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HICPMメールマガジン第675号(2016.08.17)

掲載日2016 年 8 月 17 日

HICPMメールマガジン第675号(2016・08.17)
みなさんこんにちは、
リオ・オリンピックはいかがでしたか。

24年間も卓球一筋で頑張って、その技術を育ててきた福原愛ちゃんには、つい、メダルへのこだわりが先に立ってしまいますが、その卓球技術上の成長だけではなく、人間的な成長を、TVを通して24年間見てきて驚かされるとともに、そのひたむきさに感動させられました。愛ちゃん自身は、準決勝で不運に敗北を期し、3位決定戦初戦で敗北しましたが、チーム全員の努力で銅メダルを手にできました。この感動は、ほとんどすべての選手たちの人生にも見られることかもしれませんが、彼女の24年の人生そのものはやはり特別なものがあり、それが多くの人に感動を与えていると思いました。

オリンピックと金メダル
人々夫々の置かれた場所で、自分を追い込んで自分自身で納得のできる生き方をしようと努力していると思います。社会のため、企業のため、自分のため、それぞれ自分で生き方を見つけ、それに邁進していると思います。努力をしたから成功するかどうかは、金メダルのようなもので、その成果は約束されていません。金メダルは一つの目標になっているに違いはありませんが、「金メダルは努力すれば必ず得られるとはかぎらないことでは、確率の非常に低い賭けになります。しかし、ほとんどの人はオリンピックへの出場を、冗談で「賭け」と言っても、「賭け」とは考えていません。「賭け」という譬えは、努力をせずに、運任せで予想できないことを指しているからです。オリンピックは本人の能力とそれを叶える努力とがあり、本人の人生そのものを象徴しているように思えます。金メダルの獲得を具体的目標にして取り組む人から、金メダルは絶対獲得する保証はないけれど、オリンピックへの選考段階を経て、記録の向上など実際の目標もその実現可能性は、夫々の選手ごとに違っていても、強い意志をもって目標を実現するひたむきな取り組みは、自分自身の生き方とともに関係者やそれを見ている人たちに感動を与えてきました。自分を限界にまで追い込んでその可能性に挑戦する生き方に、全ての人が自分の人生を重ね合わせて感動をしているのです。

オリンピックを観戦していて考えさせられたこと
オリンピック観戦を兼ねた盆休みに、わたくしなど緊張もなくTVを見、TVが終わると絵画鑑賞に出歩いたり、バルコニーの植木の手入れをしたりというだらしのない毎日を過ごしながら、多摩ニュータウンにきてからの30年近い年月と、私の住宅・都市問題との半世紀の人生を重ね合わせて何度も考えました。ニュータウン自体が欧米をモデルに造った都市であることから、その比較を考えました。
「住宅を持つことで住宅購入者は幸せになりたい」国民は願いながら、自分の生活している多摩ニュータウンは、表からの景観は立派なマンションが建ち続けてきましたが、そこの中の人々の経済生活は、衰退し続けてきました。表面的には世界の住宅と遜色を感じないどころか、その最先端を行くような住宅地を形成しながら、そのニュータウンの中の住宅所有者の生活は、政府自身が言うように「住宅を取得することで、国民が例外なく損失を被らざるを得ない」環境が作られ、35年間の長期住宅ローンによって住宅所有者の破綻は隠蔽されてきました。
私のマンションから見ることのできる視界に収まっているニュータウンの景色を形成するマンション群の資産価値の大きさは、取引価格としてのフローの資産価値は巨額であるかもしれません。しかし、フローとして巨額の資産が清算してみれば、創造もできない巨額負債の集積であることを、改めて、思い出していました。当然、この住宅地に生活している人が、資産ではなく、負債を持っているのですから、居住者は基本的に債務者ですから、清算事務を行って資産がなければ、自由にできるお金は制限されます。居住後20年を経過した人たちは、所得は伸びないどころか縮小し、税金や住宅ローン返済やマンションの修繕維持管理費に見合う収入がないことに気付き、自家用車を配車処分にし、毎月の家計支出を抑えてきました。そのため、多摩センターの商店街には客は少なく、ショッピングに来た人の購買力は年々低くなり、店舗は寂びれていることを、以前との比較で感じさせられています。

娘の驚き
この盆休みに学年末の長期休暇で日本にやってきたオランダのライデン大学2年生の娘は、先週の家族でのインドネシア旅行を終わった後、日本に一人残って京都、奈良、金沢、東京など一人旅行をし、今秋から2週間ほど東京にいます。私が日本の住宅のことで国民が粗末にされているということをぶつぶつ言っていますので、娘は自分の住んでいるライデンの住宅と日本の住宅と基本的に同じだろうと思い込んでいましたので、私の繰り言が理解できないでいました。多摩ニュータウンには立派なマンションがたくさんあり、その所有者はオランダのマンション所有者同様、その資産価値は毎年5%近く上昇し、住宅を所有することで資産形成ができていると信じていました。欧米はどこでも同じで、住宅を所有することで確実に個人資産が形成されています。住宅ローンも15年とか長くても20年間の返済期間です。娘の目から見れば、多摩ニュータウンは居住者が個人資産を形成しているところのように思えたのです。日本の実情を話したところ、「信じられない」という顔をしておどろきましたが、東日本大震災後に米国から日本に援助プロジェクトの調査に来たニューアーバニストが、「津波に住宅を流された人の債務だけが残され、新たに住宅を購入しようとすれば2重の住宅ローンとならざるを得ない」という説明をしたとき、「嘘だろう」「冗談をいい加減にしてくれ」と半ば起こり始めたのち、それが嘘や冗談でないことを理解したとき、「日本には国民の代表者という国会議員はいるか」と質問してきたことを思い出しました。娘には多摩ニュータウンの外観とその中で起こっている国民を貧困化させ、そこに生活し続けたいと願う居住者が、「ローン返済不能は自己責任」とされ、「夜逃げ」同然の心理状態で「自宅マンションから退去を呼びなくされている」日本という国を理解できなかったに違いありません。

