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HICPMメールマガジン第724号(2017.06.12)

掲載日2017 年 6 月 12 日

HICPMメールマガジン第724号(2017.06.12)
みなさんこんにちは。

今回もカリフォルニア住宅・建築ツアーを報告します。

ソノマツアーとミッショナリーとカリフォルニアワイン
ソノマは、バークレイの北自動車で1.5時間(45マイル)のところにあります。そこには多数(63箇所)のワイナリー(ワイン製造所:カリフォルニアズ・ワインカントリー)のある都市(ソノマ・バリー)があり、その一部を見学しました。インフォーメーションセンターのある都市にサンフランシスコ・ソラノ伝道所(ミッショナリー)があり、その建築は修復され博物館として見学できました。この伝道所の見学で、スタンフォード大学本館の回廊でデザインがミッショナリーの建築のモチーフを生かしたのではないかという疑問が確かめられました。
スタンフォード大学の本部校舎(メイン・クオッド)のヴィジョニングがスパニッシュ・コロニアルのミッショナリーではないかという疑問(仮説)が膨らみ、論理的仮説としてミッショナリーがスタンフォードの中庭を囲むメイン・クオッドのヴィジョニングになっている結論になり、それをミッショナリ(修道院)見ることで確認しました。すなわち、ミッショナリーの回廊をリチャードソン・ロマネスク様式で作り変えた建築が、スタンフォード大学にキャンパスづくりの基本となったヴィジョニングと思われたからです。「サンフランシスコ・ミッショナリ。ソラノ」には映像を含んだ記録展示があり、メキシコからやってきたスペイン人がキリスト教を使ってアメリカインディアンを強圧的に支配した歴史をここでの記録映画で見ることができました。
カリフォルニアの豊かな資源をネイティブ・アメリカン、スペイン、ロシア、東部からやってきたアングロ・サクソンにより争奪戦が行われました。そして、米西戦争(1898年)での米国の勝利した歴史を経て、そこで発生したサンフランシスコ大地震(1906年)で多くの建築物が倒壊し、アングロ・サクソンたちに優越感が生まれ、心の余裕をもってスパニッシュ・コロニアル文化を見ることができるようになりました。サンフランシスコ地震で破壊したスパニッシュ・コロニアル建築群が米国の文化に取り込まれ、その文化的価値を公平な目で評価できるようになったのです。

全米で3回もブームになったスパニッシュコロニアル様式
スパニッシュ・コロニアル様式が、アングロ・サクソンの手でカリフォルニア地震後の調査で、スパニッシュコロニアル様式のやさしさと癒しの魅力が認められ、ニュージャージー州の駅舎のデザインに採用され、東部の大学建築科でスパニッシュ・コロニアルの建築デザイン教育が行われるようになりました。日本で活躍したウィリアム・メレル・ヴォーリズはその時代の建築教育を受けミッション(伝道師)として来日して、英語教師として採用されながら、キリスト教を教育したことで教員資格を奪われました。その時代、洋風住宅の設計需要が日本国内にあり、ボーリスは米国でスパニッシュ・コロニアル建築の設計のできる建築家を雇い、日本の洋風建築設計需要に応えました。
米西戦争(1898年)とサンフランシスコ地震(1906年)という2つの事件の結果、米国人はスパニッシュ・コロニアル文化を同情する気持ちで評価することができるようになりました。現在のカリフォルニアの歴史文化認識にミッションの評価が定まり、その上でスタンフォード大学のキャンパスデザインにミッション様式のデザインが取り入れられたことが確認できました。ミッションの建築物の前面には、道路を隔ててスパニッシュ・ミッション様式の建築物がショッピングとして作られ、大いに賑わっているようでしたが、写真撮影だけにしてワイナリーを訪問することにしました。

「ジャグージー」(泡風呂)と同じ経営者のワイナリー
私たちが訪問したところは泡風呂で有名なジャグジーバスの創業者が始めた企業で、ジャグージーは経営者の5人家族が始めたワイナリーでした。技術開発の過程で浴槽のジャグジーバスの技術が開発されました。オリーブとワインを試食・試飲をさせてくれた店舗には、何十種類のワインと何十種類もの味の違ったオリーブ油の2種類の商品を開発・販売していました。多様なオリーブ商品を細切れに切った「味見用の豆粒ほどの大きさのパン」に漬し、各種のオリーブオイルを試食しました。驚くほどたくさんの種類があって訳が分からなくなり、オリーブを購入するのをあきらめました。それからワインを6種類試飲して、おいしいワインを2種類購入しました。その後バークレイに直行し、8時過ぎ、ベリー教授ご推薦の大学に隣接するレストランでイタリア料理ピザを食べました。結婚52周年で、私たち老親に気をかけてくれている娘たちの成長を話題に話が弾み、結構、会話を楽しむことができました。

