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HICPMメールマガジン第709号(2017.02.20)

掲載日2017 年 2 月 20 日

HICPMメールマガジン第709号(2017.02.20)

みなさんこんにちは

日本の住宅産業が崩壊しかかっている

2006年に始まった住生活基本法は、それまでの住宅建設計画法が破綻した後の政策として取り組まれながら、MBSをはじめ米国の制度を導入したと説明されながら、その実態は似て非なるものであることを知り、これでは同じ破綻の途を突っ走ることになると危惧したとおりの危険な道を歩んでいる。

その理由は現在の住宅政策の基本が虚偽の積み重ねでできているからである。そこで、まず、住宅産業を動かしている金融である。現在の住宅金融はMBSを住宅金融支援機構が買い上げることで潤沢な金融2次市場ができている。その2次金融のシステムは米国の金融2次マーケットと同じような構成をしているが、日本の住宅政策の実態は全く異なっている。以下その概要を説明する。

(1) 不等価交換金融

日本の住宅金融は住宅会社が販売したい価格どおりの言いなりの金融を行っている。これは倒産以前の住宅金融公庫がハウスメーカーに対して公然と行っていた信用金融で、米国のモーゲージではない。住宅金融公庫は当時住宅の購入時に自動車を購入したいという顧客のニーズに応えて、「住宅購入費用の中に自動車購入費用を潜り込ませたら、それも住宅ローンの対象にする」ことを公言していた。その理由として住宅金融公庫の融資は、融資対処とする建物の価値ではとても融資額の価値はないので、その住宅の敷地を一番抵当に取り、融資申請者の団体生命保険の死亡時の保険金受取人第1位になることを担保要件にしていた。つまり、その融資額は、融資対象とする住宅の何倍もの担保を取って融資しているわけであるから、自動車の購入費用を融資額に潜り込ませておいても、住宅金融公庫は痛痒を感じない。実際多数のハウスメーカーからの住宅購入者は、自動車購入費用を住宅金融公庫の住宅融資として受けていた。十分な担保を取っているのであるから、貸金を大きくする方が金融機関にとっても利益が大きい。ハウスメーカーが広告・宣伝、営業・販売などサービス業務にを資金回収することを支援することでハウスメーカーに喜ばれ、政府にも、景気高揚で喜ばれるならば、相乗効果を発揮できると金融機関側でも考えた。すべて売り手の論理であって、住宅購入者がこの不等価交換金融によって大きな損失を被ることは全く考えていない。

(2)不等価交換販売

この不等価交換融資は住生活基本法になっても、民間の住宅金融機関から行われていた。住宅金融公庫という政府の金融機関が、ハウスメーカーの営業支援のために行っていたことではあるが、金融公庫内部では、融資額の約3倍もの担保を抑えているため、損失となるリスクはなく、金貸し業としての住宅金融公庫としてはできるだけ多くの貸金を行った方が多くの利益(金利)を得ることができるため、それを行わない理由はないと考えていた。そのため、住生活基本法という民間中心の住宅政策に転換しても国土交通省住宅局の住宅政策としては金融公庫による住宅金融、即ち、不等価高権金融が踏襲されてきた。そのような建設業法第20条に違反した不正な金融を国土交通省の住宅政策が全面的に支持していた理由は、ハウスメーカーに巨額な利益を保証するために、住宅を販売するための高校・宣伝、営業・販売に要した費用を建設業法に違反して、直接工事費であるかのように欺罔する見積もり方法を、住宅建設業は製造業ではなく、サービス業であるからと堀津城の根拠のない産業分類を持ち込んで、正当化した。宅地建物取引業法上の販売手数料が6%と言っているときに、ハウスメーカーの販売粗利は販売額の60%、つまり宅地建物取引業法の手数料の10倍を採って正当であると認めてきた。このような暴利を正当な額と欺罔する方法として、不等価交換販売価格どおりの金融を行ってきたことがあげられる。

(3)MBS(モーゲージ証券)と「NBS」

住生活基本法時代になって、日本の住宅政策を機能させているダイナモは米国の住宅政策に倣った「MBS」である。問題は日本の「MBS}は米国のMBSと名称は同じであるが、その仕組みも信用(価値)も、べいこくのMBSとは全く「似て非なるもの」である。日本ではあの破綻した住宅金融公庫を「住宅金融支援機構」という名称を付与して、住宅金融を行った金融機関がその出の住宅ローン債権証書を持ち込めば、住宅支援機構はその融資額通りの金額で買い上げ、住宅金融支援機構が買い上げた証券を「MBS]と呼び、住宅金融支援機構の「MBS」を郵便貯金や簡易保険と言った政府の財投資金買い上げることで、金融機関に対してはすべに行った住宅金融(ローン)額を回収することができ、それを基に次の金融が行えるという制度である。

米国のBMSは、金融機関が等価交換金融施行ったモーゲージの内、FHA(連邦住宅庁)が債務保証を行ったMBSをFNMA(ファニーメイ:連邦全国モーゲージ協会)が買い上げ、それを金融市場でその額面価格で売却することで、融資資金を回収している。米国の融資額はモーゲージであるから、直接工事費分で、通常の住宅請負価格の80%である。とうぜんMBSもそのモーゲージ価格である。それに対し、日本では融資額であり、その融資額はハウスメーカーの住宅の場合の直接工事費の2.5倍である。(住宅の粗利は販売額の60%を占めている)

