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HICPMメールマガジン第567号(平成26年7月7日)

掲載日2014 年 7 月 7 日

MM第567号(平成26年7月7日)
みなさんこんにちは
「オランダとベルギーの街並みと住宅」の学習研究報告,第9回は、フランダースの犬のネロとパトラーシュと「ルーベンスの絵画とノートルダム大聖堂で知られるアントワープ」で有名な歴史街を散策し、「列車の大聖堂」の建築や「ルーベンスの4大傑作」や「マークト広場」や美術館巡りをしながら見学した街並み調査報告をお送りいたします。

北海の最大の貿易都市アントワープ
アントワープの町は河川の河口に位置する交易の要衝として、紀元2世紀まで歴史をさかのぼることができる町です。アントワープはその地理的な優位性を背景に繁栄をつづけ、近世に入って、ここでは第7回オリンピックが開催されたほか、3回の万国博覧会も開催された都市です。ベルギーの中世の繁栄のブルージュと双璧となったゲントを通って北海に流れるベルギー最大の河川スヘルデ河は北海からの巨大な商船や貨物船が進入できる国産港湾になっています。べルギーでは15世紀にブルージュの貿易が突然不能になり衰退してから、アントワープが北海で最大の港湾都市となり、世界最大のダイアモンド取引の盛んな街です。貿易・経済の中心は、北海での貿易の中心がブルージュからアントワープに移り、長いスヘルデ河の河岸が何キロメートルにもわたり国際貿易に船舶の停泊できる港湾施設になっています。

ベルギーダイアモンドとスヘルデ河の港湾施設
16世紀にはベルギーによるアフリカのコンゴの植民地支配に伴うダイアモンドや金の取引が、アントワープが北海に面する最大の港になり、かつ、アントワープがダイアモンドの加工技術で飛び抜けて優れていたことがダイアモンドの付加価値を高めたこともあって、アントワープをダイアモンドの世界最大の市場にしたといわれています。かつては、インドやアフリカのコンゴなどダイアモンドがこのアントワープの港に陸揚げされ、ベルギーダイアモンドとして加工され、取引されてきました。現在「駅舎の大聖堂」とよばれているアントワープ中央駅の慢性に軒を並べてダイアモンドの店舗が並んでいるのは、ベルギーのアフリカ植民地経営に基礎を置いてダイアモンドの世界市場であり続けてきた歴史を伝えているものです。アントワープは、一時アムステルダムにユダヤ人が移動した時代もありますが、ユダヤ人商人の手でダイアモンド取引に関して、世界で最大の取引中心地となってきました。
アントワープはスへルデ河という国際港湾岸壁に沿って建設されていて、私たちが泊まったホテルの隣にはコンゴとの取引をしていたと思われる商会の大きな建築物が立っていました。スヘルデ河はアントワープの南から北に向かって流れ、その市街地と平行に流れているスヘルデ河川の港湾の貿易施設が立ち並んでいます。スヘルデ河と並行して走る幹線道路(同一道路で名称が南から北に向けて、セントミシェルスカイ通り、プランチンカアイエメスとバント通り、ジョルダンスカアイ通りと変化する)とスヘルデ河の間の幅員100メートルくらいの広い帯状の地域に河岸沿いに港湾施設がつくられています。そこに並行して、貿易をしていた当時からの貿易商社の建物や倉庫もたくさん立っています。

アントワープの中心市街地と散策した区域
アントワープの市街地はスヘルデ河から東の地域、アントワープ市役所のあるマルクト広場、とそれに隣接する「フランダースの犬」に登場するノートルダム大聖堂、その南にルーベンスの銅像が立っているグルン広場というアントワープの中心となる観光地があります。そこから東に位置するカルロス・ボロメウス教会、キャビネットミュージアムがあります。このアントワープの西側に対し、東側には、「鉄道駅の大聖堂」ともよばれるアントワープ中央駅があり、その東西の幅に市街地が南北に開けております。このアントワープ中央駅は4方向から眺められる独立したランドマーク建築物です。4法にそれぞれ違った優雅なファサードを持つ建築物です。
私たちが宿泊したステルッヒジヒトに近接してプランタン・モンテゥスの家屋、工房、印刷博物館が石畳の惹かれたコモンを囲んであり、歴史的な街が残っていました。その東西の中央部分の南に、「ルーベンスの家」、マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館、プーラ劇場、植物園、ベルギー国立銀行の面する中央を南北に走る大幹線並木道(ブールバール:アメリカレイ通り、エランクリジックレイ通り)あたりまでを3日間で歩きました。