5月3日:不明な建築(シェークの教会建築)探索
今日はヨセミテ国立公園に移動する日ですが、途中、ヨセミテ公園の入り口にあるテナヤ・ロッジで一泊し、アワニーホテルに翌日到着する予定です。テナヤ・ロッジはヨセミテ公園の外で、ホテル代金も安いので、夕方にロッジに着けばよいという計画を立てました。そこでヨセミテ公園への出発日の午前中はバークレイの中で見残したところを見ることにしました。妻が「バークレイ・キャンパスでよく分からない木造建築」と言う老朽した木造建築を確認することにしました。その建物はバークレイ・キャンパスの南を走るバンクロフト通りに面し、シェークの屋根と外壁が造られた木造建築物でした。よく見ると、現在は閉鎖された教会建築と分かりました。多分、バークレイでも宗教活動は後退し、教会活動自体が閉鎖され、荒果てた建築物となっていることを概観から確認しました。そこから、キャンパスの北に移動し、大きな広がる広場の中央にある「日系人が第2次世界大戦時に植えた桜並木」を見て、その後、その東側にある農業関係の教育施設(ヒルガードホール)を見学しました。5年前の見学を含めると、何度も繰り返し見たアメリカン・ボザール様式のメモリアル図書館の前を通って、展望塔サザータワー(カンパニーレ)の西側の広場に出ました。そこには第2帝政様式のレンガ建築の(サウスホール)があります。そこから谷への道を下って、ウッドシェイクで作られたメンズ・ファカルティ・クラブとその先にあるウイメンズ・ファカルティ・クラブに戻り、チェックアウトをしました。

ヨセミテ公園へ。マリポーザの街と裁判所
バークレイを出発してからフリーウエイI-580Eで南下し、CA-13を経由し、CA-120を通り、オークデイルでストップしてメキシコ料理店(食堂:スージーべレン)に行きました。そこから途中で街並みの面白い街として、マリポーザ(スペイン語で「蝶々」の意味)の歴史建築として裁判所と街並みを見学しました。その裁判所はまだ現役ですが、博物館のように大切に管理されていました。西部劇に登場する裁判所が現役で使われていることに驚きました。そこには昔からの裁判所の金庫も展示され、ゲイリー・クーパーが今にも登場しそうな時代のインテリアがそのまま生かされていました。
裁判所全体の空間がノスタルジアを感じさせ、画家ノーマン・ロックウエルの絵画を連想させる昔のよき時代にタイムスリップした感じを受けました。その裁判所が昔のままの建築で150年以上の時代をへて現在まで現役で働いていることに感動しました。裁判所の調度品も照明器具もすべて建設当時のものがそのまま使われ、古いものを大切にする考えを超えて、自分たちの司法文化を守る考え方で働く職員もそれを誇りにしていました。裁判所の近くには石造の監獄がありました。その監獄には、そこからの脱走犯のことが掲示されていました。
ヨセミテへの街道に戻り、ヨセミテ公園直前にある岩山の中腹を走り続けたところから右手に折れた誘導路の先に大きなホテルとコテッジの集団が現れました。そこがテナヤ・ロッジ・ヨセミテでした。ホテルは大きな木材がデザインに使われた立派な建築で、多数の自家用車が駐車されていました。テナヤ・ロッジ・ヨセミテは中央に大きなスイミングプールを囲む大きなホテルで、私たちは、プールの前の3階建てホテルの2階に大きな一室でした。本館食堂で夕食をしました。ワインとハンバーグとサラダを食べながら、昔の家族と過ごした話と、安倍内閣の安保法制と憲法改正をめぐって、娘の研究対象である第2次世界大戦の歴史認識の話で盛り上がりました。客室も広く大きくゆったりリゾート気分を楽しむことができましした。娘の説明では、ヨセミテ公園を車で通園し、ハイキングなどで楽しむ人たちの長期滞在型のリゾート施設だと思いました。ヨセミテ公園内の高級ホテルの3分の一程度の宿泊費でヨセミテ公園のあちこちを楽しむベースホテルにしているとのことでした。

