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HICPMメールマガジン第708号(2017.02.13)

掲載日2017 年 2 月 13 日

メールマガジン第708号(2017.02.13)
みなさんこんにちは
社会の多くが貧困化に怯えている。

下級老人の問題やシングルマザーの所得を補うために中学生の子供が、土日の休日もなく毎週アルバイトを行い、年間旅行にもいかず、新調した衣類も着ず、好きな部活動も運動靴が買えないため諦めたという。みじめな生活が行われてきたが、その生徒の教師も学校もその実態を全く知らなかったという。報道が断片的に行われていた実態調査が動き始めた。それでも親との連絡のためにIT携帯機器を持っている。
私はこれまで、その避難民同然の厳しい生活の後ろに住居費問題があると考えてきた。所得が2箇所掛け持ちで働いて税込で1カ月25万円、夜間の場合の賃金が昼の勤務より高いの、で泊まり込みに出かけると、自分の子供と過ごす時間はない。そのような人は驚くほどたくさんいて、その中に介護の必要な老親に仕送りをしている人もいる。TVで放映した母子家庭の場合、家族3人で毎日の食費総額は、1000円だという。一人1食平均100円である。

戦後の貧困と現代の貧困
私の場合、終戦直後の食べるものがなく、野草を集めたり、ドジョウを取り、鶏を飼い、ウサギを育て、開墾の土地内で収穫したサツマイモや馬鈴薯やおからをごちそうとして食べたことを思い出す。家族みんなが一緒に生活でき、貧しくても温かな家庭で大きく育てられたという記憶がある。社会として復興という希望があり、残念ながら朝鮮戦争の勃発で日本全体が米軍の兵站基地となり、軍需産業復興が行われたという経済環境を見逃せない。
それと比較して現代の貧困者には将来への希望はなく、日本経済自体が長い不況に悩まされたうえ、政府は経営不振で不良債権に縛られた政治献金を行う企業救済のため都市再生事業という徳政令で救済したが、その間企業が生み出した非正規雇用者やその間に失業した失業者、高齢者、要介護者には企業救済のような福祉政策は取られなかった。あきらめの中で生き続けなければならない残酷な生活である。

世界的に経済支援を行える国日本で貧困救済ができぬ理由
国家予算が1兆円を超えたときは、私が中央官僚になって数年たってからのことである。現在の国家予算は100兆円を超えているし、政府の発行国際額は1,000兆円を超えている。そして、安倍内閣は巨額のODAを発展途上国にばらまき、防衛産業の拡大で安倍首相に対する企業献金は安保法制関連で急増し、数十億に膨らんでいるという新聞報道を見たばかりである。企業献金と言っても防衛産業の費用は所詮国民の税からの支出だけであるから、安倍内閣は税金をキックバックすることを正当化しているだけである。政治資金規正法では適法であっても、倫理的には国民を貧困にして、税金をただ取りしているわけであるから倫理的に許されるはずはない。

政治的に正しいと判断されることと政治家のモラル
トランプ大統領が「企業が企業活動をして大きな儲けを挙げることが社会貢献である。」と公然とメディアに語った大統領の精神構造を理解できない。富が生まれる理由と富の分配の仕方によって、貧富の差が生まれる。私が昨年来夢中になっているエドワード・べラミーは『顧みれば』の中で以下のような趣旨の話をしている。
人類社会は歴史的にも、同時代的にも人びとの経済関係は、相互に複雑に絡み合っているが、現在の社会での生産力は、基本的に先人の遺産を生かしている。それは経済的富だけではなく、その知的財産の全ては、先人たちの努力で生み出されたもので、それは社会全体で享受するべきものである。人類全体として相続する財産を個人的な相続に偏らせることで家族としての貧富が生まれている。

「正しい富の分配」を歴史的に考えること
親子の関係を絶対的な物と考え、「相続することが人類を豊かにすることか」という疑問に考えられるか。特定の子孫が排他独占的に財産相続をすることを正当化することにいかなる根拠があるのか。西郷隆盛が「自孫のために美田を買わず」と言ったことや、吉田茂(吉田健一)が子孫の資産を残そうとしなかった逸話など、いずれも、相続という問題を家計という仕組みの中で囲い込むことへの疑問と、先人の資産は社会的に管理すべきという考え方との対立した考え方に一石を投じるものである。
べラミーは、はっきり人類全体の社会的資産とするべきことの合理性こそ人類の知恵と言っている。そのべラミーの考え方に通じる政策が。こんかい、フィンランドで「ベイシック・インカム」問題として、国際的な話題になっている。私は昨年北欧でストック・マンションの実際を調査して、今回のベーシックインカムと共通する政治であると判断した。

