メールマガジン

HICPMメールマガジン第672号(2016.07.25)

掲載日2016 年 7 月 25 日

メールマガジン第672号(2016.07.25)

皆さんこんにちは

久しぶりの休暇でリフレッシュ

先週1週間、バリダンスを20年以上楽しんでいる娘家族と、40年前の私が日本政府から住宅都市開発の専門家としてインドネシアに派遣されたところへ、「思いでツアー」に出かけました。出かけたところは、家族7人とジャカルタのニュータウンとして開発され、そこで3年間生活した「クバヨランバルー」です。クバヨランバルーはオランダ人建築家が80年以上前のオランダの植民地時代に設計したガーデンシテイで、私たちが40年前に生活したところを見てみようと40周年目の記念旅行を行いました。そのような気持ちになりましたのも、この約10年間関係した「聖域なき構造改革」に基づく都市政策事業関連の行政事件訴訟が、目下2件の係争中の訴訟を最後に終わろうとしていますが、その総括を一応まとめることを、略、終えて気分的にゆとりができ旅行を計画したわけです。

この10年間取り組んだ訴訟事件の総活

HICPMを創設し21年目に入りました。この21年間のほぼ、中間点というべき、とくに、平成14年に都市再生基本方針・地域整備方針・都市再生緊急整備協議会について定める都市再生特別措置法が制定されました。日本のバブル経済崩壊以来の不良債権が日本経済をデフレ・スパイラルに引き摺り込ませないように、小泉竹中内閣の下で取り組まれた「聖域なき構造改革」の実践的な政策として都市再生事業が取り組まれました。ここで言われている「聖域」とは「日本国憲法」を指し、経済再生のための財源を持たぬ国債依存の日本政府が、自ら経済負担をしないで不良債権に悩む企業を救済し、日本経済をデフレスパイラルから脱出させるウルトラCの国家政策「徳政令」を考えました。

既成の日本の法体系では国民共通の空間を民間企業に占有させられないので、「日本国憲法」に違反しても国家の「統治上必要な行為」として、立法し、行政し、司法で追認する方法を、内閣総理大臣を本部長、関係大臣を本部員とする都市再生本部を内閣に設置することが制度化されました。「憲法の拡大解釈」という説明で行われた実質上の「憲法違反」を犯して、国民の富と権利を、不良政権を抱えた企業違や担税能力を失った企業に無償供与するための立法、行政、司法を駆使して実施し、その規制緩和を実施し、その政策によって企業の担税税能力は強化され6年間に経済成長15%を果たしました。

都市再生事業の結果生まれた矛盾解消の取り組み

都市再生事業のしわ寄せは都市環境を悪化させ、大都市直下地震が危惧されているとき、都市整備を伴わない開発密度を倍増する都市開発事業は、都市の大震災被害など大きな問題を拡大させることになりました。国民はその生活環境の悪化に怯え、、立法及び行政処分の違法を争って、全国各地で行政事件訴訟が取り組まれました。私は、各地で提訴された行政事件訴訟に支援を求められ、10年間に約100件を超す行政事件(行政不服審査請求及び行政事件訴訟)に関係しました。10年以上の訴訟をとおして、その全ての訴訟には、私自身が原告となった例もあれが、住民を支援する行政法及び住宅建築都市行政専門家として弁護士を一緒に訴訟をしたものや、原告の本人訴訟を支援して行った訴訟もありました。しかし、結果を見て分かったことは、都市再生事業には、超法規で決められた国家の方針が先に決定して、それを断行したということで、訴訟自体には影響させないものでした。

訴訟の方法にはいろいろありましたが、共通したことは、その訴訟の略全てが、訴えは法的根拠を明らかにして行われたにもかかわらず、司法判断としては、原告の訴えた法的根拠に対する判断が示されることなく、「行政処分どおりでよい」と判決されました。原告の訴えは司法の説明責任のない行政処分をすべて正当化する判決で却下されました。裁判所の説明責任を果たしていない民事調停のような判決に納得できず原告は控訴したが、下級審の判決通りの理由でよいと却下され、最高裁判所に上告しても、これらの事件の基本が憲法違反に起源をもつにも拘わらず、上告に当らに問題と却下されました。敢えて「憲法違反」を問題にするものではないとして、最高裁判所の扱う問題ではないと却下した。

