メールマガジン

HICPMメールマガジン第582号(2014年10月20日)

掲載日2014 年 10 月 20 日

HICPMメールマガジン(MM)582号アメリカ4.(2014年10月20日)

みなさんこんにちは

オランダ、編めるか、日本の住宅問題比較のアメリカ編第2回です。

スラムクリアランス(プルーイットアイゴウ)からニューアーバニズム(ハイポイント)
プルーイット・アイゴウ団地

米国のスラムクリアランスの歴史の中でもっと無有名な事例と言われるものはミズーリ州のセントルイスで行われたプルーイット・アイゴウ団地の例である。この事例は文字通りのスラムクリアランスの革新的な再開発として、1951年に世界的に話題となった。それはスラムクリアランス(清掃)をした後に、当時の時代の最先端を行くエポックメーキングなモダニズムの流れを組むインターナショナルスタイルのデザインを採用した事業であることであった。このデザインは、その時代の最先端を突き走るニューヨークを中心に活躍していた日系建築家ミノル・ヤマザキの設計によってつくりあげた建築作品としても、社会的に話題を呼んでいた。
その17年後、この33棟の鉄筋コンクリート造11階建て、総住宅戸数2、870戸の共同住宅は、政府の手でダイナマイトを仕掛けられ、一瞬の下に爆破され、破壊された。この青天霹靂ともいわれる過去に例を見ない巨大な規模の破壊事業が、政府の手によって行われたことで、世界的に注目を浴びた。結果として、すべての責任がこの共同住宅という「物」にお仕着せられ、取り壊しによって責任が共同住宅に転嫁された。このような問題の処理が正しかったかという疑問の衝撃は、現在まで続いている。建設後17年間に共同住宅が急激に衰退した理由が当局及び関係者から説明された。その衰退の原因は、すべて住宅の性質にあるとされている。もしそうだとしたら、建築家ミノル・ヤマザキの同じ設計理論で造られた住宅に類似の問題が起こっているのか。そうではないので、いまだにこの住宅地の抱える多様な問題の解明が多くの研究者により続いている。しかし、説得力はない。そのため、関連情報はインターネット情報として容易に追跡できる。
私自身は1964年から約5年間、建設住宅局において日本のスラムクリアランス法ともいわれた住宅地区改良法を施行していて、建設当時のプルーイット・アイゴウ団地が高い評価を受けていた。この事業は事業手法として、「日本のスラムクリアランス事業のモデルと」と評価されていた時代の情報とされていただけに、この共同住宅の破壊も、その破壊に対するその後の関係者の説明も、結果論として事態を説明するものであっても、その事業の流れを合理的必然性をもって説明する上で納得力はなく、驚きを拡大させるものであった。

日本のスラムクリアランスの思想:スラムクリアランス
住宅地区改良法の制定に当り技術的な内容を立法に取り入れた建設省住宅局北畠輝躬建設専門官は、東京大学建築工学科の卒業生で、大学時代高山英華教授の薫陶を受け、同法の制定に大きな貢献をしていた。私が住宅地区改良法を係長として担当することになったとき、北畠さんはそのことを知って、事業の施行にあたって立法の考えを生かすようにと考えてか、同法の立法の精神を伝授しようとスラムクリアランスの説明をしてくださった。そこで聞かされた話は、スラムクリアランス事業の基本的考え方は、プルーイット・アイゴウ団地の計画理論と基本的に同じで、不良な住宅地区は全面的に取り壊し、その後には再開発により過去と断絶した新しい住宅地を開発するという「物造り」を行うことで、再びその地区が不良化しない、物理的環境開発をするものであるという説明であった。
当時、私は未開放部落、炭鉱閉山後の失業者が取り残された炭住スラム、河川敷を不法占用でされていた形成されていた朝鮮人部落の環境改善が猶予のできない状態であったので、その改善に関心があり、全面的なスラムの清掃には気乗りがしないでいた。そのため、北畠専門官の薫陶を得た私の前任者の片山課長補佐、立石係長(いずれもその後の住宅局長経験者)たちは、社会派的なスラムのメカニズムに取り組むような取り組みに治して批判的で、その事業展開を変更するように私に圧力をかけ続けていた。そして、スラムを物理的に全面的に造りかえる住宅地区改良法の立法の精神に立ち返るように繰り返し干渉しつづけていた。
しかし、確かに住宅地区改良法の法律上の構成は米国のスラムクリアランスの方法を取り入れていた。しかし、住宅地区改良法を制定させた社会的な背景は、1960年日米安全保障条約締結を背景に、日米対等の同盟関係を結ぶことになった結果、米国に軍事的な支援を受ける見返りに、日本が石油輸入と農産品の自由化を受け入れ、経済面で米国を支援することになった。その結果、炭鉱の閉山と農業構造改善事業で生まれた大量な失業者が、未開放部落民と朝鮮人、炭鉱失業者に発生し、社会不安を拡大していた。住宅地区改良法は、その社会不安を解消するために作られた法律であることが分かった。今から考えると、私が取り組んだスラム改良は、時代の要請通り世界的取組みと同じ流れで人文科学の問題と考えていて、日本の都市工学や建築工学の考えていた問題ではなかった。その取り組みは地方公共団体からの支持を得て、私が担当していた5年間に、事業は、2.5倍に拡大した。

