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HICPMメールマガジン第722号(2017.05.29)

掲載日2017 年 5 月 29 日

メールマガジン第722号(2017.05.29)
皆さんこんにちは
4月28日から5月9日までカリフォルニアに「アワニーの原則」とカリフォルニアの2大学キャンパス建築デザイン調査を行いましたのでその調査報告日誌をもとにすることにしました。

4月28日成田発ANA8サンフランシスコ着
娘の出迎えをうけ、飛行場から宿泊地のスタンフォード・テラス・イン(スタンフォード大学に隣接)に直行。機内では映画を見たりして睡眠できず、「時差ぼけ」で、到着早々、睡魔に襲われ、早速夕食までホテルで睡眠。6時には娘の迎えのとき「ザ・クロッシングス」関係のスマート・グロースの関係資料を持ってきてくれました。それに目を通してから、近くの人気のギリシャ料理店Evviaに行きました。1ヶ月前の予約時もほぼ満席だったそうで、とてもおいしい魚料理と羊肉料理とカリフォルニア・ワインもいただき、豪華なディナーでした。旅を楽しくするために睡眠は重要です。

夕食後、既に8時近くになってもまだ明るく、街並み散策し見学しました。伝統的様式建築デザインで造られたスタンフォード大学キャンパスの周囲の戸建て住宅の街並みでした。スパニッシュ・コロニアル様式が中心ですが、ヴィクトリアン・スティック様式やクラフツマン様式も見られ、バラエティーに富んだ街並みです。すべての住宅は、道路幅員と同幅員のセットバック(壁面後退)をし、前庭はガーデニングされ、並木が街路に覆いかかり、サイドウォークを歩いていると公園都市を歩くことができました。すべての住宅の価値が高騰し、1戸が2億円を超える住宅で形成された街並みでした。建設当時はもっと安かったそうですが、IT産業の発展とともにスタンフォード大学周辺の住宅需要が急増し、住宅価格は高騰しているためです。住宅の価値(経済価値)は、需要と供給とで決まる取引価格であることを分かりやすく教えてくれます。住宅の資産価値を高めることは、売り手市場となる住環境をつくることです。知っている建築様式の街並み散策は、仲間との出会いのように、懐かしさを感じました。

4月29日宿泊ホテル:「スタンフォード・テラス・イン」のデザイン
スタンフォード大学訪問者に人気のあるホテル「スタンフォード・テラス・イン」は、間口が比較的狭く、小さなホテルに見えますが、奥行きが深くホテルの中には2つの中庭があり、中庭を囲んでドライブインホテル形式の外廊下の宿泊室が並んでいます。しかし、ホテルの外観には、客室に導く外廊下は見えず、通常のドライブインホテルには見えません。その一つの中庭(約1000㎡)は、公園の談話室のようにテーブルとソファーを囲んで、花と灌木で囲われた3区分された屋外の緑の空間になっています。もう一つの中庭(約600㎡)には、中央に25mのスイミングプールを囲んで、その周りに観葉植物と灌木で造られた緑の散策路にバラの花が咲き乱れている空間です。いずれの中庭も地上3階部分まで吹き抜け(アトリウム)で、各階のベランダには鉢植え(プランター)造園がなされ、3階まで一体化した豊かな緑と花で満たされた豪華な立体的な公園眺望を演出していました。

中庭を囲む廊下からの眺望全体が立体的な庭園で、中庭に立つとその周囲は3階分連続する豊かな緑があふれる植物園で、そこには、赤、黄、色取り取りの大輪のバラが満開の豪華な植物園の空間になっています。中庭を囲む3階分の重層する廊下から中庭の眺望が迫力を持った素敵な空間で、3層の回廊は中庭の上部空間の広がりを演出しています。各階に約30室のベッドルームで、地下1階地上3階ですから、ホテル全体で約80-90室があり、結構大きなホテルです。各寝室は中庭に面する幅広い(2m近い幅員の片廊下に面している)各室の間口8m、奥行き10m、天井約3mあり、ベッド・ソファー、クローゼットと衣装ダンス、TVとPCのあるデスクとテーブル、バス・トイレ・洗面・ミニバー付の短期滞在できる十分広い空間です。

地階部分の4分の3はガレージで、残りの4分の1の部分は、植物園のように電気照明で観葉植物が育てられている植物園です。観葉植物でいっぱいの温室空間にテーブルとソファーを囲む接客空間がつくられ、その中にピアノが置かれてあり自動演奏が行われていました。そこではパーティもできる不思議な空間で、ホテルの外からは想像でできない南国を連想させる空間です。朝食は米国の普通の朝食です。食後近くの街並みを散策しました。普通の伝統的な洋式建築の独立住宅の立ち並んだ街並みで、道路幅員と同じ幅員だけセットバック(前面壁面後退)し、大きな並木と各住宅のフロントヤードの植栽で、公園のような落ち着いた街並みを造り、住宅を見て歩くだけで楽しむことができました。

