メールマガジン

HICPMメールマガジン第619号(2015.07.06.)

掲載日2015 年 7 月 6 日

HICPMメールマガジン第619号(2015.07.13)
皆さんこんにちは

6月29日はGKK・HICPM共催の国内ツアー「パッシブデザイン&ハンドメイド住宅視察研修会(千葉・ソライエ清水公園)」が1年3カ月の空白を置いて開催されました。見学地の計画コウウサルタンとの甲斐さんとは、以前そのコンサルタントされて、ご自身の生活されている「経堂プロジェクト」を訪問し、その事例を検証し、意見を交換を交換したこともあって、今回の見学は多くの方々にもご参考にしていた出蹴ると思って実施したものです。甲斐さんは「パッシブ環境」に大きな衝撃を受けていらっしゃって、温熱環境を自然のフローとストックの環境として把握されていることで、取り組みに対し多くの人から尊敬され、これまでいくつかのプロジェクトを進めてこられた方です。説得力のあるご説明によって、参加者は甲斐さんのお話になっているパッシブの考え方を正しく理解できたと思います。

実際に見学した住宅地は、その配置計画から建築計画まで、パッシブにこだわり、パッシブ理論により最終計画決定をしているという意味では、甲斐さんの考え方を計画に取り入れる方法を分かり易く説明しているプロジェクトでした。そのような意味で、今回の研修ツアーでパッシブの考え方を理解する上で、大変有効であったと思います。
研修了後、ご参加の方からメールや、口頭でいろいろご感想を聞かせていただきましたが、米国のヴィレッジホームやケントランズ、セレブレイションなどの実物をご覧になった方からは、
(1)住宅地計画は居住者の生活全体を考える全体の設計計画がパッシブ計画のため歪められているのではないかとか、
(2)基本的にこれまで多くに住宅会社が行ってきた「差別化」も手段として「パッシブ」を使ったものでしかないのではないか
(3)街並み計画といった計画が、時間軸を入れて植栽の環境管理計画を考えた計画として考えられていないのではないか。
(4)もともと森を形成することができない広さの空間に森の自然を造ろうとして、駐車場の計画や隣地境界線の設定には無理があるのではないか。
といった的を衝いた指摘も受け、やっぱり欧米で優れた計画を見ているとそれとの比較でしっかりした批判ができていると思いました。
甲斐さんご自身はパッシブ関係の理論を学び試行錯誤をされてよいものを計画してこられたわけで、決して付け刃な技術ではありません。しかし、実際によい事例を見ていないとパッシブな技術を使ったこと以上に計画を広げることは難しいということを示していると思いました。

以前HICPMの副理事長であった成瀬大治産は、若い人を見ると、「自分に金を掛けないとだめだ」と口癖のように言っていらっしゃっただけではなく、HICPMのツアーに参加されたり、プロジェクトの関係者をひきつれて所員海外にお出かけになるとともに、自分の事務所に英文のこなせる所員を雇って英文の資料の翻訳をさせ、海外の住宅・建築・都市の知識・技術の勉強を怠らないようにされていたことをいつも見てきました。
私と共著で学芸出版から出版した『アメリカの住宅地開発』(居間は絶版になっています)には成瀬さんの思いが一杯詰まっているように思います。住宅地に生活する人の目で見て「憧れの住宅地」であり続けるような住宅地経営管理が行われることが、住宅の資産価値を維持向上させ続けることになるのです。成瀬さんは自らの生活を豊かにする生活の実践者として周囲の人に良い教師であっただけではなく、私も成瀬さんの生き方から教えられる所が沢山ありました。

今回見学した「千葉・ソライエ清水公園」は、住宅地経営という観点からは、基本的に経営管理システムはできていなく、甲斐さんの考え方を尊重するという「住民の紳士協定」というか居住者の気持ちに頼って現在のところは環境が維持管理されています。日本の多くの住宅地経営管理と言われているものは、
「いい住宅地計画を造ったのであるから、居住者はそれを悪くするはずはない、
規則で縛れば合理的であるかもしてないが角が立つ。
居住者がお互いに信じあえなければ、ルールを決めても守られない。」
という意見等よく反論として出されます。しかし、私が知る所では、「紳士協定」は基本的にないと同じになってしまいます。
一方、その対極として、ルールで縛るのではなく、「絆」を育てることを重要だという人もいます。私の知っている日本中の関心を呼んだあるコーポラテゥブで、売り物の「絆」があるボタンのかけ違いから、「絆」が「村8分」の分裂コミュニテイになった事例を見てきました。
「日本は農耕民族で、欧米のような狩猟民族とは違う」という人もいます。その前提自体が街まっていると私は思っていますが、そこから導き出される「村」の信頼関係という理屈もためにする議論で全く説得力を持っていません。農耕民族化狩猟民族かという違いというものを社会科学的に十分な分析もないままに我田引水して、牽強付会な理屈を展開する人が多すぎると思います。

アングロサクソンはバイキングで船の技術を使い建築物は木造が中心です。しかし、「ヨーロッパは石の文化である」という議論にいつも狩猟の議論と同じように出されます。その間違いを指摘するのに無駄な時間を使います。狩猟をした人も農耕をした人もいます。米国にネーティブアメリカンがいたり、カウボーイがいて狩猟をしていたと同じくらい、アイダホポテトではありませんが農耕を行って生活の基盤を造った人たちも沢山います。ヨーロッパも米国も大農業国での本国家の理論も日本以上に厳しくなされてきました。

パッシブの議論は、江戸時代の江戸ではし尿を近郊農業の肥料に使い都市と農村のサイクルでエコロジカルな環境を造りました。いま世界では米国との国境が再開されようとするキューバの農業がオルガニックでエコロジカルということで世界の注目を浴びています。
所得が経済成長時代のように天井知らずに上昇することはなく、先進工業国の所得は発展途上国の所得と平準化する方向に向かっています。限られた所得の範囲で豊かな生活をするためには、住宅の用に高額な物を安く造るとともに、安く維持管理できるようにする技術が求められて活かす。それらの先進技術は経済的に貧しい社会で開発された技術、その代表的なものがパッシブ技術なのです。

このような文明論的な認識の下で住宅・都市に関係する知識、技術を見て行くと、大きな人類史的な視点で間違いを犯さないで技術に取り組めると思います。今回は感想めいたメールになりましたが皆様のご感想を聞かせてください。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)



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