住宅・建築・都市問題は人文科学(ヒューマニテイーズ)
私が住宅地区改良事業から離れて、建築基準法の担当に異動し、旅館・ホテルの大火災事故が相次いで多数の人命や財産が失われた社会問題を受けて建築基準法第5次改正に取り組むことになった。その頃にプルーイット・アイゴウ団地の共同住宅がダイナマイトで破壊されたニュースを聞き衝撃を受けた記憶がある。この破壊は、ウサマビン・ラデンや、イスラム国(イスラム過激派)による破壊のように政治的意図があったわけではないが、「物理的破壊を通して社会を変革しよう」とするものであった。犯罪やバンダリズムが横行するようになったプルーイット・アイゴウ団地に対する対症療法として、共同住宅の取り壊ししかないという結論に基づくものであった。この時点では、犯罪の元凶が共同住宅であると決めつければ、それを破壊することは、解決策として分かり易い方法であった。しかし、共同住宅という物には、犯罪の意思があったわけではなく、それを作り経営した人間の働きをただすことがない限り、事件の裏に隠れている原因の「根治対策」ではなかった。
欧米の住宅・建築・都市問題の教育、研究は、人文科学(ヒューマニティ―ズ)によって行われていて、日本のように「物造り」の学問としての都市工学や建築工学という工学(エンジニアリング)で取り組まれてはいなかった筈である。それなのに、このような大規模な計画が学問的な研究不十分のまま、「仏造って、魂入れず」の結果を招いたように展開され、その出来上がった住宅地で発生した犯罪の責任を、すべて共同住宅の計画と構造の責任にしたのはなぜか。また、どうしてこの問題解決が人文科学的に考えられなくて、工学的にしか考えられなかったのか。そして、このような失敗に陥ったのはなぜか。
当時の日本でのスラムクリアランス事業の「理想」とされていたプルーイット・アイゴウ団地の事業が、「大失敗であったので、ダイナマイトで爆破された」短絡的な判断と、本来的には人文科学的に取り組むべき解決の在り方との落差にと惑わされた。その上、スラムクリアランスの理想が一挙に覆される事実を突き付けられて、私自身、冷静にその原因を考える余裕も持たなかった。しかし、現在の時点で考えると、日本の「街づくりを都市工学や建築工学の問題」と考えている日本社会であれば納得のいく対応が、なぜ、「街づくりを人文科学と考え教育・研究されている米国社会」で、単純な「物造り」として「良いものをつくれば、問題解決がされる」観点で事業が実施され、問題が発生すれば、「悪いものは壊せば、問題は解決される」としか取り組まれなかった理由が、依然、私には分からない。