建築様式としては赤瓦の屋根のスパニシュ・コロニアル様式が最も数が多く、塗り壁と赤瓦の住宅は、この地域の風土によく似合うデザインのように思えました。街並みを構成する住宅は私の知っている建築様式の住宅がほとんどであったので、丁度、山に出掛けたとき、そこに立っている木々の名前を知っていると親密感を感じられるように、街並みを構成するデザインを知っていると親近感を覚えます。建築の形、装飾、建築詳細は建築のデザインを構成する歴史文化を担った言葉(ボキャブラリー)です。

「ザ・クロッシングス」(ピーターカルソープ設計)の計画
「アワニーの原則」を訪ねる今回の街並み見学は、「ザ・クロッシングス」から案内してもらうことになりました。ここには5年ほど前に、娘に案内されただけではなく、それ以外にも3-4回は訪問し、10年間の街並みの成長に関心がありました。「ザ・クロッシングス」全体が樹木の成長により街全体が大きな樹木の植えられた公園のように緑に覆われ、生活も定着している様子が伺われました。この土地は、昔のショッピングモールの一部を取り壊して、環境にやさしく車への依存を少なくした住宅地として開発された米国政府の住宅政策「スマート・グロース」の代表的な開発です。この住宅地は、かつて、設計者ピーター・カルソープによる通勤通学の公共交通機関を使う住宅地開発、TOD(トランジット・オリエンティッド・ディベロップメント)の代表的な開発です。

この住宅地「ザ・クロッシングス」は、CAL鉄道(カリフォルニア・レールロード)の一つの駅(サンフランシスコとサンホセを両ターミナル駅に持つに大きな就業地を結ぶ幹線鉄道にぶら下がる住宅地開発です。その間の沢山の地域に生活する居住者の日常の勤務では、CAL鉄道とそれと並行して走っている道路上を走るシャトルバスを使うことで、通勤・通学はでき、この開発以前からある巨大なショッピングセンターは隣接し、自家用車依存が少ない町です。サンフランシスコのCAL鉄道の駅周辺は再開発され、サンフランシスコ大学とその教職員の居住地となり、衰退していた環境は大幅に改善されました。「ザ・クロッシングス」はそこへの通勤客の住宅地に含まれます。

スタンフォード大学の建築、カンター・アート・ミュージアム
今日も、まだ時差ボケで、車の中で睡魔に襲われふらふらしていました。この日は、「座クロッシングス」を調査したのち、最初にスタンフォード大学のカンター・アート・ミュージアムに行き、以下の5つの作品を文芸員による「芸術作品の見方を学ぶ教育ツアー」解説付きで、5作品を見て回りました。
(1)    流木を金属で作りそれで流木を使った「馬」の造形にしたものでした。その木材を青銅を使った材料に置き換え、金属材料で組み合せ木造造形を実施した造形
(2)    中世絵画の解説で、金粉を背景に使い、ローソクの光の反射でダイナミックで優雅な感触を演出した話や人物像の大きさによりその偉大さの違いを表現した中世絵画
(3)    ルネサンス彫刻に表現された男女の感情表現の仕方
(4)    地獄門に彫られた地獄の中の人の彫刻の中の人物の話
(5)    老人の彫刻の前からの姿とその後ろからの姿で表現しているものの話

デザイン解説は大変上手で面白いものでしたが、私は英語力の貧しさと眠気により十分理解できませんでした。見学を終わってからミュージアムに設けられているスタンフォード大学のカフェーで昼食をし、ホテルで午睡をしました、5時まで休息をとり眠気がなくなり夕食に出かけました。夜のディナーはスタンフォード大学の北東のタウン・アンド・カントリー・ヴィレジのメイフィールド・ベーカリー・アンド・カフェーでビフテキと魚を食べました。雰囲気のあるレストランで、子供ずれや友人同士など多種多様な人々のグループがやってきて、大きな声で談笑をしながらディナーを楽しんでいましたが、食事をしながら活発な会話が交わされ、米国人の声の大きさに驚かされました。

4月30日フーバー研究所
朝ゆっくり寝過ごし、娘が迎えにやってきた9時には、今日の宿泊地移動のためのパッケージ中でした。その後、朝食にホテルの食堂へ出かけました。朝食後、スタンフォード大学で娘が歴史研究しているフーバー研究所に行きました。研究所はフーバータワー(高さ約80m)の足元に立っている矩形平面のモダンデザインの2棟の2階建て建築物の一つで、建築物のエレベーションは、4面とも2階部分まで一体のラウンドウインドウが連続して設けられた壁で囲われたシンプルで軽快な建築物です。

