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メールマガジン第572号(2014年8月10日)

掲載日2014 年 8 月 7 日

みなさんこんにちは、お盆休み(8月9日~17日)が始まります。少し早めになりますがメールをお送りします

1.H&H(ホーム・アンド・ハウジング)(第2回)MM第572号(2014年8月11日)
人文科学(ヒューマニテイ)としての住宅・建築・都市学
「空間づくり」と「物づくり」の違い

人間にとって豊かさを感じることのできる住宅・建築・都市空間をつくり経営管理する学問が建築学である。住宅・建築・都市が人々に提供する効用は、デザイン(意匠)、機能(利便性)、性能(安全衛生性)である。それらは物と職人の技術を使ってつくられるが、その造られた場所や使われ方によって同じ材料や工法でつくられた構造物(建築物)の寿命は同じではない。都市施設や建築物を「もの」としてつくり、維持管理をする学問や技術は工学(エンジニアリング)によるが、空間自身をどのような歴史文化を反映したデザインにするか、人びとがその空間に対しどのように帰属意識を感じ利用するかは、利用する人間と空間との関係を扱う人文科学である。住宅・建築・都市を人間がどのように活用するかが住宅・建築・都市の学問の中心に置かれるべきである。住宅・建築・都市を利用する人にとって最も大切な役割は、その空間が利用者にとっての使用価値(デザイン、機能、性能)を持っていることである。建築主は、機能や性能は設計条件として提示し、確実につくらせることができる。しかし、デザインはその土地柄と生活者の空間要求に応えて設計者の創意工夫によるもので、土地柄や周辺環境及び利用者のラフスタイルや文化的嗜好を組み合わせた人文科学的(ヒューマニティ)デザインとしてつくられる。特に、住宅や建築は、空間の形や意匠が利用者の嗜好に合い、利用者にとって大切な宝と感じる帰属意識を感じる空間であることが重要である。そのような感情を生み出す要素がデザインである。

建築デザインは建築空間の性格を決める鍵
明治時代は日本が欧米と肩を並べることのできる誇りの持てる国づくりをしようと願っていた。欧米列強も近代国家のデザインとしてそれぞれの国家の歴史の上にルネッサンス様式を採用した。そのようなデザイン教育を明治政府は重要と考えた。明治政府がルネッサンス様式のデザインをつくることのできる建築家の養成のために、欧米に倣った人文科学(ヒューマニティ)としての建築学教育を実施すべく、当時世界で最も優秀な建築家と評価されていたジョサイア・コンダ―を現在の東京大学教授にお雇い外国人教師として招聘した。それは欧米の近代国家は、例外なくルネッサンスデザインの建築を建てることにより、近代国家の空間をつくっていたからである。
日本人大工は欧米の優れた建築を見て、その感動したものを欧米の建築技術が解からない状況で建築した。それらの建築は擬洋風建築と呼ばれ、本物の洋風建築とはどこか違っているが、本物に負けない建築美をつくり上げている。現在、明治村に残されている近代建築は、洋風建築を日本国内でつくる明治の意気込みを感じさせるものがある。いずれの建築も時代を経て老朽化しない文化を現代に伝えている。長崎にあるグラバー邸は香港の兵器商社ジャディディマセソンの日本責任者グラバーが英国人に設計させた図面を日本人大工に造らせたバンガロウ形式の住宅である。この建築を明治時代の大工が建築美をしっかり評価し、日本の材料と大工の技能でつくり上げた。
わが国の住宅・建築・都市はもともと人々の歴史文化を育てる人文科学的空間としてつくられてきて、西欧の建築文化思想も様式の違いこそあれ、その考え方は共通するものとして容易に受け入れられた。グラバー邸は、当時の大工の建築技術の高さを伝えるものである。優れたデザインの建築物は人びとに大切にされ、長い寿命を維持する。明治の初めは建築デザインが何よりも重視された時代であった。機能性能は同じであっても、デザインによって人びとの需給の意思は左右される。需給関係が市場価格に反映されることから、住宅不動産価格に最も影響をするものはデザインである。自由主義経済の下にある日本に置いて、資産価値を左右するデザインが戦後の日本において疎んじられていることは、戦後の建築教育で人文科学(ヒューマニテイ)としての建築デザイン教育が行われていないことによる。

