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メールマガジン第565号(平成26年6月23日)

掲載日2014 年 6 月 23 日

MM565号ブリュッセル(6月23日)
みなさんこんにちは
「オランダとベルギーの街並みと住宅」の学習研究報告,第8回は、かつて、アフリカの植民地経営で富を得た「ベルギーの首都ブリュッセル」をとおして、グランプラスの建築やパサージュを調査した報告をお送りいたします。

フランドル絵画のメッカを支えたコンゴ植民地経営
ベルギーは15世紀、カール5世の時代には神聖ローマ帝国の中心にあり,近世にはいり、ベルギー国王はアフリカのコンゴの直接経営を行い、やがて国王の権利はベルギー国に移り、ダイアモンドや金をコンゴから、当時北海に面するヨーロッパ最大の港であるアントワープ港に持ち込みました。それをアントワープ、ゲント、ブリュッセルの国内で加工し、国際的に取引をする経営を行い、その富がこの国の国家を潤してきました。その富を使って王侯貴族は教会を建設し、フランドル絵画のスポンサーとして現代私たちが鑑賞している絵画を生み出すことになりました。そのような膨大な絵画の需要にこたえる形でフランドル地方にはペーテル・パウロ・ルーベンス、ピーター・ブリューゲル、ハンス・メムリンク、ギュスタフ・ワッペルスなどの素晴らしい画家を育てられ、イタリアをはじめ絵画の先進地域で絵画を学んだ画家たちをこの地に集めることになり、その画家たちの素晴らしい作品を現代に伝えることになりました。ナポレオンをはじめ多くの権力者はこれらの絵画を収集し、美術館を造り、教会に飾り、その権威を誇ったのです。そのため、その歴史の集積として、ベルギー、中でもブリュッセルにはこれらの美術作品を飾る驚くほど多数の美術館や教会があります。

EU本部のある中心国
ベルギーは面積も人口も小さな国ですが、その歴史を顧みると、中世の神聖ローマ帝国がヨーロッパで最大の力と版図を誇っていた時代からヨーロッパの中心でした。ベルギーはブルージュ、ゲント、アントワープと貿易を中心にした北ヨーロッパの経済の中心地であったところです。米国の世界支配に対し、ヨーロッパの復権を願うヨーロッパの願いは、戦後の経済をリードしたフランスと西ドイツを中心にヨーロッパの経済統合を向けた取り組みとなって進められましたが、その利害対立を乗り越えて統合に向かうためには経済力や政治力のバランスが取れる国が必要でした。その条件を備えている国がベルギーだったのです。1965年にブリュッセル条約が調印され、1967年に欧州諸共同体という1つの枠組みの中に3つの共同体を置くヨーロッパの統合が図られてきました。1973年EEC(欧州経済共同体)はフランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6か国に加えて、イギリス、アイルランド、デンマークが、1981年にはギリシャ、1986年にはスペインとポルトガルが加盟する政治、経済の中心的役割を担ってきました。そして、1998年欧州中央銀行が発足し、翌年単一通貨ユーロが導入され、2004年「欧州憲法条約」に調印されました。これら歴史のなかで、ブリュッセルに現在のEU本部が置かれ、NATO本部が置かれているのです。

北ヨーロッパの中心都市ブリュッセルの地理的な位置
ベルギーはアントワープを国際港とした過去のヨーロッパの貿易経済の発展を反映して、ヨーロッパに道路及び航路ネットワークの中心になっています。そのベルギーの中でもブリュッセルはそのほぼ中心に位置しています。陸路と航路のインフラの上に現代の航空路が重なって、それに情報のネットワークが重なって、全体のネットワークが強化されています。ブリュッセルをその位置を他都市との関係でみると、かつての中世の北海の最大の貿易の中心の経済都市としての栄光を誇ったブリュージュと、ゲントを結ぶ幹線道路の東南方向の延長線と、その後17世紀から近世以降のヨーロッパの北海に面する最大の貿易港となったアントワープから南に延びる幹線とが合流したところ位置しています。ゲント、アントワープ、ブリュッセルは、丁度正三角形の形の頂点に位置しています。私達が住宅、建築、都市を観察する時、都市のこれまでの発展の歴史を知り、この地に根を張って栄えてきた政治・経済と文化の歴史を見ることがなければなりません。それは現在の住宅、建築、都市を知るために必要な知識なのです。

