メールマガジン

HICPMメールマガジン第665号(2016.05.23)

掲載日2016 年 5 月 23 日

HICPMメールマガジン第664号(2016.05.23)

皆さんこんにちは、前々回お知らせしていたコーカサス旅行の報告を致します。

ゴールデンウィークのコーカサス旅行

ゴールデンウィーク明けの5月5日から1週間コーカサス地方を観光してきました。
殆ど訪問国に関する予備知識ななかった国ですが、アレクザンドロス大王も驚き、チンギスカーンによって壊滅的に破壊された遺跡をアミール・チムー ルが復興したサマルカンドと秦の始皇帝の兵馬俑のあるシルクロードの玄関である西安に続き、シルクロードの通っているこのソ連の統治下にあった国 を見て回ろうと思って出かけました。アぜルバイジャン、ジョージア、 アルメニアの順に回りました。コーカサス地方は、アララット山があるノアの方舟伝説の土地でもあります。

2020年東京オリンピックメイン会場の計画変更
最初はアゼルバイジャンのバクーに入りました。事前の参考資料で西洋風の都市と聞いていましたが、実際のバクーの都市景観は、それを上回るものでした。100年以 上の間、世界の石油資源の半分近い生産を担ってきた最富裕国がバクーで、その石油関係資本が世界の優秀な建築家たちを使って、それぞれの時代の最も優れた建築を1世紀以上に亘って建て続けてきました。その結果、驚くべきバクーの都市景観が作られたことを知ることができました.バ クーでの最終日に2020年の東京五輪・パラリンピックのメーン会場となる新国立競技場の白紙撤回された当初案を手掛けた英国の 女性建築家ザハ・ハディド氏の建築を見学する機会を得ました。欧米では設計者は建築主の予算を前提に設計をし、設計者自身が自分の設計が建築主の予算の範囲緒でできることを考えて設計します。ザッハ氏の建築は日本の予算の範囲で吊ることが出来るものでした。しかし、日本の施行者は過去に手掛けたもの以外は未知数に大きな保険を掛けて見積もる結果、設計見積の2倍以上になったと思います。その責任は金儲け本位の日本の建設業者とそれに群がる政治家、官僚、オリンピック関係者で構成される護送船団関係者の集り分だろうと思います。日本の建設業者にできない工事ではないと思いますが、合理的なCMができないので、工事費を吹っ掛けたために計画が不能になり設計者には気の毒なことでした。その時初めてザッハ氏の設計した建築を見ましたが、多分日本のオリンピック関係者たちは、「ザッハ氏の建築は話題になる」とたまげて、我先に推薦したのではないかと 思いました。日本で1964年東京オリンピックに丹下健三の代々木体育館を、未だに、世界最高と思っていたオリンピック委員たちは、ザッハ氏の建築であれば、それ以上の話題となるだろうと考え専攻したと思えます。

約1世紀以上西欧建築デザインの前衛であり続けたバクーの建築
バクーの街は、1970年代末から、石油資本が世界の再興の建築家を石油資本の建築設計に登用したこともあって、現代まで19世紀末建築ともにネオクラシカル、バロック、ビクトリアン等のヨーロッパの建築様式と並んで、アメリカのシカゴ派のサリバンなどの超高層建築とアールデコの建築 にアラブのモダニスモ様式として『アルハンブラのアラブデザインを超高層建築のアールデコの幾何学模様に編集したもの」など、当時から現代までの 再興の建築家が時代の代表的な建築物を建築したことで非常に見ごたえのあるバクー市の街並みを誇っていました。現代では3塔の「フレームタワー」、(189階建て、高さ1050m )と呼ばれる遮熱ガラスを使ったエネルギー保存建築物を炎のデザインを高台の上にバクーのシンボルとして建築し、バクーが100年以上とし建築とて世界を引っ張ってきている様子を知ることができました。

「グルジュア」から「ジョージア」に国名変更した国
隣のジョージアは、ソ連のスターリン書記長の出身国で、未だにソ連との関係は強く、かつて、ソ連がこの3国を支配していたと当時、戦時中西部戦線 から捕虜として強制徴用したドイツ軍人酷使して「軍用道路」の建設に当らせました。それがジョージアとアルメニアを結び、ソ連に通じる現在の「両国を繋ぐ交易幹線」になって いました。この2000mの高さを走る軍用道路の両側に見える景色は雪景色で、バスの外は積もった雪の上を吹く風で冷たく、こんな環境のよりも遙かに厳しい厳冬まで、ソ連は捕虜に食事も10分与えず働かせました。そのため、その中で多くのドイツ人捕虜は重労働による疲労と栄養失調と寒さと不衛生環境のため衰弱死んで行きました。そのお墓が「十字架の峠」と呼ばれるジョージアのア ルメニアに向かう軍用道路の峠に、墓地とともに十字架が置かれていました。日本の満州に入植した開拓民で、現地で軍体に徴用され、南洋の戦線に転進することになり、満州で残されていた軍人の多くは、ソ連軍の捕虜になり終戦後何年も強制労働させられ、そこで死んでいきました。昨年ウズベキスタ ンで訪問したところにも、ウズベキスタンのオペラハウス建築に強制徴用され死んでいった日本軍人の墓地がありました。