資産価値を守る住宅デザイン
人々は文化的な思考にあった住空間で生活することを望んでいる。機能や性能がどれだけ優れていても、嗜好に合わない住宅で生活しようとは思わない。住宅デザインは住宅の需給関係を決定する上で最も重要な要素である。住宅不動産を「資産価値あるもの」としてつくり、「資産価値を高めるもの」として管理しようとすれば、社会的に需要対象となる住宅は、市場で需要対象にならなければならないので、デザインが住宅取引市場に如何に重要な役割を担っているかを知らなければならない。
米国では政府がモーゲージ債券に債務保証を与え証券化(MBS)するときに、MBSはその対象となっている住宅が最終的には市場で購入者を獲得することができなければならないとされたことから、住宅のデザインがクラッシックであることを条件にした。クラシックな住宅デザインは歴史文化を踏まえて開発された一定の社会階層のために開発されたデザイン様式で、その後も多くの人々に支えられてきたデザイン様式(スタイル)を言う。クラシックデザインは多くの人に指示されてきたため、多くの人に懐かしさを感じさせるデザインとして、折衷様式を含め多くの人に指示されてきた。現代の人が大切に守り育てたクラシックデザインは現代の空間需要に最先端にあると欧米では考えている。
モーゲージの対象にする住宅では、金融機関は既存住宅市場での確実な売却を条件にするため、それを左右するデザインを問題にしている。その条件は、基本的にクラシックな様式であることである。現在では、既存住宅市場で取引される住宅デザインがクラシックであることは暗黙裡の社会的了解となっている。そのため、クラシックデザインを審査条件であるとまで言わないが市場の常識で、不動産市場と金融機関の間では暗黙裡の了解事項である。その理由は、クラシックなデザインの住宅は時代を超えて社会的需要に支えられているので、既存住宅市場での取引をするためには安全であると考えられているからである。1934年に連邦住宅庁がモーゲージの債務保証をするときには、クラシックであることを債務保証の条件として明記していた。当時、フランク・ロイド・ライトのプレーリー様式のデザインは、クラシックとして認められず債務保証を受けられなかった話が伝えられている。

使い捨ての住宅デザイン
現代日本では住宅を「物づくり」という3次元の学問領域で考えている。住宅そのものは所客資産であるから、デザインも住宅というものとともに老朽化し、時代遅れになってしまうと考えている。住宅デザインを長期の住宅資産との関係で考えようとしない。このような考え方は日本の伝統的な考え方ではなく、戦後の住宅産業政策と一緒になった住宅を使い捨てする考え方経つものである。その考え方は現在の政府の住宅政策の考えでもあり、工学部建築学科の公式見解である。住宅は物理的にも社会的にも、建築後、年を追って老朽化すると考えているという考え方は、世界中で日本だけの特殊な考え方であり、その学問的な裏付けは、日本では政府の政策上のドグマ(教義)として存在していても、事実的な裏付けを持った学問としては存在しない。そのため我が国の建築教育は欧米の人文科学(ヒューマニテイ)としての建築教育は存在せず、代わって工学(エンジニアリング)としての建築工学教育が、欧米の建築教育に代わるものとして行われてきた。そこでのデザイン教育は他の工学同様、「常に新しいデザインが開発され、過去のデザインは時代に取り残される」という理解になる。そのため建築歴史で過去の建築様式を歴史上の知識として学ぶことがあっても、人文科学的(ヒューマニテイ)な人々のアイデンティティとして建築デザインを学ぶことはない。

「差別化」住宅販売
日本では米国の住宅ローンの債務保証とは全く違った考え方で、「差別化」のデザインが、住宅産業のデザインの関心事になっている。「差別化」のデザインとは、文字通り供給する住宅デザインが、既存の住宅デザイン又は競争相手の住宅デザインと相違することが、即、優秀であるとする差別の考え方である。住宅購入者を差別の考え方で洗脳し、「差別化された住宅」を購入することで優越感が得られると信じ込ませる営業である。シンプルモダンなどと言って、根無し草の流行のデザインをでっちあげ、それを優秀性と説明し、それ以外は「時代遅れ」と差別の対象とする。住宅購入者を差別教育し、差別者にすることで顧客獲得しようとする。差別のために住宅会社は住宅計画と仕様建材や住宅設備に、さまざまな特殊で目新しい「もの」を取り入れ、その違いが住宅の優秀性であると説明する。「差別化」とは差別意識を住宅購入者に植え付ける「物づくり」である。
ハウスメーカー相互の違いは主たる矛盾ではなく、大手ハウスメーカーは住宅展示場依存というマスセールスの相乗効果を利用して、共通して流行のデザインを優秀な住宅のように住宅需要者を洗脳する営業を行ってきた。政府が支援してきた「差別化された住宅」は、優れた住宅であるから価値があると言い、直接工事費の2.5倍の高額販売で売り抜けて来た。大手ハウスメーカーはそれぞれが企業ごとの閉鎖した設計施工システムを持っているとともに、使用される材料もOEM(企業ごとのオリジナル仕様の部品)を使って、材料及び施工コストが住宅購入者にはわからないようになっている。それも「差別化」である。その実際の生産コストは、すべてのハウスメーカーとも販売価格の40%である。

