メールマガジン

HICPMメールマガジン第596号(平成27年2月2日)

掲載日2015 年 2 月 2 日

HICPMメールマガジン第596回(2015.01.31)
みなさんこんにちは
前回に引き続きNAHB・IBSの報告の続きを少しします。
NAHB・IBSの今年の特色:日本人がいない理由

前回に引き続き、全米ホームビルダー協会(NAHB)が年次総会とともに毎年開催しているIBS(インターナショナルビルダーズショウ)の報告を致します。IBSは私の想像通り、現在の米国の住宅産業の復調を反映して、昨年に比較して大きく拡大していました。そして、IBSの会場は、KBIS(キッチンアンドバス設備ショウ)と合同して、略、住宅バブル崩壊前の規模にまで拡大してきました。それにもかかわらず、非常に残念なことですが、そこに日本人住宅産業関係者の姿はほとんど目につかなくなったことです。代わって、中国人と韓国人の出店と参加者数が、輸入住宅ブーム当時の日本人の数を上回って増大しています。日本と言う国の住宅産業の影が全く薄くなっていることです。それは日本の住宅産業が米国の住宅産業に追いついて、IBSを必要としなくなったわけではなく、資本主義国で自由主義国であるはずなのに、その代表国・米国と切磋琢磨しようとする意志を失い、鎖国を決めてかかって、そこで湿気込んでいるためです。

米国人と同じ中国や韓国人の関心
以前カナダと米国の住宅産業人と日本で日、韓、米の住宅産業について意見を交換していたとき、米国とカナダの住宅産業人が、「初めは中国や韓国に比較して遥かに先行していた日本の住宅産業は、今では完全に中国からも韓国からも取り残されていっている。それにもかかわらず、日本の住宅産業関係者は、それに気付いてないかのように日本は中国や韓国に後れを取っていることを問題にしようとしていない。どうして日本の住宅産業は努力しようとしないのでしょうか。」と聞かれたことが思い出された。そこで今回は、会場での中国や韓国の住宅産業人の取り組みを注目してみた。彼らの基本的関心は「住宅建設価格をいかに安く作るか」に置かれていた。そして、市場で一般的に使われている材料に対して韓国人も中国人も米国人同様、非常に関心を持ち、施工生産性を高められる可能性に関心が向けられ、職人にとってもホームビルダーにとっても一番使い慣れた材料をより安い価格度購入するとともに、より高い生産性を上げるため、工務店にとっても、職人に手馴れた材料を使いたがっている。建設製造業者として原価管理、品質管理、工程管理を行うことで生産性向上を図ることに関心を集中させている。

日本の住宅産業人の関心
一方、日本人は日本の住宅産業が米国に比較して遥かに後れを取っていることに築いt4エイないため、米国の住宅産業全体を見ようとしないで、どこかに日本が米国より優れていると勘違いした誇りを持っていて、「米国の材料を使ってやる」と言った上から目線で、「新製品探しをし、工事精度を見て、日本が米国より優れている」と自己満足している。これらの日本人は、「日本人は器用であるが、米国人は雑であるから、精度の粗い仕事しかできない」と誤解している。日本に伝統木造の高い技術はあるが、それは現在生きてはおらず、それは現在の日本の工務店とは無関係であるが、江戸時代の職人芸があったことで、現在の日本の木造がその能力を誇れる地勘違いしている日本住宅関係者が多すぎる。
米国では、それを見習っている中国や韓国に住宅産業人は、工事費用に見合った工事に必要な精度が分かっていて、単に、精度が高いことをもって工事内容が優れているとは言わない。日本では精度が高ければ高い価格付けをしても正当であるという間違った考えを持っている。言い換えれば、高い価格付けをするために精度だけを誇張する「上げ底工事」を行っている。必要でもない高い精度の工事をして、高い工事代金を請求したり、他社の適当な精度に対してそれを粗悪工事と非難すると言った歪んだ施工が日本に欧米を中心にした世界標準を排除させ、日本の住宅産業は孤立化しているのである。同じことが日本の全ての性能表示にしてきできる。日本の住宅産業者がNAHB・IBSに参加しない理由は歪んだ住宅建設業経営に反れて、消費者中心の経営を行おうとしている米国の住宅産業経営が参考にならないと考えるようになったためである。

