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HICPMメールマガジン第616号(2015.06.15)

掲載日2015 年 6 月 15 日

HICPMメールマガジン第616号(2015.06.15)
皆さHICPMメールマガジン第616号(2015.06.15)
皆さんこんにちは

40年前の経験
工務店経営の改善もついて6月27日にお話しする内容をいろいろ考えていますと、40年ほど前に、やはり同じような経験をしたことを思い出しました。その努力の成果は、最終的には、井上書院から「住宅建築廟の手引き」という単行本として検討結果を発行することになりました。この時代は、住宅生産工業化政策を政府が進めており、この本の製作に関係した金子勇次郎(住宅生産課長)、浜口美穂(設計者)、杉坂智雄(設計者:6月29日の見学住宅の設計者甲斐哲郎さんの元設計事務所所長)、河瀬元雄(元軍人)、渡辺富六(日比谷パレスオーナー、工務店経営者)、篠原さんに山口亘さん(途中退会)、本の編集者(建築専門家)と私の合計9名がボランタリーで取り組んだ自費出版プロジェクトでした。約2年ぐらいかけ出版した本は19版を重ねた影のベストセラーになりました。この時も、丸2年間は頭に中はいつも工務店の経営改善のことばかりを考えていました。経済は高度成長し、住宅建設はうなぎのぼりに拡大し、住宅需要はあるのですが、工務店には労働者が集まらず、高齢化を極め、工務店の将来に全く希望が見えませんでした。政府は大工工務店は潰しても構わないと考え、工業生産で単純労働者を使いことで工務店問題は解決すると考えていました。しかし、実際に国民の要求に応えることのできる住宅は、設計、施工の対応する仕組みがないため、改善の見通しは立っていませんでした。

検討チームの構成
夫婦で建築設計を実施してこられた浜口美穂さん(夫:浜口隆一さん)さんは、住み手の立場で一貫して住宅設計を人文科学の問題として取り組んでこられ、彰国社の建築学体系でも設計論を纏めてこられたこの道の権威の一人です。金子勇次郎さんは、住宅局の初代の生産課長で、学校の教師経験が長く、千里ニュータウンに関係し、澤田住宅局長と金子さんの兄が大学時代の友人という関係もあり、住宅局には異例の中途採用された建築技術者ですが、住宅政策を人文科学的な見方をする人でした。
河瀬さんと杉崎さんは、それぞれ陸軍と海軍の有能な元軍人で、戦後の平和国家建設にむけ、住宅を通して夢の実現しようとする人たちで、いずれも既成概念にはとらわれず、合理的に考えようとしていました。私は建設省住宅協建築指導課の建築士班長と言って、建築士法の施行と建築技術者問題を担当する課長補佐で、当時建築士の業務基準を纏める仕事をしていました。渡辺富六さんは職業訓練校を自ら開設し、職員教育とともに工務店経営を行っていました。他の二人の方はいずれも工務店経営者でした。

消費者の立場に立った工務店の経営改善
参加者の共通理解は、政府の進める住宅生産近代化政策によっては日本の工務店経営の伝統を守り育てることはできないので、工務店経営を直視した経営を考えなければいけないことで共通していました。しかし、その当時も重層下請け構造は日本の建設業の基本構造になっていて、その経営構造を根底から考え直すという所まで議論は進みませんでした。その研究会での取りまとめた内容は、あくまで工務店経営の改善という枠を超えることはできませんでした。それは当時の工業生産でZD(ゼロディーフェクト:無欠陥)運動が行われていたことを参考に、設計施工と全生産過程を検討し、手待ち、手戻りをなくし、無理、無駄、斑をなくするために、伝票管理や工程計画というようなことの改善を検討しました。住宅は生活者の生活要求に合わせ変化し、季節や自然環境の変化に順応する設計とするという人文科学的な住宅の捉え方は、当時の工業化を進める政府の考え方とは全く違ったものでした。

