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HICPMメールマガジン第685号(2016.10.31)

掲載日2016 年 10 月 31 日

HICPMメールマガジン第685号(2016.10.31)
みなさんこんにちは

住宅販売においてデザインがいかに重要かということをHICPMを創設以来言い続けてきました。しかし、日本の建築教育では「物づくり」の工学として、デザインを機能や性能と同じ選択肢として行ってきたため、欧米のような人文科学として人々の歴史・文化・生活に根差したアイデンティティとしては理解されず、HICPMでは国内外の研修ツアーで実物を見ながら欧米の人文科学教育として行っている建築研修を行ってきました。今回の北欧ツアーでもデザイン研修に重点を置こうと準備して臨んだのですが、優れたストックホルムやヘルシンキの街並みや建築を、朝、昼、晩と徹底してみたいという参加者の気持ちを尊重し、HICPMとしては、ツアー開始前日と、バスでの遠乗りの際のバス内ツアーにとどめ、あとは研修報告「まとめ)で帰国後補修学習をしてもらうことにしました。ここでは報告書に掲載した補修学習の一部を、前回に引き続いて掲載することにしました。

アルバー・アールトの自邸・スタジオ視察
「建築における生活の目標は自然に立てるということだ。やりすぎてはいけない。正当な理由がない限り、何もすべきではない。余分なものはすべて時間と共に醜くなる。」と1925年にアルバー・アアルトは書いている。1936年、その建築の必要条件をかれはその自宅兼事務所建築で実現している。アアルトは自宅をフィンランドの古い農家に例えてシンプルな素材と無造作な建築手法によって実現している。1924年に建築家でパートナーであるアイノと結婚したアアルトは、著名な女性建築家ヴィヴィ・ロン設計の1915年自宅住宅(スバキュラ)に1927年まで住んでいたので、その影響を強く受けたといわれる。1928年から1936年まで、アアルトは結婚当初はトゥルクやヘルシンキの共同住宅に住んでいた。アアルト夫妻は1934年丘の上にある敷地を手に入れた。その土地からは海が見え、エリエル・サーリネン設計の士官学校の訓練場があり、校舎も数百メートル先にあり、周辺には人の手がほとんど入っていない自然が残っていた。その自邸はアアルトの設計により、家族の成長と共にリモデリングを繰り返し、いつも夫婦は2人の子供に恵まれ、家族にとって生活を豊かにするリモデリングを繰り返して、最良の自邸として使っていた。1949年アイノの死後、1952年エリッサと再婚し、睦まじい夫婦として過ごした。1976年アアルト78歳で死亡したが、その後もエリッサの自宅として使われ、エリッサの死後も孫たちの住居として1998年まで使われていたが、その後、アアルトの自宅は、アルバート・アアルト財団に移行した。

アルバー・アールとの自邸とスタジオが伝えているもの

有名建築家にとって、その自邸が、設計者に満足できる住宅であったかということには、建築家の設計能力との関係であまり関心がもたれていない。実は設計者が居住者にとって満足できる住宅であったかという問題は、設計上の基本問題である。家族が生活することで、その生活要求は家族とともに常に変化し、建設時の生活要求が止まっていることはない。住宅を造るとき建築主の生活を知って将来の生活の変化をある程度予想し、その生活要求の変化にあわせて柔軟に対応するように住宅は設計するものである。その変化は家族の成長、中でも子供の出産や成長、中でも、就学に伴う生活の成長により、住生活要求は「量から質」の変化が起きる。そのため、一定の生活要求の変化には生活の仕方や陰的あの変更等で対応できるが、その生活要求の変化が対応できなるときにはそれに対応できるようなリモデリングを行うが、住宅自体は基本的に維持できなければならない。アールトの自邸は、子供の成長に合わせ、また、妻に先立たれ、再婚したうえ、自宅をスタジオとして利用するミクスト・ユースト・ハウスとして、住空間要求が変化したにもかかわらず、アールトは充実した生活をしたということで、そのモデルとなるものである。