5月4日:ヨセミテ公園
テナヤ・ロッジ・ヨセミテで朝食を食べてから、昨日、娘が調べてくれたルートに従ってヨセミテ国立公園内のドライブが始まりました。途中でガソリンを入れたほかは寄り道をしないでヨセミテ公園に向かいました。ヨセミテ公園の入口は通園入園者の車が殺到し大渋滞でしたが、意外に短時間で渋滞は解消し入園することができました、車は1台が30ドルで1週間有効というパス料金でした。ヨセミテ公園内にはホテルは限られた数しかなく高額であるので、ヨセミテ公園外のホテルに宿泊し、1週間毎日通園することが、ヨセミテ公園の利用者にとっても経済的です。ヨセミテ公園内には、ホテルを建築させたくない国の国立公園の管理者にとっても合理的でした。
日本であればホテル資本の要求を優先し、公園の環境を守って、多くの人に保護すべき公園環境を守る考えを先行させているところですが、米国では子々孫々に亘り、伝承すべき国民の財産ヨセミテ国立公園を守るために現代の米国人がしなければならないと考える「米国の誇り高い民主主義思想」が健全に機能していると思いました。入園してからしばらく走ると、そこには約1マイルほどの長いトンネルがあり、そこを通り抜けたとことが大きな岩石の山が向かい合って立っている間にまだ雪の残る山の見えるヨセミテ国立公園の絶景が現れました。トンネルは最初から先の明かりが見えましたが、走っていくほど出口の明かりが遠のくような錯覚を覚えるトンネルでした。やっとトンネルを抜け出たところは展望する人達のための大きな駐車場と展望広場が用意されていて、その先に息の泊まるような美しいヨセミテの景色が広がっていました。娘の説明ですと、その景色はアップルコンピュータのデスクトップに使われている景色だそうです。そのため多くの見学者はそこで懐かしい景色に出会った気持になっているようでした。そこで車を止めて絶景を堪能してからホテルに向かいました。
その場所には大きなトラックに牽引された宴会巡回の観光用観覧車に観光客が満載で見学に来ていました。ホテルにつながる道路に沿って雪解け水の流れる河川が激しく流れを作っていて、水音が騒がしく聞こえていました。川沿いには遊水地や湿地もできており、そこには空に向かって垂直に伸びている高木が沢山立っていました。立ち枯れの樹木の数が驚くほど多く、日本の松枯れのように松虫の害にも思われました。昨年の旱魃の影響で多くの樹木に水の供給ができず立ち枯れになったということでした。
樹高が30メートル以上もある垂直に伸びている高木が林立していますが、その背景になっている大きな岩肌で造られた山の大きさに圧倒され、高木の林がそんなに大きくは見えません。岩山自体が高く大き過ぎ、岩山に挟まれた空間が狭くさえ思われました。その岩山でロッククライミングをしている登山者を双眼鏡で見付けることも困難といわれ、肉眼の私には人影は見つけられませんでした。それほどスケールの大きい景色であるため、岩山に挟まれた空間が狭く思われ、距離感が狂わされました。

アワニーホテル(マジェスチックホテル)
「アワニーホテル」は現在、「マジェスチック・ヨセミテ・ホテル」と名前を変えていますが、古い伝統のある有名な政治家も多数宿泊したホテルでした。レセプションで「アワニーの原則」を合意した会議のことを娘に頼んで聞いてもらったのですが、ホテルの関係者は、「アワニーの原則」を結んで会議のことは勿論、その会議のあったことさえ調べられない状態でした。あれほど有名な「アワニーの原則」が開かれたホテルに来て、会議があったことすら従業員が知らないことは何故かを改めて感じました。娘に調べてもらったところ、このホテルの歴史はそのホテルを訪問した偉大な人物とイベントで作られ、アワニーの原則の合意形成以上に大きなものがたくさんあったということでした。
このホテルの宿泊者には、英国のエリザベス女王、米国エリノアー・ルーズベルト。J・F・ケネディー、ウォルト・ディズニー、バラク・オバマなど世界のトップの人たちが宿泊しただけではなく、国立公園や自然環境に係る大きな会議も多数開催され、「アワニーの原則」の大会議もあったであろうと考えられても、そのことは現在のホテル従業員の教育には入っていないイベントということでした。
マジェスティック・ヨセミテ・ホテルの大食堂も大きな会議室の広々とした中庭に面して作られていて全米から100名の自治体職員を集めて今後の都市開発の原則を明らかにした会議が開かれたと考えられる立派な集会場(会議室)があり、それ以上の詮索はせず、ホテル内の探索しました。

5月5日:アワニーホテル(マジェスティック・ヨセミテ・ホテル)の探索
アワニーホテルのL字形の中心棟の4階の中庭を見下ろせる宿泊施設の前面眺望は、大きな岩山が聳え、その前面に高木の森が広がっていました。中心棟の最上階には高額な宿泊室の貴賓室が置かれていた。午前中、再度、ホテル探索をしました、大食堂や大会議場に連続するところに、ホテルの部屋の3面から外部の景色を眺望することのできる優れた空間があり、その空間を見下ろすことのできるロビーに続く落ち着いた2つの会議室(2階部分)は、会議室にも使うことのできる空間になっていました、「アワニーの原則」の合意を得た空間は、その中のどの空間でも開催できるもので、いろいろ想像をたくましくして、1991年このホテルで開催された会議の興奮を想像することにした。