建設職人不要とする技術者政策(2級建築士にさせられた大工たち)
日本政府は住宅生産工業化政策を米国の住宅都市開発省(HUD)のOBT(オペレーション・ブレーク・スルー)をモデルに進めることになっていたため、建設省は工業生産住宅を公営住宅、公庫住宅、公団住宅という需要面で住宅産業をサポートする一方、通商産業省は住宅産業に対する中小企業庁の設備投資を行うことで経営のサポートをしていました。建設省も通産省も住宅産業支援策はいずれも工業生産システムの創設であって、既存の工務店による住宅産業を改善する対策は政策の対象にされていませんでした。政府の考えでは、建設技能者はもはや不要で、建設技術者が単純労働者を機械を使うように使えばよいと考えていました。そのため建設省の技術者政策からは技術者の養成ということで、それまでの大工や棟梁を2級建築士という技術者にすることが住宅生産の工業化に役立つと考えたのです。
現在風に考えれば、「工務店や大工棟梁をハウスメーカーの施行部隊にし、住宅部材というプラモデルの組み立て要員にしてしまえ」という考え方でした。その結果が現在のハウスメーカー支配の住宅産業を造って来たのです。当時は現在のような状態を必ずしも予想していたわけではなく、工業生産と同様に住宅生産も進み、工場労働者と同様な安定して賃金が建設労働者にも支払われると考えていました。

2×4工法との出会い
1960年度末、多くの住宅産業関係者が米国に出掛けて米国の工場生産住宅システムを学びに出かけました。そのとき、図らずも、米国のホームビルダーたちが高い利潤を挙げた経営を行い建設労働者が日本の何倍もの労賃を得ていることを見学し、その理由を検討する人たちが現れました。それらの人たちが米国のホームビルダーの経営の鍵はその生産性の高さにあることに気付き、そのデモンストレーションを米国の大工を日本に連れてきてそこで実践させてみようということになりました。それが日本におけるホームビルダー運動の始まりでした。米国から招かれた大工たちは、床面積100㎡の2階建て住宅を3人の大工が69人・時間(マン・アワー)で建設する予告し、米国の通常の施行を日本の建設産業が見ている前で実践することになり、結果は72人・時間(マン・アワー)で構造を作ってしまいました。5大紙とTVはそれを4段抜きの記事やトップニュースで報道し多くの人を驚かせました。
これを見て一番「脅威」を感じた人はカナダ大使館の商務官たちでした。日本に2×4ランバーの売り込みを7年間継続して全く成果は出ていませんでした、そこでカナダ大使館では日本に2×4ランバーの営業販売を中止する決定をしたときに、米国人大工の記事が日本のジャーナリズムを賑わせたのです。カナダ大使館商務部は、金子勇次郎住宅生産課長に大使館で使える年度末までの海外出張費の大きな部分を割いて、日本からの2×4ミッションを迎えたいという提案を持ち込んだのです。
それを受け建設省は住宅政策的観点で住宅局からは私(戸谷)、カナダのCMHCと硫黄で住宅金融公庫の指導課長(丹羽さん)、建築技術基準を扱う建築研究所対応で建築研究所の有機材料室長(今泉さん)、農林物資の技術という森林研究所の関係で農林省の林業試験場部長(上村さん)の4人がメンバーとなりそこにカナダ大使館の矢崎書記官が世話役をするというチームで約1か月調査に出掛けました。