アルバー・アールトの自邸とスタジオの設計上の特色
この自邸には、ミクストユース(兼用住宅)の住宅として以下のような多くの特色がある。
1.敷地の自然の高低を生かして、全体の建築形態を先行して決定した後、床高のやりくりを通して、空間の有効利用を最大化させている部屋ごとに床高さを変える方法や、ゲストルームのベッドの高さを変えることで、その下階の折れ曲がり階段をうまく収めたり、地階のサウナを経済的に作るために、設計業務スタジオの床を高めるなどの工夫がなされている。また署員の増加にはアトリウムに面した2階ベランダをスタジオの高い開口からの採光で利用できるようにした。
2.住宅内の採光環境として、絶対的に中興採光の少ない北欧の環境で、それらの屋内空間と共に、特に熱利用を考えて開口部は南に限定させている。しかし、その南側開口部からの眺望を重視し、住宅空間は南下がりの地形を利用し、遠景眺望と共に屋外空間と連続した屋外舞台の計画など、きわめて示唆に富む空間計画が見られた。
3.自邸と自邸から少し離れたところに建てられたスタジオにも共通する屋内空間のつくりとして壁や天井に非対称な空間を採り入れることで、遠近法の透視図の効果を生かして、非対称空間利用のヒエラルキーを生かされる計画を導入している。アルバー・アールとが所員全体を一望の下に置くことで、所員全体が所長の威光どおりの意思伝達や技能の伝達が行われ、全体の仕事がうまく有機的にできるように、署員の熟練度を考えた座席は位置を作るなど技能の伝達がうまくいくように計画をしている。
4.仕事を伝えるとき経験や技術能力の序列を物理的に感じることは、命令しなくても意思伝達を容易にする方法である。仕事とともに仕事の話をしないと決められた食堂での座席に関しても、職員の経歴を尊重した空間づくりは仕事の序列でもある。
5.今と台所という隣り合う空間を、それぞれにとって有効な空間にするために間仕切り空間をその両側の空間で共通に使う空間利用する方法も、ゲストルームのベッドの高さで折れ曲がり階段を納め、サウナ空間をスタジオの下に設けることで、吹き抜けで天井高さの高いスタジオの床高差を上げる方法は、同じ考え方によっている。
6.モダニズム思想の牽引者としての自覚もあり、F・L・ライトやル・コルビジエと類似した計画思想、無駄な装飾は省くことが行われている。現代的に見るともう少し歴史・文化装飾を取り入れた豊かさがあってもよいという感じがするが、この時代の中で装飾様式建築の革新として、「モダニズム」を正しい形で進めるために、その装飾は基本的に省く思想性を強く設計に採り入れたと考えられる。
7.そのモダニズム設計へのこだわりが、現代にもアールトに多くの人が魅せられる設計の魅力人っている。設計の隅々にまでアールとの繊細な取行き届いた組みがなされており、この自邸及びスタジオの空間を「なぜこのような空間にしたのかを上下、左右の空間や屋外空間との関係や、アトリウムの空間にバルコニーを設け、そこをスタジオ拡大空間として使うということを考えると、経済合理性を考えて、限られた予算で最大の効用を発揮するような設計を行ったということを教えられる。

住宅・建築・都市の資産価値に関する考え方
世界の大都市では、すべて人びとが建築物も都市も、過去からの歴史・文化を伝承するべきものと考えて生かすことで、現在の都市の魅力がつくられてきた。日本の住宅・建築・都市で一般的に行われてきた使い捨ての「スクラップ・アンド・ビルド」という不連続な住宅・建築・都市づくりから、東京駅を例外にしているが、世界では国家の中央駅をスクラップ・アンド・ビルドの対象にする愚かなことはしない。ヘルシンキの中央駅のような魅力ある都市のランドマークを育てることはできない。このような欧米では、住宅・建築・都市派、歴史・文化・生活を扱う人文科学(ヒューマニティ-ズ)という学問地形で扱われ、人文科学部(ヒューマニティーズデパートメント)の卒業生たちが、建設工学(シビルエンジニアリング)の卒業生たちが工事を行って都市を作り、維持管理・修繕して、人々の満足する環境管理経営を行っている。そのため、環境は、常時、人々に満足を提供するものを提供し、日本のように減価償却する耐久消費財ではない。その資産価値は、現時点でその住宅・建築・都市を築造するに要する推定再建築費として評価される。それが欧米の不動産鑑定評価制度であって、日本のように減価償却資産で、その不動産価値は残存価値しかないというような非科学的な扱いをする国は世界中にない。推定再建築費として不動産鑑定評価される欧米の住宅・建築不動産価格は、物価上昇以上に評価が上昇するため、20年経過すれば当初価格の2.5倍から4倍くらいに上昇しているのが欧米の常識である。住宅を取得して資産形成ができる国では、都市計画を大切にし、都市は住宅環境を熟成するところと考え、住宅に投資すれば他の投資同様に応分の資産価値増を「住宅投資」に期待し、それを社会的に保証するという考えが一般化している

