戸谷の言いたい放題

ニューアーバニズムとサステイナブルコミュニテイ

掲載日2013 年 11 月 2 日

ここに紹介するものは2013年10月に2度にわたって、対米2週間の米国に調査と研修を兼ねた出張をしました。その間、過去の調査を踏まえ、「米国に関する知っておいてほしいこと」を米国の住宅産業市として、歴史を中心にまとめてみました。「こんなことを日本人が知っていて米国を訪問したら、もっと楽しく米国の住宅を学ぶことができると思ったからです。幸い11月7日名古屋で開催されるセミナーで基調講演をすることになり、ここでまとめた資料を配布して講演をすることにしました。ご覧くださってご意見をお寄せくだされば幸いです

ニューアーバニズムによるサステイナブルコミュニテイ

NPO法人住宅生産性研究会
理事長 戸谷 英世

 

はじめに
現在米国を中心に世界の住宅地開発を指導している理論がニューアーバニズムです。この理論は1980年代に始まった資産価値を維持向上させることのできる住宅地開発として、米国の東海岸で始まったTND(設計者DPZ:シーサイド、ケントランド)と西海岸で始まったサステイナブルコミュニテイの開発(設計者ピーター・カルソープ:ラグナウエスト、ノースウエスト・ランディング、ザ・クロッシング)と、太陽と地熱と地球環境を大切にしたエコロジカルな開発(設計者マイケル・コルベット:ビレッジホーム)による実験的都市開発関係者が、イエローストーン公園にあるホテルアワニーで合意した新しい都市開発原則としてまとめられた「アワニーの原則」を発展させた都市経営の理論です。戦後の郊外開発が「アーバ二ズム」と呼ばれたことから、その対立する理論として「ニューアーバニズム」と言う名称が付けられました。

これらの理論の開発においては、人類の過去からの歴史文化を尊重する重要性を等しく指摘しています。人類の生活環境の中に木材は最も古い時代から利用され、人びとに豊かさを与えてきました。ニューアーバニズム理論によって開発されてきたサステイナブルコミュニテイには、言わずもがなのこととして木材が住宅及び住宅地環境形成に使われてきました。歴史的には住環境形成に利用された材料は、材料そのものの構造性能、防耐火性能、腐食・耐久性能、気密・断熱性能等と材料の化粧、意匠性を不可分な性格として、一体的に利用してきました。しかし、その後の技術革新により、使用する材料をその性能と化粧・意匠とは分離して利用できるようになり、建築の性能設計と化粧・意匠とは分離する方向を歩んでいます。

木材は多様な特性を持っていることからその活用の範囲は拡大し続けています。しかし、何故、日本では木材の構造利用の一部の偏重した研究と実用化が図られ、その結果、世界の豊かな木材利用とはかけ離れた状態が生まれています。これは日本のような豊かな「木の文化」を政府及び木材関係者、中でも林業・林産関係者が、歪んだ「木構造材料と木工造工法」に矮小化してきたことで起きている問題です。事実、かつて繁栄を極めた国産の建具(窓及びドア)、造作材、床、階段、装飾材において、日本の木材利用は低迷しているか消滅しています。その一方で木構造分野でも、米国やカナダで一般的に使われている2×4工法を使った建築だけではなく、木構造建築のすべての分野で、日本では木材の構造性能を矮小化させられた建築しか実現できません。
住宅及び建築物と木材を利用する人の経済的負担との関係でつなぐことになる手段が木工機械です。木材の利用が国民の望むところであっても、その木材を利用するために木材の利用に関する設計が崩壊した社会では、木材加工製造者と、最終利用者を正しく結ぶことができなくなってしまいます。日本では戦後60年の間に木材を住宅または建築に利用する設計者が消滅したに近い状態になり、木工加工機械業界への需要自体が消滅しました。そのため本来木材が使われるべきところにかつての木材利用の代替品が使われ、その状態がそのまま持続しています。その設計者を狂わせてきた原因が、住宅建築教育と木材を不当に扱ってきた木造寒け御用学者住宅・都市・建築行政ではないかと考えています。

それでは本来あるべき我が国における木材加工製品の可能性がどれほど大きいかを考えるためには、木材を使って豊かな空間を実現している米国社会についてその全貌を見ることができれば、わが国においても米国の木材利用を「他山の石」とすることで、展望を開くことができると思います。日本の現在の木材振興は林産業のためというような視点が強く出されていますが、林産業振興は結果であるかもしれませんが、目的でではありません。人びとの豊かな暮らしを実現するために人類の歴史を振り返って、木材と結ばれた人類の生活を謙虚に考えれば、木材を私たちの生活にもっともっと取り入れることが、経済的にも文化的にも大切であるに違いありません。

サステイナブルコミュニテイという言葉も、一般に持続可能なという訳語があてられ、エコロジカルな環境形成や資源利用という内容で使われています。しかし、米国社会を見ていますと、より直接的には個人の住宅資産が維持向上できるコミュニテイの経営というような意味で使われているように感じます。米国で最も人気が高いと言われるサンフランシスコの観光名所であるアラモスクエア周辺に立っているビクトリアン様式の邸宅・ペインティッドレイディーも、木工加工機械技術の開発された時代の建築で、それがなければ実現できませんでした。フランク・ロイド・ライトが「建築の4原則」の中で、材料と工法とが建築の歴史文化を伝承すると言っていますが、木材は建築にとって構造材だけではなく、建具、造作材、装飾材、階段。床を含未建築文化の重要な担い手であることは変わりません。

ニューアーバニズムの理論を使って現在開発がなされているほとんどすべての現在の米国の住宅では、木製フェンスのあるリビングポーチを付けたアウトリビングの生活が採り入れられ、屋外にはボードウォークなど木材を使った歩道が形成され、道路との境界には白の木製フェンスがつくられています。一方、住宅の中には、床、壁、建具、造作材のすべてが木工加工機械を使った製品として使われています。その中に日本の木材製品はほとんど見ることができません。欧米の住空間の中における木質材料がいかに沢山使われ、それらが欧米の林産業界を以下に経済的に潤していることを見ることができます。

木材は加工しやすく、その重量当たりの構造強度は鉄に勝ります。そのため構造材料としての利用が重視されていることも理解できますが、構造利用をするための建築構造計画や建築構造基準の知識や能力が日本の政府、大学、研究機関のいずれにおいても、欧米と比較すれば明らかなとおり、非常に遅れているため、木材を有効に使えないでいます。その上、木材の研究がその遅れたより基本的な理由が既成の建築計画や構造計画の枠の中での材料開発に枠に矮小化されていることにあります。このような観点から、本基調講演では2013年10月に米国のニューアーバニズムによる開発とアクティブ・リタイアメント・コミュニテイ(CCRC:コンティニュイング・ケアー・リタイアメント・コミュニティ)NAHBリモデラーショーを調査・見学した経験をもとに、木工機械を活用して豊かな住環境に必要な木材加工製品を供給している「米国の住宅産業」と、それを支えてきた米国の住宅開発を「生活者の視点」でここに資料を取りまとめました。

1.    住宅の資産価値を維持向上させる「米国の住宅産業事情」
米国と日本とは、国民の住宅資産形成の実現では、米国は物価上昇以上の資産増加を可能にしているのに対し、日本では住宅を取得することで確実に住宅資産価値を失ってきました。その基本的な理由は土地と住宅とを別の不動産とした扱うだけではなく、不動産評価にシステムの違いと、住宅金融システムが不動産評価と連動していないことなどがありますその主要な理由を以下の10項目に纏めました。
(1)経済活動を活性化するルールの社会化
米国は人種の坩堝(るつぼ)であるといわれるように多種多様な人種が生活しているところです。住宅産業においても企業の枠や、企業や、資本系列の枠を超えて共同作業が出来るように生産自体が社会化されています。その方法として建材の仕様や寸法も、施工方法も社会的に、標準化、規格化、単純化、共通化が進んでいて、そこでのルール住宅資産価値の増大を図るために、そのルールを尊重する限り、全ての関係者が社会的な協力が図れる国です。標準化した建築材料をつかった生産及び建築仕様書の共通化(AIA)の仕事の標準化が行われています。

(2)経済活動の合理形は適正な見積
建築工事に関して、その「見積」が工事内容を特定するとともに工事事態の価値(経済的な)を決定するものですから、材料及び労務数量と単価を厳重に管理しています。建設金融及び住宅金融もその見積に基づいて「等価交換金融」が行われています。そこで最も重視されている「建設業経営としての工事管理」も、「建設現場の工事管理」も、実際の工事を正確に表した見積を工事の品質と、工事金額と、工事期間の3つの要素に分解し、契約の3要素(品質、お金、時間)を管理することで、その品質管理(TQM)と原価管理(コストコントロール)と工程管理(スケジューリング)をCM(コンストラクションマネッジメント:建設工事経営管理)と呼んでいます。

(3)建設業は流通業ではなく、製造業
労務賃金も熟練工(ジャーニーマン)、見習工(アプレンティス)、建設労働者(ワーカー)によりそれぞれ時給が40-50ドル、20-30ドル、7-8ドルが違っているので現場監督(スーパーバイザー)は施工計画を立て工事見積をする段階から工事実施まで、その見積計画を尊重して工事を実施しています。「技能力が高くなれば、賃金が高くなる。」という社会を作ることで優れた技能者を社会的に養成してきました。米国では下請け業者の親方(フォアマン)の指揮の下、組(クルー)を組んで下請工事を実施しますが、下請は原則、「一層下請」で、「重層下請」はありません。下請が重層することでは、下請け業者の粗利(経費)が累積されるだけで住宅の価値が上昇するわけではありません。米国の住宅金融では、経費に対しては融資対象にはしません。