「差別化」という名の洗脳
住宅購入者の希望通りの「自由設計」が可能であると説明するが、実は設計段階からハウスメーカーごとのシステムで設計できるものしかできない。しかし、ハウスメーカーでは建築主の依頼や要求に応え、「自由設計を専門建築士が無償で行う」の謳い文句通り、何度でも建築主の要求通り設計作業をやり直す。何度設計をやり直してもハウスメーカーの設計システムは確定されているため、建築主の希望通りの自由設計はできない。しかし、設計作業の繰り返しを通して「自由設計」をしても設計の自由に限界があると勘違いさせ、そこでまとめられた設計を最も優れた設計と勘違いすることになる。
実はハウスメーカーの社員全体が、学校教育で工学部建築科の教育を受け、ハウスメーカーごとのシステム産業の中で洗脳されていて、企業内のシステムが建築設計のまともなシステムと信じてしまっている。顧客を騙す意図がなくても、結果的に、オーム真理教同様な洗脳教育をハウスメーカー挙げてのシステム教育として社員にも、顧客にも実施している。同様な方法で、インテリア、エクステリアなどハウスメーカーの提供した選択肢の中からメーカー推薦の仕様を選択し、設計は纏められる。その過程で住宅購入者自身が住宅メーカーの用意した「差別化」営業を受けて洗脳され、購入した住宅が、「その他の住宅と違う優秀な住宅」と差別意識を持つことで優越感を持つことになる。

10年以上かかる洗脳からの解放
流行のデザインを持った住宅を購入した人は、流行に乗らないデザインの住宅を見下げ、優越感を持ち、流行に乗らない住宅を見下げる見方が差別である。「差別」は優越感・劣等感の原因になる。住宅購入者がその洗脳から覚めたとき、自分の住宅の本質に気付き、その住宅を手放そうと考えるようになる。自らの購入した住宅が中古市場で大きな値崩れを起こしたことが分かっても、売却の必要がない限り、「自分が納得してよい住宅として購入したのだからそれでいいのだ」としばらくは強がりの主張をする。しかしローン返済が苦しくなって、どうしても住宅を手放さなければならなくなり、中古市場価格が購入時の半額以下でしか売却できない現実を突きつけられると、「差別化の洗脳」から強制的に覚醒させられる。その時期は住宅購入後10年以上経過してからである。
住宅会社の営業は住宅展示会者のモデルホームによって行われる。住宅展示場を利用しているハウスメーカーのモデルホームのデザイン寿命は平均3年である。住宅展示場ではそこに展示されるモデルホーム全体が相乗効果を上げて「差別化」をするために、展示場に展示されるモデルホームの統一した「差別化コンセプト」を設定する。展示会者が違っていても共通のコンセプトによって、顧客は全体の流れの中で差別化の住宅選択を行う。同じハウスメーカーがモデルホームに合わせて「差別化」の内容を変えるわけであるから、実際に建設される住宅のデザイン寿命は、モデルホーム以下である。住宅会社は住宅購入者の資産として残る住宅を供給する意図を持っていない。ハウスメーカーは販売してしまえば、それで住宅購入者とは手が切れる。差別意識を持たされた住宅購入者は、「差別化住宅」を購入して優越感を持っているが、周辺からは「上から目線」の差別者がその街に現れたことで、街並みの鼻つまみ者である。これらの住宅購入者が新しい住宅購入者から羨ましがられることはない。