合理的な欧米の建築設計
(この建築を見て西欧建築に共通する日本の建築にはない共通点を説明することにした。)
この教会で見られる方法は、欧米の建築では共通した設計計画方法である。それは、自然地盤が最も安定しているので、基本的に宅地造成をしないで、自然地盤に建築物をめり込ますように建築物を地下に掘り込んで設置し、地盤面と同じ高さになるところから、入り口を自然地盤面からとることが一般的に行われている。そのため地盤の高低は建築物内の床高さの調整として整理される。この教会もその例に漏れない。
同様な合理主義は、高い地価の都市部では、隣接する建築物は隣地境界線に接して建築することが原則である。その理由は、基本的に宅地造成に費用をかけることは安定した地盤を乱すことになるので、既存地盤に建築物を建てることが、地盤を乱さず、宅地造成費用をかけることがないため、経済的に最も理に適っている。欧米ではよほどなことがない限り宅地造成費用をかけることは「どぶに銭を捨てること」と考えていて、余程のことがない限り、雛壇造成のような平滑地盤を造ることは行わない。建築欝の建設された地盤を平滑地盤で作らなければならない理由はないからである。その上、隣地境界線に接して建築を建てることには、以下のとおりの利益が得られる。
1.敷地の有効利用する(高密度利用、経済性)
2.道路に冷たい風が吹き込み、歩行者を妨害する
3.犯罪に弱い町を強い街に変える(賊が隠れる場所を奪う)
4.建築物間の吹き間を走る熱風による延焼被害から守る(火災熱風を防止)
5.隣戸との遮音性能を高める(2重壁)
6.隣地境界線に面する外壁の化粧面積を縮小する(経済性)
7.隣地境界線に面して管理のできない土地がなくなり、街並み景観を美しくなる。
8.街並み環境は「街並み景観(ストリートスケープ)」で隣接建築の調和が街並み空間(屋根及び外壁で構成される)を相隣で必然的に考慮せざるをなくなる。

住宅訪問:ストックマンション(株式保有住宅)
19世紀末開発されたキャピュラの街を現地でご案内してくださった方のご自宅を訪問した。フィンランドでは住宅を「株式会社」として法人保有し、一定比率の株主に対して入居することができるという方法(ストック・マンション)がかなり一般的に行われている。日本のマンションが区分所有法によっているのと違って、満身の敷地と建物一体ごとに単位となって株式会社所有とし、1定の株式所有株主に、住宅居住権を与えるというものである。ストック・マンションと名付けられる住宅である。
私はこれまでデンマールやドイツ、米国でポーポラティブ・ハウジングやコウ・ハウジングで、「ストック・コーポラレィション」という事例をいくつか見学し、資料でも見てきたが、それと基本的に同じものであった。またこの株式で住宅を所有する方法は、「住宅投資」という言葉を非常に分かりや浮く説明していることが分かった。つまり、株式を所有して住宅に入居する権利を得た人は、その住宅を賃貸住宅として第3者に賃貸させ、賃貸料を株式の配当として手に入れることができる。私たちが訪問した住宅は4戸で1棟になっている地下室付2階建ての株式所有住宅の1戸(25%の株式所有:2階部分の半分を所有)のご自宅を訪問し、株式所有住宅システムのご説明を受けると共に、住宅の内部を見学することができた。住宅は床面積77平方メートルであるが、欧米では、「住宅面積の計測方法」が統一され、「外壁の内法」で計測するため、日本より10%ぐらい大きい感じがする。その上、この住宅にはコモン(共有空間)として、サウナとトイレ、共通物置、専用物置が4戸の住宅で2戸分相当の広さがあるため、計算すると1戸平均では120平方メートルほどの空間を利用していることになる。このマンションには固有の土地(敷地)があり、その敷地はマンションと一体の株式資産の対象であるため、土地と一体的に利用することができ、法令の範囲でその敷地内に建築物を建てることもできる。
住宅を見せてくださった住宅所有者(株式保有者)は、2人の子供と親の家族で、3寝室とDKで構成され、子供たちの部屋はピアノが2台置いてあったりしていっぱいで、衣服などの収納する空間は極めて少ない感じがした。しかし、ご説明では、フィンランドは2季節であるため、収納すべき衣類や靴の量はそんなに多くはないとのことである。その上、地階の空間に倉庫棟がありそこで使わないものの収納はできるとのことであった。この住宅では上下足履き替えの方法を取っているが、欧米で中なり一般的になっている。今回のご自宅拝見は「株式方式の住宅」を詳細に見聞できたことで非常によい勉強になり、現に株式住宅保有をすることが「住宅投資」になっているという話を聞くことができ、住宅を日常生活で「投資」として行っていることがその言葉によって裏付けられていることを知ることができた。

