メールマガジン

HICPMメールマガジン第551号(平成26年3月17日)

掲載日2014 年 3 月 17 日

みなさんこんにちは

今回が「規制緩和の贋金創り」10回目(最終回)です。まとめとしてその仕組みを書いてみました。

アベノミックスで再登場の
法治国の機能を果たさぬ3権の本質(その10)
―官僚支配による護送船団方式のからくり―MM551号

法治国の利権政治をささえる立法(政治屋)と行政(官僚)
法治国である日本は、日本国憲法で定めた「国家と国民の契約」を基本にすえ、憲法を具体化する広い分野の国家と国民の権利義務とが、契約(立法)として国会で議決されます。日本は間接民主主義の建前を取っているから、国民が選んだ国会議員が国会において立法に携わります。マンション建て替え円滑化法の国会における審議で明らかになったとおり、殆どの国会議員は、国民の代表(リプレゼンタティブ))であることを忘れ、議員の歳費を再選により確保するため、党派に属し、特定の利権の代理人(エージェント)利益を擁護することで政治献金と選挙で票を手に入れることになります。

マンション建て替え円滑化法(以下「円滑化法」と略す。)の国会審議ほどその実態をあらわにしたものはありません。憲法第29条(私有財産の保障)の規定により、個人の財産を個人の利益追求のために奪い取ることを憲法は禁止しています。憲法上、マンション建て替えを利益追求のために行うことは、居住者の一人の反対があっても出来ません。しかし、円滑化法は、「80%以上の区分所有者の同意があれば、残り20%未満の反対者を強制して建て替え事業を実施できる。」という法律で、その法律が弱者保護を主張していた共産党、社民党や公明党も賛成し、挙党一致で立法されました。

立法の背景は、バブル経済崩壊後の不良債権の処理ができず、不毛の20年が経ち日本経済が再起する能力を失ったため、規制緩和を実施し不良債権を活性化させる経済再生事業が、全ての政策に優先され国会で承認されたことに依ります。ここで業界が求めていたことは、マンション自体の建て替えが目的ではなく、既存のマンションの敷地をその何倍にも利用することにあったわけです。円滑化法はURなど公的土地所有者の経営改善の鍵と考えられ、不良債権に悩む業界がマンション建て替え事業に参画することで大きな利益が得られるため、その立法を前面的に求めていました。

この法律は法律上では区分所有者の資産を、潜在地価を顕在化する建て替えで高める建前ですが、その実体は、建て替え事業者の利益追求のための再開発利益のための事業です。円滑化法の実体は、現在の国土交通省住宅局長が陣頭指揮して進めた諏訪2丁目住宅管理組合(以下「諏訪組合」という。)の事業に如実に現れています。この建て替え事業では、終の棲家と考え生活していた区分所有者に、円滑化法に違反した違法(詐欺)による二つの決議を根拠に、マンション取引価格の7割程度のお金を供託しただけで、仮住居も与えないで叩き出し、10日間も野宿をさせました。

円滑化法立法当時(平成14年)、専ら経済的利益を求めるマンションの区分所有者の8割以上の賛成があれば、強制的に建て替えを強制できる立法に対し、表向きの国会審議では、「建て替え事業で犠牲者をつくってはならない。」と全政党が「正義の味方」を演じ、衆参両院で長時間審議と付帯決議をつけ、巨額の高率補助金制度にしました。円滑化法の施行は、法定都市計画の緩和見直しを前提に規制緩和と一体に行われ、容積率は現状の4倍程度に拡大することになります。

建て替え利益の一部を区分所有者に、既存マンションと同一面積の新設マンションを無償で提供しても、建て替え事業者には巨額の利益が生まれます。その利益を政治献金や外郭団体等護送船団にキックバックできることは明らかでした。共産党や公明党など弱者保護を掲げる政党は、区分所有者の8割の利益を守る立場を支持することで集票ができると考え、潤沢な補助金を投入する円滑化法に積極的に賛成しました。潤沢に交付された国庫補助金は、立法時の国会説明とは違い、事業に参加出来ない人を差別し、その生活を破壊することに使われ、建て替え業者への潤沢な利益になりました。