ブリュッセルの都市構造
ブリュッセルには全ヨーロッパと連絡する鉄道網が集中して、7本の鉄道が入っています、ブリュッセルの中心を北東から南西に斜めに通り抜ける鉄道の中央駅は、まさに、この都市の中心に位置しています。ブリュッセル中央駅に南北に1000メートル離れたところには北駅と南駅と、この鉄道と平行に走っている2本の鉄道に囲まれた区域が中心市街地を構成しています。この区域の北西部に観光の中心であるグランプラスを中心にした観光・商業地域があり、東南の方向には王宮や官公庁施設、美術館、教会、公園などがあります。今回の私たちの街並み観光調査は、その中心市街地グランプラスの東西両方に出かけました。ブリュッセルの交通地図を見ますと、中心市街地の外殻を囲む形と市街地の内部を縦横に地下鉄が走り、その中をトラムが網の目のように走っていて、大衆交通機関を利用して街の中のどこにでも行ける交通体系をもっている都市のようです。しかし、ベルギーはフランス語とオランダ語が国語で、英語は一般的ではないようです。掲示されている言葉を読むことも発音することもできないと、せっかくの交通体系がしっかりできていても移動は大変だと思いました。

宿泊した面白いモツアルトホテル
ブリュッセルの中心の観光地はグランプラスです。私達が車椅子で移動するということで、娘がこのグランプラスの裏通りで、グランプラスから徒歩1分のところにホテルを取ってくれました。その取ってくれたホテルがグランプラスを構成する市役所の裏側の途を道なりに南東の方向に行ったところにある「モツアルトホテル」です。このホテルはその名前の通り、モツアルトをテーマにしてデザインしたホテルでした。アラビア風のモザイクときめ細かいモザイクタイルと鏡をと木材にアラベスク模様の彫刻をし、それに彩色し加工を施した壁材と多くの鏡を使うことで広さを感じることができるように内装を施していました。その上で、ホテル全体にわたってモツアルトをテーマにした肖像画や置物や家具装飾品を陳列し、カラフルなタイルと鏡のモザイクタイルとを組み合わせたインテリアでつくられた狭い階段と、小さな部屋が迷路のようにつながっているホテルです。ホテルのインテリア、中でも、廊下や広場の壁は明るいモザイクと、イスラム風の彫刻と色彩の壁でつくられ、別の壁に掛けられた鏡にうまく映るように作られていました。どこもアラブ風の感覚でまとめられている面白い空間のホテルでした。通路のどこにもモツアルトの写真や絵画がかけられていました。ホテルの中央には吹き抜けの空間が、アラビア風のパティオとしてつくられていました。階ごとに床があるというよりも、部屋ごとに階がつくられ、通路が付けられているため、宿泊客は、迷路のような廊下に迷うに違いありません。このホテルの部屋はすべて、迷路のように折れ曲がったアラビヤ風のインテリアでつくられた廊下に面して配置され、部屋ごとの入り口は立派に個性的につくられています。

3次元オープンプランニング:メゾネット空間
部屋に入るとそこには2層のメゾネット空間があり、その隅にある広い吹き抜け空間に造られた狭い階段を使って中二階の寝室に導かれます。その客室自体がメゾネットの空間の高い天井を利用して計画されています。この空間利用の考え方は、3次元のオープンプランニングの考え方で、日本の現代の住宅空間にも利用できると思いました。これまで日本では、屋根裏利用で天井高さ1.4m以上になると床面積算入されるという法律に根拠のない運用がされてきたため、敢えて1.4mの高さの天井がつくられてきました。しかし、屋根裏空間までを一室にし、中間階に寝室空間を設けるならば、全体の吹き抜けのメゾネット空間を1室とし、4メートル以上の天井高さの空間の中間階に寝室利用するため、狭くても吹き抜け空間で広さを感じる面白い空間でした。
ホテルはグランプラスの一本裏の歓楽街に面していたこともあって、夜遅くまでとおりの賑わいは聞こえていました。早朝にも大騒ぎする人の声が聞こえました。ゆっくりとした宿泊をした翌日の朝ごはんは、地階のカラフルなタイルとアラビア風の彫刻がされた壁の化粧がされた変わった雰囲気の空間の食堂でした。空間自体がカラフルで鏡とタイルが光を反射し、変化に富んだ空間である上、テーブルも食器もカラフルな模様であるため、バターとジャムに2種類のパンとコヒーとジュースという質素なコンチネンタルブレックファーストであったにもかかわらず、食事をする空間が明るく変化に富んでいて、豊かな感じのする朝ごはんになっていました。食器や部屋の感じか如何に大切であるかを感じさせられました。

