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HICPMメールマガジン第645号(2016.01.15)

掲載日2016 年 1 月 15 日

HICPMメールマガジン第645号(2016.01.11)
皆さんこんにちは

来週ホームビルダー研究会が1月19日に京都で開催され、そのときにレンガの話を依頼されました。レンガと言っても無数の話がありますのでどうしようかと思っていたら、会員の方が、「レンガの歴史的、世界的な流れとしてレンガの話」を把握したいということと、「レンガは、建築にとって優れた材料であり、技術であること」ということを話してくれということになりました。

第1回:「レンガの歴史的、世界的な流れとしてレンガの話」
レンガの話の前史

『ゴールデンスレッド(黄金の意図)』という本の翻訳の話が日米関係の橋渡しをされている片岡さんからあり、私は英語力が不足して翻訳に参加しませんでしたが、内容が大きな話で面白かったので、建築研究所の児玉さんを紹介し、日本版が出版された記憶があります。
その内容は人類の住まいの歴史を説明したもので、最初は「横穴住居」と「竪穴住居」から始まったことに始まります。この2つの住居形態は現代の住居にもつながる原点です。空間を造る方法として、山岳地や丘陵地の場合、壁に穴を掘ったり、崖に自然に開いている穴や、壁に穴をあけてそこに居住する「横穴住居」と、平地の場合には、平地に縦穴を掘り、穴の周りに壁を造り、そこに屋根を付けるという方法です。中国の「ヤオトン」は平地に大きな深い、ときには地下2階、3階にも及ぶ深い縦穴を掘って、その竪穴の壁に横穴を掘ってそこに居住するという人類史の「生きた化石」のような住宅もあります。これらの住宅で人類が最も苦労したことは穴の口をふさぐことです。その方法は、上部の穴には屋根を掛けるということであり、横の穴には壁に造られた開口部を、壁やドア、窓を設け、その開閉で対応することです。

2つの建築技術と建築材料
屋根の技術は木材で骨組みを造り、そこに草や木のは、木の皮などで雨を流すようにすることが基本的な対応でした。そのために屋根葺き材は頻繁に葺き替えることが必要となりました。木材は重量当たりの引張強度、曲げ強度、圧縮強度、せん断強度が鉄よりも強く、加工が容易で、構造材料のスーパーマンのような存在でしたが、木材は構造寺領以外に、造作材、建具、家具、什器になるほか、燃料にもなる貴重な資源でした。費を料理や暖房のために使うことが人類の他の動物と違う所と言われているほど、人類文明に不可欠は材料が木材でした。森林がある地方では木材はふんだんに得られても、砂漠地帯ではなかなか得られない材料でした。しかし、建築空間を造るためには、引っ張り力、曲げ力、圧縮力、剪断力に強い木材は貴重な横架材として古代より以前の人類の創成期方多雨買われた材料でした。
一方、「横穴住居」の開口部はそれを石や土で塞ぐことによって、安全で住み易い空間とすることができましたが、石は重く、加工や運搬や積み上げる作業が困難であったのに対し、木材は容易で、それについでは、土は容易に積み上げられました。特に粘土など粘性があり、固まりをつくりやす材料の場合には、土を固め、「日干しレンガ」を造ったり、「焼成したりレンガ」を造れば、構造的な強度も耐久性も高まり、取り扱いやすく素晴らしい可能性がある建材になることが理解されました。