政治が推進したもの

100件以上の判決を検討した結果が以上に既述したように、最初から国家の方針のもとに進められた立法、行政、司法であったので、行政事件訴訟として行った行政処分自体が法律違反であったことも、司法では一切取り上げられないで、しかも、その理由を法律を根拠に判決理由を記述しないで行政処分を追認したことで、立法、行政、司法に法律違反が行われていたことの証拠は残されませんでした。この事実は政府内部の都市再生事業を牽引した政治家や官僚の中には解っていた人がいたことは間違いありませんが、私のように横断的に約100件の事件に関係することがない限り、全体が同じ政策実現のため、国家としての方針として処理したとはわからないで、個別の事件ごとの裁判としての判決と考えたに違いありません。

今回の小泉竹中内閣で行われたことは、安倍内閣にも引き継がれており、その政治は大政翼賛会政治とつながる全体主義的なものと私は感じられました。私が危険性を感じたことは、政治の指導の下で、立法、行政、司法が憲法違反を安易に行ったことに対し、学問研究やジャーナリズムという本来批判的精神を持った機能を果たすべきところが、法律を蹂躙して行われた立法、行政、司法の実態をほとんど問題にするために機能せず、「都市再生事業」を日本国憲法に適合した「憲法の拡大解釈」政策は「憲法違反ではない」として受け入れられたところに大きな問題を感じました。その理由は、「経済主義を善」であるとする立場で、日本のコンセンサスができているためだと結論付けられました。

都市再生の本質

都市再生事業の対象となる住宅・建築・都市そのものを、日本では当面の経済主義(経済的利益の拡大)を進めるフローの「物づくり」として捉えているため、都市再生事業は基本的に経済主義の手段と考えられてきました。それは、建築工学、都市工学、土木工学におけるフローとしての経済を都市の捉え方とするものであって、都市を国民の豊かな生活環境としてどのように育てていくかというストックとしての歴史・文化を担った都市の捉え方とは基本的に違ったものです。

私はここ数年間に世界財政逼迫した「貧乏国」と言われたPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)を何度かに分けて訪問し、それらの国の国民の生活は日本に比べむしろ豊かであると感じてきました。その基本は、「住宅自体の資産価値が毎年確実に上昇していること」で、「住宅を所有する人に生活に対する安心がある」と感じられたことにあります。

日本のように住宅ローン返済ができず、国民が住み替えで資産を失って貧困に突き進んでいる国と全く逆な方向にあると感じました。都市再生で住宅産業は繁栄しましたが、都市住民は高層高密度化により環境が悪化し、その上、増税(固定資産税と住民税)と物価高で国民生活は苦しくなっています。

都市再生は産業による都市空間の蚕食

当初は都市再生事業によって社会的に存在する富(都市空間)の再分配が、産業中心の経済政策として行われてきたことを問題視し、最初は、国民がその犠牲者になっている事実を具体的事例で明らかにすることを中心にして都市再生事業の問題を整理していました。しかし、現代の日本で起きていることは、実は明治時代の日本政府の富国強兵、殖産興業の近代化政策以来、戦後の日本の経済復興と高度経済政策でもあったことを確かめることができました。その共通していることは「和魂洋才」の中での「洋才」を、日本では「経済主義」と理解し、経済主義を重視する政策が欧米と共通する進んだ政策と勘違いし、「経済主義」を国家の政治の基本として正当化してきたことが分かりました。

国民が誇りの持てる「わが家」「わが街」をつくることより、国家としての経済を発展し、国家の経済が繁栄し国家の財政力をつけることが、国家として優先させるべき政策と考えてきました。そのような政策を理論的に支援する理論が住宅・建築・都市の論理としてつくられてきました。「聖域なき構造改革」は、経済改革として日本の不況対策として取り組まれたものでした。その実態は不良債権により苦しんできた企業を救済し、それにより国債償還のできる担税力のある産業体質を作り上げ、財政力によって経済を牽引する国家づくりをする明治維新以来の一貫した国家の経営政策を、今回、都市再生事業として行ったものでした。それを「都市再生」という名称で、「日本の現状の不良化した都市環境を再生する政策」のように説明が行われましたが、実際に行われたものは企業利益のために都市環境を企業利益のために蚕食させ、都市のインフラストラクチャーに過大な負荷をかけ、現在、問題にされている大都市直下地震に対する危険性を拡大した政策であったのでした。