米国のMBSと日本の「MBS」とはその額面通りの取引をしているということでは、カジノのチップと現金の違いのようなもので、カジノのチップはカジノの中で有効であるが、一般の経済活動には通用できない。しかし、日本では住宅金融支援機構に貨幣とチップの交換を行わせているため、現金とチップとが境界なしに流動している。チップは取引され、動いている間では、一見不都合がないように見える。しかし、ローン返済不能事故が起きたとか、金融の基本ベースとなっている住宅の価値が融資額と矛盾することが問題になったときは、このシステム自体が破綻する。

現在日本のMBSが機能している理由は国家の信用によって強制的に機能させているためであるが、融資対処になっている住宅の価格でローン債務の返済ができず、その土地は団体信用保険を行使させることができず、債務が焦げ付いたときは、国家がその損失を補てんできるかが問われることになる。1200兆円の国債を抱えた日本国に住宅支援機構の損失補てんはできそうにない。国債は国の債務で、日銀に一時的に抱かせることができても、それによって国の債務が減るわけではない。

(4)「フローの住宅」、「ストックの住宅」

日本には住宅ストックは数量的には過剰になっているが、住宅ン新規供給は現在では賃貸マンション経営ということで依然高い供給水準を維持している。それは住宅を購入する人に利益があるからではなく、政府(中央成否うと地方公共団体)が「フローの住宅政策」によって税収拡大ができるという判断があり、それを促進する政策として地主を賃貸住宅経営にあぶりだす相続税政策が取りざたされているためである。
財産が相続税によって奪われないような方策として賃貸マンション経営が持ち出されている。その政策の先には財政の先行き不安の原因である。フローの住宅政策は不動産を流通させることで利益を拡大する者のための政策であるのに対し、「地方税収拡大(住民税と固定資産税)」が待ち構えている。ハウスメーカーや彼らとタイアップして不等価交換金融をして利益を挙げている金融機関は全て「フローの住宅」政策の受益者である。

これらの「フローの住宅」政策を進める者(産業)に利益を奪われている者が「ストックの住宅」の受益者で、住宅の購入者や住宅の居住者である。

(5)住生活基本法とは何か

住生活基本法は、住宅建設計画法が破綻し、公団や公庫の経営破綻の結果新しく創設され、その背景には、米国の住宅政策に倣うと説明されてきたが、その要となっている「MBS」は米国のMBSと「似て非なるもの」である。その秘密を知るためには住宅建設計画法が生まれた背景を知らなければ理解することはできない。1976年に創設されて住宅建設計画法は、ベトナム戦争が終息し、それまでの日本の住宅政策が大転換を迫られた理由を知ることがなければならない。

朝鮮戦争が勃発し、米軍は朝鮮戦争のため、戦前の日本の軍需産業を維持するため、日本を米軍の兵站基地にした。軍需資本(財閥)解体は中止され、軍需産業は復興され、巨大な国内および国外からに引揚者である旧軍需産業労働者が軍需物資の生産に携わることになったが、戦争で重要を失い、米軍が必要とする軍需産業が起動するために住宅が必要であった。米分は日本政府に住宅金融公庫を設立させ、軍需産業労働者ん住宅(社宅)を産業支援融資として行った。

しかし重層下請け構造の軍需産業の下請け産業や関連産業の労働者は、賃金も低く住宅が得られなかったので、政府が公営住宅、公社住宅として供給した。東京裁判が終わり、1952年日米安全保障条約が締結されたが、米軍の兵站基地を継続させるため、日米安全保障条約の中で、日本の分担する役割として軍需産業労働者向けの住宅を公共住宅として供給することになった。やがて、軍需産業の拡大とともに広域的な住宅供給を行う組織として日本住宅公団が設立された。
日本住宅公団は特定分譲住宅として軍需産業のために社宅を供給する一方、公営住宅で行政境界を超えて通勤する人たちのため住宅公団が賃貸住宅を供給した。新産業都市や工業整備特別地域という米軍の兵站基地の重要な機能を担う市域の整備が進み、その地域への公共住宅の建設は日米安全保障条約による日本の義務として大蔵省が予算の配分で責任をもって行うこととされた。

1975年に米軍がベトナム戦争で敗北した結果、軍需産業に振興のための軍需産業労働者向け住宅は不当になった。それまで政府が要請してきた住宅産業が需要を失ったため、住宅専業に経営を持続させるために、今度は国民を最終需要者とする住宅政策が新しく組み替えてつくられた。それが住宅建設計画法である。それは公営住宅、公団住宅、公社住宅、公庫個人住宅の全てにおいて、国民を最終需要者とする住宅政策に転換された。

その間、日本は高度成長により地価が高騰し、土地付き住宅を国民が購入することは困難になっていた。そこで政府は、原価主客論を利用した建て替え住宅政策を持ち出し、住宅展示場を利用したハウスメーカーの住宅販売で、木造住宅所有者を片っ端から絨毯爆撃をし、「あなたの住宅は築後20年経過した価値はなくなっているので建て替えをせよ」と迫って、「鉄は国家」と言われたイメージで軽量鉄骨でできたプレハブ住宅を売りまわった。

やがて、住宅産業はすそ野の広い産業として日本に景気を左右できる産業と考えられ、住宅政策を担う建設大臣は、大蔵、通産および農林大臣、経済企画庁長官と並ぶ経済閣僚とされ、わが国の経済政策上重要な役割を担うことになった。その役割は「フローの住宅」政策であって、「ストックの住宅」政策ではなかった。その日本の住宅政策の前史が現在の住生活基本法の政策の土壌になっている。

(NPO法人住宅生産性研究会理事長戸谷英世)



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