HICPMメールマガジン第837号(2019,07,01)

みなさんこんにちは

ルネサンス(古代ローマへの回帰の文化運動)
古代ローマはカルタゴとのポエニ戦争で地中海の制海権を握ったことで、北アフリカからスペインとフランスを支配下に置き、地中海世界の支配権を握った。それにシチリアとエジプトを自国の食糧生産の場と支配することで食糧供給体制が確立したことがローマ帝国の盤石たる経済基盤を形成した。ユリアス・シーザーに始まる皇帝たちは、その帝位にある期間、国外に国土拡大に出かけ、ブリティン島を横断するケルトを締め付ける城壁(ヘイドリアンウヲール)に見られるような巨大な国土防衛の城壁を建設した。ユリアス・シーザー-の統治に代表されるように、ローマ帝国に恭順の意を示せば、部族・民族に対してはローマ市民権を与えるなど現代の国際関係においても驚くほど進んだ統治を行なった。古代ローマの異民族統治は、アレキザンドロス大帝の行なった統治政策であるとともに、ジュリアスシーザーの統治方法であり、現代の米国のモデルになったとも言われている。

能力のある人が皇帝につき、政務官になり、護民官になり、能力主義の民主政治を実現した。イスラム教国は、そのローマの政治こそヘレニズム文化を基盤にする国家経営で、古代ローマ帝国のような強国を造ろうとしてローマ帝国の国づくりに倣ってオスマン帝国がつくられた。イスラム国家はやがて地中海の制海権を奪い、地中海を完全に支配し、コンスタンチノープルでの回線ではキリスト教国は大敗北をきたした。その後、キリスト教国の軍隊(第8次十字軍ヨハネ騎士団)は、マルタ島から、地中海に乗り出すことができないような状況がつくられた。そのようなキリスト教国の復権に大きな力となった運動がルネサンスである。ルネサンス運動は単なる文化運動ではない。古代ローマに倣って地中海の派遣を回復することを目指したキリスト教国の復権運動であった。

民族大移動と異民族による略奪による6世紀には東西に分裂した西ローマ帝国は国家として崩壊し、かつて100万人を超えたローマの人口は水道の供給が破壊され、人口2万人を切るような荒廃した街にさせられた。ローマの町は都市廃棄物が何層にも積み重ねられた建設廃棄物の山になった。そこには栄華を極めた時代の文化遺産もあり、それらの盗掘や発掘された文化財はルネサンス運動の中で高い関心が持たれ、宝探しの対象にされた。埋蔵文化財の経済的価値の高さは、それらを正確に評価することなしには行うことはできない。そのため考古学が宝さがしと一体に行なわれ、宝探しと埋蔵文化財の発掘が古代ローマの調査研究を促し、ローマは文化人たちが交流する場に変わっていった。アンドレア・パラディオの古代ローマ建築にお復興も、ゲーテが『北イタリア紀行』で書いている運動も、古代ローマの文化の復興のルネサンス運動の一部である。

前回紹介した石森正太郎の描いた「グランドツアー」はその中で7つの海の制海権を握った英国の金持ちたちやその子弟がその見聞を広めるために古代ローマとその復興したルネサンス運動を見学するため何年もかけてグランドツアーに出かけたが、その実体は、貿易と略奪で大きな富を挙げた英国の金持ちたちが、「その見聞を広めるという理由で行った道楽旅行を「グランドツアー」と言ったのではないかと思わせるものであった。私は石ノ森修太郎の漫画を読んで、英国の成金たちの行なったグランドツアーの一面を面白おかしく説明していると思ったが、私がルネサンス建築とは何かという疑問を持って英国におけるルネサンス建築の歴史を精げてみると、如何に英国人がルネサンスの取り組みの遅れを自覚し、必死になってヨーロッパ、中でも古代ローマからルネサンス建築を学んだかを知ることができた。それはイングランドのイニゴー・ジョーンズやサー・クリストファー・レンと並んでスコットランドの建築家ジョン・アダムズやウイリアム・アダムズらがローマに出かけルネサンス建築を学んできた話に出会う。アダムズ兄弟のホームプランシステムは、英国でのホームプランシステムの草分けと言われている。そればさークリストファー・レンのロンドン大火後のホームプランにも影響し、米国のフィラデルフィアの都市建設に使われたルネサンス様式のホームプランにもつながっている。

ローマ紀行第5日
5月12日(日曜日)コンコルディアホテルからスターズホテルズへのホテル移動の日
テルミニ駅の東にある「サンタ・マジョーレ大聖堂」は、AD5世紀に教皇シクストゥス3世が完成させたローマの4大聖堂の一つである。ロ-マ市内ながら、教皇の治外法権が認められた聖堂である。イオニア式の白い円柱の並ぶ身廊は、5世紀のもので、格子状の天井は15世紀末に造られたもので、クリストファ・コロンブスがアメリカから持ち帰った金が使われたと伝えられている。古いモザイク画が多く残っており、旧約聖書に素材を持つ「受胎告知」のモザイク画がある。「勝利のアーチ」は5世紀のものである。背後にあるアプス(後陣)には13世紀の「マリアの戴冠」が描かれている。この大聖堂に裏手には、オルベスクと噴水がある。織部スクはローマ訪問者への道案内に造られた。