資産価値を考えた住宅の購買
英国のニュータウン事業が壁にぶつかったとき新しい「ニューシティ」のコンセプトで、ミルトンケーンズ住宅地が開発された。専用自動車道路と緩速度の自動車・自転車・歩行者道路とを立体的に計画し、格子状道路がすべてラウンドアバウト(ロータリー)でつくられ、交通信号のない道路渋滞が生まれない街としてつくられた。高架の台地でつくられた自動車専用道路は樹林で囲まれ、自動車道路からの眺めは森の中のドライブである。街づくりに合せて新しいデザインコンセプトの住宅が開発され、多くの顧客を集めていた。斬新なデザインや先端のエネルギー対策の住宅など世界的にも注目される高い技術を集約的に活用した住宅であった。
ミルトンケーンズの担当者の説明は、新しいデザインの住宅は多くの人が見学に集まってくるが、デザインや採用された技術に驚くが、見るだけで殆どの人は購入しようとしない。何故購入しようとしないかについて尋ねると、最大の懸念理由は、購入した住宅を既存住宅市場で販売しようとしたとき購入価格より高く売れない不安があるということであった。実際当時ミルトンケインズでは、保守的なデザインの住宅でつくられたコミュニティの形成された住宅もつくられていた。これらの住宅は、見学者が集中することはないが、宣伝をしていなくても、常時僅かな人数の来場者がいて、着実に販売されていた。クラシックデザイン重視の傾向は、英国だけではなく、欧米の住宅市場で共通している。

「70%」紹介客住宅販売
米国では、住宅の融資額として金融機関は直接工事費相当額しか融資をしてくれないので、全米ホームビルダー協会(NAHB)は、ホームビルダーの経営教育として、利潤を高めるため広告宣伝や営業販売に費用を掛けないような指導をしている。ホームビルダーが営業費を最小限化する方法として、まず、クラシックなデザインのホームプランを使い、ホームビルダーの得意な手慣れた技術を駆使して建築をする。その後、建築した優れたデザインの住宅自体を話題性のある広告板にし、その費用対効果の高い住宅の購入者が満足した気持ちを語ってもらう営業マンの役割をはたしてもらう。
結果的に、建設した話題になる住宅と高い満足を感じた顧客が、ホームビルダーに新たに紹介客を連れてきてくれる。米国ではそのような経営の結果、通常のホームビルダーは顧客の70%以上を紹介客によって得られている。ホームビルダーは使用するデザインや技術の専門性を高め、技術の間口を絞り込み、奥行きを深め、顧客が生活する中で住宅に投下されたデザインや技術の内容に気付き、その満足がホームビルダーに対する信頼につながり、顧客の紹介になっている。

工学部建築科の教育
日本の建築教育では建築歴史教育は歴史学として形が残ったが、建築様式・デザインの研究・設計教育は消滅してしまい、デザインの研究者・教育者は存在せず、学校で行っているデザイン教育は、欧米のような建築デザイン教育訓練ではない。住宅を20年程度でスクラップ・アンド・ビルドを繰り返す住宅政策と住宅産業政策の振興の陰で、資産価値のある住宅不動産を求める人びとのニーズに応える設計は学校教育から消滅した。デザイン様式に関する意匠教育は、和風建築、洋風建築の何れも行われていない。デザイン知識、技能に対する社会的ニーズがなく、伝統的な意匠教育のできる教師がいない。専ら流行のデザインを追い掛け回す社会的ニーズに対応するために教育制度は不要である。それに代わって、話題性のあり人気を得るための建築デザイン教育が、流行建築作家により行われている。
現在日本の建築教育で行われている有名建築家によるデザイン教育は、東京大学の建築教育に象徴的にみられるとおり、丹下健三、黒川紀章、安藤忠雄、原広司などの前衛・流行デザイン教育でしかない。大学では設計教育として建築設計課題を学生に与えるが、建築様式や設計・訓練ができない。伝統的な建築様式を知らず、設計理論を駆使できる教師がいない。学生は課題に合った設計事例を建築雑誌から探し、見よう見まねで設計図をまとめる。機能や性能の設計条件は与えられるが、デザインコンセプトが示されていない上、利用者のニーズとの関係での採点基準が用意されていない。提出された設計図面は指導教官の恣意的な判断で採点される。そのほとんどが高額的な問題である。技術的な安全性や合理性が恣意的な教師の判断で審査されても、人文科学的な視点での採点はないも同然である。大学教育における設計は、有名建築家のデザインとハウスメーカーの建築デザインは、不特定多数の需要者のデザインニーズを時代感覚を追うという意味で、共通している。

