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HICPMメールマガジン第690(2016.12.05)

掲載日2016 年 12 月 5 日

HICPMメールマガジン第690号(2016.12.05.)
みなさんこんにちは

家政学の視点からの住宅問題の理解
12月7日にHICPM/グローバル研修企画共催の「北欧セミナーを開催しますが、12月4日に日仏会館でスウェーデンのコレクティブハウスの報告会があり、私が7日にご説明することにも役立てると思い参加してきました。会場いっぱいの盛況で、スウェーデンのコレクティブハウスに触発された小谷部育子日本女子大学家政学部教授が取り組んだ日本でのコレクティブハウス関係者が中心になって行ったスウェーデン調査報告で、その志が伝わってくる報告会でした。この運動は家政学という生活からの視点で住宅を考えるグループで、日本の住宅政策や住宅業界のように、「差別化をすることで住宅需要者を騙しお金を巻き上げようとするもの」とは視点が基本的に違っているため、スウェーデンの説明を聞いていてもさわやかな感じで、共感をもって報告を聞くことができました。

日本の深い闇
豊かな生活という視点でコレクティブハウスが展開されている理由として以下のいくつかの基本的な前提の違いがスウェーデンにはあります。この以下に示す3項目はその代表的なもので、それが住宅政策の原点であるのですが、日本の住宅政策とそれを支えている日本社会の住宅にこれらを支えるものが、日本の住宅政策により国家により全く破壊されているという「闇」が日本社会(住宅行政と住宅産業内に)に存在しているのを改めて感じました。
(1)    住宅、建築、都市の問題を建築工学ではなく、人文科学(ヒューマニティーズ)として捉えているため、コレクティブハウスは住生活環境の経営問題で、居住者は常に変化しており、その生活要求の変化に応える住宅地経営である。
(2)    北欧では、住宅は基本的人権の保障を担保するための条件と考えられているため、基本的に個人対国家の権利義務の上に検討されるべき問題で、住居費負担と切り離して生活環境の検討ができる。
(3)    住宅問題は地縁的な広がりの住生活環境と家族全ての地縁的な活動範囲によって決められている人々の生活問題であり、平均的住宅需要者に対する住宅(箱モノ)供給のという給対策ではない。コレクティブハウスはプロジェクトごと特殊であって標準はない。

広い視野と詳細な取り組み
コレィテイブハウスの歴史は、既に19世紀末の産業革命期に始まり、スウェーデンの取り組みも当初はフランスでの取り組みを学んだ喪にと言われる。「一人飯は食えなくても夫婦になれば食えない飯も食える」という話が日本でも古くから言われてきましたが、その考え方はコレクティブハウスと同じ思想です。このコレクティブハウスに生活する世帯にとって難しい育児や介護問題も、同じ問題を抱える人たちが集まって集約的に取り組めば、同じ負担でできないと思ったことが解決できることになります。米国で始まったフェミニズム運動をヨーロッパで始まったウーマンリボリューション(家事革命)も同じ起源です。その取り組みは生活協同組合運動から社会福祉の政治的取組に多様な形態をとって発展していったもので、その運動を通して国家としての国民の権利としての考え方が整理され、その共通の理念に基づいてケース・バイ・ケースの最も経済的に合理的な方法が取り組まれてきました。今回のスウェーデンでのコレクティブハウスは、プロジェクトごと経営のコンセプトが違い、全く個性の違ったニーズに治し的確な対応が行われていたように思われます。

基本的な理念と原則
日本国においても、終戦後連合国により壊滅的に破壊された日本を近代民主国家に再生させる方法が検討され、それが日本国憲法としてまとめられ、日本国民の主体的判断でその採否を問われました。そして、日本国民は日本国憲法に基本的同意をして日本国の憲法が定められました。それは主権在民であることと、国民の基本的人権は国家がそれを国家権力を行使してでも守ることを保障すると定めたところが重要なところです。基本的人権の中には思想信条の自由や、宗教の自由、結社の自由などの自由と並んで平等権の保証があります。それらの自由、平等に関してはそれに対応する行政法規によって憲法で定めた権利義務の肺葉を具体的に定めることになります。そのいずれの権利に関しても、すべて経済的裏付けなしには実現できないため、国家は国民との基本契約として、国民の納税義務との関係で国民が享受できる内容として国家が保証するべきことを行政法で定めています。

国家と国民の関係
近代国家では、国家と国民の関係を基本に定めていますが、日本ではその基本がずらされていて、国家と国民との間に家族を挿入して、国家が本来負担すべき問題を家族にすり替えることが行われてきました。これは日本国憲法の定めている基本ではなく、日本政府が憲法を歪めて解釈し、日本の高度経済成長の時期に「日本の良き伝統を家族主義である」といって、国家と国民の間に家族を置き、それを国家に対する負担会費の緩衝地帯にし、国家の追うべき責任を家族に転嫁してきた結果です。憲法違反に実定法をつくってきた結果、大家族制であれば対応できた問題が、核家族にとっては大きなしわ寄せが及んでいます。介護のための結婚できない子供の問題や、育児のため就労できない問題などが日常茶飯事の課題になっています。すべての矛盾は、憲法で来ていた国家の義務を家族に負わせられていることにあります。国民の納税義務に対する国家の追うべきことは、必ずしも国家の施設として対応せよと言っているわけではなく、その対応としていろいろな可能性がありますが、基本は国家の責任であることを定めているのです。

社会住宅としてのコレクティブハウス
スウェーデンのコレクティブハウスとして紹介されたものは、地方公共団地の経営する賃貸住宅で、そこでの居住者の家賃負担に対しては社会住宅として国家の補助金が支出されていますから、その住宅経営自体は安定した家賃収入を前提にした経営が行われることになります。住宅地経営基盤がしっかり住宅政策としてできていることでコレクティブハウス経営が安定しています。
住宅地経営は、その地域ごとに住宅地が提供するアメニティも違えば、そこに居住する人のニーズも違ってきます。それだけではなく、そこに生活している人すべてがライフステージを毎年のように移動しているわけですから、需要と供給の双方が変動し合っています。それを日本の住宅政策は物づくりとして住宅及び住宅地開発を行ってきたため、現在私が生活している多摩ニュータウンで見るとおり、経年するとともに計画された環境と居住している人のニーズの間にギャップが生まれ、住宅環境は経年するとともに住み辛くなっています。

賃貸住宅か持ち家住宅か
今回のスウェーデンのコレクティブハウスは賃貸住宅でしたが、基本的に住宅の所有形態にかかわらず行うことができるはずで、例えば欧米で広く取り組まれているストックコーポラティブやストックマンションでは、住宅所有ではなく、株式所有により持ち家と同じ住宅所有をすることもできますし、賃貸住宅居住もできます。かつてサッチャー政権は公営住宅の直接供給を廃止したとき、ストックコーポラティブによる賃貸住宅が取り組まれ、プリンスチャールズガス性分を書き自ら現地に出向いて励ましたウエラ―ストリートのコーポラティブは、公営住宅にとって代わる資産形成を行うことのできる賃貸住宅経営でした。その事業が英国で実現できた理由には、等価交換販売と等価交換金融(モーゲージ)が実施できた社会経済的背景があったからです。
日本のようにハウスメーカーや住宅産業の利益本位の不等価交換販売とそれに合わせた不等価交換金融が行われている国では、欧米で行われているこれらの政策は国民のニーズがあっても実施することはできません。今回のコレクティブハウスの問題も、視点を変えて住宅地経営という視点で検討すると何をしなければならないかの問題が浮き彫りにされるはずです。
(NPO法人 住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世}



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