木材の利用
木材は軽くて加工性が良く、構造材料性能が高いことで、建材としてとても使いやすい材料でしたが、木の性質は燃焼し、腐食する性質もあるため、その使い方には木材の特性を考慮しなければなりませんでした。人々に暖を与えるだけではなく、その加工性の良さから道具になったり、インテリアや家具や什器や道具になったりするとともに、水に浮くことから船舶や車両などの運搬器具としても使われました。木材の中には腐食せず、水より比重の大きいものもあり、火災に遭っても外部から加熱が供給され続けない限り、年商を継続しない性質もあることが解かり、その後木材の利用方法は大きく広がることになりました。木材の効用が分かるにつれ、人びとの木材使用量は拡大しました。その結果、人類はその文明の発展とともに森林を破壊し続けていきました。その中には東南アジアの焼き畑農業やパームプランテ―ション造りのような理由で森林伐採を行い、木材を切り尽すことにもなり、木材は国際的に輸出入も行われてきました。木材は建材の双璧と考えられるレンガ造りのために、焼成煉瓦の燃料に使われました。その結果、中国のゴビ砂漠は万里の長城のレンガ造りで焼成煉瓦の燃料として森林が切りつくされて回復しないため造られた砂漠であるというような話を聞いたことがあります。木材は地上から急速に消えていったため、その価格は急騰し、手に入らなくなっていきました。

「ゴールデンスレッド」(黄金の糸:太陽)の登場
エジプトではナイル川を利用して石材を運搬してピラミッドのような大建築物や大神殿を造りました。その技術はギリシャ建築につながるのですが、実はそれ以前の時代には木造建築が中心でした。現在、当時建設されたと考えられる木造建築は、風化や腐食で現在では跡かたなくなってしまっています。しかし、実は石造建築の前身は木造建築だったと言われ、その証拠(痕跡)は石造建築の意匠にはっきり表れています。木造建築が木材の入手が困難になって建てられなくなり、その代替材料として石造建築が生まれたと言われました。
やがて、その石造建築は石材の供給が十分できなかったことで、レンガ建築が生まれたと言われています。その証明をするものが石造建築やレンガ建築に見ることができます。石造建築の装飾として使われている柱、梁、桁、小屋組みを始め、屋根(破風やペディメント、母屋)、やエンタプラチャーのデザイン要素の殆どが木造建築のディテールだというのです。石造建築の衣装が木組みや継ぎ手の詳細が木造建築を見習ったものであることは、木造建築が貴重な建築とされた証拠です。
レンガ建築の意匠は、基本的に石造建築のデザインをレンガ材料を構造下地材料として使うことから始められました。外観として石造建築と同じ建築がレンガ下地の漆喰仕上げ又はモルタル仕上げの建築として造られました。エジプト時代の石造建築は、石造の化粧として表面にモルタルを無理、そこに冷えろグラフと呼ばれる文字を書いたことは知られています。モルタル多漆喰で化粧することで、その下地の石造としては、現代的に家は廃材が使われていたことはよく知られたことです。その廃材に代わってレンガが使われるようになったのです。
素朴なレンガ建築には、粘土を固めて乾かして造ると言った壁を衝く目的のレンガ積みが行われ、日干し煉瓦に改良され、焼成煉瓦への道を歩むことになります。焼成煉瓦は、当初はレンガの焼成温度が低く、構造耐力がありませんでしたので、石造の安全建築を造る構造不況技術が採り入れられました。安全な石造建築は壁の隅石をしっかり積むことと、開口部のアーチをしっかり作ることでした。その技術はレンガを構造材料として使うときから始まっていましたが、その後、化粧レンガ建築においても、デザインに取り上げられているクオイン、キーストーン(要石)等は石造建築デザインをレンガ建築に取り入れたものです。木材は木材生産の少ない地方では、食料を加工する燃料や暖を取るために燃料としての利用が優先され、建築材料としての地位を失いました。そのように貴重な木材を燃料に使うことを避けるために人類が考えた代替エネルギーが太陽エネルギー(ゴールデンスレッド)でした。