円滑化法は小泉竹中内閣の目玉の経済政策として、国土交通省が政府提案立法として制定させ、国土交通省が国庫補助金を不正に交付しました。憲法29条で定めた私有財産権の保障に抵触しないように円滑化法第4条(基本方針)で定めた区分所有者の「マンション建て替えに向けての合意形成に関するマニュアル」(以下「マニュアル」という。)に違反して、マンション建て替えを強行しました。円滑化法はマニュアル手続きによって公共性が付与されているのです。

「政治家と官僚の利益本位の行政」と法律で定めた「機能しない自浄機能」
円滑化法の立法と施行の原動力は「経済の復興」で、その本質はバブル経済の崩壊による地価下落で巨額の債務が発生し、土地を担保価格で売却できない限り、これらの土地を抱えている企業やURのような団体は、経営不能に追いやられることになります。日本企業は株式の持ち合いや、封建的な信用保証が金融機関を含んで連鎖し、それが日本経済自体を危険な状態に縛って、不良債権を隠蔽させてきた結果、その凍結を余儀なくさせた資金が企業の経済活動を縛ってきました。

小泉・竹中内閣はこの経営が低迷を解消する経済再建のために、「規制緩和という贋金づくり」によってしか解決の方法はないと判断し、円滑化法の制定や都市計画法と建築基準法の規制緩和に大鉈を振るったのでした。国家の経済を改善することは国民が望めことで、その政治目的を非難することはありません。問題はその手段です。規制緩和といえば、その前提として不当な規制が存在することを前提にしています。既存の規制が不当でない限り、規制緩和に正当性を与えることはできません。規制の中心は民主国家の基本となるルールです。経済活動を規制する法律は、経済的強者が経済的弱者を犠牲にすることの防止を定めたもので、規正法自体は悪くはなく、規制緩和は無批判に支持できるものではありません。

バブル崩壊後の経済の低迷が「不毛の20年」と言われたように不正な不良債権の隠蔽が日本経済全体の足を引っ張っていました。政府は原因を解明せず、なりふり構わぬ景気刺激策のために、規制緩和による景気刺激に政治的に最優先の扱いが与えられました。円滑化法には公共性があると位置付けましたが、それは「不毛の20年」に終止符を打つ経済復興政策であるから公共性があると政治的に判断されたもので、それ以外に公共性を付与する理屈は見つけられません。

円滑化法は第4条に区分所有者の合意形成を基本方針に定め、それを公共性の根拠としマニュアルに定めました。マニュアルでは14の具体的手続きを定め、8段階が終了後、区分所有者全員を強制的に事業計画作成に参加させる意思決定「建て替え推進決議」と、そこで作成した事業計画に基づいて14段階後、区分所有者全員を強制して建て替え工事に踏み切る決定「建て替え決議」を、それぞれ区分所有者の8割以上の賛成をしたとき、建て替え組合に強制権を付与する公共性が生まれる根拠にしています。井上俊之住宅局長が優良建築物等整備事業補助金の交付責任者(室長)であったときに、補助金交付条件の「建て替え推進決議」をマニュアルに違反していても、名称としての「建て替え推進決議」を諏訪組合で総会決議をすれば国庫補助金を交付すると約束し、補助金を国庫補助金適正化法に違反して交付しました。

補助金で作成した建て替え事業計画は諏訪組合の30%以上の区分所有者が反対し、「建て替え決議」はできませんでした。円滑化法上、諏訪組合の建て替え事業はこの時点で廃止しなければならないものでした。しかし井上室長は、マニュアルは単なる行政指針でその通りに従わなくてもよいと言い、逆に、補助金を使った計画を反故にし、円滑化法に根拠のない建て替え事業者選考協議(コンペ)の実施を容認し、補助金の目的外使用による補助金返還を求めませんでした。