(4)工務店の経営理論はCM(コンストラクションマネジメント)
工務店(ホームビルダー)にとっては利潤を上げることだ目的であり、建設労働者は賃金を多く貰うことが最大の関心事です。しかし、日本は労賃、材料の圧縮を図ることで、企業粗利の分配を変更(拡大)するために、工務店と労務者の間で限られた利益を奪い合う醜い「騙し合い」の対立を作っています。それに対し、米国では工事期間の短縮(生産性)を向上することで「期間あたりの粗利」と「期間あたりの賃金」を増大する共通な事業改善に取り組んでいます。住宅産業のうち少なくとも建設工事をする工務店は製造業であり、そこでの建設業経営は製造業者の行う生産工学(OM:オペレ-ションマネジメント)と同じ建設業経営管理(CM:コンストラクションマネジメント)という「製造業者としての経営」をしなければなりません。

(5)モーゲージローンであるべき不動産金融システム
米国では国民の経済的基盤の充実を、住宅を保有することで実現する政策を「アメリカン・ドリーム」として取り組んできました。その背景には、住宅に資産価値を維持向上させる米国の住宅政策と一体不可分の関係にある住宅金融のシステム(モーゲージローンとコンストラクションローン)があります。住宅金融システムは、直接工事費にしか融資をしないことで住宅の価値を融資で裏書するように機能しています。自由主義の資本主義社会を健全に機能するために大切なことは「等価交換」が公正に行われることです。貨幣経済はその仲介をする金融機関が「正確な見積」に基づいて金融を行うことにより、不動産価値に対応した等価交換金融を可能にしています。米国の金融とは逆に日本の金融機関は、表では不動産担保金融といっていますが、担保の土地での最終の決済はせず、生命保険に依存するもので、基本的にクレジットローンです。つまり、最後は清算は、「ベニスの商人」同様、生命保険で決済することをやってきました。不動産金融と言いながら不動産を鑑定評価する技術は非常に低いことも指摘されなければなりません。

(6)不動産鑑定評価(アプレイザル)に対応できる金融(モーゲージ)
米国の住宅ローン(モーゲージ)は金融機関が融資を受けた消費者が、ローンの融資期間内に消費者が融資期間内にローン返済不可能になった場合の事態を考え融資を行っています。即ち、金融機関は融資対象の担保(ゲージ)を差し押さえ、消滅(モルト)させ、担保(ゲージ)を住宅市場で売却してローン残高を回収しています。その言葉(担保が差し抑えられ、担保としての性格は死ぬ)から、モーゲージという言葉が生まれています。日本で住宅を不動産の鑑定評価で、「償却資産として扱ったときの残存価格である」とする扱いをしています。償却資産の扱いは、会計法上、または税法上の扱いに過ぎず、不動産の価値を評価する市場価格を評価する方法としての科学的根拠はありません。政府は、スクラップ・アンド・ビルドの政策を進めるために、また、最近は高額なハウスメーカーの住宅が中古住宅になったとき半額の価値しかないことを隠蔽する言い訳に使われてきました。つまり、消費者には「自身の住宅資産には価値が減価償却する」と説明し、建て替え事業をするように国民を騙し、それに御用学者が迎合したのです。不動産鑑定評価は「償却資産扱いをしたときの残存価値」ではなく、「市場での需給関係で決められる取引価格」でなければならないのです。

(7)不動産鑑定評価(アプレイザル)による住宅の価値:推定再建築費
ローン返済が不能になったとき、担保を抑えて、確実に貸し金を回収するために、金融機関は最初の融資に当たり、直接工事費(土地代、材料費、労務費)にしか融資しません。日本以外の国では、建築物は土地に建築されて土地の一部に吸収されると考えています。土地とその上に建築される建築物を、土地と独立した不動産の扱う非科学的な扱いをしている国は日本だけです。土地と建築物は一体の不動産としてしか評価されません。既存住宅が市場で需要の対象になるならば、その住宅を現時点で造ろうとしたときに推定再建築費用になります。物理的に劣化した部分は、修繕積立金相当額として計算されます。その根拠となっている推定再建築費の見積りを重視し、材工分離で数量と単価を厳密に管理することを実施しいています。米国の不動産鑑定評価制度に基づく原価主義(コストアプローチ)といわれる方法は、直接工事費の積上げを言い、日本の「公共事業に伴う損失補償基準要綱(閣議決定)」で言う推定再建築費を指します。この基準は米国の不動産鑑定評価(アプレイザル)に倣ったものです。

(8)建築設計の標準化、規格化、共通化
米国ではホームプランシステムが社会的に定着しており、どんな工務店でも消費者でも、ホームプランを使うことで金融機関の適正な融資のえられる住宅設計を見積書付で手に入れることが出来ます。政府は基本的にこれらの住宅に対してはMBS(モーゲージ保証債券)として政府の債務保証を与えることになります。全米の建築設計者の中で住宅設計者の多くのホームプランブックにその設計を掲載し、その設計図書の販売額の一定割合(10%)を印税としてもらっています。ホームプランの印税で生活をしている建築家は米国には沢山います。ホームプラン集に掲載されるためには、出版社からそのデザインで金融機関の融資が得られるか、政府の債務保証が得られるかの審査を受けます。注文の得られない設計はホームプランブックの改版の都度、プランブッから外されます。ホームプランシステムではその設計システムからディテールシート、使用材料に関し標準化、規格か単純化共通化を行っているため、結果的にホームプランシステムは米国の住宅産業の合理化に寄与しています。

(9)住宅の価値は向上しない住宅会社の営業宣伝
住宅産業全体を鳥瞰したとき、米国でも日本でも「消費者の利益」と言う言葉が使われていますが、日本の場合は工務店が消費者のためというときの言葉は、単なる言葉の綾か、顧客を信じさせるための言葉ですが、米国では顧客とホームビルダーが競争し、協力して住宅を購入する人の利益のためにコストカットをすることに勤めています。工務店の利益は直接工事費の上に20%加算されるもので工事請負契約での工事総額の中の利益分配ではありません。米国では日本のように過大な営業経費を掛けて住宅を販売し、その営業宣伝に掛けた費用を住宅販売価格で回収することは認められません。まずそれを阻止するのが住宅を担保にして金融(モーゲージ)をする金融機関です。営業販売に資金を掛けても、それは住宅の価値を向上させることにならないから、金融機関は営業販売費に対しては融資を行いません。その住宅を差し押さえて販売するときその過剰な営業販売費用を既存住宅価格に入れて回収することは出来ないからです。

(10)ホームビルダーの社会的財産:レピュテイション(評判)
全米ホームビルダー協会(NAHB)は、その会員であるホームビルダーに対して、販売価格の20%の粗利をその健全経営のために使うための方法として、営業宣伝のための費用をいかに抑えるかを指導してきました。その方法とは、「広告宣伝のための営業経費ゼロ」を実現するために、ホームビルダーの建設した住宅をビルボード(広告塔)にし,住宅を購入した人(顧客)を営業マンにすることで、受注の70%以上を紹介客として獲得する経営です。実際に米国のホームビルダーは70%以上を紹介客で得ています。そのためには、ホームビルダーは専門性をはっきりさせ、顧客に尊敬される仕事をしています。彼らは、「評判(レピュテイション)」こそホームビルダーの財産であるといっています。

2.木造建築を耐火構造にした2×4工法(バルーン工法から)の概史
米国の住宅産業を理解するために、2×4工法を抜きに住宅産業を語ることは出来ません。そこでシカゴで始まったツーバイフォー工法の歴史について説明をします。
(1)    シカゴ工法(ティンバーコンストラクションからシカゴ工法へ)
2×4工法が米国で爆発的に拡大した最初のきっかけは、「シカゴの町を小麦を、全米に配送する集積起点を作ろう」とするウイリアム・オグデン(その後シカゴ市長になた)の発想でした。オグデンは、シカゴを穀物の集積拠点とするために、800戸近い人の居住する住宅を2年間で建設する方法を取り組みました。しかし、それまでの木造建築工法は、アングロサクソンの伝統である船大工による材木を「ほぞを組んで込み栓をして組み立てる工法(ティンバーコンストラクション)」でした。それでは、とても建設できないことが分り、新しく自然発生的に始められた「製材した板と、針金を加工した釘を使った工法」を導入することにしました。それは当事、米国で始まった産業革命とともに「大草原の小さな家」のローラー・インがルスの父が働いていた製材工場と、針金を切断する釘の量産が切っ掛けとなって、板を釘で繋いで構造体を作る工法が自然発生的に生まれていました。

(2)    バルーン工法の始まり
ウイリアム・オグデンがシカゴを穀物の集積拠点としての機能を担わせるために必要と考えた約800戸の住宅を建設するために、板と釘による住宅建設工法がそれ以前の工法と比較して、60%のコストで建設できました。そのため、穀物集積場の事業を計画通り始まめ、予定通りの成果を挙げました。そのような当時の経緯、即ち、米国での2×4工法が誕生した経緯、即ち、当初この工法は、「シカゴ工法」と命名されました。そのシカゴ工法の誕生で仕事を奪われた多くの大工が「シカゴ工法」について、「風船工法(バルーン工法)」と悪口をいいました。しかし、シャボン玉とは違い風船は軽くて強いため、バルーン工法は誉め言葉として全米に拡大していきました。