娘の研究室は2階にあり、研究員の名札のある落ち着いた眺望のよい研究に集中できる雰囲気の個室です。そこには日本の陸軍と海軍が戦後に日本政府(防衛庁)の戦争歴史をまとめた『戦史叢書』102巻の書籍が大学図書館から娘の研究室に貸し出され、研究環境の整備された興味深い研究室になっていました。そこで娘の取り組んでいる研究内容の説明を聞きました。娘が行ったこれまでの大雑把な調査では、陸軍の総括が海軍よりまじめに行われている興味深い調査結果のアウドラインの解説が聞けました。私は娘の研究室に行くまで、旧陸海軍に関する防衛庁による第2次世界大戦を総括するような歴史研究が行われていることを知りませんでした。戦後70年で風化しようとしている戦争経験を国民共有の理解にしないといけないと思い、軍の総括を学問的に解明する作業は重要だと思いました。

私は娘に、戦後日本の安全保障条約の時代的な質的変化を歴史学の立場で検討してほしい希望を伝えました。娘はこれらの資料を読むと共にその資料の中から日本軍の戦争に関する問題を分析解明する大きな研究課題でやりがいはあるが、それにふさわしい分析をしなければならない責任の重い研究だと思いました。スタンフォード大学では国防に関する政策研究には力を入れていますが、娘の関係する歴史研究をあまり重視していないとのことでした。娘の研究室でしばらく時間を過ごしてから11時に始まるスタンフォード・メモリアル・チャーチのガイドツアーに行くことにしました。

スタンフォード大学・本館建築(メイン・クオッド)とメモリアル・チャーチ
5年前に訪問した時と同じように、今回もスタンフォード夫妻が若くて亡くなった息子のために造ったこの大学の中で最も重要とされている教会(メモリアルチャーチ)を大学の専門ガイドツアーで見学しました。教会内部の解説が聞かれるので、そこでは定刻前から解説を聞くために多くに人が集まり、専門の解説者からの教会に関係する歴史・文化・逸話など豊かな解説を聞きました。今回の解説で、この教会はリチャードソン・ロマネスク様式であることが分かりました。この建築には建物の外観にも内部にも多数の遠目にはフレスコ画のようなパステルカラーの絵画がたくさんはめ込まれています。しかし、フレスコ画は一切採用せれておらず、すべての絵画はパステルカラーのモザイクで絵画でした。また、アーツ・アンド・クラフツの影響を受けたステンドグラスもこの教会として特色のあるものでした。

ここには中央のドームと共に両側に袖棟が造られ、教会の中央のドームと2つの袖塔のドームの様子は、一般のロマネスク建築とは違っていました。中央のドームは組積造のドームで、サンフランシスコ地震で破壊されました。地震のよる破壊はこの教会だけではなく、中央の建築物(メイン・クオッド)のリチャードソン・ロマネスク様式で造られた回廊も、大きく破壊されました。いずれの破壊された部分は創建時どおりに状態に修復されました。一方、両袖のドームは組積造ドームではなく木製ドームで、いずれも建設当時のままのドームでした。ロマネスク建築に木造のドームであることは想像外のことでした。ロマネスク建築のドームを木製で作った例は、世界中に、多分これ以外にはないと思います。スタンフォード大学には資金は十分にあり、工事費を理由に木造ドームにしたとは考えられません。多分、建築物の木造屋根の外観形状と構造の関係で組積造のドームを造ることはできなかったためと思われます。この両袖棟には客席が設けられ、通常の教会建築とは用途が違っていました。

この教会を出てから、再度この教会の外観を振り返って眺めると、教会の外観にはドームの外観はなく中央のドームはドームの外観はなく方形の塔の形です。おそらくスタンフォード大学の景観として最初からこの教会には、ロマネスク様式の建築でありながら、中央の組積造のドームは、ドームの最頂部から採光している中央のドームだけで、両袖の建築部分には組積造のドームを採用せず、木造のドームにしていました。ドームの屋根の外観はドームの構造・形態を採用せず、本館全体(メイン・クオッド)の建築形態のデザインの関係で、切妻屋根の建築として統一されたものでした。要するに協会の建築形態は木造切妻屋根で、組積造のドームの形態は屋根の形態には採用されていません。

この教会(メモリアル・チャーチ)自体の建築物は1890年代の建築で、建築家、リチャードソン・モリス・ハントは、米国で生まれで、グランドツアーによる第1回のエコールボザールへの派遣建築家の一人で、ロマネスク様式建築に感動した建築家と伝えられています。リチャードソンは、ボストンの都心にトリニティ・チャーチ(三位一体教会)のデザインとして、ロマネスク様式のデザインを提唱し採用され、話題になった建築家でした。ロマネスク様式の教会は一般に人里離れたひっそりとした環境に建てられ、小さな開口部から侵入する光に神の慈悲を感じる建築空間です。それに対し、リチャードソン・ロマネスク様式は、ロマネスク様式一般とは逆に、建築物の存在自体を社会に主張するとともに、神の栄光をこの建築物から発信する「ゴシック建築と同じ感覚」の「社会に対し、建築思想を訴える力」の強いデザインです。リチャードソン自身が、設計者としてスタンフォード大学の中央本館建築(メインクオッド)の建築設計にどのような関与をしたかはわかりません。しかし、回廊のデザインやインテリアデザインはリチャードソン・ロマネスク様式であることは、教科書通りで明確です

