交付されている補助金や、長期優良住宅補助金など政策上の理由をつけて、個人財産形成に税金が1戸あたり、200万円もの補助金として交付されている例はあります。多くの国民は被災者のために税金を使うことに反対していません。東日本大震災の被害者に補助金を交付しない理由は、政治家や官僚が利権の絡んだ東京電力の損失に税金を投与しても、被災者のために税金を使いたくないだけのことです。被害者が受けた損害に国と金融機関は免責にされ、金融機関の損失が発生しないために、住宅所有者の生命保険が使われています。この被災者を踏みつけて、金融機関や業者救済のための事業を優先する話を聞いて日本は野蛮な国だと感じ、「そのような住宅政策に国民は黙っているのか」、「政治家は国民のひどい状態をなぜ問題にしないのか」と繰り返し尋ねていました。

災害補償の米国の常識、日本の常識
ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナで住宅を失った人たちは、ローン債務も住宅と一体に消滅しました。米国からの調査団の人たちは、日本も米国と同様、高潮で流出した家屋のローンは住宅の流失と同時に消滅したものと思っていました。ローンの担保となっていた住宅が流されたのに、「金融機関からローンの担保価値がなくなったので、金融機関が担保の土地建物を受け取らなくてよい」と金融機関を免責にした一方で、借受人にローン債務残高を追及する不当な措置と、金融機関が担保を受け取らない身勝手な金融担保の扱いに対する政府の監督の実態に驚いていました。土地担保金融を前提にした住宅金融に支えられた住宅政策の実態が、露見していました。

国民の犠牲で金融機関を保護
災害復旧を被災者の立場で問題にせず、不条理な担保の扱いと損失補償のやり方を金融機関の立場で処理する国会議員しかいなかったことにも驚いていました。ハリケーン・カトリーナの事後調査で国会議員が多数、米国に出掛け、モーゲージによる不動産担保金融の被災者救済の経験を関係者から聞いたはずです。東日本高潮対策を被災者本位の立場でその対策ができなかった理由は、米国に出掛けた国会議員は、米国の被災者救済の経験を何も学んでこなかったからに違いありません。米国の調査団は、日本の調査団が多数訪米したことを知っていました。それらの調査団と接触しながらも、日本の問題意識として被災者の住宅ローン救済は関心外のようでした。そのため、住宅金融も米国同様のモーゲージと信じ込まされていました。それだけに、東日本大震災の住宅ローン処理は被災者を保護せず、専ら金融機関救済であることを聞き、青天の霹靂だったようでした。
(NPO法人住宅生産生研究会 理事長 戸谷 英世)



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