(3)    北海道開拓使とバルーン工法の到来
その当時、日本にもロシアの南下政策の行為があり、北海道を日本国の領土を主張するために政府と政府職員の定住をする必要が生まれ、北海道開拓使(政府機関)が設立されました。明治政府、内地から公務員を定住させる方法として、北海道と同じ緯度に首府がある米国の農務長官ケプロンを招聘し、北海道に日本政府を機能させる方法のアドバイスを求めました。その結果は、寒さに対し、優れた米国の住宅を取り入れることにより、内地の公務員を北海道に居住させることでした。日本に導入された高級建築技法としてのバルーン工法による建築技術は、公務員の官舎だけではなく、現在北海道札幌の中之島にある「豊平館」(明治、大正、昭和の3代の天皇陛下が宿泊された迎賓館)や「北海道大学の時計台」にも適用され、当時の北海道では、優れた建築物は、バルーン工法による建築で造られました。東京工業大学の前身の東京高等職工学校はイリノイ工科大学と姉妹校となって米国の建築工法の技術移転を受けました。

(4)    シカゴ火災から「タワリング・イン・フェルノ」
最初のバルーン法は生産性が高かったのですが火災に弱く(バルーン:通し柱工法)、シカゴの大火の一つの原因であったため、英国のロンドン大火後の対策として木造建築禁止区域(防火地域:ファイアーゾーニング)が火災保険との関係で米国につくられました。しかし、その後、防火地域に建設された超高層不燃建築において、タワリング・イン・フェルノのような大火災事故が発生しました。その結果、建築の構造材料と火災とは直接関係しないことが分りました。建築構造材料を不燃材料で造っても、「火の用心」をどれだけ行っても、火の元は文明の発展とともに拡大するため、「火の用心」で火災を押さえ込むことは出来ないことがわかりました。

(5)    「ファイアー・コンパートメント」と「セント・ローレンス・バーンズ」
そこで分ったことは、人間の生活空間には巨大な可燃物(火災荷重)があることでした。火災荷重(燃え種)を大きな火災エネルギーに拡大させないことが重要であることでした。火災荷重を小さく分割管理し、火災による加熱が防火区画で阻止すること(ファイアー・コンパートメント:防火区画)が必要であることが分かりました。この検討は1958年カナダ政府の建築研究所で英国の火災学者の協力を得ておこなった火災実物実験(セント・ローレンス・バーンズ)で検証されました。戦後に開発されたプラットフォーム工法は改良され火災に強くなりましたが、さらに、その後、石膏ボードで火災荷重(ファイアー・ロード)を分割管理するドライ・ウォール工法を用いたファイアー・コンパートメント(防火区画)の技術が開発されて、耐火建築物として扱われるようになりました。この技術は、建築基準法第5次改正で取り入れられました。

4.和風デザイン(書院造)とオープンプランニング(輸入住宅)
(1)ハイドパーク住宅地と1894年コロンビア博覧会
シカゴのハイドパークは、米国の各地で発見する英国の地名同様、ここに移住してきた英国出身者たちのアイデンティティとして、ロンドンのハイドパークに因んで命名されたところです。ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公は英国国民のため第1回万国博覧会の開催を彼自身が率先して万国博覧会総裁となって実施しました。しかし、ドイツから英国に婿養子としてヴィクトリア女王の夫になったアルバート公に対し、国民は非常に厳しく反発し、「英語も満足に話せない女王の婿」などとも言い、年額報酬の切り下げなど失礼な対応をしました。第一回ロンドン万国博覧会も総裁のなり手はいませんでした。アルバート公は英国民のためになると考え、博覧会総裁の役割を率先して買って出ました。英国民はアルバート公の気持ちを裏切り、「ハイドパークで万国博覧会を実施することは認めても、公園の樹木を切ってはならない。」といった無理な注文をつけました。

(2)第1回ロンドン万国博覧会
アルバート公はその注文を認め、ハイドパークは樹木は伐採せず、公園は博覧会終了後もとのとおりに戻すことを約束ました。その方法としてアルバート公は、ハイドパークの樹木を覆うような大きな温室(水晶宮)を建設しました。結果的に奇想天外な博覧会会場は大きな人気を呼び大きな利益を上げることに成功しました、アルバート公は万国博覧会で得られた巨額な利益を費して、アルバートミュージアム、アルバートホール、アルバ-トスクエアー、アルバートマンション、ロイヤルバレーなど19世紀の英国の産業革命と7つの海を支配した植民地帝国の繁栄を代表する華麗なレンガ建築で出来た都市を建設しました。

(3)シカゴ・コロンビア博覧会
英国のハイドパークで開かれた第1回万国博覧会に因んで、シカゴで作られたハイドパークには、1894年にコロンブスがアメリカ大陸を発見したときからの400年を記念して、シカゴ・コロンビア博覧会が歴史建築物の博覧会として開催されました。そこにはヨーロッパを中心とした世界中から、その国が最も誇ることの出来る建築物を出展するようにという要請がなされました。この博覧会は、アメリカン・ボザールと呼ばれたニューヨークの建築家マッキムが中心的役割を果しました。当時ヨーロッパではルネサンスが席巻していたことから、その展覧会には、白色の大理石を使ったルネサンス建築が建築されたため、この博覧会は「白の博覧会」と呼ばれました。

(4)日本を代表する建築物:宇治平等院鳳凰堂
日本にも博覧会への出展の要請があり、日本を代表する建築を何にするかについていろいろ検討した結果、その博覧会には日本を代表する建築は、「宇治平等院鳳凰堂」ということになりました。そこで、出展する建築は、実物の2分の一の模型を、日本で材木をプレカットして、宮大工2人に声がかかり、それをシカゴで組み立てることになりました。その建築は展示会の出展権築物のほとんど全体がルネサンス建築で出来ているとき、日本からの出展は異色の建築として話題になっただけでなく、フランク・ロイド・ライトにおおきな影響を与えることになりました。ライトのプレイリー様式のデザインは日本からの寝殿造りに大きな影響を受けたといわれます。

(5)ライトのプレーリー・スタイル(様式)・デザインと帝国ホテルの設計
ライトはこの地に自宅(シングル様式)を建設しましたが、シカゴの大豪商マコーミックは、当時のライトの人気を知って、自宅の設計をフランク・ロイド・ライトに依頼し、その設計図が完成しました。しかし、米国ではルネサンスデザインが最も優れたデザインとされていたため、マコーミックは、途中でライトのプレイリー様式による設計で邸宅を造ることをその資産を失うことになるのではないかと考えました。そして、ライトの設計による建設を止め、パラディアン様式(ルネサンス様式)による邸宅に変更してしまいました。その上、そのころライトは夫婦関係の問題がこじれ、かつ、米国の建築界とのルネサンスデザインをめぐり対立を深めたため、争いを避けてドイツに出かけることになります。

(6)    帝国ホテルの設計依頼
そのころ、日本では西洋からの訪問客が急増していたことから、それに対応する洋風ホテルが必要ということになり、欧米で最も人気のある建築家に、「洋風建築デザインのホテル」を設計をさせようということで、当時ドイツに出かけていた世界的に人気の高かったライトに帝国ホテルの設計以来がなされました。日本でのライトに対する期待は、欧米からの日本への訪問客が、日本にも西欧人が驚くような本格的な洋風建築を建てることでした。ライトは欧米で人気の高かった建築家であったので、その建築デザインは洋風の最も進んだ西欧建築デザインであると考えていました。帝国ホテルのデザインがプレイリー様式と呼ばれる欧米にこれまでなかった建築デザイン様式でした。それはシカゴ・ロンビア博覧会に展示された宇治平等院鳳凰堂(寝殿造り)からライトがインスピレーションを受け創造した東洋のデザインを米国の大草原の中に展開したものでした。

(7)東京爆撃の提案者、アントニン・レーモンド
このライトの片腕となって働いた人がチェッコ人のアントニン・レーモンドでした。レーモンドはもともとは工学が専門で得意でしたが、ライトの事務所で働くため、イタリアで絵画を学びパースの仕事をしようとしてライトの事務所に来たといわれます。レーモンドが構造設計した帝国ホテルは、関東大震災で破壊しませんでした。その理由は、レーモンドの耐震設計が優れていたためであるといわれます。その帝国ホテルを耐震的に設計・建築したことでレーモンドはチェッコの特別公使に任命され、終戦直前まで日本で活躍し、本土爆撃前に帰国しました。レーモンドは日本が好きでした。そこで、国民が戦争で玉砕することを止めさせるべく、焼夷弾爆撃による首都の都市火災を実施させ、天皇陛下に終戦を迫らせようとしたとも伝えられています。関東大震災で木造市街地が燃えつくした経験を思いだし連合軍に焼夷弾爆撃を提案し、それを受けて米国のネバダではその模型市街地火災実験が行われました。東京への焼夷弾爆撃はその都市火災実験成果であるとも言われています。そのため、レーモンドを憎んでいる日本人も沢山います。しかし、レーモンドは日本を愛し、来日を希望し、戦後GHQの支援を得ていち早く日本にやってきて建築活動をする一方、前川國男や吉村順三に建築教育を与えた建築家です。