軌道に乗ることになった出版計画

私の戦後の半世紀を超える官僚時代と民間産業界での取り組みで経験した欧米と日本の住宅・建築・都市を支える技術・知識が、明治維新以降欧米に倣ってきたはずの日本が、欧米とは真逆な方向に向かっていることを都市再生事業の中でも再確認できました。その代表的なものが住宅で、欧米では住宅を取得することで確実に個人資産が形成されるのに対し、日本では住宅を取得することで例外なく資産を失ってきました。

日本では、その学問的な理念や考え方が政治を牽制することができず、学問研究が政治に迎合し学問倫理規制の利かない状況になっていることを今回、戦前、戦後の日本の立法、行政、司法の研究から明らかになった理由を含め、今回1冊の本にまとめる出版に目途がつきました。私の住宅・建築・都市の関する戦災復興から高度成長、高度経済成長からバブル経済の崩壊、経済崩壊に直面した日本が取り組んだ都市再生事業の実施に当たって、立法・行政・司法での当事者として関係した経験は、日本の国家を理解する上には必要な事実を浮き彫りにしたもので、関係者に知ってもらいたいと考え、出版に向け努力をしました。これから出版までには、さらに数か月の期間が必要となりますが、わが国の仕組みを欧米との比較で理解するようにした作業を進めていこうとしています。

40年前生活したインドネシアの現在

今回の旅行は、わずか1週間の旅行でしたが、インドネシアは日本の戦後を後追いしているような経済主義の国づくりをしており、よい都市環境は破壊され、貧富の差がますます拡大した経済的豊かさの半面、国民の生活が経済主義に完全に捕らわれた生活に代わっていることを見ることになり、「人間は、歴史や経験に学ばない動物」と言われたとおり、インドネシア人も日本人同様、目先の利益で行動を決定し、長い目で住宅・建築・都市を見ることができない事実を見せつけられた感じがします。

旅行中に持参した日本建築家協会推薦図書、内田祥哉、池田武邦、大谷幸夫の3人の生きざまを読みました。読んでいるうちに私の官僚時代業務上も直接一緒に委員会で協議をし、工業化住宅政策の仕事をし、間接的に関係のあった3人の元東大教授のありのままの発言から、内田、池田と学会のモデュ-ルで委員長の「池辺陽東京大学教授は、建築士資格を持たなくても設計業務をやってよいといい、それは教育という形で、営業ではない。」といったことなど当時のやり取りが生き生きと思い出され、当時の非常に不愉快な気持ちにさせられました。この書籍の登場する設計業務や工事監理業務、見積もり業務は彼らの都合のよい説明で建築士法や建設業法上の定義ではない。東京大学教授は自分の利益のためには法律を蹂躙することは何とも考えていないことを改めて感じさせられた。

東京大学の教授たちは国家公務員として最高に近い給与を受け、東京大学の施設を私物化し、巨額な研究費を支給され、学生を奴隷のように無償で個人的事業のために働かせ、コンペに応募し、受託業務を行い、商業的に設計管理を請負い、コンサルタント業務委託を受け、国庫に納付すべきお金を私物化し、大きな収入を銀座などでの遊興に使っていました。日本の住宅・建築・都市の悪化は東京大学の教育にあったことを40年後であっても犯罪意識もなく口にする意識に改めて驚かされました。

「時効だよ」、「法律的には追及されるものはない」、「俺たちは白だ」という開き直りの暴言が聞こえるようです。それをアレンジしている五十嵐敬喜は法律の専門家と言って本にも登場し発言していますが、まさに法律家として活動している人には、自分のやっていることを法律に照らして正しいことを主張している気持でいますが、この本でも登場した公物財産横領の下手人、東大教授の太鼓持ちをやっている通り、私から見ると「あさましい法律家」にしか見えません。法律家と抗弁する弁護士が公金の着服を口にする東京大学教授にいさめるとか、編集段階でその恥を隠すため記事にしないとかできたはずである。五十嵐弁護士はそのちょうちん持ちをしているのであるから、どうしようもない。公衆の前で過去の犯罪を自ら口走っても犯罪を犯した自覚はなく、他人事としか思えない連中ですので手の施しようがありません。東大関係者が建設省建築研究所で行った犯罪は「ウサギ小屋の真実」に紹介してあります。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)



コメント投稿




powerd by デジコム