以下に、前回に続き、『アメリカの住宅のデザイン』についてお話しすることにします。
ピーターカルソープは欧米の人文科学として住宅・建築・都市空間を時間・空間という4次元空間を計画する建築家です。言い換えると過去から未来に向けて人類の生活環境として人びとが育てていくべき空間として住宅・建築・都市を考えている専門家です。HICPMのビルダーズマガジンでピーター・カルソープの都市計画理論『ザ・ネクスト・アメリカン・メトロポリス』の翻訳紹介を10年前に数年に亘って行い、私自身、勉強してきました。ラグナーウエストの後の事業としてカルソープが実施したノースウエストランディングは、住宅地を計画する原点に立ち返ったものとして非常に興味があります。

第2回目のサステイナブルコミュニテイ:ノースウエストランディング
第1次世界大戦、第2次世界大戦を通じて米国が使った爆薬の中心的製造工場がワシントン州南部にあるデュポン社の火薬工場です。ミサイルや原子力兵器が中心になる中でその役割を終わった「デュポンの火薬工場は閉鎖」され、火薬工場跡地は売りに出されましたが買い手が見つかりませんでした。その跡地利用をカナダの木材会社ウエヤーハウザーが貯木場用地として買収しました。しかし、ワシントン州政府は貯木場利用を許可しませんでした。その理由は、ワシントン州の北部にはボーイング、マイクロソフト、アマゾン、スターバックス、タリーズなど大企業がありますが、ワシントン州都のある州南部には産業集積がないので、州政府はこの地を「貯木場にはさせない」を決定をしました。
ウエヤーハウザーはワシントン州政府の産業開発の意向を受けて新しい都市開発をすることにし、カリフォルニア州で大きな成果を上げた「サステイナブルコミュニティ」に取り組むことにしました。

米国の住宅地開発、日本の住宅地開発
日米の住宅地開発は基本的に全く違ったものです。前者は住宅地経営を前提にした開発であるのに対し、後者は一時的な宅地開発を指しており、そこには住宅地の経営目標もなければ、それを実現する計画もありません。米国では住宅地開発時点では実現できることに疑問を持たされていたところが、計画通り実現しているのに対し、日本では途中で投げ出され、計画変更される計画があまりにも多過ぎます。日本住宅公団が東京都と共同して開発した敷地を全面買収し新住宅市街地開発法で実施した日本最大の多摩ニュータウンを例にとってみても、その計画人口自体が、着工から45年間に、目標人口計画が20万人台から40万人台まで2倍も変動し、その中には複数の住宅団地経営主体が含まれています。

米国の住宅地開発:
ウエヤーハウザーはピーター・カルソープがラグナーウエストのプロジェクトから退いたので、カルソープに「白羽の矢」を当て、この開発を全面的に依頼し、カルソープの思い通りに計画してもらうことにしました。このプロジェクトで掲げられたコンセプトはラグナーウエストで日の目を見ることのなかった「アフォーダブル・ハウジング」が取り上げられました。「アフォーダブルハウジング」によるサステイナブル・コミュニテイの実現であった。米国の住宅地開発はアフォーバブルハウジングと言う基本コンセプトを前提に、この土地の持っている歴史文化と社会的の要請に応えることのできる潜在力の調査研究を基にした検討と、そのコンセプトとそこで供給するものを手に入れたいと願う需要者想定を行って、その両者の関係を「ストーリー」と「ヴィジョニング」としてまとめることから計画策定の作業がはじめられることになります。これまで米国で開発された多くの優れたプロジェクトは、このような考え方で進められてきて、いずれも開発は計画通り成長してきました。