(8)吉村順三による「松風荘」
米国ではニューヨークに現代美術館を所有しているロックフェラーが、戦後の米国に必要な住宅デザインのヒントが日本にあるはずだと考え、調査団を結成して、日本に派遣しました。そこで、アントニオ・レ-モンドや吉村順三らの協力を得て日本建築を調査し、日本の書院造にそのヒントを発見します。モデルとなった醍醐寺の書院建築は、大き過ぎてニューヨークのMOMA(現代美術館)の中庭の寸法に合いませんでした。そこで、新たに設計をする必要があり、日本の伝統建築に造詣が深い吉村順三がその設計を担当しました。それが「松風荘」です。松風荘の展示期間(2年間)に約14万人とも17万人とも言われる人たちが訪問し、米国の戦後の住宅設計にオープンプランニングを取り入れさせることになったといわれます。「松風荘」自身は展示期間完了後取り壊すには忍びないということでフィラデルフィア中欧公園に移築され、それが、さらに2011年全面改装されたと新聞が報じていました。寝殿造り(宇治平等院鳳凰堂)ライト(帝国ホテル:プレーリー様式)、ロックフェラー、レーモンド、吉村順三(松風荘:書院造)、輸入住宅(オープンプランニング)と洋の東西を建築文化が交流したのです。『アメリカン・ハウス・スタイル』の著者ジョン・ミルンズ・ベーカーは、コロンビア大学卒業の建築家で、ライトに心酔し、ライトの帝国ホテル設計に至る経緯、レーモンドにまつわるエピソード、吉村順三の松風荘、オープンプランニングのエピソードを話してくれました。

(9)輸入住宅と日本の建築デザイン(オープンプランニング)の里帰り
1986年プラザ合意を受け、前川春雄日銀総裁の提案である日本で輸入住宅が取り組まれたとき、多くの輸入住宅が建設されました。いずれも当時の日本政府が推進していた「居住水準」が高いといわれた「多寝室型の住宅」とは違い、社会的な生活空間を間仕切らないラナイオープンプランニングによる住宅でした。国民は米国からの輸入住宅に親近感を感じ、積極的に受け入れました。それは、実は、オープンプランニングのデザイン自体が、吉村順三がニューヨークの現代美術館(MoMA)の中庭に建設された松風荘(書院造り)デザインの日本への里帰りしたものであったからでした。
日本では建築デザインの教育が全くされていなく、寝殿造りや書院造りが、ライトや多くの米国のその他の建築家に理解され、寝殿造りのデザインがプレーリー様式のデザインと姿を変え、また、書院造りのデザインが、オープンプランニングのデザインに作り変えられた日本の建築デザインをそのオリジンとして変化していることを、政府も日本の建築家や建築学者は正しく理解できないでいました。それは日本の建築デザイン教育が、日本で生まれたデザイン様式を気付くことなく、洋風建築デザインと見間違えるほど、日本で疎かにされている事実の証明です。

5.TND(伝統的近隣住区開発):ケントランド(メリーランド州)とDPZ(アンドレス・ドゥアーニーとエリザベス・プラター・ザイバーグ)
(1)TNDにより実施されたケントランド

ケントランドは、メリーランド州にあるTND(トラディショナル・ネイバーフッド・デベロップメント:伝統的近隣住区開発)としてリゾート・コミュニテイとして開発されたシーサイド(フロリダ)と違って、一般的な定住型住宅地として、開発された最初の事例です。設計者はシーサイドと同じDPZ(アンドレス・ドゥアーニーとエリザベス・プラター・ザイバーグ)です。TNDは都市開発や住宅地開発関係者以外から、一般の社会学者や文化人から高い評価を受け、住宅や不動産業界からではなく、一般紙・一般雑誌で全米の話題を集めた住宅地です。その理由は、基本的に「アメリカン・ドリーム」を実現する住宅地であると認められたことにあります。

(2)『サイレントスプリング』の警告に適合したと評価された開発
この住宅地はワシントンDCが郊外に向けてスプロールしていた時代、それが郊外地の環境破壊になると抵抗して開発を拒否していたケントさんの子孫がTND開発に賛同して関心を示し、その開発が取り組まれたためです。この開発が取り組まれた時代は、DDTやBHCなどの塩素酸化物の使用が雨水の流出とともにエコロジカルな「死の影を引きずっていく」環境汚染問題を取り組ませる契機となった『サイレンとスプリング』の著者レーチェルカーソンが明らかにし、それをJ・F・ケネディ大統領が国務省に調査を命じ事実を確認しました。それがきっかけとなり、ウ・タント国連事務局長が世界環境会議(ハビタット)を開催した時代です。彼女の所属する研究所もこの土地にあり、かつ、ケントランドの小学校も「レーチェルカーソン」の名前が付けられていることに示されているとおり、この開発は正にエコロジーを重視した理想的な開発という評価が全米で認められた開発でした。

(3)「アメリカンドリーム」とはなにか
アメリカは銃規制で世界の批判を受けていますが、国民が自分自身を守るため銃の保有を憲法で担保することで、個人が自らの自由を自らの力で守ることを国家が保障してきました。その保障の基本は、米国の憲法に記載している「自由の実現」です。銃を許してまでもして、他人からの支配を排除する自由の実現に大きな価値を認めている国です。国民が自由を主張するために必要なものは、自由と並んで「自立すれために必要な経済基盤」です。自分が経済的に自立することなしに自由を主張することは出来ないという考え方が、米国の自由主義の基本にあります。中国で昔から「恒産なければ恒心なし」(安定した財産がなければ心は落ち着かない)といわれてきたのと同じことです。その自由の実現こそ、「アメリカン・ドリーム」なのです。

(4)住宅によるアメリカンドリームの実現
個人財産のうち最大のものは住宅です。その住宅の資産価値が経年的に物価上昇以上に価値を増大し続けるならば、個人は物価変動に関係なく、その保有する純資産を維持向上させることができます。米国の歴史的な自由主義政策は、「個人の住宅資産形により成人資産形成を確実なものにすること」である政策です。即ち、個人が資産価値を維持向上する持ち家を持つことが、「アメリカンドリーム」なのです。今回の調査でガイドをされた海野さんはケントランドの近くに住宅を購入され、そこで3人の子育てを終え、今はこの地に縛られる必要はないのですが、ケントランドを中心にしたこの地域の住宅資産価値は非常に順調に向上し続けているので、現在の売却益を考えるのではなく、将来における資産価値の増大を考えて、これまでの住宅を「海野さん自身の最大の資産投資として維持することにした」と説明しておられました。

(5)戦後のアーバ二ズム(市街地の郊外へのスプロール)
しかし、その「アメリカンドリーム」をこれまでの米国社会で妨害してきたものが、「犯罪」でした。犯罪に弱い街は、人々の憧れの住宅地にはなれません。米国における自由主義実現の対策の中心が、「セキュリティ対策」であるといっても過言ではありません。戦後の住宅政策は堅持中の太平洋・大西洋の二面作戦で、米国内での戦闘はありませんでしたが、国内での住宅生産は極度に抑えられました。その反動が戦後の巨大な住宅需要という形で爆発しました。それを既存市街地では供給することは不可能でした。そのため、フリーウエイ(自動車通行料金無償の高速自動車専用道路)を利用した郊外開発(2×4プラットフォーム工法とレービットタウン)として進められました。

(6)アーバ二ズムが生んだ犯罪の拡大
都心から有産者が郊外に脱出し、そこに偏ったライフステージの資産を持っている人たちが都心を脱出して居住するコミュニテイが形成されました。その一方で、都心は空洞化しました。ドーナツ化現象が発生し、犯罪と貧困が多発する危険な地域が拡大しました。どこに取り残された不動産は、それ自体移動することができませんから、荒廃し資産価値を下落していきました。そうすると市町村の固定資産税は減収になり、町を健全に維持管理できず、都市衰退の悪循環が生まれることになりました。ニューヨークのハーレムの例が、「都市の衰退とその後ニューヨーク州政府が治安対策を強化して資産価値を高めることに成功し税収を回復させた」その代表的な例です。都市のセキュリティを高めることが、地方税収を向上させること(アル・ゴアがまとめた『21世紀の都市白書(ビルディング・リバブル・コミュニティ)』(HICPM翻訳・刊)でもあるのです。

(7)セキュリテイにこだわるアメリカの事情:スマートハウスとゲーティッドコミュニテイの失敗
中高所得者が郊外に脱出し、そこで生活をするようになったとき、昼間は都心に働きに出かける郊外住宅は、賊の格好の襲撃の対象になりました。その犯罪から自らの財産を守るために、最初はIT技術を住宅に使った「スマート・ハウス」が取り組まれました。しかし、「スマート・ハウス」もまた、ITより賊の方の頭脳が優秀で、犯罪は縮小することが出来ませんでした。そこで次に考案された方法が、住宅地の入門規制を行う「ゲーティッド・コミュニテイ」でした。しかし、ゲーティッド・コミュニテイも入門規制の人件費負担を削減しIT化すれば、ゲートの中に入りやすくなり、賊の思い通りに犯罪が実行されたため、スマート・ハウス同様失敗でした。しかし、住宅地の高級感を現し、治安的に安全に見えることで現在も拡大しています。

(8)最後のセキュリテイ対策の決め手となったTND開発
そこで新たに開発された方法は実際の米国内の犯罪が少ない住宅地の中から、「犯罪の少ない住宅地」を調査し、その調査結果から、犯罪の生まれない仕組みを機能的に導き出す方法でした。その調査はDPZがマイアミを中心において米国南部の優れた住宅調査を中心に行いました。その結論として導かれたTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント:伝統的近隣住宅地区開発)でした。TNDの結論は、1930年以前に建設された徒歩で出来た優れた住宅地は機能的に見て安全性が著しく高いことでした。そこで伝統的な徒歩社会の伝統的な街づくりの計画理論を尊重した開発を復興させようと、その名称としてTNDと名付けられました。