官僚社会のこと、その体質の改良策
官僚社会では高級官僚になるほど、国家予算の行使を含み、企業の経済活動に影響を与える行政権力を濫用する機会も増え、予算立法で議決権を持つ政治家との関係が深まり、官僚は自分の能力とその行使できる権力とを混同し、不正に手を貸すようになる。官僚が不正に手を貸さないように本省の課長級以上には特別職として高い給与を与え、外郭団体への天下りなど経済的に一生涯困らないような保護が与えられている。私に言わせれば、その扱いは高級官僚がお手盛りを正当化する口実であって、官僚は国家権力を背景にした業務で、個人的能力ではなく、高級官僚を給与で過剰な保護をする必要はない。
全て予算法の審議権を握る政治家と高級官僚の癒着でしかない。その裏には政治家との様々な貸し借りが行われている。政官癒着の本質は、国民からの税金を政治家と官僚が勝手に分配することと、行政権を行使して富の分配を私物化するもので、今回文部科学省の天下りも、基本的に高級官僚の不正である。天下りを禁止し、退職後現役時代に学び経験したことで自立するようにすれば、官僚たちは現職時代国人のニーズに応えた行政をするようになる。

特権をなくすること
相続は一つの特権である。現代はそれまでの時代の富を社会的な富であるわけであるから、その富を社会全体が公平に分配したらどのような社会でできるかを構想した本がエドワード・べラミーの『顧みれば』である。人類が過去の人たちの文明、文化の上にその文明を高めたことを正しく理解できれば、現代までの人類の生み出した富を社会的に管理したら、公平な社会になると『顧みれば』で書いている。
メディアが最近報道することになった日本の貧困を聞くにつけ、その貧困を撲滅しないことにはこれらの人生に追いやられて人に、救いはない。社会がどのような道を選択するかは国民が考えることである。しかし国民が適切な判断を下すためには情報を公開し、情報の分析が公平に行われなければならない。フィンランドのベイシック・インカム保障の政治はそれに迫ろうとするものである。

狸穴論で片付けられていた住宅問題
衣食住は欧米では基本的人権そのものと考えられている。日本では戦後の貧しい時期から、河野一郎が「狸穴論」と言って、「狸でも、自分の住むところ(穴)を持っているのに、万物の霊長である人間でその住宅を持てないものは狸以下である。」と言って、当時建設大臣出合ったとき建設所のあった人事院ビルは「もぬけの殻」にして、日ソ漁業交渉が河野大臣の行動の裏にあるとうわさされていたが、ソ連大使館の隣の狸穴にある建設省合同会議所を自分の事務所のように私物化し、「河野大臣はタヌキであるから、狸穴に巣ごもりしている」など、私たちは皮肉ったものである。
その時以来、国の住宅政策は米軍の朝鮮戦争の関係で、日本全体が米軍の兵站基地とされ、軍需産業自身には政府の産業助成資金で産業労働者向け金融を住宅金融と日本住宅公団とが特定分譲住宅という「社宅」を供給した。しかし、軍需産業の下請けや関連産業には、「社宅」は供給されず、それらの低賃金労働者のために公営住宅、公団住宅、公社住宅という賃貸住宅が供給された。その政策が1975年のベトナム戦争の終焉まで継続した。

軍事産業労働者向け住宅から国民向け住宅
日本の住宅政策はベトナム戦争終了後、住宅産業の需要を保障するために、住宅建設計画法が制定され、公営、公団、公庫が軍需産業労働者のためではなく、国民に住宅を賃貸又は分譲住宅として供給することに転換を余儀なくされた。住宅建設計画法の目的は当初は住宅産業への需要創造のためであり、やがては日本経済発展のGDP拡大の牽引車として住宅産業が実施された。住宅産業はすそ野の広い経済波及効果の大きい産業として日本の経済成長の中心的担い手とされ、建設大臣は大蔵大臣、通産大臣、農林大臣、経済企画庁長官と並んで経済閣僚入りすることになった。
私が建設官僚でいた時代に起きた住宅建設計画法の時代は、居住水準の向上を住宅政策の看板にして、住宅規模は年々拡大され、超長期住宅ローンと住宅販売価格全額を融資対象にし、世界最長の35年融資で住宅産業を日本の経済成長の牽引車として利用した時代である。住宅官僚は、住宅政策によって建設省が経済閣僚に仲間入りできたと省内で威張ったものである。

「不等価交換販売」と「不等価交換金融」
現在の日本の住宅価格は世界的に見て異常に高額である。その理由は住宅建設計画法の時代に小見出しに掲げられた住宅政策が建設業法と日本国憲法に違反して実施され、日本の高価格住宅をつくってしまった。当然住宅の取引価格も賃貸料も欧米と比較して異常である。よく日本で、日本の高価格住宅を弁護する議論として、ニューヨークやロンドンの住宅価格との比較を持ち出す非常識な比較論が横行している。ニューヨークやロンドンの異常に高い住宅価格や家賃は特殊な高額所得者を対象にするもので一般の住宅ではない。
日本の住宅問題はその基礎となっている建設工事費に、広告・宣伝、営業・販売にかけた膨大なサービス費用を回収する住宅販売価格や賃貸住宅家賃を日本の住宅政策が野放しにしていることで起きている高価格住宅であり、高額家賃である。その影響が日本の貧困生活にされに暗い影を投げかけている。もし、等価交換販売と等価交換金融という欧米のような住宅政策環境であったなら、国民の住居費負担は現状の半額程度に抑えられるのではないか、そうすれば貧困者の生活に少しゆとりが生まれるのではないかと確信している。少なくとも住宅産業関係者は、住宅を購入する国民の住居費負担が国民の生活にどのような影響を及ぼしているかを考え続けなければいけない。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)



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