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HICPMメールマガジン第714号(2017.03.29)

掲載日2017 年 3 月 29 日

HICPMメールマガジン第714号(2017.03.29)
皆さんこんにちは
五島列島のキリスト教会巡礼

今年度の際顔のデザイン学習に五島列島を中心に3泊4日で教会を巡礼してきました。長崎県下に150のキリシタン教会があるうちの50が五島列島にあるということで改めて五島列島の担っている重さを感じました。私自身、遠藤周作の小説には惹かれるものがあり、今回の旅行もその背景には遠藤周作の諸説がありました。それと私自身住宅のデザインをHICPMの運動として、セ内で教育されているように「人文科学」として学ぶ「欧米の建築学」で教育していることを国内でもなんとか定着できないかと考え、そのためのヒントが得られないかという気持ちもありました。

建築デザインとはなにのためのデザインか
今回のツアー参加者17名と現地での受け入れ側の人たちの多くが、遠藤周作の『沈黙』に大きな影響を受けているようで、遠藤周作の心をこのツアーで確かめている人が多いのに驚かされました。私自身日本の建築教育が工学部教育でデザインは「図案」としてしか教えられていない貧しさが、住宅購入者にこだわりの持てない、使い捨てのデザインしか供給できていないことになっていると判断され、その修正に挑戦し、目下、住宅産業に関係しておられる住宅産業人や、住宅を学ぼうとしている学者・研究者・学生のためのテキストとして『住宅建築設計』を取りまとめ中です。その作業にも役立てられるだろうと思って5島列島キリシタン教会巡礼に出かけました。

遠藤周作の「沈黙」が考えさせ宗教と建築デザイン
その前にまず遠藤周作の小説「沈黙」の説明をします。この小説は、「ディパーテッド」「タクシードライバー」の巨匠マーティン・スコセッシが映画化されたヒューマンドラマで、アカデミー賞候補になった名映画です。キリシタンの弾圧が行われていた江戸初期の日本に渡ってきたポルトガル人宣教師の目を通し、人間にとって大切なものか、人間の弱さとは何かを描き出した小説です。しかし、五島列島で見ることのできたキリシタン教会は明治時代に建築されたフランス人宣教師によるゴシック建築で、私のイメージしていたポルトガルのロマネスク様式を見ることはできませんでした。

『沈黙』のあらすじ
『沈黙』の舞台は、17世紀イエズス会の宣教師ロドリゴとガルペが、キリスト教が禁じられた日本で棄教したとされる師の真相を確かめるため、日本を目指す若き2人も宣教師がポルトガルからの旅の途上のマカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に、やがて長崎へとたどり着き、厳しい弾圧を受けながら自らの信仰心と向き合っていく物語です。スコセッシ監督が1988年に原作を読んで以来、28年をかけて映画化にこぎつけた念願の企画で、主人公ロドリゴ役をアンドリュー・ガーフィールドが演じ、リーアム・ニーソン、アダム・ドライバーら有名俳優が共演しました。

建築が表現する用語(ボキャブラリー)
悪代官役を演じたイッセー尾形は役柄を正しく演じ、感動しました。キチジロー役の窪塚洋介は弱い人間の悩みを驚く穂でうまく演じていました。私は権力というものがいかに残酷なものかということを味わうとともに、戦うことがいかに重要かと思いましたが、この小説では権力と闘いをすることはなく、「神が苦難に耐えている人々がどのような対決をしなければならないと考えているか」を考えさせる物語になっていました。遠郷周作自身の宗教観であると思いますが、信仰をする人にとっての最も重要な問題であるといえます。信仰とは心の問題ですが、同時に形や行動の問題として問われることになります。建築では形の言葉(ボキャブラリー)として学び、それを使って思想を伝えることが建築設計です。

ゴシック様式とロマネスク様式
17世紀ポルトガルが日本に来た当時のポルトガル人詩経が活躍していたと意地の教会は多分ロマネスク様式だったと思います。現在、五島列島で見る教会建築はゴシック様式です。それはフランス人詩経の活動としてゴシック建築と一緒にキリスト教に布教が行われたからだと思います。カトリック教であればどちらでもいいじゃないかという考えもあるかと思いますが、西欧では教会堂をロマネスクで建設するかゴシックにするかはきっと論争になると思います。日本では意匠、図案として建築様式が受け入れられたため、ロマネスクかゴシックかの違いは図案の違いでしょうが、欧米の建築学では歴史・文化・生活を扱う人文科学として建築学を勉強しますので、様式の違いは図案の違いとして扱うことはありません。ゴシック様式は土地の中に目立つ建築デザインとして生まれ栄えたのに対し、ロマネスクデザインはひっそり隠れて主教心を育てたデザイン建築として広がりました。