米国におけるスラムクリアランスの評価
プルーイット・アイゴウ団地に対する日本人研究者の調査研究には、建築工学分野の関係者による工学と社会学の両面からの研究がなされている。しかし、社会学面での分析は表層的であるだけではなく、人文科学的な歴史文化的視点からの研究は全く行われていない。そのため、そこから導かれる結論は、やはり対症療法的なもの以上に展開されていない。人文科学的なアプローチとは、まず、この開発地およびそれを取り囲む地区・地域社会がどのような歴史文化を持っているところであるかを明確にする。そして、それと合わせて、そこに居住させようとした人たちがどのような社会階層で、いかなる歴史文化を担ってきているかを明確にすることがなければならない。そのうえで、プルーイット・アイゴウ団地で造られたものは居住者の生活要求にどのように応えるものかを明らかにし、その上で、これらの見込まれる居住者が主体性をもって生活再建をするために、どのような展望をこの住宅地での生活の未来について描くことができるかを、歴史文化的視点で描くことである。
私が住宅地区改良法の施行をしていた当時、米国のスラムクリアランス法をモデルにして住宅地区改良法を考えた立法当時の話を聞いていたので、米国のスラムクリアランス事業全体についても調べてみた。シカゴやニューヨークのスラムクリアランス情報も、今のようにインターネットで調べるように簡単でできるわけにはいかないので、いろいろ苦労して資料を集めて勉強した。そのとき知った米国全体のスラム対策事業は、当時建設省で立法当時のモデルとして聞かされていた既存の不良住宅地を全面的に取り壊しそれに代え、新しい合理的な空間を造るスラムアランスとは、全く違っていた。

シカゴのスラムクリアランス
シカゴのスラムクリアランス事業として成功した事業は以下のような手順で進められていた。まず、街路灯を取り付ける事業から始められた。夜間の歩行に危険性が減ることで生活改善の計画と実践の方向に道筋が地域に理解されたという。その後、疾病の原因になる道路の排水や下水事業が順次取り組まれ、環境改善が人々の生活に希望を与えていくことが広がることで、生活改善に住民の前向きの姿勢が育てられ、地域の清掃にも住民が積極的に参加するようになった。育児や子どもの勉強の世話をする子供たちの未来に向けての取り組みも始まり、自分たちが住んでいる住宅の生活改善への関心が高まっていた。
そのような環境改善の究極の改善が新しい住宅供給である。住宅供給は個別の世帯の居住水準の向上を目指すものである。しかし、個別の住居の改善以上に、住環境としての環境改善を行う一環として、居住水準の向上が取り組まれる。住居も重要であるが人々の生活は住居内で完結するものではない。そのためには、その地区で生活している人たちが共同で利用する空間を含んで「わが家」、「わが街」と帰属意識を抱くことができる歴史文化を育んでいくことを通して、スラムクリアランスは成果を上げていくと説明していた。
米国におけるスラムクリアランスについてその後調査していくと、全米の中でクリアランス型のスラム事業は極めて少なく、圧倒的多数の事業がコンサーベイション(保全・保守)とかリハビリテイション(機能改善)と言われている地区の歴史文化を成長時間軸として考えた4次元の街づくりとして取り組まれている事業であることが分かった。そして、クリアランス(清掃)と呼ばれている事業は、土地利用を基本的に高密度に転換する場合に限って行われるようであることが分かった。確かに住宅地が衰退する理由には、産業構造の変化や、経済や景気変動が大きな要因となって始まり、拡大していく。それが急速に進行する場合には、対応をすることは難しい。しかし、一旦衰退現象が安定すると、住民が置かれた状態を客観的に見つめ、その中で住民が主体性をもって取り組む可能性が生まれてくる。

貧困を拡大再生産していたハイポイント(シアトル西部)
シアトルにはボーイング社がある。ボーイングは世界最大級の航空会社であり、戦争とともに成長した軍事産業でもある。急激に拡大したとき雇用した工場労働者は、平時になれば解雇され、失業者になる。不況が長引けば失業者は仕事を失うだけではなく、日雇いでも廃品回収でも何でも生活の糧が得られる仕事にありつこうと努力をするが、経済状況が改善しない限り、希望どおりの仕事にありつけないことが多い。人々は将来に向けての展望が持てず、生活の希望を失って、やけっぱちな生活になり、犯罪に手を出すようになる。そうすると家族全体がモラルを失い自堕落な生活に陥っていく。子供たちは勉強をせず、成績は低迷し、希望を失った生活になる。米国ではそのように悪循環に陥ったところがたくさんある。そのような社会では老人やお荷物と考えられて粗末に扱われることになる。
そのような状態に悪循環を繰り返し、ブラックホールに吸い込まれていくようなところの一つが西シアトルの小高い丘陵地の最も高いところにあるハイポイントであった。ハイポイントとはボーイングのかつての工場労働者を救済する目的で建設された公営住宅団地であった。住宅を公営住宅で供給しても生活全体が改善されるわけではなく、この地区も貧困を再生産する地区になっていた。犯罪の多発地帯で、シアトルでも、かつては「怖いところ」としてその他の地区の居住者はよほど特別に行く必要でもない限り人々が寄り付くところではないと言われていた。刃物や拳銃を販売する店も近くに営業していた。
この地区では働ける年齢の人が雇用の機会に恵まれないこともあったが、働きに出ようとせず、子供たちも学校を安易に休み、成績が上がらなくても誰にも意見をされず、街中に子供たちがたむろするという情景が見られた。高齢者もその居場所を見つけられなくて邪魔者扱いをされていた。居住者の購買力も低下していくため。この地区の周辺の経済活動も悪化の一途をたどり、貧困を地区周辺まで引きずり込んで言っているようであった。このような地区の存在は地方財政としても税収は上がらず、防犯対策などの財政負担ばかりが増大する地区になっていた。