LGC(ローカル・ガバメント・コミッション)

今回、娘がその研究者の情報収集力で調べてもらったところ、「アワニーの原則」の会議を主催した団体はワシントン州とのあるサクラメントのローカル・ガバメント・コミッション(LGC)というNGO団体でした。LGCの活動はスマート・グロースの運動として都市経営、都市開発都市管理のあらゆる分野にわたっており、サステイナブル・コミュニティの実現として「アワニーの原則」の合意後も実際の住宅・都市環境づくりの技術を理論と実践を、プロジェクト推進の経験を交流させ、広範囲な都市経営管理技術として展開されていることも分かりました。LGCは私たちがサクラメントで宿泊する予定のホリデイインから徒歩9分のところにあるビルディングであることがわかりました。娘が訪問の可能性を打診してくれましたが、LGCの関係者のすべてがロングビーチの環境問題の大会に出払っていて事務所にはいないとのことで訪問はしませんでした。ホームページ情報では、LGCの運動は実践的に展開されているので、訪問する側の問題意識がよほど研ぎ澄まされていない限り、仮に訪問しても、単なる表敬訪問になり、顔繫ぎ以上の成果は得られそうに思えませんでした。
アワニーホテルの中を、大会議のできそうな空間を片っ端から見て回り写真を取った後、屋外に出てホテルの周りに立つコテッジ群やその自然環境に囲まれた美しい景色を見学しました。十分調べたと実感でき満足できたので、豪華な大食堂空間で朝食を楽しみました。食後アワニーの昔のヴィレッジを見学する予定でしたが、現在、急増する駐車場需要に対応するため、ヨセミテ公園の駐車施設建設で道路工事が広い区域に渡って行われ、道路変更で交通は混乱していたので、予定した既存集落の見学はあきらめました。アワニーホテル周辺はヨセミテ国立公園の自然を楽しむリクリエーション地区になっていて、そこへのホテルの建設を制限しているようでした。そのため、ヨセミテ国立公園の入場料(1台30ドル)1週間有効の通園入場切符として、ヨセミテ公園外に泊り、自家用車を使って出入りをし、ヨセミテ公園内は無料シャトルバスで移動し、解説付きのオープンカーを利用して見学します。ヨセミテ公園の管理された豪華な自然公園環境を楽しむためには、ヨセミテのキャンプ場や簡易宿泊施設利用ができて、ヨセミテの自然環境を見ながら散策し、ハイキングやロッククライミングをする盛り沢山のリクリエーションの場となっていることが分かりました。
私たちが宿泊した宿泊室は、前日宿泊したテナヤ・ロッジより2周り近く狭く、宿泊費は3倍しました。最も安い料金の宿泊室の最も安い宿泊代金で1泊ルームチャージ500ドルという高額なものでしたが、需給関係からいって当然のようでした。ホテルの環境はその内外を含んで大口径の丸太を用いたヘイビーティンバーと玉石積みの柱の自然志向のデザインに、ネイティブ・アメリカンのデザインの装飾や織物でインテリアは作られ、アワニーという部族の文化を伝えていました。このホテルを取り巻く巨大な岩石の一枚岩の壁とその上方の岩石の繋ぎ部分から落下する白煙を上げる滝の姿は神秘的か雄大なものでした。滝の源流となる大きな雪山は大きなヨセミテ公園の平地からはまったく見られなく、岩山の頂点部分から押し出されてくる滝は、どこに水源があるか分からない不思議な光景でした。下から見ることのできない岩山に大きな積雪があり、少し前までは降雪もあったということで、そこからの融雪が滝を生み出しているようでした。
私たちがヨセミテに滞在していた2泊3日は初夏になって、この数日は気温が上昇し融雪が激しくなったため水量が急増し、河川は激流になっていて、滝からの水を受け入れた河川は白波を立てて流下し、その流域を拡大し湿原を広くしています。そのため湿原には垂直に立ち上がる杉、待つ、ヒノキなどの高木が天に向かって数十メートルの高さの森を作っていました。残念なことは、立ち枯れの高木や多くの倒木が多くなっていました。高木の林は下枝がなく、眺望はよくなっていました。そこに驚くほどで沢山の人が車で押し寄せ、群れをなして移動していました。昨日大きな岩山にロッククライミングしているところを見ましたが、そこで人影は大変な苦労をしても見つけられないほど、自然の大きさに圧倒されました。ヨセミテホテルから出発して、環境上の理由で水洗にしていない「ポットン便所」の公衆便所で用を足してから、サクラメントに向かいました。
NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷英世)



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