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HICPMメールマガジン第673号(2016.08.01)

掲載日2016 年 8 月 1 日

HICPMメールマガジン第673号)2016.08.02)
皆さんこんにちは

40年目の回顧旅行
オランダのライデンに30年近く住んでいる娘家族とインドネシアの40周年記念旅行に行ってきました。私がインドネシアで生活していたから帰国後、2度バリとジャワに一度づつ回顧旅行を行いまして、懐かしい思い出を楽しむことができ、今回も期待していましたが、今回は「今浦島」の訪問となってしまったようで、インドネシア自身が大きく変わっていることで、そこには記憶をたどるものがなくなってしまっていて、よその国に行った感じを受けました。インドネシア語自体との接触の機会がなくなったこともあり、急に外国人の早口言葉を聞いている感じになっていました。

ネグレスコホテルとニースの海岸通りの街並み景観
この旅行の同じ時期にフランスのニースで自動車が暴走してフランス公式筋は、ニースで起きたトラック突入事件の死者の数が84人、負傷者が130人以上に達した事件が起き、そのニュースの中で「ネグレスコホテルの前面の海岸の遊歩道で事故が起こった」という報道を聞き驚きました。それと同時に私はかつて、ネグレスコホテルをこれまで4回ばかり訪問したことを思い出しました。そのときの説明では、「ヨーロッパでコートダジュールを新婚旅行で最も人気のあるところで、ここに新婚旅行で来た人たちで老人になって回顧旅行でニースにやってくるといわれている。コートダジュールを訪問した人にとって、ネグレスコホテルに泊まっても泊らなくても、このホテルを訪問する人は多く、この海岸を歩いて、そのついでに根グレス子ホテルに立ち寄ることになる。そのようなわけで根グレス子ホテルの立っている海岸通りの観光は、ニースにとって観光の大きな要素となっている」という話をニースの市役所でも、旅行者の人からも何度も聞かされた。

コートダジュールの街並み景観
その理由は、ネグレスコホテルは建設のときの嗜好の面白さや美しさが、いつ来ても変わらぬ興味で感じさせるホテルであるため、結婚して40年後や50年後にこの地を訪問すると、その街並み景観が昔と基本的に変わらないため、昔の思い出がそのまま思い出されることを街並み景観のこだわりを景観に意地に対する拘りによって演出したと説明された。このホテルからのコートダジュールの街並み景観が基本的に歴史景観として保存し守られていることで、その景観自体の美しさとともに、何十年も前の思い出をよみがえらせることになるという。コートダジュールを訪問することで、訪問客がその素晴らしい人生を思い出させ、懐かしさを感じさせることをこの都市計画行政として都市景観を維持管理している気の長くなる取り組みの話を思い出した。
このコートダジュールは経済活動が盛んでそこに建ち並んでいる建築物の経営者が変わり、又は、ホテルや商業施設の増改築も盛んであると言われているが、ニースの観光課の説明では、基本的に街並み景観を変化しないように、「昔からの建築物のファサードは残すこと」が義務付けられているとのことであった。そして実際そのとおりの増改築が多数実施されていたのを確認した。ネグレスコホテルは玄関を入ったところに国王がいるような空間が造られていてそこでは豪華絢爛たる雰囲気を味わうことができた。そこから少し離れた廊下を歩くとそこに黒人の召使が直立して立っているトイレがあった。そのトイレの中も豪華で旅行者の記憶に残るところで、私自身、それが分かっていて何度も入って「ニースに来た」感じを味わうことを楽しむことができ、それが思い出を思い出される大きな要素になっていました。

インドネシアの回顧旅行:昔生活していたジャカルタ
インドネシアで今回訪問したところは、かつて私たちの家族が住んでいたジャカルタの南部にオランダ植民地時代に計画され、独立国インドネシアになってスカルノ政権が開発したクバヨランバルーというニュータウンで、そこには新政府の官庁街もつくられ、私が勤務した公共事業省都市開発総局(チプタカリヤ}も私が毎日通った住宅局(プルマハンラヤット)もそのニュータウンにあり、その後、日本人専門家3人が援助するために勤務した新設された住宅都市整備公団(プルムナス)もクバヨランバルーのブロックMに設置された。
そこにはジャカルタ南部の中心部にふさわしいダウンタウンがつくられ、当時もたいへんにぎわっていた。昼間の賑わい以上によるはパサールマラーム(夜市)が賑わいを見せ、夜の夜中まで赤々とランタンがともされ、おいしい現地の料理を楽しむことができた。人びとの行動はベチヤと呼ばれる客席を前面につけた人力起点者が一般的な交通機関で、行先と値段を乗る前に交渉することに長い時間をかけ、それも生活として結構楽しんでいた。そのベチヤは前回10年ほど前に来た時にはジャカルタでは禁止となっていて、それに代わってモーターバイクの時代になっていたが、今回はブロックエムの全体がビルに作り替えられ、そこでパサールマラームも開かれているようであったが、昔の景観は完全に失われていた。