HOPEⅥ計画
米国政府「HUD:住宅都市開発省」では衰退化が進んでいる地区を改善するための政策として、HOPE(ホーム・オーナーシップ・アンド・オポチュニティ・フォー・ピ―プル・エブリホエアー)計画を、試行錯誤を繰り返しながら進められてきたが、決定的な効果の上がる方策は見つからないでいて。しかし、1992年かから始まったHOPEⅥにおいては、過去になかったニューアーバニズムの考え方を取り入れて実践することがHUD(住宅都市開発省)内の約1年間にわたる密度の高い議論の結果採択されることになった。
ニューアーバニズムの考え方は次の「3つの考え方」が基本になっていた。

第1はTNDである。
1980年に入ってシーサイド(フロリダ州)で始まったTND(伝統的近隣住区開発)の考え方である。そこでは都市に居住するする人がお互いを知り尊重し合うことによって民主主義を実現することになるというフランク・ロイド・ライトの考え方と共通する地縁共同体を重視する街づくりの理論である。この考え方は、自動車が生活の足になる1920年代以前に開発された徒歩で造られた地縁共同体の良さをモデルにするものである。

第2はサステイナブルコミュニティである。
同じく1980年に、カリフォルニア大学バークレイ校でピーターカルソープが新しい都市計画の考え方として提起した「サステイナブルコミュニティ」の考え方を提起した。都市は産業のイニシアティブで造る産業革命以来の都市計画の考え方ではなく、人々の豊かな生活をつくことで、豊かな生活を享受したいと考える優秀な人材を求めて、産業は集まってくる逆転の考え方を提示した。この考え方は、ラグナ―ウエストでピーターカルソープを設計者として受け入れた。その後、この計画が具体化したとき、アップルコンピューターグループが立地したことで、この理論は社会的に注目された。

第3はエコロジカルなコミュニティである。
1970年代のドル危機のとき、ローマ会議の議論ゼロサム「経済成長ゼロ」社会の到来が提起され、それをきっかけに、エルンスト・フリードリッチ・シューマッハ著「スモール・イズ・ビューティフル」の議論が社会的にたき評価を受けた。それに呼応する形でマイケル・コルベットによるヴィレッジホームがカリフォルニア州のデービス市に開発された。ヴィレッジホームは太陽エネルギーと地下の恒温性を利用したアース・シェルタード・ビルディングのエコロジカルなシステムを技術を取り入れ、英国のエベネザー・ハワードのガーデンシテイの理論と組み合わせて実施した事業で社会的に高い評価を受けた。
以上3つの意欲的な住宅都市環境の実践者がイエローストーン公園のアワニーホテルに集まり、新しい住宅都市環境を形成する上で、開発業者、地方公共団体、州政府、連邦政府が果たす役割分担を「アワニーの原則」として合意した。その議論に参加した計画者たちが実践してきた技術と概念を、ニューアーバニズムとして取りまとめ、ニューアーバニズム運動として広く取り組むことになった。HUD(住宅都市開発省)は、このニューアーバニズムこそHOPEⅥの基本理念として利用することになった。ニューアーバニズムという用語は、戦後米国の都市開発がハイウエーとともに郊外開発として進んだ地代をアーバニズムと呼んでいたことに対立する概念として、ニューアーバニズムと名付けられた。