流行のデザイン、短い寿命
建築関係大学や高等専門学校でのデザイン教育は、世界中のデザイン雑誌を見比べ、時代のデザイン傾向を追って時代の先端を行くデザインを取り入れるものになっている。基本的な様式デザインの教育訓練を受けていないことが幸いしてか災いしてか、欧米の建築教育を受けた人たちには、既存のデザインをぶち破るために躊躇していることが、日本の建築様式教育を受けていない建築家には何にも縛られることなく、斬新なデザインの挑戦している。そして、欧米の建築関係者には、とらわれることなく、既存のデザインに縛られることなく実施できる斬新さ、自由さに対し評価されることもある。しかし、歴史文化と対決することなく自由につくり上げたデザインは、こだわりがない分だけ、時代とともに忘れ去られていくデザインでもある。
流行のデザインは社会的に時代感覚に合うため、皆が合唱するように時代風潮をつくる。しかし、流行に踊ったデザインは、時代とともに捨て去られることが一般的である。有名になりたい建築家と住宅を大量販売したい大手ハウスメーカーの行動形態は共通している。様式(スタイル)と呼ばれるデザインには、歴史文化との対決があるが、その時代感覚で生まれたデザインは、いずれも巨額な費用をかけて造られた住宅でも、流行が去った後には、魅力のない住宅として取り残されることになる。

工学(エンジニアリング)として行われる都市計画
明治時代には、都市計画は首都東京計画を作成するときには、外国の設計者を招聘し都市計画を作成してもらった。そして、内務省がその都市計画に合った道路、河川、下水、公園などの都市施設を計画した。都市計画学の理論も技術も日本には育たず、都市計画教育も行われず、優れた都市計画は日本には生まれず、都市計画家は育たなかった。現在、都市計画学として実施されている教育は、道路、河川という都市施設、公共施設計画というと施設計画を中心にした工学(エンジニアリング)として採り入れられたものである。そのため、人文科学(ヒューマニテイ)都市計画学を日本では、土木工学(シビルエンジニアリング)としての都市施設計画学と間違って理解している。
戦後、英国のニュータウンや米国の住宅地開発を見て、多摩ニュータウンや千里ニュータウンといった公団や地方公共団体が住宅地開発を行った。いずれも、英国のハーローニュータウンに真似た地形の土地を全面買収した千里ニュータウンや、区画整理事業という日本独特の宅地造成計画を使った港北ニュータウンや一団地住宅施設による事業その他の多くの住宅団地開発が行われたが、ニュータウン経営技術は何一つ学ぼうとしなかった。日本最大の多摩ニュータウンに代表されるように、開発区域全体に跨る道路、河川、下水、公園などの都市施設は計画された。しかし、全体を一体的な都市という経営をするものでなく、都市経営と無関係に「物づくり」として、一定の敷地面積、又は人口規模ごとに施設計画をしたもので、欧米のニュータウン経営という視点で計画した都市施設とは異質なものである。ほとんどは大きな開発により、ベッドタウンとしての住宅団地を一体的に開発するものであるが、都市経営を行わず、いずれかの行政区域に公共管理者に移管するだけの工学的開発でしかない。

育っていないランドスケーピングの技術
ランドスケーピングという都市空間デザインは、日本では一部、造園学の延長としての植栽計画として採り入れられているが、ニュータウン経営とは切り離した物づくりとしての公園計画である。日本では、都市のマスタ-プランと一対となったアーキテクチュラルガイドラインとして街並み計画をデザインする欧米のランドスケーピングは行われていない。日本のランドスケーピングは欧米のように都市空間の景観設計ではない。都市計画決定された道路や公園はその位置する行政主体に道路や公園として移管され、その中で道路や公園計画の中で、植栽計画一般として管理される緑(植栽)に関する景観設計と呼ばれるもので、そこで開発される街づくりとの利用関係は直接的ではない。
ランドスケーピングという都市の景観計画は、街に生活する人々にとっての街並み景観として住宅や施設との関係で計画されるべきものである。道路計画を歩車道分離か、一体かという利用方法と一緒に歩行者の視点、自動車からの速度を考えた視点がランドスケーピングの重要な視点になる。しかし、日本では道路の植栽計画が道路の利用関係と切り離されてランドスケーピング計画の中心になっている。人びとの生活環境としての建築と一体となって生活文化空間を人文的空間という視点で都市空間を計画し、管理する視点は弱い。
ヴィレッジホーム(カリフォルニア)の計画では、開発区域の移動は自転車と歩行者を中心にし、街路樹は舗装面を直射日光から守り、歩行者にも歩きたくなる途に計画されている。当然、住宅地の開発密度との関係で歩行者の移動を考え、歩く人に名の恣意都市空間づくりが、ランドスケーピングの都市計画の研究・教育の対象となっている。いずれも人文科学(ヒューマニテイ)としての都市空間をつくるために必要な工学的な機能と性能をもった道路整備と一体になった宅地造成である。人間の歴史文化空間のランドスケーピングが、人びとに豊かな環境を与える都市経営につながるものである。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)



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