キャンパス内の大きな中庭を持つ本館建築(メイン・クオッド)を構成する校舎で囲われた中庭を歩くと、そこでは強烈なリチャードソン・ロマネスク様式のデザインに圧倒させられます。それは回廊(アーケード)を歩く者の目に映る景観も、そこに導かれる教会はその屋内空間全体がリチャードソン・ロマネスク様式で造られています。回廊は教会の建築デザインとしてリチャードソン・ロマネスク様式を採用しながら、キャンパスの建築外観のうち屋根に関してはリチャードソン・ロマネスク様式ではないデザインとされたことが、一見してわかります。屋根や建築形態のデザインはリチャードソン・ロマネスク様式ではなく、明らかに別の建築様式を採用したにもかかわらず、本館建築(メイン・クオッド)として全体が非常に調和がとれ、固有のスタンフォード建築様式と呼んでよいさえ思わされました。

スタンフォードは大学を研究や学習の発信するダイナモとして、この建築物を通してスタンフォード大学を社会に表現したデザインとして中央の建築物を赤瓦の切妻屋根回廊式の建築にリチャードソン・ロマネスク様式を採用したに違いありません。人々に大学の存在感を訴えるキャンパス全体としてのランドスケーピングは、カリフォルニアの歴史的な文化イメージとしてスパニッシュ・ミッション(修道院)のイメージで、カリフォルニアという土地に根を張った大学という主張を行い、そのキャンパス・デザインは、大きな平坦地である市民の帰属意識を育てられたニューヨーク・セントラル・パークの設計者フレドリック・オルムステッドによりキャンパス・デザインが造られました。

オルムステッドはこの時代の米国内で最も優れた建築家(ランドスケープ・アーキテクト)で、ニューヨークのフォレスト・ヒルズ・ガーデンズの全体計画の設計を1911年に行っています。フォレスト・ヒルズ・ガーデンズにはリチャードソン・ロマネスク様式の建築が多数建設されており、オルムステッドがリチャードソン・ロマネスク様式の強力な存在感を理解していて、スタンフォード大学の設計にも取り入れるようにした可能性も考えられます。そして、建築様式としては、大学が社会に向けて発信する学問研究・教育の大きなエネルギーを視覚的に訴えるデザインとして、歩行者目線では強烈な存在感を示すリチャードソン・ロマネスク様式の建築デザインでストリートスケープを演出しました。

ここでの分析は、欧米の建築設計に関し、洋風建築様式は建築思想の主張であるという調査研究の結果からの建築デザインの読み解きです。建築設計及び都市設計は、その土地が歴史・文化・生活を生み育ててきたものを、過去・現在・未来へとその空間を利用する人たちがその担ってきた歴史・文化・生活を育てて行くように建築主の思いと、設計する建築家の設計計画思想を反映させるものです。その建築・都市空間は利用者によって育てられる人文科学的な考え方を当てはめた結果です。メモリアル・チャーチを心行くまで見学してから、リチャードソン・ロマネスク様式で造られた中庭と中心の建築物(メインクオッド)を囲う廊下(アーケード)を見学し、フーバータワーを訪問しました。

フーバータワー
フ-バータワーにはフーバー夫妻がいずれもそのデザインと耐震構造にも拘ったということで、非常に興味深く思いました、私は1929年に米国で始まった世界恐慌に時代の大統領がフーバーで、ルーズベルトと共に世界恐慌に取り組んだと思い込んでいましたが、その認識は誤っていたことが分かりました。フーバーは財務庁長官とし優れた業績を上げ米国経済を成長させ、大統領にえらばれた人です。ルーズベルトは戦略家・民主党政治家で、自ら政権を奪取するため、共和党政治家フーバーと政策の違いはありましたが、フーバーの世界恐慌に対する政策は間違っていると批判してフーバーを大統領選挙で敗北させました。ルーズベルトはその後に大統領になり、実質的にはフーバーが考えた政策を自分の政策として展開し、すべての成果を自分のものにしてしまいました。世界恐慌という大きな問題があったのに対し、フーバーダムに象徴されるようにその恐慌からの復興政策としてとった政策は正しかったと現在では評価されています。フーバーの政策は基本的に間違っていなかったことが時代の中で証明され、トルーマン大統領のときフーバーの再評価が行われて、行政改革がフーバーの助言で進められました。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)




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