(9)TNDによる開発がセキュリテイの高い理由
犯罪の発生率の少ない住宅地は、直接的にはその土地に住んでいる人と外来者とを識別することが出来ることでした。1910年にT型フォードが開発され、車が個人の足になるまでは、都市は徒歩の町で、住宅地に居住している人たちが、特に意識しなくてもお互いをなんとなく理解し合い「相手のいやがることはやらない、相手の喜ぶことをする」という生活です。居住者がお互いをなんとなく知ること、即ち、住宅地内に住む人と、外部から来る人とを識別することで、住宅地のセキュリテイを高めていたことが判明しました。やがて、その本質はフランク・ロイド・ライトが「建築の4原則」として明らかにしている住宅環境であることが明らかになりました。

(10)ライトの建築の4原則
ライトの建築の4原則は、欧米でいう「建築」と「ビルディング」(工作物)ではなく、人文科学的にいう歴史文化空間環境を指しています。詳細な解説はここでは割愛して4原則の基本を紹介することにしました。
一.「土地を大切にせよ。」:建築物自身は土地の一部に吸収されるものであるから土地の持っている歴史文化を大切にしてそれに合った開発をせよ。
二.「材料と工法を大切にせよ」:同じ空間をつくる場合でも、それを構成する材料と工法により伝承する歴史文化は違うものになる。
三.「箱をつぶせ」:ルネサンスデザインが優れているとしても、それが誰にも有益であるわけではない。足に合わない靴はつぶしてしまえ。
四.「建築は民主主義の実現」:人々の違いに対応する建築空間は、すべて違いを求めている。違いを尊重することで違いを優劣で差別してはならない。

7.TNDの一般住宅での最初の事例:ケントランドのコンセプト
(1)自然環境保護の思想と調和したTND

TNDを使って最初に取り組まれた住宅地がシーサイド(フロリダ)でした。このリゾート開発で展開したTND開発を一般住宅開発で取り組まれた最初の事例がケントランドでした。ケントランドは、かつてこの土地で生活した所有者・英国貴族であったケントさんが、英国の優れた貴族の生き方として地元の人たちに自分の領地を自由に使わせ、地域の人たちから高い信望を得ていました。そのことがケントさんの一族の誇りになっていました。その後ワシントンDCの開発の影響を受けて開発が進んだとき、それに抵抗し、この土地を自然環境保護の拠点にするとして都市開発を拒んできました。しかし、そこにTNDという新しいコンセプトが登場して、それであればケントさんの思いも生かされると考え、この開発に応じることになった事業でした。

(2)ケントランドの「ストーリー」と「ヴィジョニング」
そこでのTND開発は、ケントさんが生きていた時代に地元の人たちに、自分の用地を豊かな生活を営むために自由に使わせていた池や湖をそのままの形で生かすことで、新しいTND開発が取り組まれました。その開発の基本コンセプトは、ジョージタウンが開発し尽くされ新たな開発の余地を失ってきたことから、ワシントンDCが果たしてきた機能を実現するために供給されることになりました。その開発の条件は、世界の中心的な活動をするためにワシントンDCにやってきた人たちの友達造りのニーズに応えるという時間距離45分未満の距離に自宅を持つためです。ワシントンDCで仕事を一緒にすることになった来客を受け入れる住宅という「ストーリー」と、その住宅地が演出する自宅環境が、ワシントンDC米国人の心の故郷(自由の国の実現の象徴)ともいわれているウイリアムバーグ(バージニア州:ロックフェラーが歴史都市として再建した古都:米国が英国の植民地時代の首都)のイメージを領事館のマンションとケントさんのバーン(倉庫)を開発の「ヴィジョニング」としてケントランドを開発しました。そこには高さの同じ白色の木製のさまざまなデザインのフェンスが、木製のデッキでつくられたリビングポーチと、すべての住宅敷地を取り囲んでいます。

(3)商業・業務集積の形成
ケントランドが第2のジョージタウンやアレキザンドリアとして、ワシントンDCから45分程度の時間距離内に開発された理由(大きな事業をする人たちにとって重要な友達作り)を説明し、その後、ケントランドの「ストーリー」と「ヴィジョニング」を利用したレークランドや、その他のTND開発は、第2、第3のケントランドがケントランド周辺に開発されました。その周辺開発地の消費人口を吸収する形で、ケントランドの商業・業務集積は驚くほどの集積となってきました。周辺住宅地はケントランドに施設依存することで開発ができました。その結果、ケントランドでは、開発当時に予想していなかったほどの教育、福祉、商業・業務の集積で、この地方での生活を豊かにし、今後もさらに加速するでしょう。優れた教育機関(学校)が建設され子どもを育てる優れた環境として熟成し、ここに住居を持つことが個人資産形成を保障します。正に当初計画されていた首都ワシントンDCの中でケネディや多くの国会議員、実業家、芸能人など国際的な活動をした人たちの住居としてケントランドは、ジョージタウンが量的に開発の余地がなくなったことに応え、第2のジョージタウンやアレキザンドリアとして開発されました。

(4)ケントランドとレークランドの違い
ジョージタウンは伝統的近隣住宅地の再現を目指して偽物(フェーク)の材料は一切使わないという拘りで造られました。その意味では歴史文化を徹底的に尊重するというコンセプトが大切にされました。それに対しケントランドの地続きで開発されたレークタウンは、時代の推移とともに、構造材料と化粧材料は分解している事実を積極的に評価し、フェークの材料も結局的に採用し、住宅購入者の家計支出に見合った住宅の開発に取り組んだ例です。当然、シェ-ク材はコスト的な制約で使えず、アスファルト・ルーフィングになっています。昔は一つの材料が構造、機能、性能を一体的に担っていましたが、それを分解して複数の材料で担うという途がフェークな材料仕様の途です。フェークな材料を使うことが悪いわけではなく、住宅費支出能力の低い人の要求に応えるためには合理的ではないかという考え方を徹底したのがレークランドの開発です。歴史文化環境を当たらし時代感覚でどのように演出することが出来るかという取り組みがレークランドの開発です。ここでは、タウンハウス・デュプレックスのような新しい低層高密度な開発を新しく採択していますが、それに出会うことは出来ませんでした。

(5)事業の背景の学習に必要性
レークタウンはケントランドと同じコンセプトで作られ、熟成してよいコミュニテイになっていることを確認しました。ケントランドとレークランドの意図は、住宅地の街並みデザインという点では、TND開発としては共通していますが、国民の家計支出との対応で材料選択をしているという意味では基本的に違っています。ケントランドも全住宅のうち40%にはスタジオとよばれている1LDKの賃貸用に利用しでいる住宅を持った持ち家住宅地です。この住宅地開発は、懐かしさを演出するTNDを学ぶために、HICPMとしては10回以上訪問し、故・成瀬副理事長と何日もこの住宅地を歩き回って興奮の連続で多数の写真を撮ったことが思い出されます。学芸出版はケントランドを紹介した『アメリカの住宅地開発』を絶版にしました。しかし、アマゾンの中古本として購入や図書館利用もできます。

(6)スタジオとブーメラン現象
その多くは「キャリッジハウス」と呼ばれる車庫の上階に作られていて、そこには全てコテッジ風のシェーク材で屋根を葺いた小さな切り妻屋根がかけられていて、森の緑の中にコテッジが建っているような優しい風景が作られていました。スタジオの使い方としては、大人になる段階の子供に独立(巣立ち)の準備に使わせる例も多いといわれています。18歳という親の扶養義務がなくなる時点前後で、子供を社会人として成長させるため、自宅から追い出して、「独り立ちできるような生活」を近隣の住宅で経験させることが一般的に行われています。これらの住宅はすべて木製窓、木製ドア、木製フローリングでつくられ、天井廻り縁、幅木なド木材で囲われた空間のスタジオで生活し、金銭感覚が育った子どもが、一皮向けて、自宅に帰ってくる現象を「ブーメラン現象」と呼んでいます。

8.「ウォルトでズニーの夢の実現」に向けてアイズナーの呼びかけ
(1)未来の社会に向けての実験

ウォルト・ディズ二ーは1970年の全米を襲ったドル危機・経済危機に対して、シューマッハー著『スモーウ・イズ・ビューティフル』の新しい地球環境に対応する必要があると考えました。未来の社会に向けての環境づくりの事業を実施するためには、巨大な土地が必要であると考えました。そこでこれまでディズニーが事業を実施してきたカリフォルニアとは全く違った地価の安いフロリダの低湿地で大規模な土地の取得に着手しました。ディズニーが動いていることが分れば、土地は騰貴する恐れがあると考えられたので、ダミーの会社にフロリダの土地を買収させました。

(2)米国の社会経済環境の変化に対応した開発:夢を与える「夢の実現」
ディズニーによる土地買収が計画通り完了したときにはドル危機・経済危機は去り、そこで計画していた新しく取り組まなければと考えていた計画はその根拠を失いました。そこでディズニーは、人々に夢と希望を与える事業として既にカリフォルニアで成功していたテーマパーク・マジックランドとともに、地球の未来を展望した実験・エプコットセンターを開発しました。そこで実施したテーマパークは社会的に受け入れられ、この地区には次々と「アニマルランド」や「ユニバーサルスタジオ」などが建設され、デズニーワールドを建設しました。これらのテーマパークはいずれも成功しましたが、それは決してウォルト・ディズニーが落ち買収の時点で考えたものではありませんでした。