金色のフェスティバルホール
この中央駅の近くのアントワープの中央駅の正面から西に直行する目抜き通り・メイール通り沿いには、1907年に建築士アレックス・ファン・メシェレンによって設計されたネオクラシカルなインテリアが金色のドーム天井の3階建て吹き抜けのフェスティバル・ホール(シュタッツ・フェスと・ザール)が、アントワープ中央駅にも勝る迫力のある建築物として堂々と建っています。この建築物は一般市民に開放された建築物として注目を浴びていました。
この建築物は、建築後100年経過し2007年に現在のフェスティバルホールにリモデリングされたもので、昔はお金持ちたちのいわゆるハイソサイティたちがダンスをしたりする社交場が庶民の夢の空間に変身した建築物ですが、その現在の空間の豪華さは驚きです。その金色のフェスティバルホールは、1階は全体が一つの大きなホールになっていてそこにドーム屋根がかけられていました。その2階部分にホールに面して回廊が一部オー版ハングする形でホールを一周する形で作られています。その回廊に面してオープンカフェーやレストランが作られ、驚くほど豪華な雰囲気を市民に提供していました。屋根から採光を豊かに取り入れたインテリアをシリンダー型の黄金の内装をしたドーム天井がかけられ、その天井が天窓で覆われていました。金色の装飾で飾って3階分吹き抜けの開放型のスタッツ・フェスト・ザールは、その1階部分の吹き抜け大空間を使って、様々な催し物や、町のお祭り広場として利用される空間でした。そこのオープンカフェーで昼食をとりましたが、吹き抜け空間となっている広場を眺めながらの空間は、非常に開放的であるだけではなく、非日常的な夢を感じさせる空間でした。

アニメ「フランダースの犬」の舞台:大聖堂広場
アントワープの訪問は、日本では「フランダースの犬」の物語で知られていますので、その現地の様子を見学することにありました。アントワープはルーベンスの絵画でも有名であることから街中の見学は、最初に、町の中心にある「ルーベンスの家」まで足を伸ばした。しかし、「ルーベンスの家」の労働者のストライキで内部の見学はできませんでした。そこで「ルーベンスの家」は翌日見学することにして、アントワープの町の中心街の街並み見学をしながら、「ネロとパトラッシュ」の名作アニメーション「フランダースの犬」の舞台となったノートルダム大聖堂を見学しました。内部は閉館まで15分で見学時間の余裕がなく、翌日見学することにして外観中心に見学しました。ネロが大聖堂の中のルーベンスの名画を観たくても、入場料を支払うことができなかったため見られませんでした。私たちはその入場料を支払っても15分しか名画を見られないのはもったいないので当日の入場を止め、翌日にしました。
大聖堂は左右違った形と高さ123メートルのゴシック様式でつくられた塔が、大きなステンドグラスが嵌められた大きな2層のアーチの上に切妻の小屋組みが載った塔を両側から挟む形で非対称に立っていました。この2つの鐘楼の塔は、当初の計画では同じ形の塔が対称形に建てられる計画でしたが、建設予算が不足して現在のような形になったという説明でした。この大聖堂は、1352年に着工されてから169年もかけて作られたネーデルランド地方最大の塔です。
この聖堂広場の聖堂の前には、トヨタ自動車が寄付をしたネロとパトラーシュの「フランダースの犬」(アニメ漫画)の記念碑(平板に絵が描かれていました。)がありました。このガラス製の大きな台の中に「フランダースの犬」からの現代社会へのメッセージが書かれていましたが、私は、どこか馴染めないものを感じました。「ここがフランダースの犬の物語の名画の飾ってある教会です」、または「ネロがパトラーシュと教会を眺めていた場所です」と書いた記念碑の方が、観光客は時空間を越えてネロの気持ちになれたのではないかと思います。街並み空間は4次元の空間で、時空間を越えて追体験できる空間とすることが大切です。教訓を伝えることではありません。翌日「フランダースの犬の村(ホーボーケン)に出かけることにしました。

