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HICPMメールマガジン第686号(2016.11.07)

掲載日2016 年 11 月 7 日

HICPMメールマガジン第686号(2016.11.7)
みなさんこんにちは

NHKに受信料を支払う値打ちがあるのか
昨晩、福島原子力発電の損害額が、「NHKの取材ではわからない」という特集があった。難しい問題で政府も東電も一生懸命やっているという国民を馬鹿にした特集である。NHKは客観的な報道を「取材」という形式をとって巨額の費用を使いながら、問題の本質を「解らない」とすることで公正な報道をしたつもりになっているようである。正確に分からないことでも、その問題の大きさの最大と最小とがどの程度であるかもわからないと言えば、それを聞いている視聴者に考えるなと言っているのと同じになってしまう。わからないものはわからないということは真面目な報道にならない。
数週間前にも、NHKのゴールデンアワーの番組で、漫才家「爆笑時代」が、「資本主義の成長が終焉を迎えたか」という番組をやっていたが、なにも社会科学的な検討をしたものではなく、よもやま話程度の内容でしかなかった。問題だと騒ぎ立てることはめでぃやの役割ではない。視聴者からお金を取っているということを忘れているかとしか思えない報道には大変不満である。

福島原子力発電のNHK特集
原汁欲発電所の事故の発生から5年を経過している。その後の対策も、基本的に行き当たりばったりのことばかりで、「国民は政府と東電の無責任な対応に流されるしかない」ということがNHK特集の結論である。最悪のことの想定ができないほどの対応策の検討もされていないのか、という疑問がある。東京電力も、政府も国民に真面目場対応をしていないことをNHKは批判もしないで、政府や東京電力の対応を認めている。「原子力発電の事故問題がそれほどの問題であるならば、新たな原子力発電の問題を進めることは無謀である。という程度の意見もNHKは取り扱っていない。これまでの対策に関し、対策の意思決定をした人(仙石氏が所期意思決定の責任者とにおわせながら)の責任を追及することをしない。その後登場する衆議院議長の大島氏も責任者として登場するが、その意見には責任者の責任間隔がうかがえない。このような取材のことの全てが、全ての意思決定が無責任に行われてよいことを認めようとしているように思えて、NHK特集の趣旨目的が私には分からない。NHKは原子力発電に関しては、事故発生前は、原子力発電推進の提灯情報を流し続けたことを忘れたようで、NHK自身の過去の報道に対する反省が観られない。今回の報道も取材の限界ということで責任追及をする姿勢が全く見られない。巨額の資金を国民から視聴料として徴収しながら、原子力発電の全体像を関係学者、専門家の意見や世界の原子力発電事故の全霊を集めて、全体像を把握しようとしていない今回のNHKの取り組みは、爆笑問題の取り組み同様、真剣にこの問題に取り組もうとしている取り組みには思えない。

応分の責任負担義務がある政策と事業の意思決定者
福島原子力発電所の問題解決がNHKの特集で放映していた。みんな分かっていることと言いながら、誰も解っておらずに5年間も対症療法を続けてきたと、国民には、対症療法を続ける以外に方法はないという。専門家集団がいるといい、日本の技術水準で制御できる問題と言いながら、その実態は成り行きに遭って応急対策しかできないことを感じさせられているだけである。そこに膨大な国費が投入させられていて、東京電力や政府のこの問題を左右できる官僚は、高給を手に入れている。少なくとも東京電力の経営者や東京電力福島原子力発電関係の経営的立場にあった人の給与は最低賃金ベースの引き下げるとともに、過去に高給を得ていた経営者の給与は、退職金を含んで当時の給与に遡ってその多く損害を与えた責任として、責任者にその給与から応分の損害賠償金を返還させるべきである。被災者や事故被害を受けた人の立場を考えれば加害者が「食い逃げすること」は許されるべきではない。小池知事は、これまでの東京都政に責任があったわけではないが、都政の緊張感を高めるために自らの報酬を半減した。政治家として舛添前知事などに比較してはるかに立派である。

ベラミー著『顧みれば』
私はこの数カ月、エドワード・ベラミー著『顧みれば』付けになっているので、爆笑問題が現代の日本の失速した経済問題をこのような形で取り上げること自体が、1世紀半以上先の時代から『顧みれば』の話題のように思われた。「未来がどのような世界になっているか」という想定に関し、科学的合理性を駆使して考え、その位置から現代を見てみると、ずいぶんばからしいことを現代はやっているのではないかというのがベラミーの『顧みれば』の内容である。NHKの報道は世界の先進国では、科学的な問題を解明し、議論を展開するのではなく、現在の現象が将来の兆しであるとする貧しい推測で、そこから現代の分かっていないこと、即ち、中高年だけではなく若年の失業者が急増し、今後その量は増大に道を辿るという「資本主義崩壊の途」の説明で視聴者に新しい視点を示したつもりになっている。
ベラミーが『顧みれば』で扱っていた19世紀の人たちは、産業革命で驚く程生産力が高まっているにも拘らず、都市には失業者が増大、住宅を見つけることのできない人たちは、不健康と疾病と犯罪が渦巻くスラムに吸い寄せられ、ディケンズの小説に描かれているとおりの都市には不健康な地域が拡大して行った。産業革命で大きな富を得た資産家は、労働者階級はこの社会の邪魔ものと考えて、追い払おうと考えても、それらの人に手を差し伸べようとはしない。その理由は、資産家は自分の金儲けしか考えようとせず、労働者階層は、資本家に労賃の引き上げを要求する泥棒と同じ資本家の利益を脅かすものとしてしか映っていない。つまり、人々は短期的視点しか持てないが、長期的視点を持って観れば、本当はもっと合理的な社会が作れるはずであるという視点がベラミーの視点である。

NHKに欠如する未来に対する構想力
ベラミーが1887年の社会を「2000年から顧みれば」というユートピア・サイエンス・フィクションに書かれたことのうち雇用機会のことに関して、もう130年先に置いた社会がNHKの特集である。しかし、NHK特集は、将来における社会において、人間が正しい未来予測をもとに、人々の最大の利益のための社会とはどのように経営管理されるべきかという視点がなく、盲目的に将来の不安を受け入れるしかないという問題の扱い方である。欧米に行けば、そこでの雇用機会が縮小していることはこれまで指摘され続けてきたことである。そこで失われた雇用が発展途上国における巨大な雇用拡大となって表れてきたこともすでに言い古されてきた。先進工業国での雇用機会が低賃金国に移転して、先進工業国での賃金の低下となってきたため、先進工業国では個人の賃金の低下を世帯所得という総合家族所得として、家計消費に見合うように努力をし、それでも不足する分は副業をホームオフイスの業務のような方法で補填することがやられてきた。この米国では現実に起きていることさえ、NHKでは検討の対象にしていないので、展望の持てない特集になっている。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷英世)



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