(3)アイズナーの考えた「ウォルト・ディズニーの夢」
ディズニー社の5代目の社長であるアイズナーはディズニーの家系ではなく、ユダヤ人として最初の一族の外部から選らばれて社長に就任し、辣腕を振るいました。既に購入した土地の約半分の土地はテーマパークに使われてしまったが、アイズナーはディズニーがオランドの土地を購入した原点に立ち返って、その残りの半分は、「初代ウォルト・ディズニーの夢の実現」に使うべきであるという方針を立ち上げました。その方針をアイズナーは次の具体的な方針として社内に指令したといわれます。
一.開発企画は世界的な規模で「世界がアッと驚くような社会問題」に取り組むこと
二.この事業によって、「世界がアッと驚くような巨額な利益」を上げること
この指令を受けてさまざまな検討が行われましたが、最終的に残ったテーマは、当事全米の話題になっていたTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント:伝統的近隣住区開発)による全米最初のシーサイド計画でした。

(4)シーサイド(フロリダ)のTND開発の発展形
この当時、1980年代はフロリダのシーサイドでDPZ(アンドレス・ドゥアーニーとエリザベス・プラター・ザイバーグ夫妻)がデベロッパー・デービスと実施したTNDが、不動産開発事業者の間ではなく、一般社会で「将来のアメリカの進むべき途ではないか」と社会問題になっていました。その基本的視点は、住宅の資産価値を持続的に向上させる対策として過去に国家を挙げて住宅地のセキュリティ(犯罪安全性)の高い住宅地実現の取り組み、即ち、「アメリカンドリーム」の実現でした。米国ではそれまでセキュリティ対策として国を挙げて取り組んだスマート・ハウスやゲーティッド・コミュニテイのいずれもがセキュリティ対策として期待された効果を挙げていませんでした。その失敗に対し、TNDによる開発が驚くほどの実践的効果を発揮するお社会的に評価されたことがあります。TNDの成果はケントランドとそれに続くレイクランド(メリーランド州)やハーバーランド(メンフィス)で確認され、全米に拡大しつありました。

(5)ディズニーによる「アメリカンドリーム」の実現
米国は自由主義の国です。個人が自由を確保するために必要なことは、個人が経済的基盤を獲得することです。それは個人が最大の支出をして購入した住宅の資産価値を経年するとともに、持続的(サステイナブル)に向上することを措いてありません。その考え方は米国の建国以来の考え方です。個人資産は住宅を持つことで物価上昇以上に資産価値が形成できます。住宅の所有者は純資産(エクイティ:住宅の取引価格からローン残債を差し引いた額)を拡大することになれば、そのエクイティに対して金融機関が純資産担保融資(エクイティローン)を実施します。住宅所有者の購買力が拡大し、経済はうまく回転し景気は好転します。住宅の資産価値が上がれば地方税収も上がり、経済も財政は好転します。国家の政治としても国民が経済的に力をつければ政治は安定します。それが「住宅を持つことが国民共通のアメリカン・ドリーム」になっていました。

(6)住宅地経営による資産増殖:ハワードによるガーデンシティの理論
20世紀を振り返ってみると世界の住宅開発は住宅による資産形成を実現するためにエベネザー・ハワードの『ガーデンシティ』の理論と実践に終始したといっても過言でありません。カンザスシティにおけるJ・C・ニクラスによる「カントリー・クラブ」の開発から、ニュージャージーの「ラドバーン」開発を基盤に発展したニュータウン開発は基本的にハワードのガーデンシティの理論の影響を受けていました。しかし、最初の「レッチワース・ガーデン・シティ」は、現在でこそ資産価値を向上し続けている街造りと評価されていますが、ハワードの存命中は計画的の都市は熟成せず、ハワード自身は大きな借金を抱え、失意のうちに死んでしまっていました。その意味では都市開発事業経営者としては、事業の失敗者であったとも言えます。

(7)セレブレイション:「アメリカンドリーム」の重ねた「ディズニーの夢」
アイズナーはセレブレイションの開発にシーサイドで社会現象にまでなったTND の理論を使って、「ハワードが叶えることの出来なかった夢の実現」を目標にかかげセレブレイションの開発に取り組むことになりました。それは「最初にセレブレイションに入居した人に対して、セレブレイションが完成したときに享受できるアメニテイを提供する街づくり」でした。その計画は次のようでした。
一.セレブレイション・プレイス:この地域にはウォルトディズニー関係の企業従業員が沢山いるので、それらの働く人たちの商業・業務用勤務場所をまず建設することで、これらのディズニー関係者たちを居住者の候補に取り入れたことでした。

二.セレブレイション・ヘルス:セレブレイションに居住する人たちにとって医療と健康問題は大きな問題ですので、フロリダ大学と提携して医療と保健の一大集積を造ります。多くに人たちは長寿化の進行にあって健康への関心は増大し、健康医療の充実は住宅選択の大きな条件となっていました。

三.セレブレイション・スクール&大学院・アカデミークール:セレブレイションに居住する人たちは子供の教育環境に高い関心を持っていますから、教育施設とそこでの教育成果を分析を研究し、それを教師の再教育に繋ぐ大学院級のアカデミーを併設しました。教育環境を教師の再教育にまで拡大したことは、教育重視の社会に高く受け入れられました。

四.セレブレイション・ダウンタウンとアクティブ・リタイアメント・コミュニティ:セレブレイションの居住者が熟成した町の猥雑さや豊かな商品・娯楽・業務サービスの供給を受けるためにはダウンタウンが計画的に作られる必要があります。その施設としてダウンタウンを美しい街としてつくり、観るだけで楽しく、ショッピング、レストラン、カフェー、映画館等が素敵である環境を創りました。その町に人々の賑わいを作るために、資産を持っているアクティブ・リタイアメント・コミュニテイをダウンタウンの上層階につくりました。ダウンタウンの居住者は街の賑わいを作り上げる環境で、セレブレイションの住宅とは別の住宅として建設されました。ダウンタウンの建設は、それまでディズニー関連の建築設計に関係した優秀な建築かを動員した「都市博覧会」として実施されました。

五.グリーンベルトに造ったスポーツ施設:ゴルフコースやテニスコートは、セレブレイションを囲むグリーンベルトに造り、そこでの利用を一般に対して行うことができる施設利用を先行させました。垢抜けのしたスポーツ施設がセレブレイションを囲んでいますから、スポーツ施設に来る人たちにはセレブレイションは憧れの住宅地になりました。

六.アイデアホームの建設:サザンリビング社と提携して、それまでサザンリビング社が集積した米国南部の理想的な歴史資産をセレブレイションのモデルホーム「アイデアホーム」として建設し、人々に夢を実現した住宅提供売ることを明らかにしました。このアイデアホームの計画でモデルホームへの入場者に入場費用として「アイデアホームの説明パンフレット」を有料で販売しました。その売上代金の合計はアイデアホームを4戸分建設できるほどの利益を生みました。

(7)ディズニー以外では出来なかった夢の実現
その事業にはそれまでのディズニーが実施してきた事業成果を利用する企業をあげての取り組みということも出来ます。つまり、ディズニーでなければできない事業ということもいえます。その事業の組み立てにより、セレブレイションは発売以来売り手市場を継続してそこでの住宅資産価値は上昇し続けました。ウォルト・ディズニー社はこの開発が4分の3を越えようとした段階で事業をニューヨークの不動産会社に売却して巨額の利益を上げて退場することになりました。住宅地経営を行っているセレブレイションは住宅所有者が一票の投票権と開発事業者が未売却の住宅(土地)に対し3倍の投票権を持つ団体により経営されてきた。ディズニー社は自社がセレブレイションHOAの経営投票権の過半数の握り、独占の経営権を行使できる最高の条件でセレブレイションを売却し、巨額の利益を得たのです。このようにしてアイズナーの当初の目標が成就されることになりました。

9.ボードインパーク
(1)都心型TND 開発

米国海軍の航空施設を売却されたボードウィンパークは、セレブレイションと比較するとその立地条件は、より既成市街地に近い位置にあります。そこでこの開発では、都心居住に近い高密度開発はその計画としてコートハウスとして、コートには植樹を豊かに施した駐車場とすることで、中層共同住宅を中心とした街並みと、高級な邸宅外を持ったと新型の住宅地として始められました。ここでの開発の特長を整理すると、ボードウィンパークでは以下の3箇所に大きな特色がみられます。
一.販売時のモデルホーム住区(売却済み)
モデルハウス住区を最初に建設し、3次元の空間として美しい景観としてデザインされた街並みをこの値で住宅販売をするホームビルダーの持つ多様なデザインの住宅を、アーキテクチュラルガイドラインを使って相乗効果を上げることが出来ることを実践して見せた例です。

二.池の周りを囲む超高級住宅地
超恒久住宅を池を囲んで規制し、その高級住宅地にすんでいることを住民の帰属意識として誇りに思うことが出来る住宅地を建設しました。人々は池の周りに作られた高級住宅をすばらしい環境を持った誇りの持てる公園として資産価値のある住宅地として受け入れています。