南面向け建築と人文科学
建築物の計画に関し、日本では南面建築を重視していますが、実は日本人の考え方を古代ギリシャでは建築計画の一般原則にしていました。その理由は、木材が貴重品で、人びとが暖を取るために木材をふんだんに使うことができなかったためでした。そのため、ギリシャの古代建築から、建築は冬の暖房のために南に向けて開放する建築が採用されているのです。日本も戦後の貧しい地代には暖を取ることが最も大きな関心事でした。そのため、戦後の政府施策住宅で中層住宅が登場したときの技術基準の最も重要な規定が。「住棟の満面配置」と、「冬至4時間日照の確保」でした。その時代の厳しい生活が、源田に至っても、一般国民だけではなく建築専門家まで、「南面住宅」の拘りとなっています。
現代の欧米では太陽光は家具やカーテン、敷物その他建築物の内装を退色させ、紫外線で劣化させるので、太陽光を避けるように計画することが恒久住宅の設計の常識になっているとも言われます。米国を調査して分かったことは、第2次世界大戦直後までは、米国でも暖炉効率を考えて多室南面居室重視の住宅計画でした。しかし、その後、住宅の外壁(エンベロップ)における機密断熱が実現できることになって、太陽光に依存する住宅計画は廃棄され、基本的に道路に顔を見せる住宅をつくり、街並み景観を一層重視することになったと説明されています。
エネルギー危機になってアクティブソーラーハウスやパッシブソーラーハウスがこれらの人類の過去の歴史から再評価されているというのが『ゴールデンスレッド』という本が出版され、人類の歴史的視点で住宅のエネルギーを考えなければならないと訴えているところでした。この本は40年以上昔に読んだ本で、私の記憶にいろいろ間違いもあるとは思いますが、今でも原著を読んだときの印象は強く、欧米の建築教育は歴史・文化・生活を扱う人文科学(ヒューマニティ―ズ)で扱っていることが理解されました。欧米のソーラーに対するハードな研究は日本でも同じように取り入れていますが、ゴールデンスレッドに書かれているような人類史の流れにお中で捉えることはめったにありません。それは日本では建設工学(シビルエンジニアリング)としてしか建築の問題を考えないからです。この本で最も印象的だったことは、ギリシャの建築デザインが木造建築のデザインに高い憧れをもって作られているということでした。

サマルカンド(シルクロードの中心地)
昨年訪問したシルクロードの住宅・建築・都市に関しては、現在、HICPMビルダーズマガジンで、第233号からシルクロードの中心を訪問した記事を3カ月にまたがって連載中です。ヨーロッパのルネサンス時代に登場したアミール・ティムールという偉大な人物が、現在のウズベキスタンに生まれ国家を発展させました。ティムールは、ヨーロッパがルネサンスで大きな成長を果たしたと同じ時代、チンギスハーンによって破壊されて都市の文化を復興し、シルクロードの文化文明を復興したことで、この地では歴史の英雄とされています。そこに建てられた文化は紀元前3世紀の統治を訪問したインドへの大遠征を実現したアレクザンドロス大王が、サマルカンドに足を踏み入れたとき、「聞きしに勝る美しい都市だ」と言われたほど素晴らしいレンガとタイルで作られた美しい都市文化を誇っていました。その偉業を西欧のルネサンスと同時代にアムール・ティムールが国家の統一と発展とともに過去の文化を復興したと言われ、その遺跡から紀元前50世紀の時代を創造することができます。
あr岐山ドロス大王が東方遠征で訪問した当時のサマルカンドは、ナイル川、チグリス・ユーフラアテス河、ガンジス川、インダス川、黄河、と世界4大文明の交流する結節点(ラウンドアバウト)にあって、シルクロード文明の中心地でした。経済的に世界で最も栄えていたところであったと言われています。中国からも紙をつくる技術がヨーロッパに向かい、寒い気候に耐える羊毛を使った衣服や絨毯、毛織物、塩、食物、香油、薬、宝石、貨幣、金属装飾品などの交流が行われていました。
この地の建築には驚くほど素晴らしい木造建築も残っていますが、大多数の建築はレンガ建築です。木造建築として残っているものは工芸作品と言ってもよい建築物で、少なくとも私達が観ることのできるものは数千年の歴史を経て残された芸術的に高い品質を誇る柱をアムール・チムールの時代に収集して一つの建築物にしたもので、悪く言えば寄せ集めの柱で造られた建築物ですが、見方を変えれば歴史的評価を受けた木造の骨とう品的な木造の柱で造った建築ということになります。