諏訪組合は区分所有者の保有する敷地を不動産研究所に不正な減額評価を依頼し、その評価を根拠に捻出した費用を、「区分所有者に1世帯当たり500万円支給する条件」とし、東京建物㈱から組合員に提案させ、建て替え業者に選考されました。選考後、東京建物はリーマンショックを口実に、「500万円の移転補償金の支給放棄」を一方的に通告し、その脅しにより、建て替え業者選考の決め手となった移転補償金の支給をせず、総額32億円を不正着服しました。

区分所有者が混乱に陥っている隙を突いて、諏訪組合は円滑化法の制定関連改正された平成14年建物区分所有法ではなく、改正前の昭和58年建物区分所有法第62条に基づく「建て替え決議」を行い、それが平成14年建物区分所有法による「建て替え決議」と偽って、円滑化法第9条による強制事業を実施できる建て替え組合の認可を受けました。その実態は、井上室長(このときは住宅局審議官)、東京都知事、多摩市長のいずれも諏訪組合が行った「建て替え決議」は平成14年建物区分所有法に違反するものであることを知っていて、または知る立場にいて、違反を幇助したものです。

この不正に対し、「東京都知事(現在は円滑化法が改正されて多摩市長権限となっている。)の円滑化法第9条に基づく認可は円滑化法第12条に定める認可の基準に適合しないから、認可は違反である」と行政不服審査申請を国土交通大臣に行いました。その審査請求に井上室長は、当時審議官という内部決裁する立場にあり、審査請求を審査請求内容を審査せず、法律条文の形式上の理由で却下しました。そこで住宅行政自には自浄機能は働かないので、民主国家の「三権分立」の構成に従い、司法に対し行政の法律違反を審査する行政事件を提訴しました。

行政法知識欠如の裁判官により、機能不全に陥っている行政事件訴訟
行政事件訴訟の結果は不正な行政処分を追認するだけのもので、行政処分を法律を判断基準として裁くものではありませんでした。判決主文に結論が書かれ、続いて原告の訴えの内容と被告の答弁内容が、訴訟当事者の訴状と裁判所に提出された答弁書を要約したものが正しく書かれています。それは裁判所がそのように理解したと言うことではなく、書記官がそれぞれの主張をそのまま書いたものに過ぎません。つまり、裁判官が原告の訴えを理解したわけではないのです。

行政事件訴訟は住民が原告で、裁判所にとって「一見の客」です。原告は裁判費用を支払って訴えているのですから、裁判所は憲法第30条の国民の裁判を受ける権利に答え、原告が納得できる判決でなければなりません。原告の主張を認めない場合には、原告の訴えに対し、法律を根拠に訴えを否定する論拠を示して却下することでなければなりません。しかし、現実に行われている判決は、原告の訴えに法律を根拠に訴えが法律上間違っていることを論証する説明責任を果たす判決は皆無に近いのです。むしろ、原告の主張に触れたがらない判決がほとんどといってよいのです。

裁判所の見解は、裁判所にとって「馴染みの客」である被告(行政庁)の肩を持って、「行政庁の処分どおりで差し支えない。」見解を「原告」VS「被告+裁判官」という「仲裁裁定」を情緒的に示すにとどまり、法律を根拠にして正当性を判断するものは皆無に近い状態です。裁判官が「裁かれるものより一段高い立場から裁く」封建時代の代官と同様の上から目線で司法権を背景に、法律を根拠にせず、裁判官の恣意的な判断をしているとしか考えられません。

裁判官が「俺が法律である」と勘違いしているとしか思えません。裁判官の法廷の指揮は当然ですが、裁判官の判断に異論を差し挟んで納得ある対応を求めると「私が裁判官です。」と言い「裁判官は法律の専門家です。」と言い、原告の意見をさえぎり、その主張を聞こうとしません。裁判官は司法官試験に合格し裁判官として任用されただけで、行政事件で扱う行政法の専門家でもなければ、立法にも施行にも関係した経験のない法律の専門家です。「馴染み客」としての被告である行政庁に不利な裁判をすれば、行政知識が欠如している判事は行政に勝てないことを知っての行政従属の対応です。