ハイポイントにおけるHOPEⅥ
新しく発されたニューアーバニズムの概念を全面的に取り入れたHOPEⅥ計画は全米各地で取り組まれたが、その成功例としての代表的な例がハイポイントである。ハイポイントは西シアトルの高台にあって、その地区が衰退しスラム化したため、その地から流れ出る汚染された水により河川の流域全体が汚染され、ついにかつて鮭が俎上していた河川に鮭の姿が見られなくなってしまった。そこでパイポイントのHOPEⅥ計画では、河川の水質浄化が「鮭の遡上できる河川」の運動と一体的に取り組まれることになった。人間環境の改善の大きな柱として、地球の持っているエコロジカルな浄化機能を生かすことで、雨水や雑排水の地下浸透(濾過と生物酸化)浄化システムと調節地の浄化機能を生かし、鮭がそ上する河川に回復した。ハイポイントでは、丘陵地の地形を生かして、自然流下という水の流れを生かして経済的合理性の高い方法によって実現した。

子どもと老人に生きる希望も持たせ、世帯にダブルインカムの実現
ハイポイントの都市復興に当って、かつてユダヤ人ゲットウの問題に取り組んでいたグループがボ子供と老人を大切にすることを重要視した取り組をランタリーで実施しだ。この地区の未来の担い手である子供たちが希望をもって育つために、子供たちの教育支援を行った。子供たちに手がかからなくなれば両親たちが共働きできる条件ができる。そのうえ、親たちも自分たちができなかった生活を子供たちに託す希望をもつことで、働く意欲が生まれた。その次に、高齢者たちに対しては社会福祉事業を持ち込んで、安心できる老後の生活が送れるようにすることで、老人たちが人生の最後の段階を安心して生活できる環境が造られた。老人たちの安心は、その社会に大きな安心をもたらすことになる。
それまで1世帯当たり年間200万円程度の所得であった人たちであっても、子供や老人に対する世話をする必要がなくなれば、共働きができる環境となり、世帯所得は2倍の400万円となるが、可処分所得という観点から見るとさらに大きくなり、それ以前の3倍以上になる。そうなればハイポイントの生活者の地域での消費支出は拡大する。その結果、地域全体としての経済活動は向上・拡大する。ハイポイントでは、また、居住者たちが主億両の自給率の向上を目指して、共同で生活に必要な農業を専門的な農業指導を受けて行い、農業生産に関係した人たちがその生産物の交換をすることにより、多くの農産物に食糧費をかけないで手に入れることで、サステイナブルな生活環境をつくっている。
HOPEⅥ計画として取り組んだ住宅地の開発計画に関しては、ミックストユース(兼用住宅や併存住宅等の住宅以外の用途の混合を認める住宅地)とミックストハウジング(賃貸住宅と分譲住宅等人々のライフステージに対応した多様な住宅供給を認める住宅地)の原則を取り入れて、多様なライフステージの人たちが、多様な生活を享受できる住宅地をつくっている。具体化の方法として、ハイポイントには貧困な世帯をそれより所得の高い世帯と混合して生活させ、貧困な所帯には、努力をすれば近隣で生活するより高い所得の人のように自分たちの生活を高めることができる確信と展望を持たせることに成功した。住宅地全体で、それぞれ努力をする目標に向けて生活を向上させる環境を造り上げた。
当然、この地域全体からの税収は都市を追って増大し、過去にはブラックホールのように国民の税金を環境改善政策として吸い込んでいた地域は、税収を高める地域に代わり、この地区の周辺にまでその経済的な良い影響を与え、地域全体が経済的な良循環構造をつくるようになった。ハイポイントは、開発計画を進める最初の段階では、公園を整備するなど土地購入費を含む巨額の財政支出をし、開発の呼び水的投資を行った。しかし、現在ではその時の財政投資分を回収して余りある経済利益を上げるようになっている。
この地域で住宅を購入した人たちは、年を経過するにつれ、常に地域の生活環境が改善し、既存の居住者の所得が向上しているが、それ以上に、既存の住民以上に所得の高い人たちがこの地域のシアトル内で見ると割安な住宅を取得しようと流入するため、住宅の取引価格は一貫して上昇し続けている。このことは、この地域で住宅を所有することは、より容易に住宅による資産形成を実現できることを意味している。そのこともこの地域の売り手市場を維持する要因になっている。ハイポイントのHOPEⅥによる環境改善を持続させ続けるサステイナブルコミュニテイの面目躍如たるところである。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)



コメント投稿




powerd by デジコム