三.湖に続く店舗併存住宅(ダウン・タウン・モール)
ダウンタウンをダウンタウンモール(商店街)を形成する店舗併存共同住宅として造り、そこでは「ミックストハウジング」と「ミックストユース」を計画の基本にすることで自然発生的な感覚の持てるにぎわいのある街並み形成に成功しています。このダウンタウンには地区外から多数のショッピングやダウンタウンの雰囲気を楽しもうとする人びとを集客することに成功していて、居住者にとって生活しやすい環境をつくっています。

(2)定住型良循環の住み替えが進む住宅地
現時点で観るとボードウィンパークはオランドの最も優れた住宅地として、社会的に指導的立場にある人たちの居住するところとして年々熟成しており、当地は一時バブル崩壊の影響を受けて住宅価格が下落しましたが、比較的早く回復しています。
今回は池を囲んだ高級住宅地とダウンタウンに出来たヨーロッパ的なモールのあるダウンタウンを見学しました。イタリアの街並みを現代風に復興したとても垢抜けのした町並(モール)は、その突端まで行くと、そこには広い湖水とそれを取り囲む緑の湖岸空地が広がり、リゾート気分を満喫できるように計画されています。ヨーロッパの歴史文化を持った都市的な雰囲気を多くの人たちは味わおうとしてこのダウンタウンに集まってきます。このボードウィンパークはセレブレイションと違った「大人の都市生活」を楽しめる都市空間として高い人気を誇っています。


9.米国の高齢者住宅地開発の概史(1960-2000)」
9.1:1960年代の高齢者コミュニティ
(1)豊かな社会を目指して

1960年代は米ソ冷戦時代で、宇宙開発ではソ連に水をあけられていたが、経済政策は順調で、地球衛星から次のアポロ計画での月面着陸の実現など、着実に発展を遂げ米国の黄金時代と呼ばれる時代でした。この時代を象徴する書籍がガルブレイスによる「豊かな社会(アフルエント・ソサイティ)」でした。当時の米国は高度経済成長を遂げていた時代で、人々は大きな富を蓄積した。そして、人々は大きな富を蓄積していると、その資産を運用すること(年間8-10%の運用利回り)で、働かなくても豊かな生活が約束される経済環境に置かれていました。多くの人々は経営者や職場の上司からうるさい指揮を受ける仕事(生活)から抜け出して、自分の望む趣味や誰からも支配されない生活を望んでいました。そのような人々の生活要求に応える形で、子育てを終え、社会的に功なり、名を遂げた人たちは、他人から指揮命令を受けない「新しい自由なリゾートライフ」を提供するプロジェクトが全米各地で取り組まれていました。

(2)自由な生活の実現
J・F・ケネディーが大統領になり「国家が国民に何をひてくれるかではなく、国民が国家のためになにが出来るのかを考えよう」と訴え、キング牧師が、公民権運動の先頭にたっで人種差別の闘いを推進するといった社会全体が正義や理想に向かって高揚する時代でもありました。人々が権力や経済に縛られえるのではなく,自由にそれぞれの関心を高めていこうとする時代でした。その人々の多様な要求に応える形で、多様な民間業の取り組みも活発におこなわれていました。その中で米国では、「自由を実現するためには、自分自身の資産形成をすることで自由を手に入れる」という伝統的な自由主義国家実現を目指す生き方が台頭していました。その生き方を支える経済環境があり、人々の関心は、自由な生活の実現に向かっててんかいされていました。そして、その取り組みは、自らのライフスタイルに合わせた自らの住宅の資産形成として高い満足の得られる住宅地と住宅の獲得に向かっていきました。

(3)アクティブリタイアメントコミュニテイの誕生と日本からの調査
サンシティ・フェニックス(アリゾナ)、グリーンバレー)(アリゾナ)、シーランチ(カリフォルニア)、ビレッジホーム(フロリダ)などが1965年ごろ取り組まれたプロジェクトが、アクティブ・リタイアメント・コミュニティと呼ばれたリゾート・コミュニテイとよばれたりしていました。しかし、わが国にはこれらの開発が正確には伝わらず、「老人の村」と紹介され、姥捨て山の物語「楢山節考」を連想するように歪められてしか伝わっていませんでした。1980年に新しく発足した都市住宅開発公団で高齢者社会の到来を目指して対応策を調査検討する提案が受け入れられ、(財)日本建築センター主催で、住宅産業界の経営者ら40人程度の調査団を結成し、全米のサンベルト地帯の主要なアクティブ・リタイアメント・コミュニティを約1ヶ月かけて調査することになりました。最大の調査の目玉であったサンシティ・フェニックスを訪問したときに、1965年にこの地に移り住んだ居住者から面白い話を聞きました。

(4)自由に未開発の能力を開発する喜び
彼らの当時の気持ちは、「アラジンの魔法のランプ」に登場する大魔神のように、仕事に縛られる生活から切り離されて「自由だ、自由だ」と自分の好きなスポーツや趣味や生涯学習に打ち込める仕事を楽しもうとサンシティに移住したということでした。サンシティにやってくると、そこには驚くほど沢山な個人の関心と能力を伸ばせる「生活を生き生きさせるプログラム」がありました。そしてそこでは、その全てのプログラムは内容が具体的によく整備されている上、優秀なインストラクターと居住者を指導するコーチがいて、居住者の関心を無限に引き出してくれるようで、居住者は大変忙しく自分たちの歓心を追い回していました。

(5)    帰属意識の持てる住宅地開発
サンシテイの開発も、当時の住宅地開発で一般的になっていた近隣住区開発(ネイバーフッドユニット)を生かして開発され、まさに、理論をそのまま絵にしたような同心円状の開発を進めていました。上空から俯瞰して見ることは出来ないので、街を歩いているとよくわかりません。しかし、道路が曲線であるため方角がわからなくなり、「住みなれた人でないと、道に迷ってしまう計画」になっていました。部外者には方向感覚が分りにくいが、生活しているといろいろな行動の選択肢の与えられる計画が、居住者に高い帰属意識のもてる街造りの手段に人っていました。

(6)アクティブ・リタイアメント・コミュニテイの計画理論
高齢者の町サンシティ・オリジナル・フェニックスの中心には、普通の住宅地の中心にある小中学校に代わって、お金を増やしてくれる金融機関とコミュニテイセンターが中心にあって、それを囲むように生活を楽しむ施設が作られていました。そこにはスポーツ(ゴルフ、テニス、水泳、ボーリング、クリケット、フィットネス)、娯楽(カード、マージャン、ゲーム)、図書館、生涯学習(歴史・文学、コンピュウーター)、踊り、絵画、彫刻、陶芸、工芸、木工、彫金、染色などのクラフツなど何でも楽しめるものが用意されていました。コミュにセンターと反対側の同心円の外縁にいくとその外縁の隣接するコミュニテイとの間に教会などがつくられていました。

(7)リゾート開発としてのアクティブリタイアメントコミュニテイ
当初は全てアクティブ(健常な)リタイアメントへの入居条件は、夫婦のうちいずれかの年齢が55才以上であることでした。妻が30歳代ということで入居後子供が出来た事件もあり、その人を退去させることが問題になったという話も聞きました。日本ではなぜかサンシティを「老人の町」と呼んで紹介されていましたが、それは実体を見ないで、勝手に創造して記事がかかれたためと思われます。入居制限のことを知らないでサンシテイに来てゴルフカートで住宅地内部を見学したら、例外なく、計画意図通りのリゾート開発と言ったに違いありません。日本では良く「欧米では」とか、「洋風デザイン」という話が出されますが、その欧米は日本人が勝手に想像した欧米であり、実際の欧米や洋風デザインではないと指摘されることが多いと言われます。

(8)アクティブリタイアメントコミュニテイにナーシングホームが登場
その開発されている内容を日本の感覚でいえば、まさに、ゴルフ場を囲んで終日ゴルフに明け暮れる生活のようにしか見えないリゾート・コミュニティです。米国内での感覚では、アクテイブ・リタイアメント・コミュニティは、まさにリゾート・コミュニティですから、そこでの居住者は元気な中高年者ばかりで、ナーシングホームはつくる必要もありませんでした。しかし、調査に出掛けた1980年には、開発後25年を経過してナーシングホームも必要になってきて、始めてのナーシングホームが本格経営され、話題になっていました。食事と介護付の高額な施設に入居できる人は、「サンシテイに開発当初から入居し、サンシティで購入した住宅の資産価値が上昇した人に与えられる特権」のようにいっていたことを覚えています。

(9)サンシティの開発のコンセプト

町の中心にサンシティの創設者を記念してボスウェル記念病院がつくられ、そこには医師や看護士のような資格を必要とする以外の労働力として、多くの居住者がボランタリーでIDカードをつけて働いていました。「一人がみんなのために、みんなが一人のために」という標語がこの町の共通人引きになっていました。サンシティの経営は、「コンクリートや鉄は施設を作るものであるが、コミュニティは人々がつくる。」という開発に対する考え方を表明していました。コミュニテイをつくることがサンシテイ経営の基本でした。

(10)サンシテイのコミュニティづくり
そこに生活している人を調査した資料によると、居住者の80%以上の人が居住するようになるまで「ゴルフをした経験がなかった」わけですが、ここに生活を始めて、優秀なインストラクターとコーチの指導を受けて、その技能は確実に向上し、「1日が24時間であることが惜しい」というほどゴルフが好きになった人が多くいます。ほとんどのゴルフに挑戦した人は、例外なく、ゴルフに夢中になって、居住者のうち80%がゴルフをしているという話を聞いて驚かされました。そこで多くの居住者たちは、ゴルフを介してそれまで面識のなかった人たちが「竹馬の友」のような関係を結ぶことが出来たという話を沢山聞かされました。居住者がそれぞれの関心や趣味を伸ばすことを通して、技能力や知識自体が向上する満足感ととともに、一緒に取り組んでいる人たちと共通する仲間意識をつくることで、サンシティという地域への帰属意識を高めることが出来ました。当時ベトナム戦争後でアクティブリタイアメントコミュニティの新しい開発は難しくなっていて、サンシティでは「実験居住」として3ヶ月くらいの居住を認め、よさが実感できたら入居してくださいという募集をやっていました。そのときの努力がその後の繁栄となり、全米で20箇所以上にサンシテイが造られています。