裁判官の行政法に関する知識は極めて貧弱で、行政法の内容に立ち入ることに裁判官は慎重で、手続きなど形式論で問題の処理を図ろうとします。裁判官は本案審理に入る前の当事者適格の審査に多くの時間を割きます。原告適格は法律の内容に入らなければ審理出来ないにも拘わらず、恣意的な判断や過去の裁判事例から殆ど無意味としか思えない議論を仕掛けてきます。そして原告を十分疲れさせた挙句、行政事件の対象になっていることの理解が全く出来ないため、法律上の根拠を示さず、馴染み客である「行政庁の処分を正当化した答弁どおりで差し支えない。」と判断をします。

裁判を行っている間に行政処分や不作為は、公定力(行政処分はそれが違法と司法または行政処分がなされるまでは、適法な処分)として、国家権力により守られ事業は進行し、既成事実は積み重なって行きます。裁判官は既成事実を覆すことができるほどの行政法に対する知識もなければ、肝も据わっていません。裁判官が考えることは自分自身の保身です。馴染みの客と2人三脚で裁判事務を進めることが、裁判官が事務を迅速に処理する上で最も有効な方法と考えています。

裁判官の事件処理能力(処理事件件数)が裁判官の業績になり、昇進の途となるという判断が働いています。裁判所の事件に対する判断は、被告である行政庁の答弁どおりでよい。現に行政庁の判断どおりで事業が進み、特段の不都合が起きていないではないか。原告が訴えていることは行政経験のある行政庁の判断と食い違い、むしろ、無理な主張をしているのではないかという見解です。そこには原告が不利益を被って訴えている事実までが無視されることになるのです。

政治家と官僚の利権で国の政治が行われる闇が支配する国
時代の社会経済的背景が政治を大きく動かし、社会は付和雷同する風潮に大きく動かされます。国の政治家はその力を利用して政治目的を実現しようとします。国の政策にすることができれば、政策の実行となり、財政資金を動員できます。わが国は官僚支配の国といわれていますが、それは官僚が国家の予算執行権限を握っているためです。事実、官僚は自分のポケットマネーのように政治家や業界の要求にこたえて、相当規模の国家財政を官僚の自由裁量で配分してきました。

官僚が配分できる財政の大枠は予算法の成立という国会の議決が必要であることから、官僚による政府立法の利権に群がる族議員と官僚の癒着が生まれます。長期的に財政を管理している官僚たちの「村の利益」を拡大するために族議員を使ってその権力を拡大してきました。そして族議員の貢献の程度に応じ、官僚は族議員たちに働きに応じた財政資金を企業に対する補助金や事業利益に見合った政治献金としてキックバックさせることで、官僚の政治支配を可能にしてきました。

官僚機構は外郭団体を含んで財政を背景に企業の利益を拡大する支援をし、関連産業全体への影響力を拡大し、それに連なる官僚全体がOBを含んでうまい飯を食えるようにしてきました。「国民のため」を口にしながら、官僚は「自分自身の利益」を中心に考えている点では、政治家と同じです。実は司法の判事たちも官僚と同じで、自分の昇進を第一に考え、現職で高く昇進した人ほど退職後の仕事が続くという仕組みの中で、大きな政治の流れの中で上手に動く人物が昇進するという司法機構を覆っています。

「法律の番人」と口では言いながら、その行った判決を読む限り、法律を根拠に判決をかいている判事を見つけることがム塚恣意といっても過言ではありません。日本が法治国であることを認識できていないのではないかとさえ考えられる裁判官が殆どです。裁判所に出かけてグ要請事件の判決日の法定を見ていると、何十件の判決は全て被告の行政庁が勝訴です。原告は法律違反の根拠を示して訴えており、法的根拠なく、敗訴を前提に訴えていることはありえません。この事実ほど日本の裁判官が行政の走狗に成り下がっていることを証明しているといって宵と思います。行政に迎合していることに、日本が法治国の体裁を採りながら法律が蹂躙され、法律どおりの行政が行われない理由となっているのです。

NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷英世)



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