マルクト広場とギルドハウスの街並み景観
大聖堂広場に隣接して建物全体に旗が立てられている1561-1565年に建てられた大きな屋根裏空間を持つ4階建ての建築物の上に、さらに2階の塔屋を持つ市役所の大きな建築物を囲んでとギルドの家が立ち並ぶマルクト広場がありました。その広場の中心に市役所に面して「ブラボーの噴水」がありました。ブラボーとはローマ軍の隊長で、巨人アンティゴンの手を切ってスヘルデ河に投げ込んだ故事に因んでアントワープ(ハンド・ワルペン:手を投げる)という市名がつけられた由来を説明するためにつくられた彫像です。1561-64年に建築された市役所はベルギー最大のルネサンス様式の建築物です。この建築物の1階の扉は、マルクト広場に出店の権利を持つ店舗の扉の代替できるものとして取り付けられました。市役所には世界からこの地に観光する人たちに敬意を表して建築物全体を取り囲むように万国旗が掲げられていました。市役所建築自体優れたデザインであるだけではなく解説書によるとそのインテリアが優れているとのことでした。ぜひ見学したいと思いましたが、午後6時を超していたので見学はできませんでした。この市役所の建築はフランドル・ルネサンス様式と呼ばれ繊細なディテールがその様式の特色になっています。そこでこの日は市役所を囲むマルクト広場のまわりに立ち並ぶ豪華な個性豊かなギルドハウスを見学しました。建てられていたギルドハウスは、いずれもすべて隣地境界線に接して隙間なく建てられています。建築物の大きさは略似たように見えますが、個々のギルドハウスのデザインは各建築物とも全く違ったデザイン構成と詳細部分の装飾は全く違ったデザインを使ってで建てられていました。そこでいて並び合う建築相互は調和するとともに、その集団としてまとまりのある存在感を発揮していました。このようなことは、マルクト広場全体のマスタープランがしっかり作られ、それに合わせたアーキテクチュラルガイドラインが存在しない限り不可能なことです。

アントワープの街並み散策
マルクト広場の北東に続く道を眺めると、そこからバロック様式で造られた3階建ての大理石で作られたカルロス・ポロメウス教会が目に入りましたので、その境界を目指して町並みを見ながら散策しました。通りのあちこちには店舗があり、そこには人々が三々五々寛いでいました。夕方で食事時間には少し早いようですが、5月の暖かい気候と昼間時間が長くなったことを楽しんでいるようでした。街並み全体が歴史を感じさせるため、人びとも歴史の中で生活を楽しんでいるように思えました。この教会は左右対称形でペディメントに聖母がキリストを抱いている彫像が彫られるとともに各階の中心の壁の両袖の壁にはそれぞれ一対の肖像画壁の中央にはめ込まれています。ファサード全体が彫刻作品です。人びとの生活空間が歴史空間の中で営まれているという印象を受けました。街並み見学でいろいろ感じることもあり満足したので、その日は見学を終えてホテルに帰ることにしました。宿泊していたホテルがスヘルデ河の近くにあったので、そこからまずスヘルデ河を目指して河川(西)に向かい、河川沿いに南下し、一旦ホテルまで戻りました。その後、ホテルの位置と町の地形を確認してから、昼が長くなっているため、ホテルの周りの屋外にも多くの人が夕暮れを楽しんでいるようでしたので、車椅子で夕暮れの街並み散策をしました。夜遅くなっても明るく観光客でにぎわっていました。人でごった返すマルクト広場に戻り、広場に突き出した屋外レストランで、夜店の雑踏とギルドハウスの街並み景観を楽しみながら、ムール貝とサラダをたのみ夕食をとりました。