ジョージアの建築
私がジョージアでは世界遺産であるジョージア正教会をたくさん見ることが中心で、そのため、市街地見学は圧縮されていましたが、ジョージアにはよい建築がたくさんありました。私達が宿泊した展望塔が丘の上に立つ高台の直下に外国公館立っていた近くにあったホテルは、アールニューボーのデザインでインテリアから家具までまとめられていて、19世紀末ヨーロッパ建築を感じることができました。ホテルの中央の吹き抜け部分の手すりのアイアンレースや玄関の庇や階段部分の手すりに使われているアールヌーボーのデ ザインはホテル宿泊客に豊かさを感じさせるものでした。日本でアールヌーボーというと、肩が張った感じになりますが、ジョージアで見るアールヌー ボーは自然体で生活を楽しむことのできる寛げるホテルでデザインとして自然な形で使われているように感じられました。

ジョージアとアルメニアとの経済落差とアルメニアの文化性
ジョージアからアルメニア国境に入ると、かつてのアンモニア工場の廃墟同然に衰退した姿に始まる廃村同様な衰退して工場街が始まり、それ以外はと言えば、畜産を粗放的に行う農村が広がっていました。率直に言って、「貧困そのものの国」という印象でした。そこで見学した対象はアルメニア正教会の教会など宗教建築が中心で、確 かに歴史文化を伝えているアルメニアは立派な歴史を持った国であることは理解できましたが、どこの貧しくて国家そのもの場破綻寸前のように思われ ました。
しかし、アルメニアという国は歴史、文化、芸能などを大切にする国のようで、この国の国民の文化を生み出す力は優秀で、芸術家、スポーツ選手、文学者などを多数輩出していることを 聞かされました。アルメニアの首都エレバンの中心には高台があります。その高台の土地から、既存のエレバン市街地の中心との高低差は、200メートル以上あると思われます。その高台から市街地の中心広場に建てられたオペラハウスまで、高低差約300m、長さ約以キロを巨大都市公園「カスケード」が作られていました。この都市公園全体をカスケードと呼ばれる「滝」をテーマにした6段の幅200mの高幅員の公園道路が建設されていました。カスケードは地上部に様々な滝をテーマにした公園が作られ、 その地下には上下2方向に走るエスカレータで上下できる大きな傾斜した丘陵に合せた芸術文化的な作品の展示場がありました。

美しい町並みを作ってきたエレバンの都市計画
私が驚いたのは、そのエスカレーターを降りたところから始る首都エレバンの中心地が一の街並み景観として光彩を放っていて、私にはチェッコスロバキアのプラハの都市景観のように映ったことでした。赤や茶色や黄土色などさまざまな色彩の凝灰岩を積み上げて造った位階を店舗としその上階を住居とした4階又は5階建ての併存共同住宅の 街並みは、それぞれの建築物ごとに個性を発揮しながら、街並みとしてとても美しい景観を公共事業のように造っていました。これは少なくとも200年かそれ以上の年月を使って造りあげた街並みで、基本となる都市計画とその都市計画を大切にする国民なしにできることではありません。ガイドさん街並みが美しいと言われませんかと尋ねたところ、「プラハに似ている都市である。」とよく外国人からも言われますということでした。
私は、その時、プラハと並んで記憶に強く残っていたルーマニアのチャウセスクの世界第2の大きさを誇る宮殿と、それに従う形で造られた首都の都市計画を思い出していました。権力を誇示するために街並みを造ったチャウセスクと比較して、アルメニアの中心市街地は各建築物の個性を尊重し、その相互の調和で美しい市街地を作っていることに、優秀 な建築家の設計と並んで、エレバン市民の都市に対する気持ちを感じることができました。多分、アルメニアの国民に高い都市文化を享受する文化蓄積が あったためだと思いました。

アルメニアの問題

アルメニアはユダヤ人がドイツに虐殺されたと同じか、それ以上の規模でトルコに虐殺された国民で、その歴史を私はほとんど知りませんが、ユダヤ人同様、国民が世界全体に散らばっている民族です。この問題は人類の問題としてユダヤ人問題同様に世界中の人が考えなければならない問題だと思いました。オスマントルコの虐殺と弾圧を受けながらも民族の誇りを維持してきたところにエレバンの美しい市街地が残っているように思えます。エレバンお美しい市街地には高層建築や庁相建 築は登場しません。この街の裏側を見て、そこに高層建築や超高層建築があることを知ることができました。中心から少し離れた所に国民広場があり、大きな広場を囲んで博物館や中央官庁、金融機関など国家としての重要な建築物が建てられていましたが、国民広場としての都市空間を尊重して隠 し建築物が建てられているところにアルメニアの都市空間に対する優秀さを見ることができました。

今回訪問した3加工の首都、バクー(アぜルバイジャン)、トベリシ(ジョージア)、エレバン(アルメニア)その全てが日本の都市と比べると比較 にならない優れた都市計画でそれぞれの国の歴史文化のストックを国民が大切にしていることが分かり、昨年私が書いた『フローの住宅、ストック の住宅』(井上書院刊)という欧・米・日の3カ国比較は、基本的に正しかったという確認をする機会にもなりました。皆さんも何かの機会がありましたら、この3国は小国ではありながら、街並み景観としっかりした建築様式と言った大国にない素晴らしい(住宅・建築・都市のデザインと言った)宝を大切にしていることを気付くことになると思 います。19世紀から21世紀にかけての西欧建築デザインと都市景観とを駆け足で見て回れるところでもあるのです。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)



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