9.2:1970年代のプレリタイアメント開発
(1)エンプティネスターズの要求

1970年代に入ると、米国はベトナム戦争で経済的に弱体化し、ドルの価値が急落し、経済危機に遭遇するとともに、全米にかつて1960年代のような意欲的な生き方も、ボランタリーを支持する社会的なモラルも崩れ、大きな社会・経済危機に直面することになりました。その結果、それまで開発されてきたアクティブ・リタイアメント・コミュニティの経営自体が成立しない経済環境になってきました。そこでそれまでのアクティブ・リタイアメント・コミュニテイの開発は行われなくなり、それに代わって、エンプティネスターズと呼ばれる子育てが終わった40歳代半ば以降の人たちを対象に、個人的な幸せを追求する生き方が主流になりました。そこではこれまでのアクティブ・リタイアメント・コミュニテイよりもはるかに小規模な個性豊かなプレ・リタイアメント・コミュミュニテイやアダルト・コミュニテイと呼ばれる子育てが終わって、子供の思い出が残っていない夫婦だけの新しいライフスタイルにあった住宅地が開発されるようになりました。当時の社会では子育てが終わって、子どもが成人になり家からでて行っていなくなった住宅で、うつ病になりやすいエンプテイ・ネスターズ・シンドローム(子育て後の症候群)が社会問題になっていました。

(2)プレリタイアメント生活環境に対する要求
これらのプレ・リタイアメント・コミュニテイと呼ばれる新しい住宅地は、「大都市の郊外部で、交通が便利でスーパーマーケットや医療施設が利用できるインターチエンジから遠くないところ」に立地しました。その理由は、これらのプレ・リタイアメント・コミュニテイへの居住者は、これまでの生活を一挙に変えるのではなく、これまでの生活を基本的に継続しながら、新しい生活に移行することを考える人たちが中心になっていました。そのため、サンシテイ・ウエストに見るようなオリンピック施設に相当する豪華なスポーツ施設やショッピングセンターや娯楽リクリエーション施設の整備された自分の全ての財産を投げ打って高額な多様な施設を選択できるようなアクティブ・リタイアメント・コミュニティに移るほどの購買費用を掛ける開発にはなりませんでした。

(3)既存都市インフラに依存した開発
そのため、その開発は、既存の優れた利便施設や都市施設に依存し、かつ、これまでの生活とリタイアメント後の生活を断絶することなく、逆に、積極的に既存の生活の延長線上の生活に繋ぐようにした結果、既存の都市施設に依存できる所に立地を求めるようになったからです。開発規模は多様な高齢者の需要の細分化に対応し、その需要者ごとを対象にした比較的小規模な開発にならざるを得ませんでした。それでもゴルフコースとスイミングプールと図書館とクラブハウスは必ずついていて、豊かな生活プログラムとインストラクターやコーチングスタッフが売り物になっていました。カリフォルニア、アリゾナ、フロリダ、テキサスには、雨後の筍のように、多種多様なプレ・リタイアメント・コミュニティの開発が取り組まれていました。

(4)「サファリ」をモデルとした開発
プレ・リタイアメント・コミュニティでの住宅地経営の基本コンセプトは、どこに行っても「サファリ」であると説明されていました。「サファリ」はアフリカの草原のようなワイルドな弱肉強食の社会ではなく、また、長寿を誇ってはいるが、活気を失った動物園でもない社会として「サファリ」がモデルにされました。「サファリ」は「オス」と「メス」という性の違いを中心に形成される緊張関係から、活性のあるコミュニテイをつくろうとするものでした。日本でも高齢者問題に取り組んだ大工原秀子著『老人の性』という本が出版されていて、高齢者にとって性の問題を前向きに捉えるべきことが話題になっていました。アクティブ・リタイアメント・コミュニティでは、入居者の多様な人々のニーズを特性ごとに区分し、そのニーズごとに高い満足を与えた優れたプログラムとインストラクターを活用した方法を利用して、入居者が夢中になれる男性と女性が参加できる多くのプログラムを計画しました。基本的にそこで入居者の能力が開発され、それぞれの能力開発を競争させて上達するように行わせました。

(7)    高齢化しても体力も含め訓練により向上する能力
居住者が、その能力を発揮し、異性にそれらを示しあい、認め合うことで、男女がそれぞれの魅力を感じあい、夫婦それぞれが夫婦相互だけではなく、夫婦以外の男性女性に魅力を感じあうことで男女間の緊張が高まり、豊かな満足の高いコミュニテイを実現することでした。一般的に、男性に比較して女性の数が多いため、一種の「椅子取りゲーム」のように、男女の性が能力と魅力とを競い合う緊張関係がコミュニティを活性化させると考えられました。このコミュニテイは米国のサンベルト地帯全域に広くつくられました。

9.3:1980年代のセキュリテイの高い街(TND)の開発 
(1)ミックストハウジング:「脚に靴を合わせる」住宅地開発への転換

1980年代に入りますと、全米で資産形成を確実につくる住宅地階発・住宅地経営が重視されることになります。その中で通常の生活から介護を必要とする生活まで連続的に推移できる住宅地経営として「ミックストハウジング」を進めるべきであるといわれるようになりました。ミックストハウジングとは、住宅地での住宅供給の方法として、多様の住宅需要者のニーズに合わせて、賃貸や分譲だけではなく、戸建住宅、デュプレックス、タウンハウス、アパートメント、共同住宅など多様な住宅を同じコミュニティに計画することで、ライフステージの違った多様な入居階層を、同じコミュニティで受け入れる方法です。いわば「足に靴を合わせる方法」です。

(2)「ミックストユース」:街造りの基本的な方法及び考え方
ミックストユースは、それまで都市や町は、住宅と創業や業務、工業を分離させて立地する専用土地利用がよいとされていた考え方を改めて、基本的に、兼用住宅や店舗並存住宅や中小規模の店舗などを住宅とを混合させてコミュニティの中に取り入れた住宅地開発を実現しようとするニューアーバニズムの計画理論が広く展開されることになります。これは戦後の郊外住宅が大きな冷蔵・冷凍庫を備え、1週間分の食糧を買いだめする生活を否定し、日用生活に必要な食料品や雑貨はその必要な都度、新鮮なものや必要になったものを購入する生活を提唱するものでもありました。

(3)ローカルマネーの地域経済考え方
できるだけ多くの人が店舗兼用住宅とすることで、サイドワークを同じ住宅で可能にし、各住宅の冷蔵冷凍庫を小さくし、家族に副収入の道を拡大し、お金が住宅地内で頻繁に流通するローカルマネーの考え方が入ってきました。それは同じ住宅地での人びとの交流の機会を高め、セキュリティの高い街と判断されたコミュニテイを出来るだけ自然発生的な形に建設することでした。TND開発は、基本的に自然発生的なコミュニテイの持つ「相互依存の社会システム」が活用できることを求めるようになったからです。同じコミュニティに生活する多種多様な人たちが持っている知識や能力を交換して利用することによって、少ない費用負担で豊かな生活を送ろうとするものです。その中には市民農園を実施し、そこでの分業を行い生産物の交換をすることも含まれます。

9.4:1990年代ー2000年代の高齢者コミュニテイ:CCRC 
(1)高齢化による体力低下を組み込んだコミュニティ

高齢化に伴う体力の低下を意識しないで、ライフステージの変化に対応した生活環境を効率的に提供しようとする取り組みもその中で考えられるようになりました。人々は高齢化して体力が弱っても、行動圏を狭く、居住密度を高めれば、そこで多くの人と接することも出来ます。そこに介助や介護が求められるようになったときには、機械や施設を導入する自立に必要な介護や介助、支援や、専門介護や介助者の支援を得て自立する方法を社会的に提供をすれば、必ずしも新しい施設や環境を作らなくても高齢の体力低下に対応できるのではないかという考え方です。

(2)デンマークの福祉の3原則
実際の人々の生活は、必ずしも連続的に変化するものではなく、一挙に質的な変化をしますが、質的に変化する部分に対しては機械・器具や施設や支援(介助や介護)を導入をするとしても、基本的には、既存のシステムを生かす形で対応するという取り組みが、自宅内に機械を導入して居住者の残存能力を活用したり、訪問介護を取り入れたり、または既存の都市の中にナーシングホームを建設したり、CCRCのような施設を既存社会の中に作ることで実施されてきました。急激な変化ではなく穏やかな変化が重要な環境と考えられるようになりました。高齢者の住宅はデンマークの「福祉の3原則」(第1:継続性をもった環境、第2:保有する高齢者の残存能力の活用、第3:本人による主体的選択の判断)を都市のレベル、住宅地のレベルにそれぞれ置き換えて展開したものと考えることができます。普通一般の住宅、各種のニーズに対応したアシステッドリビング、多様なナーシングホーム、ホスピス、ホスピタルが有機的に組み合わさったコミュニティに向かおうとしています。

以上



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