「フランダースの犬」の村「ホーボーケン」に向けて
朝食事前に、朝靄のたっているスへルデ河沿岸を散歩しました。そこは国際貿易の岸壁になっていて、国際貨物を陸揚げする埠頭になっていました。川岸のどこまでも続く岸壁は、まさに国際貿易港でした。少しの時間岸壁沿いの道を散歩して宿に戻りましたが、ここを歩いている限り、国際港を歩いているとスヘルデ河は、その沿岸にどこまで埠頭が続き、大きな海港の感じを受けました。そこに面して倉庫や事務所が軒を連ねていました。港の発展にあわせて開発されたことを創造させる時代の違った建築デザインの建築物を見ることができました。
朝食後、「フランダースの犬」の村・ホーボ-ケンに出かけました。駅の近くの人にフランダースの犬」の銅像の場所を聞くと、「フランダースの犬」のことはこの土地でも結構よく知られていてすぐ教えてくれました。「フランダースの犬」の銅像は、郊外電車のホーボーケン駅の近くの小さな通りにありました。その銅像は予想していたより大きなものでしたが、モダンなガラス窓の大きいビルの前に立っていて、アニメの雰囲気は全く演出されていませんでした。そこから数分のところに村の教会がありました。この小さな教会には大きくはないがまとまりのある広場を持った敷地に建築されていて、もし、この銅像がここに建っていたら、もっと見学者の想像を豊かにすることができてよかったのではないかと思われました。その見学を終わってから、ホーボ-ケンから、アントワープ中央駅に直行しました。

「列車の大聖堂」アントワープ中央駅
アントワープ中央駅はネオバロック様式の建築物で、1895-1905年に建設された駅舎です。高さ44メートル長さ185メートルの左右対称形の西側正面には1対のキューポラを円形屋根の上に載せた塔を持ち、その中央には4面に半円形のバラ窓のドーム型の塔屋を持った4階建ての鋼鉄製の建築物です。世界で最も美しい駅舎といわれる建築物の傑作で、「列車の大聖堂」とも呼ばれています。この駅舎は基本的に西向きに走る中央幹線道路メイール通りに面して建てられていますが、南からの鉄道のターミナルになっていて、北からは2本の道路が駅舎に突き当たるように取り付けられているため、3方向からアプローチできます。そのほか、東には動物園があり、そこから前面が見えるため、4方向すべてに対しファサードが作られています。アントワープ中央駅は1998ー2007年トンネル工事の大改装で国際高速列車タリスの発着駅となっています。その外側から見た4面のファサードも、ランドマークタワーとして、いずれも駅舎としての表の顔を示しています。駅舎の中の広場から見た4面の内部のインテリアも、それぞれ違った豪華な内装がされ、「列車の大聖堂」という呼び名はふさわしいと思いました。駅に向かう4つの道には、正面の道とは別にそれぞれ個性がありますが、そのひとつは、緑の樹木が並ぶプロムナードで、そこにはレストランやカフェーが軒を連ねていました。このアントワープ中央駅の南西にダイヤモンドの店舗が集中して立地しています。

ノートルダム大聖堂
昼食後アントワープノートルダム寺院の大聖堂の内部の見学をしました。大聖堂の中にはルーベンスの名作が、三連作としてつくられた聖母マリアの昇天の図の『聖母被昇天』キリストが十字架に架けられるときの『キリスト磔刑図』、と、降ろされるときの『キリスト降架』と、もう一つ独立して飾られた復活してからの姿『キリスト復活』と4枚飾られていました。「フランダースの犬」でネロはルーベンスの名画を見たかったのですがお金がなくて教会に入ってみることができなかったのです。そして愛犬パトラーシュとともに名画を見る夢を見ながら昇天したというアニメーションの物語です。ノートルダム大聖堂の飾られているステンドグラスはいずれも非常に大きな色彩のすばらしいもので、ダイナミックの構図と色彩を持った絵画の美しさには感銘しました。ここには日本人の絵画鑑賞集団が何組か訪問し熱心に専門家から絵画の解説を聞いていました。実際のかけられた絵画を見ながらの解説は、絵の見る位置や、光の当たり方など、絵画の裏にある物語などを聴くと、本を読んで理解するのと違った感激を受けるに違いありません。
今日は5月1日のメーデーでベルギーは国を挙げての休日です大聖堂広場の隣の市庁舎が建っているマルクト広場は立錐の余地ないほど人だかりがしていて、楽しい音楽に合わせて広場は盛り上がっていました。市役所の建築も中には入ることはできませんでした。そこで翌日の見学に下準備にアントワープの町を散策しました。特に市内の道路はすべて曲折し、平行な道はないため、とても道に迷いやすくなっていました。明日は昨日見ることができなかった「ルーベンスの家」を見るため、道に迷うことがないようにしない散策をしました。