「天守」と「天主」と安土桃山文化

今回、以前から私が疑問に思っていた「天主」に関し面白い展開がありました。五島には「天主堂」と呼ばれる建築物があって、その天主とはデウス(神)のお入りになる館という意味だという説明でした。私は以前から天守閣の「天守」も同じキリスト教の「天主」(ゼウス、神、ジーザス)という関係があるのではないかと推察していたのですが、今回の旅行で「天守」と「天主」とは官益があるとの説明を受け、私の疑問「桃山文化とキリスト教」にさらなる関係を感じ、興味を拡大することができました。
織豊政権も徳川政権も南蛮の財宝を抑えようとしてキリシタンを積極的に受け入れた歴史を持っています。なぜ手に平を翻したような扱いを行ったのか。近世史の解き明かされるべき課題と思います。仙台のサンファン館ミュージアムで展示されている支倉常長の「遣欧使節団の物語」の悲劇も遠藤周作が扱っていますが、日本人を理解するためにも宗教を考えるためにも大きな問題提起をしてくれています。

『住宅建築設計』のデザイン教育
私が現在まとめている『住宅建築設計』の中で、欧米の建築学教育でなら日本の近代建築教育をどのように整理するだろうかという疑問に新しい見解を提供することになるものだと感じました。それは明治大日本で進められた「近代ルネサンス建築様式」が「仏造って魂入れず」の建築であったために、関東大震災後「人命も財産も守れない建築教育」を放棄し、構造安全教育に転換した結果、日本の建築学教育からデザイン教育が消滅したのです。明治時代から大正時代にかけて現在保存運動の対象となっている近代建築として優れたモノづくりをしながら、あっさり放棄できた近代建築教育は、「もぬけの殻のモノづくり教育」だったからです。それが現在のデザイン軽視の建築教育になっているのです。

住宅購入者が「わが家」と感じることのできるデザイン
明治以来の近代ルネサンス建築におけるルネサンスとはいったい何であったのかということをもう一度原点に立って考えることがないと欧米の建築教育がなぜルネサンス建築教育から始まったかが理解できないと思います。ルネサンスとは思想運動で、西欧キリスト教国がイスラム教国に対抗する力を蓄えるために国を挙げ10世紀以上にまたがって取り組んできた思想運動であるということを理解しないとルネサンスは正しく理解できないと思います。ルネサンスとはフランス語で古代ローマに回帰するという意味だそうです。つまり、ヘレニズム文化とヘブライズム文化に回帰する文化運動だったのです。

「造」を「ぞう」と呼ぶか「つくり」と呼ぶか
今回の旅行で大変気になった日本語ですが、建築学に登場する、木造、レンガ増、鉄筋コンクリート造、鉄骨造というような構造を表すとき構造は造(ぞう)という読みを当ててきました。大学教育でも建築学会でも同じです。しかし、今回のツアーの解説やNHKなどの説明では、造を「つくり」と読ませています。寝殿造り、書院造、数寄屋造り、天地根源宮造り、はいずれも造(つくり)と呼んでいて、それは「様式」のことを言います。造を「ぞう」と呼ぶか「つくり」と呼ぶかは、「構造の区分化」それとも「様式の区分化」という基本的な違いです。しかし、それがNHKをはじめ、多くの文化事業者においても混乱して使われているだけではなく、その意味している内容まで混乱されているほど、デザイン問題は日本で全く粗末にしか扱われていません。

デザインとは何か
そこに日本のデザイン教育の基本の乱れ、崩れがあると私は考えます。デザインの基本は思想を形として区別するもので、住宅ン場合、その住宅を購入した人が「わが家」と帰属意識をもって愛することのできり基本条件を形成するものです。欧米ではそのように考え建築学ではデザインと旗と区別できるものアイデンティファイするものと教えています。日本のように客引きの手段と考えて、有名建築家のように目立つようにするためとか流行りを作るためというようには考えません。商業デザインと住宅デザインの最も違うところです。デザインを人文科学的に学ぶ理由は、住宅を歴史文化的に理解することが基本であると欧米では考えているためで、それが建築教育を人文科学教育として行っている理由です。住宅・建築・都市計画な欧米では人文科学教育とされている理由は、住宅・建築・都市は長い歴史を踏まえて計画し長い将来の歴史文化として計画されなければならないと考えられているからです。

都市工学、建築工学、土木工学
これらの学問は欧米では「シビルエンジニアリング」と呼び工学部で学習研究されます。いずれの学問は実施設計された通りの性格の建設する学問だからです。日本のように都市工学で都市計画をするとか建築工学で住宅設計や建築設計をするということは欧米ではありません。建築家(アーキテク)ハムから空間を創造する仕事で、入札のように作るものが決まっていてそれをいかに安く作るかという仕事ではありません。建築士法第25条の業務報酬の考え方に欧米の建築間業務報酬のことが記載されています。しかし、日本では設計といいならら入札でも実現できる設計しか行われていないことをよく考えてみる必要があると思います。日本は「世界の孤児」といわれていることは住宅、建築、都市計画でも指摘されていることです。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)



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