グランプラスの全体計画の見学の前提
最初の日は、モツアルトホテルにチェックインしてから、早速、一番の観光のお目当てであったブランプラスに出かけました。そこにはブリュッセル市庁舎、ギルドハウス、ブリュッセル市立博物館(王の家)、ブラバン公の館で広場の4面が囲われたグランプラスの威容を見学しました。この空間の威容は、広場を3次元空間として構成した全体計画のすごさであると言えます。ヨーロッパの都市空間の考え方は、都市の中心となるグランプラスをどのような空間として計画するかと言う3次元の計画が先にあって、その基本計画(マスタープラン)に合う形で計画通りの建築空間をそこに建築設計指針(アーキテクチュラルガイドライン)に従って、そこに建築するという考え方です。マスタープランがモザイク画の下絵で、個々の建築物がモザイクの石であると考えているのです。しかし、実はその計画の中にこの空間を計画する人の歴史文化に関する思想が加味されることになります。市民広場としてのグランプラスは、市民の誇りであるとか、職業の誇り、政治や経済に関する思いというものが過去からの歴史を振り返るとともに未来に伝える伝統を建築様式として具体化することになるのです。グランプラスには最初にそのグランドデザインがあって造られているのです。そのグランドデザインとは中世のギルド(商工業者組合)が中心となった市民にとっての城砦としての歴史文化軸のある4次元のデザインなのです。
グランパレスに建築された建築物は、全てグランパレスの一部の構成要素に吸収されるもので、グランパレスと切り離して、個別の建築物だけを評価することには意味がないのです。全てグランパレスの一部のデザイン、機能、性能を担っているのです。現代においても、不動産として登録するとき、グランパレスと切り離して、グランプラスを構成する建築物を登録することは法律上もできません。グランプラスを構成する土地の一部に吸収される建築物です。また、グランパレスにとって、この建築物を切り離して広場だけを評価することはありません。グランパレスそのものの不動産としてここに建てられている建築物が構成要素になっているのです。

グランパレスの構成要素である建築物
このグランプラスの中庭には2年に一度、8月にはフラワーカーペッテットで飾られることでも知られています。グランプラスのグランドデザインに合う形でフラワーカーペットが作られ、世界の人たちを魅了していますが、それはグランパレスで開催されるからであって、その晴れ舞台の構成と演出はこの広場の設計とそれを構成している建築群全体でできているのです。そのため、街づくりの仕事に関係する人たちはグランプラスを見るとき、プロデューサーの立場にたってこの空間を鑑賞し、そのノウハウを学ぶことが必要です。以下に、グランプラスを構成するグランプラスの4面を構成する建築物の観光案内を参考にして説明します。

ブリュッセル市庁舎(南西面)
グランパレスの空間デザインの中で、その性格付けを指導している建築物はブリュッセル市庁舎です。この市庁舎はブリュッセル市の市民の中心となる建築物で、それを象徴する市民の誇りとなる建築物として、市の政治行政の事務を集中管理できる高密度建築として建てられています。この市庁舎自体が歴史的にも、外敵の攻撃に耐える能力を持つ「城」として、中庭を持つグランプラスの中で飛びぬけて豪華な高い塔のある高層建築物として建てられたものです。この建築物は市民の誇りであるように華やかさを表現したフランボワイアンゴシック様式と呼ばれる派手なゴシック様式の建築物です。この建築物の中央にそびえる96メートルの塔は、外敵の侵入を警戒する働きをもった「物見の塔」で、その頂上には守護天使ミカエルの像が輝いています。この市役所は1見、左右対称の建築物のように見えますが、よく見ると中央の塔の両側でまったく違ったデザインのファサードを持っていることがわかりました。完全に左右で建築物のデザインが違っているにもかかわらず、対称形に造られた建築物ではないかと勘違いするほど、全体の建築物のデザインの構想自体が優れていることは、大きな驚きでした。この建築物は、その建築ディテールまで非常に繊細な気を使った建築物であることを知らされました。なんといっても建築物のデザインの重点は、屋根の大きさと形のデザインです。この建築物の屋根が、巨大な塔と並んで、この市役所の存在感を高める最大のデザイン要素になっています。ギュスターブ・ワッペルスの描いた絵画『1830年9月の出来事』はまさにオランダの攻撃に合って、ベルギ-がその独立を守るために武装蜂起したときの絵画で、その中にこの市庁舎が市民の砦の象徴として描かれています。