昔生活していた邸宅
ブロックMの私たちが昔住んでいた住宅と実は隣戸と2軒に区分して賃貸されていた元将軍の邸宅で、「9・30事件」でスハルト大統領に粛清され、妻は強制的に離婚させられ、その邸宅を賃貸する収入で生活を維持していたことが後になって分かった。今は隣と区分されていた戸境壁が取り外されて、一体のもとの邸宅に戻されていたが、2軒とも現在は居住者はなく、「ディジュアール」(売り家)の看板が掲げられていた。もちろん私たちが生活していた時のゆったりした花木で造園されていた前庭はなく、その周囲の住宅は企業の社宅や商業・業務用途の建築に建て替わり、この邸宅もやがて同じ運命を待ち受けているように思えた。私が住んでいた当時のお金持ちで難題も自家用車を持っていた邸宅は豪華な事務所を併設した住宅に立て替わり、立地条件の良いこともあって政治家、官僚、経済人の垂涎の住宅地になっていることが想像された。しかし、私の住んでいた当時には各家の女中や「ジャガー」と呼ばれる雑役する下男が、家の前でたむろして雑談(オモンコソン)をして、時間の経過を感じさせない南洋の街並みは消えてしまっていた。

ツアーの概要の面白さを支えたバティック
ジャカルタは人口も多い以上に高層建築物がとても忙しく建て詰まり、息の着けないような状態であったので、そこでは昔の住宅の近くのホテルで一泊しただけで、娘が借り上げてくれた大型のタクシー、チレボン、プカロガン、パンガンダラン、ジョクジャカルタ、バンドンを回ってジャカルタから帰国するジャワ島の中心部を駆け足歩きする旅行であった。
そのなかで今回の旅行を豊かにしてくれたものはバテティックデあった。チレボンではバティックミュージアムで過去のバティックの歴史と図柄の説明を聞かされ、現在に生きているバティックの面白さが歴史に根差すジャワの交易と深い関係のあることに驚かされた、中でも「雲の図柄」にした9層のグラヂュエ―ションの色彩のバティックは、い年かけて作成するもので、説明を聞いてその興味は大きく人がって、見せられたが、高額なものばかりで購入することはできなかった。日本からバティックの研修に来ている人もいるという話で、40年前には考えられない地球の縮まりを感じさせられた。

ワヤンクリット(影絵芝居)
よくジャカルタでは夜にクラトン(王宮)でワヤンクリット(影絵芝居)を40年ぶりに見ることができたが、ガメランの音楽を聴いて人形遣い(ダナン)の物語を聞いていると知らんうちに睡魔に引きずり込まれていた。今回は華やかなクラトン(王宮)の舞台で演劇でラーマーヤナの踊りも見ることができ、またプランバナンのミュージアムでは白黒映画で歴史物語を見るなど、ヒンヅーの文化がジョクジャカルタ地方にはね強く生き続けていることを改めて感じることができた。そのような経験権を豊かにしてくれたのはバティックの着物や生地のデザインで、それは日常生活の中に隅々まで浸透し、私にとっては特別意識をしなかったが、ガメランの音楽とともにインドネシアに出かけた懐かしさとして記憶に刻まれている。

バンドン会議の間隙を伝える記念博物館
ジャカルタを見ていると日本にいると同じ経済主義が社会を引っ張っている感じでとても苛立たしい気がしましたが、今回の最後の訪問地バンドンでは昔第1回アジアアフリカ会議が開催されたところで、当時の会議場が今は記念博物館になっていて、ゆっくり歴史を振り返るとともに、植民地から独立した国々が60年前、現代の世界の進む方向を、この会議で示したことを改めて感じさせられた。会議を指導したスカルノ、ネルー、周恩来とうとうアジアアフリカの指導者たちに交じって、日本からは高碕達之助が参加しましていたが、世界がどのような方向に進まなければならないかという新興国の合意がこの会議でまとめられ、長い目で見るとこの会議の方向に現在の世界がつくられていることを感じさせてくれた。この会議に参加した世界の指導者たちの気持ちがよく伝わってくる博物館で、多くの人に見てもらいたいと思った。この記念博物館でそこに展示されている内容を現代との関係で考えると、ここに集まった人たちの思いが伝わってくるようで、身の引き締まる思いとともに大きな感動が伝わってきました。

東京都知事選挙
昨日は東京都知事選挙がありました。21名もの候補者が立候補しており、それぞれの思いは選挙公報でわからず、主要3候補と言われている人もわたくしにはそのやりたいことが分からず、結局、昔TVのアンカーマンをやっていて、防衛大臣と環境大臣を経験した小池百合子さんが自民党の支援を断って取り組もうとして政治に対する思いに期待して投票しました。
同じ女性候補で、米国の民主党大統領候補クリントンもいろいろ批判がありますが、その意欲は評価できると思ってみていますが、小池さんも女性という条件で重視すべき女性を大切にした政治をやってくれることに期待しています。結局、途中で、私利私欲のため公務をおろそかにし、辞任に追い込まれた過去3代の3知事は、恥も感じず、モラルに欠如した人物であった醜態を社会に晒し、自分の利益しか考えない人物であったことを暴露し、都民の期待を裏切りました。
その批判を批判として立候補し、都民の支持を得て当選した小池さんの都政を多くの都民と同様な気持ちで見てみたいと思っています。かつてNHK・TV「花燃ゆ」の中で「あなたの志は何ですか」と自分に問いかける質問をする場面が何度も登場しますが、私にとって、小さな組織ですが、HICPMという公益団体を運営するにあたって、いつも考える言葉です。小池さんにも吉田松陰の気持ちが伝えられていると思っています。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)



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