私たちのオリンピック
私自身半世紀以上住宅都市問題に政府や公団の職員として、また、私自身居住者として関係し、個々の住民に対する不当なマンション建て替え事件のためには15年以上関係し、訴訟事件に多くの時間と費用を使って取り組んできました。この多摩ニュータウンともいろいろな関係で日本最大の最高のニュータウンにつくり育てる仕事に日本国憲法の立場を尊重して主観的であるかもしれませんが、多くの人たちと協力して努力してきました。その関係者の努力やそのために使われたお金は膨大な金額になります。その結果、多摩ニュータウンに対して政府は、金メダルをニュータウン建設関係者に与えてきましたが、そこでの居住者は希望した豊かな生活という金メダルを獲得できたでしょうか。私は多摩ニュータウンを考えるとき、日本がニュータウンのモデルにした英国のハーローニュータウンのことを思い出します。それは私自身ニュータウンの原点を考えようと思ってニュータウンのモデルになった英国のレッチワースガーデンシテイやハムステッドガーデンサバーブを書籍で学び、その現実を確かめに何度も英国に出かけ、また、その発展形を米国に見学に行きました。日本全体で私同様の取り組みをした人は無数にいます。その調査研究に掛けた費用だけでも驚く程の金額になると思います。それだけの費用を掛けて結果、多摩ニュータウンだけではなく、日本のニュータウンは国民を「住宅を取得することで国民を貧困にする器となっていて、そのモデルとなった欧米のニュータウンのように国民を豊かにしていません。
住宅政策の目的は国民を住宅により豊かにすることで、住宅居住者を貧困にすることであってはなりません。国民を不幸にする住宅政策は政策として失敗です。物づくりとして巨額な費用をかけて、それを超長期住宅ローンで国民に負担させた結果、「物づくり」は政府が誇れるものとしてつくられたかもわかりません。

「フローの住宅、ストックの住宅」
多摩ニュータウンをはじめ日本中に建設された多くのニュータウン開発で巨額の資金が動き、関係した開発業者やハウスメーカーは巨大な利益を上げ、政治家、官僚、開発業界は皆、「ニュータウン事業は大成功である」といい、金メダルをお手盛りで送ってきたと思います。その事業を評価は住宅・建築・都市をフローの産業が巨額の産業利益を得、それが日本の経済を潤した結果、そのような経済政策としての成功という評価になっていたのです。しかし、欧米の住宅・建築・都市を見る支店、ストックの住宅と言う住宅を所有した国民視点で見たときには、現在冷静な目でニュータウンを見たように厳しい評価になるのです。
住宅を取得した人たちが、住宅を所有することで資産形成ができるためには、住宅が経年するに伴い資産価値増ができるようにならなければなりません。欧米では、その現象は一般的に実現されていることで、例外ではありません。その現象には必然性があるから起きることです。同様な理由で、日本の住宅を取得した人たちが、「住宅を持つことで貧困化している現状」も、また必然性によって起こっていることです。その違いを理解することが重要です。
昨年私が『フローの住宅、ストックの住宅』(井上書院刊)を3年がかりでまとめた理由は、日本のこの国民を貧困化させている現状を改善するためには、住宅関係者がその事実を不当であると考えてそれを改善しないかぎり、改善できないと考えたからです。
『フローの住宅、ストックの住宅』を日本の住宅関係者が理解することが無い限り、その改善は望めないと私は考えています。フローの住宅政策であっても、ストックの住宅政策が行われても、住宅や住宅地を外観から見て違いは分かりません。その違いは何年も、日本ではバブル経済が崩壊して20年以上経過して、やっと認識され始めてきました。私が多摩ニュータウンを観察していて「夜逃げ者が後を絶たないニュータウン」と皮肉な説明をしたのも、その住宅地衰退の居住者の審理を理解してもらおうとしたからです。本人は住み続けたいが住宅を維持管理する費用と家計支出がアンバランスになり住宅を手放さざるを得なくなったときの住宅所有者の気持ちです。
オリンピック競技を見ていると、私は自分の人生とオーバーラップしてオリンピック競技を見ていて暗い気持ちになります。それは私にとって日本のこの理不尽な住宅政策によって起きている事態を改善しない限り、私の住宅・建築・都市問題は解決できない問題であり続けるのです。この問題に対して生涯をかけて取り組むのが私の人生のオリンピックではないかとも考えています。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷英世)



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