日本の住宅地開発:
戦後始った千里ニュータウン、多摩ニュータウンをはじめ政府が率先して開発された開発は、基本的に経済成長を前提にして人口推計からその受け皿として住宅を計画するもので、計画通り進んだ例はありません。千里ニュータウンのように都市の構造自体を変更したものから、多摩ニュータウンのように人口計画自体が当初とは全く狂ったものなど、欧米では考えられない開発ばかりです。その理由は、日本の都市開発には都市経営を行う経営論は存在せず、とりあえずニュータウンと言う名前を付けた大規模開発を開始する決断を下すための計画でしかないのです。そのため、開発後、計画通りの計画実施に責任を持つ主体がありません。住宅地経営することと、住宅地開発に着手することは全く別のことです。

「ノースウエストランディング」とその街の形成
この地の歴史としては、18世紀米国の北西部の地を、西部開拓の土地調査でかつての氷河時代に深い海底のピュージェット湾の最も奥に探検家バンクーバーが上陸したことに始まります。この史実を記念して名付けられた「ノースウエストランディング」を開発都市の名前に採用しました。そこにはインディアンと交流し、カムチャッカにも交易に足を延ばしたニスクォーリー要塞がつくられ、その後、潜水艦も大型船舶も停泊できることで大きな爆薬工場が工場町と共に建設されました。そこには現在も昔のままのデザインを維持したデュポン歴史町として豊かで長閑な佇まいのコミュニテイを維持しています。デュポンの火薬製造工場が建設された当時には、米国には「フェミ二ズム運動(女権拡張運動)」が燎原之火のように全米に広がりました。そのフェミニズム運動がデュポン工場街に生かされました。

デュポンの工場街とバンガロウ
フェミニズム運動は夫婦共働きで、家事育児は社会的に行うことが提唱され、家庭の形態を崩壊させるようになりました。その反動として、聖書に書かれている家庭像に回帰する運動が起こりました。夫と妻と対抗するのではなく、協力して役割分担をし、大きな屋根の下で子供たちを育む生活です。その新しい生活(酒)を入れる住宅(酒袋)が1.5階の大屋根付きの住宅の型式のバンガロウ住宅をクラフツマン様式でまとめた住宅でした。この住宅が火薬工場町の住宅に採用されました。バンガロウはインドのベンガル地方で英国の東インド会社の職員たちが好んで使った住宅型式で建築様式ではありません。そのデザインとしては、中世の美的感覚を復興した19世紀末英国でウイリアム・モリスの手で始められたアーツ・アンド・クラフツのデザインを取り入れたものだったのです。このようにフェミニズム運動の一つの成果として造られたバンガロウ形式の住宅が、建築家ギュスタフの主宰する書籍「クラフツマン」」により紹介されたことで、その住宅様式はクラフツマン様式(スタイル)と名付けられた住宅が開発され、全米の西海岸はおろか、東海岸や、英国や日本にも持ち込まれました。

クラフツマン様式
日本には、日露戦争後米国で開催されたポーツマス条約に渡米した小村寿太郎に随行した同郷の橋口信介が、米国でフェミニズム運動と一体となって燎原の火のように拡大していたバンガロウによる住生活改善運動と一体になったの手で「あめりかや輸入住宅」として関東、関西、中京の大都市の中産階級向け住宅として広く建設されました。米国においてもとくにカリフォルニア、オレゴン、ワシントンという西海岸では根強い人気のある住宅デザインです。ピーターカルソープはその土地に生まれた文化の伝統を大切にし、そこに移住したいと考えている人たちのデザイン嗜好から判断して、新しく開発するノースウエストランディングは、この新しい開発ではクラフツマン様式を「ヴィジョニング」とするデザインの街がつくられ、かつての爆薬工場の工場街「デュポン歴史町」をノースウエストランディングに取り込んで保存するとともに、クラフツマンデザインを基調にして開発地全域の住宅デザインに全面的に取り組む形で計画がなされました。(次回に続く)

(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷英世)



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