「ルーベンスの家」の見学
朝9時に市役所がオープンすると思って出かけましたが、展示は10時から開館でしたので、混雑して待ち時間の無駄をしないようにと、「ルーベンスの家」に先に行こうと出かけました。マルクト広場から大聖堂広場を横切ってペーテル・パウロ・ルーベンスの立像のあるグルン広場を横切ってアントワープを東西に走るアントワープ中央駅に連なるメイール通りを東に向かいました。途中でトラムの通りから離れ、少し西に行くと右手に噴水のある公園並木通りがあります。そこからバロック風の3階建ての「ルーベンスの家」の大邸宅とアトリエが一つになった現在の美術館が見えます。開館より少し早く到着したので、「ルーベンスの家」の向かいに中庭のある事務所兼店舗の面白い空間で会館までの時間を過ごし、会館と同時に「ルーベンスの家」に入りました。
「ルーベンスの家」はルーベンスが8年間のイタリア滞在を終えて帰国したとき購入した邸宅を、ルネサンス・バロック様式の自宅兼アトリエとして改装したものです。このアトリエは邸宅の右手にイタリアの強い影響を受けたコーニスと1,2階の窓をアーチのペディメントを取り入れた額縁でデザイン的につなぎ、3階の矩形の窓と組み合わせた窓を5列並べる繰り返しのデザインの建築物で、その構造は砂岩の組積造で作られたものです。ルーベンスの家に入るとバロック様式でつくられた豪華な柱廊が続き中庭にまで続いています。中庭の左側には古いフランドル様式のファサードがあります。このルーベンスの家は1937年アントワープ市が購入し、美術館として現在に至っています。建築物の空間と調和していろいろな絵画が部屋ごとに展示されていて、絵画の展示空間を楽しむことができました。絵画に触れるほど近くで絵画を鑑賞できるだけではなく、写真も接写に近い形で撮影できました。そのため、詳細を美優と近づきすぎて、つい警報を鳴らせてしまうこともありました。ルーベンスやその同時代の絵画がたくさん展示されていて、その絵画の量と質のいずれにも驚かされました。ルーベンスの家には中庭があり質素ですが、内容お思い絵画を鑑賞した後ではほっとできる庭でした。

マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館とマーグデンフス
ルーベンスに家を見学してから南に行き着きあたった通りを西に進みますとその通りの角に建物の正面の屋根に人物の彫像が並んだプーラ劇場がありました。建築物として非常にオープンな感じのするプーラ劇場です。この角をさらに西に進みトラムの通りに出てから、このトラムの線路沿いに南に進むと左手にマイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館があります。そこでマイヤー・ファン・デル・ベルグ美術館を訪問しました。この美術館建築は、1階部分を2階の窓下までを一つのアーチのある額縁でデザインした窓を玄関も含め5連続の繰り返しデザインとしたリズム(ダイナミック)な感じのする美しい建築でした。内部には『イエスの胸にもたれて休むヨセフ』の彫像や、14世紀の『マリアの受胎告知』のステンドグラスなど、100年ほど前の美術収集家の絵画、彫刻、タペストリーなど貴重なコレクションを鑑賞しました。
この美術館はルーベンスの家とタイアップしていた美術館は、割引入場料で見学できました。この美術館はフィリップ・ファン・デル・ベルグの母が死んだ息子の絵画コレクションを展示するためにこの美術館を建設し展示したものでした。「ルーベンスの家」で見た絵画とこの美術館で見ている絵画とは、描かれた時代が同じか近いこともあって、私にはその区別をすることができなく混乱して見てしまいましたが、このような水準の高い絵画をこれほど近い位置で、見学者が少なくがらがらに空いた美術館の中で内容の高度な美術品をみられる環境には驚きました。
マイヤー・ファン・デン・ベルグ美術館の並びのマーグデンフス美術館は、その昔、看護婦の養成の医療救護院であったところを美術館にしているところでした。その絵画の一部はその医療環境のために掲示された絵画も含まれていました。宗教関係の絵画が多く、医療と宗教との関係も伝わってきました。キリスト教という宗教が宗教画を通して、如何にベルギーの人々の生活に深く関係していたかを知ることができました。