ベルギービール博物館(南東面)
視聴者の建築物と同じ並びですがグランプラスに入る大きな道路を挟んで立っている建築物です。歴史的にはギルドハウスですギルドハウスの真ん中にあるが、「黄金の木」と呼ばれ、建築物の地下に18世紀のビールの醸造の様子をつてエルベルギービールの博物館になってい手、18世紀のビールの醸造の様子が見学できるようになっています。この建築物も1695年フランス軍に破壊されましたが間もなく再建されました。ここのビアカフェーでビールを楽しむこともできます。

ブリュッセル市立博物館「王の家」(北東面)
市役所の向かいにあるブリュッセル市立博物館「王の家」は、1536年建設された石造の繊細な彫物と銅の彫刻飾りを使ったレースで作られた建築物です。「王の家」と呼ばれている現在のブリュッセル市立博物館は、スペインハプスブルグ家の支配時代にスペイン成長として利用された建築物です。新教徒を監禁する牢獄として使われていたこともあります。1872年に再建された後期ゴシック様式の建築物です。豪華な飾りで建築物全体が飾られています。

プラバン公の館(南東面)
ギルドハウスの正面で、ブリュッセル市役所の右手にあるブラバン公の館は、フランドル様式この建築物で、1698年にボロック様式で建設された建築物を1882年に再建したものです。現在はホテルとレストランとして使われていますが、もともとは6軒のギルドハウスです。金箔をあしらった豪華なファサードの2階部分に歴代ブラバン公19人の胸像が飾られています。ファサード中央上部のぺディメントの飾りは、車に乗ったブラバン公の豪華な飾りで、全体の建築物がひとつの建築物に見えるが内部は、6つの部分(館名:財産、運命、風車、錦の壷、丘、財布)に分かれています。

ギルドハウス(職人組合の家)(北西面)
市庁舎の左手に7軒のギルドハウスで構成される建築はそれぞれの棟飾りと壁飾りによってギルド(同業組合)の特色を現しています。右から、ギルドハウスの名称、「スペイン王」(パン職人:壁飾りとして、18世紀はじめまでベルギーを支配したスペイン王・シャルル2世の胸像と、入り口の軒部分にはパン職人の守護神サン・オペール司教の胸像)、「手押し」2軒(油性職人:棟飾りは、油職人の守護神・サン・ジルの立像と隣の胸には地球儀)、「袋」(家具・たる職人、壁にある4つの胸像は、真実、嘘、反目、平和を象徴)、「狼」(射手の棟飾りにはフェニックス)「角笛」(船頭)、「狐」(小間物や)、「星」(地方行政間の邸宅)が飾られています。その他の建築でギルドハウスを含めると全体で約40軒になります。

ブリュッセルに中心市街地散策
そグランプラスの見学の後、ブリュッセル市庁舎の裏にある1619年に建設された小便小僧を見に行きました。小便小僧は、「フランス軍を放尿によって追い払った」故事に倣って建てられたものです。この小便小僧は1745年に英国に盗まれ、無事に戻りましたが2年後にフランスに奪われました。しかし、ルイ15世からお詫びに金の上着をプレゼントされて以来、世界中から760着以上の上着をプレゼントされています。小便小僧と対照の女子版(ジャンネケ・ビス:小便小娘)が小便小僧とグランプラスを挟んで反対側のイロ・サクレ地区に建設されました。小便小娘は、1987年ガン・エイズ撲滅運動の象徴としてつくられ、現在は厳重に囲いがつくられていました。グランプラスの北側の小便小娘の見学と合わせて「レストラン街」と立派なパサージュを見学して回りました。