この日は「トレビの泉」に行き、そこから今回は間違わないように、大統領公邸のあるクイナーレの丘に行った。大統領公邸に入場が出来なかったので、クイナーレの丘は少し高台に位置していて、眺望の良い土地であったので、オベリスクと噴水のある広場からの市街地の眺望を楽しんだ。本日はホテル移動をするため、一旦ホテルに帰ることにした。その帰り道は、ルネサンス時代にローマを訪問する旅行客に便利なランドマークとしてオベリスクを建てたという歴二条の話を思い出して、それを確かめることにした。高台から北側の方向にオベリスクが見えたのでスペイン階段の方向か、ミンニャネッリ広場の方向と思い、その方向に進んだ。そこに見えたオベリスクはスペイン階段の上にあるトリニティ・ディ・モンティ聖堂の織部スクで、方向としてはそんなに間違っていなかった。昔ローマ刊行の目印にオベリスクを配置した話には説得力がある。

コンコルデアホテルに帰ってスーツケースを纏めてからタクシーを呼んでテルミニ駅から東2ブロックにあるスターホテルズ・メトラポールに移動した。このホテルは6階建ての新しいホテルで部屋も大きく、コンコルディアホテルと違って、浴槽付きの高級ホテルであった。古代ローマ人たちは浴場で寛ぐことが大好きで、支配者の皇帝は、たくさんの大浴場を多数建設したことを思い出し嬉しくなった。
本日の見学はフォロ・ロマーノからカルカッラ浴場を目指すことにした。昨日トラヤヌス市場まで出かけ、フォロ・ロマーノの一部を見ることが出来たので、今日は、フォロ・ロマーノとカルカッラ浴場を見ることとして地下鉄B線でチルコ・マッシモまで行き、カルカッラ浴場をまず訪れることにした。カルカッラ浴場に最も近い地下鉄B線のチルコ・マッシモ駅で下車した。地上には古代ローマの遺跡が延々と続いていたので、チルコ・マッシモの駅からなるべく離れないようなつもりで歩き始めた。古代ローマの遺跡への入場のところでチケット販売所があって、昨日はコロセウムに入場できなかったので、コロセウムに連続して入場できるチケットを購入した。

古代ローマの遺跡をカラカッラ浴場と信じて北東に向って歩き始めたが、カラカッラ浴場らしい遺跡はなく、道に迷い始めたころ、雨が降り始め、やがて、雷と稲光と霙と雹が降り始めた。足元に泥水が流れる事態に遭遇した。途中に廃虚となっている高い天井の洞窟やトイレに転用している古代ローマ時代の施設があったので、そこには雨除けをするために避難した。多くの観光客が私達同様、適当な避難をするところがなく、そこに群がり、又は、霙の中で傘をさして歩いていた。かなり大粒の霰がふってきたので小1時間はその洞窟で霙凌ぎをした。洞窟は避難者で一杯になっていた。足も泥水に入り、雨もやむ気配もなく、帰路に就くことを考えた。道もよくわからないので、どこでもよいから地下鉄駅に向かう道を探して歩いた。景色を楽しむことも、遺跡を見て回ることもできなかった。

途中に「フォロ・ロマーノ」や「パラチーノの丘」の方向を記載した看板を見たように思い、そのほうこうに歩いた。まだ夕方になってはいなく、明るさはあったし、少なからぬ観光客が歩いていたので、不安を感じず歩くことが出来た。それは、当初見学を予定していた予定していたカラカッラ浴場の方向ではないことが解ったが、案内板がないことと、案内板が僅かあってもイタリア語であるため、案内板はないと同じであった。霙に体を冷やされないようにホテルにまず帰ることにした。
以前、(20年近く前に)コロセオには観光に来ていたが、そのときの記憶通りの外観が目の前に見えたので、それで満足することにした。すでに、コロセオの入場券を買っていたし、雨は小降りになっていたが、当日の見学は諦めて、遺跡から抜け出してコロシアム駅から地下鉄B線でテルミニ駅に向かい、ホテルに帰ることにした。ホテルに帰ると、新しいホテルの部屋は、広く大きな浴槽があるので、古代ローマの大浴場もこんな気分ではなかったかと楽しむことが出来た。ホテルで入浴できてひと心地着いたので、近くのレストランへ、夜の食事意出掛けることにした。簡単な食事であったがイタリア職離れていて、ワインと食後のカプチーノで、落ち着けて楽しめた。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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