ゴールデン・キャビネット美術館
この美術館を見てから大聖堂前広場に戻り、昼食をとり、市役所を見学することにしました。しかし、今回も市役所に入ることはできませんでした。朝見た市役所の壁に掲示してあった案内は、市役所の一部で開催している戦争関係展示案内で、市役所を見せる案内ではありませんでした。「市役所は職員の労働の場であるから」といって、一般には公開していないということでした。「どうしても市役所建築物見学したい」と言ったところ、「インフォメーションセンターにいって聞いてみてご覧なさい」と言われ出かけました。しかし、答えは同じでした。そこでのインフォメーションで、新たに美術館の名前がゴールデンキャビネットで興味深い絵画展が行われていることを見つけ出し、出かけました。その場所は市役所の北東に位置していましたが、道路自体が迷路のようになっていて、道に迷いながらその美術館にたどり着きました。美術館自体、中庭を囲んだ味のある建築物で先に見た2つの美術館と同じ時代の絵画がたくさん展示してありました。
一日にアントワープの市内にある4つの美術館の梯子をしたわけです。あまりにも高い水準の美術を十分租借することなく見て歩くもったいない絵画見学でした。これらの美術館を梯子する間に歴史の感じられる街並みを楽しみました。同じように見える街並みも通りごとに違った個性的な景観をもっていて、何度もアントワープの町を行き来している間に、どのあたりの街を歩いているかの雰囲気を理解できるようになり、道に迷わないで歩けるようになりました。アントワープの街並にはトラムの通る街、自動車が通る街、歩行者しか歩かない街など多種類の街がありました。どの街にも人々が楽しめる空間がさまざまな形で用意されていました。アントワープの人たちも、それぞれの町の雰囲気に「わが街」という帰属意識を感じていることと思いました。

アントワープの街並み散歩
「ルーベンスの家」、マイアー・ファン・デン・ベルグ美術館、プランタン・モレツスの家屋工房・印刷美術館、植物園、ベルギー国立銀行などを見て回り、最後のルーベンスの像が建っているグルン広場で写真を撮ってから大聖堂広場で夕食を取って帰路につきました。アントワープの町はかつて北海に面する北ヨーロッパで最も栄えた都市にふさわしく豪華なバロック様式の建築が王宮も含んで沢山あります。また中世からギルドがそれぞれの職能を誇って建築したギルドハウスはすべてそのデザインは違っているにもかかわらず、ギルドハウスとしてつくられた街並みはとても魅力のあるダイナミックなファサードを持った街並みを見せてくれます。切妻(ゲーブル)屋根の切妻・破風飾り、胸飾りは、それぞれの個性を主張するもので、すべての建築後と違っています。しかし、その違いがあるにもかかわらず、お互いにデザインが相乗効果を発揮し、街並みとして魅力的なスカイラインを形成しています。建物ごとに階高も揃っていません。当然建築物ごとの高さもバラバラです。それにもかかわらず、美しい町並みを形成している理由は、すべての建築がその設計をするにあたって隣接する建築物と調和したファサードを採用することで、相乗効果の美しさが生まれていると思います。日本の建築設計のように隣接の建築物と対立し、相手を貶めることで自己の建築を目立つようにする「差別化」のデザイン(相手と違うデザインとすることで相手より優れていると主張すること)で街並み経過冠を悪くしている日本の建築デザインとは両極にあると言ってよいと思います。この一日の市内散策でアントワープの街歩きがとても楽しく、庶民的で活気のある中心市街地の雰囲気は何とか理解できた気がいたします。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷 英世)



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