キャピュラ住宅視察
第1次世界大戦後建設されたこの住宅地には労働者住宅と上級職員の居住地区の「百万長者住宅」といわれる住宅地区が在り、その先には戦前のオリンピックの選手村住宅地と、その後実際に1958年に辞し荒れたヘルシンキ・オリンピックの選手村となった住宅地を見て回った。第1次世界大戦末期に計画的に立てられたという木造住宅地区にはログハウスの構造体の上にデザインでログにサイディング「下見板」を張った木造住宅(ログハウスの構造は分からない)と木造建て板張りペンキ仕上げ、グリーク・リバイバル様式のデザインの着け柱やその他の装飾をつけた住宅でできていた。
私はこの住宅を見て米国のサンフランシスコのペインティッド・レイディを連想した。19世紀にゴール・ドラッシュが生まれた時代に、ドイツ人のシュリーマンが「トロイの木馬」のギリシャ神話が現実の話と信じ、トルコでトロイの遺跡を発掘し、遺跡を発見した結果、ついに、ギリシャの都市国家が発見され、『イリアス・オデュセイア」の話が歴史的事実と証明された。その後の調査で、この時代のトロイはギリシャ民主主義都市国家であったことが証明され、その影響が世界的に話題になった。
当時は都市毎に色彩のデザイン(カラースキーム)が決められていて、「アテネは赤」、「スパルタは青」というように固有の色を持ち、建築を飾っていた。このことを知った建国の気分の盛り上がっていた米国では、ゴールドラッシュで大金持ちになった富豪が、「住宅を極彩色で飾ったものが建てられた。それらが現在、サンフランシスコで見ることのできるペインティッド・レイディ「色彩で装われた貴婦人」である。これらの建築物はヴィクトリアン様式でつくられていたが、戦争中住宅に維持管理の費用が惜しまれたことと、仙敷文に合わず、すべての住宅は白色のペンキが塗布された。その結果、サンフランシスコは、「紺碧の空と紺碧の海に挾まれた白亜の邸宅」とイメージが形成され、その昔極彩色の建築物として建てられたことは忘れられていた。それが半世紀以上たって、外壁のペンキ修理のとき疑問とされ調査したところ、豪華な極彩色の邸宅群であることが判明した。
ゴールドラッシュ時代の「ペインティッド・レイディ」の影響は欧米すべてに及んだといわれ、近代民主主義を象徴するデザインとしてギリシャの建築形態、装飾、建築詳細が盛んに採用された。壁付柱「ピラスター」、破風「ペディメント」、円柱(コラム)、壁飾り(フェストーン)、丸型に装飾部品(ロゼッタ)、鱗型(スカロップ)などギリシャ建築を連想する装飾や建築部材が盛んに採用された時代である。また、この時代には。グリーク・リバイバルと並んでもう一度ルネサンスの原点に戻るべきだというデザイン風潮が生まれ新古典「ネオ・クラシズム」建築様式が世界的な時代風緒にもなった時期である。
現地をご案内された方は、そこでの建築様式に、ドイツ人シュリーマンの「トロイの木馬」の歴史があった時代的背景をご存じなく、ギリシャ建築様式が新古典建築様式として取り入れられていることは認められましたが、ガイドをされた現地の方は、シュリーマンの歴史物語の影響が在ったことはご存じなく、その影響があったかは、分からないとのことであった。
戦前のオリンピックは戦争のために開催されず、そのために用意した住宅を国民の住宅として使われ、戦後、ヘルシンキ・オリンピックの開催に合わせて新しく開発された住宅が連続してよい住宅地を形成していた。住宅地全体が自然の丘陵地を生かして、擁壁など造らずに開発された住宅地開発を関心していると、「フィンランドでは大きな岩石で土地が作られていて、土地を掘削し,造成すること自体が困難で、日本的な意味での宅地造成という概念自体が存在しない」ということであった。自然地形を基本的に尊重したこの住宅地は結果的に自然を生かしたエコロジカルな住宅地開発になっていた。
{NPO法人住宅生産性研究会 理事長戸谷英世}



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