パサージュとレストラン街:イロ・サクレ地区
グランプラスの北側にあるイロ・サクレ地区は、レストラン街としてヨーロッパきってのレストラン街で、「ブリュッセルの胃袋」と呼ばれているところです。驚くほど多数のレストランが見渡す限りの広がりで広がっていて、それが夕方になると足の踏み場もないほどに賑わっていました。また、この地区と隣接して1846年から1847年にかけて建設されたギャルリー・サン・テゥベールとよばれる、パサージュがあります。ヨーロッパ最古のパサージュの一つでネオクラシック様式とネオイタリア様式とからつくられています。パサージュは中心に総延長213mパサージュが続き途中に枝分かれする「女王」「王」「王子」の名前のついたパサージュでした。いずれのパサージュも高さ18m、4階ほどもある高いガラス天井と幅員12mもの道幅があり、50件ほどの高級店、老舗、レストランが軒を連ね、その店舗の上階は約100戸のアパートが建てられていました。大きいものであることに驚かされました。

王宮前のロイヤル広場から最高裁判所(レジェンス通り)
グランプラスの裏通りにあるモツアルトホテルを出てからベルギー王宮の前を通って、その前にあるブリュッセル公園と、その公園を挟んで王宮の反対側にある国会議事堂を回って、再び王宮前のロワイヤル広場に戻りました。そこから南西に延びる幹線道路レジェンス通りを通って、その道路の先に見える巨大は建築物を目指しました。その巨大な建築物が最高裁判所でしたが、その沿道には今回の訪問場所である王立美術館、ノートルダム・デゥ・サブロン教会、プチサブロンまでの中心街の道をドライブしました。ベルギー王立美術館の開館まで小一時間余裕がありましたので、ロワイヤル広場方、プチサロンまで車椅子で戻り、公園を散策しました。
プチサロンは1890年に造られた黒い鉄格子で囲まれた公園で、樹木ら一杯の公園の中には学者や人文学者や圧政に抵抗した貴族などの48のブロンズ像が立っています。プチサロンの道路を隔てた向かい側にノートルダム寺院があります。そこでノートルダム・デゥ・サブロン教会に立ち寄りより、1436年ゴシック様式でたてられた教会の内部のステンドグラスや屋内空間を見学しました。ノートルダム寺院のを見てから、その裏手に当たる隣接した敷地に立っているベルギー王立美術館に行きました。

ベルギー王立美術館
王立美術館は4つの展覧会(オールドマスターズ美術館、マグリット美術館、世紀末美術館、現代美術館)を開催していましたが、そのうちのひとつのオールドマスターズ美術館(古典美術館)の展示会を見てきました。フランス第1共和制下の1795年、ベルギーが革命後間もないフランス共和国に併合されていた時代に宮殿や教会や修道院から没収した美術品が合付けられ、パリのルーブルに持ち去られましたが、1815年ナポレオンがワーテルローの戦いで敗北しルーベンスの作品をはじめ多くのフランダースの名作がそのコレクションを取り戻したのがこの美術館の始まりです。1830年ベルギー独立後国がブリュッセル市からコレクションを買い取り王立美術館として生まれ変わりました。展示された絵画はピーター・ブリューゲルや、ハンス・メムリンク、ピーター・ルーベンス、アントーン・ファン・ダイク、ヨルダーンス、ジャック・ルイ・ダビッドなどの絵画を鑑賞することができました。
ブリュッセルの街中散策の途中でヴィクトル・オルタの設計によるアール・ヌー・ボー様式の建築で有名な「MIM・楽器博物館」を町並み見学の途中で偶然に見学しました。ブリュッセルにはヴィクトル・オルタの自宅兼作業所があり、鉄鋼つとガラスの2重屋根・天井の建築物がありますが、そこを今回は見学しませんでした。この建築は、1899年に立てられた鉄とガラスの曲線で建物全体が軽く踊っているような躍動感を感じさせる建築でした。

次回は、「アントワープ」をご紹介することにします。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷 英世)



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