レンガの建築
建築材料として自由に、無尽蔵に使える材料として残された材料は煉瓦だったのです。レンガは土{粘土}を固めて乾かし、そのまま建材として使うもの、粘土に植物を乾燥させたものを混ぜて整形し乾燥させたもの、粘土を整形し乾燥させてから焼成したものなど、整形や焼成の仕方によって無数の種類があります。共通していることは、これらの材料はすべて圧縮材料であるということです。木材や鉄骨材料のように引張り力や曲げ力や剪断力が強くありませんから、その利用範囲に大きな制約を受けます。建築構造的に大きな制約を受けながらも、レンガ以外に利用する建材がないということになれば、知恵を絞るしかありません。アーチやドームの技術はそのような制約の中で開発されました。建築空間を造るためには間口と奥行きの広い空間が求められます。空間の中に柱列を立てることも実際に行って広い空間を造った例もたくさんあります。
ミステリー小説『ナイル殺人事件』で世界中に有名になったルクソール神殿のような建築がたくさん造られましたが、やはりできれば空間内部に柱を立てないで見通しのきく空間を造りたいという人類の要求に応えてハギアソフィア(イスタンブール)のキリスト教教会が作られました。そのため、ハギアソフィアはイスラム教も大切にし、モスクとして使われ、今では大博物施設になっています。ハギアソフィアの建築をルクソール神殿と比較すれば、そこには建築技術の驚くほどの違いが一目できます。図書キリスト教寺院として造られたものですが、そこにはヘレニズム文化文明が駆使されており、合理的な建築構造として造られたものでした。イスラム業がヘレニズム文化を尊重した所にその化学時術の発展と、国土拡大に秘密があったのでした。その建材は煉瓦が石材と一緒に使われています。石材とレンガとは建築材料としては同一の種類として扱ってよい建材です。レンガの焼成温度が高くなれば時期となり石材よりも高度が高いものも造ら得ます。アーチとドームの技術を組み合わせて巨大な柱のない空間を造り上げている様子は、ハジアソフィアを見れば最もよく理解できます。

イスラム建築とルネッサンス。
イスラム世界はキリスト教世界よりはるかに科学技術が進んでいました。それはアレキサンドロス大王がヘレニズム文化・文明をこの地に持ち込んで以来、その合理主義を大切に育ててきたからです。7世紀に生まれたムハメッドによるイスラム教は、統治の科学技術の高さを背景にその勢力を政教一致の政治によって拡大し、紀元1000年にはキリスト教国はイスラム教国に押しつぶされそうになりました。
キリスト教国はイスラム教国に追いつかなければと考え、「オリエンテーション」(東方の国に倣え)と言ってイスラム教国(アラブ)から科学技術を学びイスラム教国に近づこうと考えたのです。しかし、その方法ではイスラム教国に勝る力はできないと考え、イスラム教国の力の秘密を研究しました。その結果分かったことは、イスラム世界にはアレクザンドロス大王をついで、その部下がプテレマイオス王国、セレウコス王国を築き、その後東ローマ帝国が影響を与えたアラブの国は、ヘレニズム文化・文明が大切に育てられ、科学技術の進んで合理主義国家であることが分かったのです。
そこでキリスト教国でよく考えてみると、ヨーロッパが世界(当時の世界は地中海)を支配した国家古代ローマがヘレニズム文化文明を基本にした国家運営をしていたことに気が付いたのですた。そこでキリスト教国では、ヘレニズム文化・文明にもどる古代ローマ文明・文化の復興を、「ルネサンス」と呼んで進めることになったのです。アラブ世界の優れたレンガ建築の文化はそれを支える技術文明と一体になって、ヨーロッパ世界における建築技術に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。
現在サウジアラビア(スンニ派)とイランがイラン(シーア派)とが厳しい対立をしています。キリスト教とイスラム教は、エホバ(キリスト教)とアッラー(イスラム教)は同じ神で、キリスト教のアブラハムからダビデなど多くの祖先はイスラム教の聖人です。わたくしには現在の対立は近親憎悪のように思えますが、科学技術や多くの文化文明には対立するものより共通するものが多いことを感じます。
(NPO法人住宅生産性研究会(HICPM)理事長 戸谷英世)



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