カナダの意図、日本の希望
カナダの日本政府職員承知の目的は、カナダの隣産業物資を日本の国内で遣えるようにするための制度の整備にあったわけですが、そのためにカナダの林産製品の優秀性を日本政府関係者に知ってもらおうという計画を組んでいました。しかし、私は「日本の工務店が立ち直るためにカナダのホームビルダーが2×4工法の関係で如何なる利益を受けているか」ということに焦点を置いて調査しようとしていましたから、視察内容を全面的に変更するようお願いしました。そこでは「カナダのホームビルダーが社会的に高い評価を受け、高い利益を挙げているか」、「カナダの大工や建設職人が高い賃金を得て将来の生活の展望を持っているか」ということに調査の重点を置く計画を要求しました。
結果は私の希望を全面的に取り入れてもらい、主要都市の住宅地を視察し、ホームビルダーと面会し、バンク―バー(住宅資材、林産物生産)。カルガリー(ホームビルダー)、トロント(職業訓練校)、オタワ(建築研究所)までの調査は期待をはるかに上回る成果を上げることができました。

2×4工法技術基準の制定
帰国後、カナダ大使館とCOFIの全面的協力を得て、カナダ大使館職員住宅を日本向けの2×4工法の設計施工モデルテキストの作成を兼ねて行うとともに、カナダが英国で進めた2×4工法住宅推進映画の活用など、日本国内での2×4工法の理解を高めるプロモーションを行う一方、ともかく日本の建築基準法行政の中で既存の技術基準には適合しないが、それ自体として安全性の高い工法として「枠組み壁工法技術基準を定めることにした。私には2×4工法の構造技術としてのダイアフラム(平板構造)も、石膏ボードで形成するファイアーコンパートメント(防火区画)の理論が十分こなせていなかったので、とりあえず、日本の建築基準法で採用されている壁構造の理論と先に私が建築基準法第5次改正で採り入れた防火区画の考え方を取り入れた技術基準をまとめ、建築基準法に基づく建設省告示として告示した。それと並行して5年間5億円の総合技術開発プロジェクトを発足させ、その成果を日本の2×4工法の基準に採り入れ米国やカナダ並みの建築を可能にする予定であった。私はそれまでの段取りを終えた後、インドネシア政府の社会開発事業に専門家として派遣された。3年後帰国したとき見た日本の2×4工法は建設省と業界と学者の利権で調査研究計画は破壊され、中止させられていた。

NAHBからCM技術の導入
帰国後私には官僚に戻る道は閉ざされていたので、民間レベルで工務店の経営改善を行う方法として全米ホームビルダー協会が米国政府位のOBT(工業生産住宅)に対抗してその経営を改善する方法押して、CPM/CPNを軸に工務店の生産性を高めるCM(コンストラクションマネジメント)により、ホームビルダーが工場生産住宅に勝る生産性を実現し、高い利潤を上げ建設労働者に高い賃金を供給できる経営体質をつくり上げたことを見て、それを日本で実現しようと考えた。そこでNPO法人住宅生産性研究会を設立し、全米ホームビルダー協会と相互友好協力協定を締結し、CM関係テキストの翻訳を行う一方、CM教育の普及をNAHBの支援も受け、全国的に展開した。しかし、その運動は輸入住宅政策が展開されている間はそれを学ぼうとする工務店も多くいたが、輸入住宅政策が蜂起されるとともにCM教育も火が消えたように衰退した。その最大の障害は政府の住宅産業政策が建設業を製造業と考えるのではなく建設サービス業と扱うことに合った。住宅の価値と価格の関係が破壊されていることにあった。
しかし、日本以外の工業先進国ではホームビルダー(工務店)の建設業精鋭技術は、世界中どこでもCM(コンストラクションマネジメント)教育として行われていて、それが実施されていない国は世界中で日本だけである。その結果、日本だけは住宅価格が高く、住宅を購入した人が例外なく資産を失うという社会を作っている。それでいて工務店経営は火の車で、建設労働者は他産業に比較して低い賃金と将来性の見えない職場で働かされている。住宅生産に携わる工務店の安定経営ができ、そこで働く職人に生活できる賃金を供給することができなくて、国民に安心できる住宅供給をすることはできない。そのような認識の下で、改めて工務店の生産性向上を図るCM教育を原点に模土手実施しようと考えている。来る6月27日のセミナーでは何とかこのメールで書いた気持ちを伝えたいと考えている。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷 英世)



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