第214回(2007年5月28日) みなさん、こんにちは。 先週の24、25日は大阪に行ってきました。24日はATCで定期借地権のセミナーがあり、税理士でHICPMの監事である大熊さんとご一緒に講師を務めました。大熊さんは、地主の利益をいかに守っていくかという視点で取り組んだ「ムカサガーデン」の経験を話されました。実は、借地をしてくれる人達の利益を高めることなしに、地主の利益を守ることはできないということ、住宅産業のやるべき取り組みとして本当に大切なことを、非常にわかりやすく話して下さった良い講演でした。 日本で定期借地権制度を進めてきた民法学者の教授が、「定期借地権」と「リースホールド」の関係について、「リースホールドは時間的所有権である」という摩訶不思議な珍説を、それが英国の実態であるかのように、あちらこちらで説明して、それが正しい定期借地権事業の発展に大きな悪影響を及ぼしていますので、私のセミナーでは、その間違いを説明するところから始めました。 詳しくは、私のブログでも紹介しているので、ご関心のある方はご覧下さい。リースホールドの権利を期間(時間)決めで購入すれば、その間の地代を払う必要はないと、その教授は説明しているのです。 多くの日本の有名大学教授は、その肩書きを濫用して、自分の想像で作りあげた勝手な自説を、あたかも事実であるかのように話している気がしてなりません。英国のマナー(荘園)は貴族の領地で、貴族はロード(王様)と呼ばれています。そこには英国国王の潜在的な所有権があるという話も、根拠のない「想像的な作り話」でしかありません。バッキンガムパレス自体、英国国王が貴族から購入した物で、潜在主権を行使したものではありません。荘園領主の領地は領主のもので、それを売却するという概念自体がなかったのです。 領民は、領主の土地を借りる以外に土地を利用することはできませんでした。小作人(領民)が借地する権利を「リースホールド」といって、一般的には20年の期間で土地を借りて、自らの食料を得るために地代を払って土地改良に努め、領主は賃料を得て良い耕地に改良されることを求めたのです。その際、領民が権利金を払って土地を借りるという概念自体、存在していなかったのです。 一方、「フリーホールド」という概念は、荘園以外の土地で、ヨーマン(自由農民)が持っていた土地の所有権を指します。荘園自体の中には、フリ−ホールドという概念自体、存在しません。どうして民法学者が、「リースホールドが期間決め所有権であって、その権利を取得するために権利金を支払う」、という話を作りあげてしまうのか考えてみました。 結論としては、横着で真面目に資料にあたった研究をせずに、学会での権力を自分の能力のように勘違いした学者が、自分の思い付きに権威を与える手段として、このような作り話をしたということだと思いました。同じようなことが、いっぱい起こっているのではないでしょうか。 実は、関西でUR(都市再生機構)が後ろ盾になって、神戸芸術大学がプロジェクトを企画し、レッチワースの開発の発展形を創ると唱って、定期借地権事業で豊かな田園都市を開発すると聞いていました。そこで、今回の定期借地権のセミナー前に、是非それを事前に見ておこうと考えて、現地を見学し、神戸芸術大学の企画者の方に直接会って説明を聴き、意見交換をする機会を設けて頂きました。 しかし、その結果、この開発は日本各地で建てられ、プロバンス風デザインと言って売り出されている住宅同様、全く合理的な関係を持たない開発に、消費者の心を奪う名前を冠した「いかさま」のような代物だと感じてしまいました。 「レッチワースから学んだことは何か」という質問に対して、「定期借地権で事業をする開発であることだ」と言います。しかし、 50年で住宅自体を壊して居住者を追い出し、更地にしてしまう事業なら、一種のジェノサイドと同じことではないかと尋ねました。こんなジェノサイドまがいの開発をやって、何がレッチワースなのか。国民の資産を建設廃材にすることが、リースホールドではないはずです。 レッチワースを計画したハワードは、英国の貴族が借地人の負担で土地を恒久的に利用し、それが貴族自身の大きな資産形成となるようにしてきたことから、そのシステムをガーデンシティに採り入れて、ガーデンシティ株式会社が大きな利益をあげることになったら、それを住民に還元すればいいのでは、と考えたのです。 99年かけてつくった住宅地の資産は、100年目から大土地所有者に本格的な利益をもたらすわけで、ロンドンなどの都市もそのようにして造られたのです。それを壊して更地にするなどという考えは、英国のリースホールドにはありません。香港を中国に返還するときでも、都市を破壊して更地で返還せよと中国は言いません。 東京大学の都市工学科の教授や多くの研究者の中で、ガーデンシティを学ばなかった人はおそらくいないはずです。何百人の卒業生を輩出してきた東京大学の都市工学科では、最初の近代都市計画の大きな礎となったガーデンシティについて基本の学習や研究が行われておらず、勝手な想像で「ハワードのガーデンシティの間違ったイメージ」を作り上げ、レッチワースに出かけて我田引水のつまみぐいをした解釈で、その間違ったイメージを勝手に作文し、あたかもそれが事実のように説明して学生を教育してきました。 その間違った考えを後生大事に継承することで、東京大学都市工学部の学閥教育がされてきたと言ってよいと思います。同じように、土地利用規制について、住居専用地区であれば小住宅でも、マンションアパートでも建ててよいとするのも、間違った知識です。そこで、もし私がここで批判しているような裸の王様のようなことを言おうものなら、大学だけではなく、学会という研究者の活動する場から、破門されることになるのです。 今回レッチワースの発展形開発、舞多聞(マイタモン)を企画したのは真面目な方ですが、東京大学で博士号をもらうために、「白を黒」と言う、気の狂うような血のにじむような努力をされ、そのうちに、自らもその考えに染まってしまったのではないかと同情を禁じ得ません。東京大学の間違った理屈に合ったことを正当化する努力が、彼の今の地位になっている、と私には感じられます。 今回作られた住宅地、舞多聞(マイタモン)による一番の犠牲者は誰かというと、だまされて住宅を購入した人達です。レッチワースの考えと、その経営もデザインも全く違うものを、レッチワースの考えを発展させたものだと言って買わせ、50年で潰してしまうなどという事業に手を貸して、学者としてだけではなく、人間として恥かしくないのでしょうか。 私は企画者の方に、これから大いに意見交換をして、彼らが住民に説明した内容に近づける努力をして欲しいとお願いしました。彼はその努力をしていくと言ってくれましたが、何がレッチワースと違っているのかについて、具体的な指摘をする時間がなかったので、その機会をこれから作って、彼が私に約束してくれたように住民のために本当に努力される気であるならば、私の批判に誠実に答えてくれるものと期待しています。それが定期借地権事業の発展には大切なことと思っています。 25日は、HICPM近畿支部事務局長・猪谷さんの事務所で、これからの堺の町づくりに向けて、どのように堺の歴史的資産に取り組むべきかという研究会が行われました。午前中は、HICPM理事の竹山さんが、パワーポイントを使って景観法を大変わかりやすく説明してくれ、良いセミナーだと思いました。 その中で、竹山さんが景観法の立案に関係された東京大学の西村教授から聞いたという話が、私には特に面白く感じられました。一体、東京大学の都市工学部で、西村さんは何を教育して来たのか、全く内容のない都市デザイン教育しかしてこなかったことを、はからずも告白しているとしか思えなかったからです。 その後を次いで話された井村さんの話は、堺という歴史空間の中で、特に、明治以降の文化運動がどのように堺の文化住宅地開発を促し、人々の生活と結び付いた豊かな空間を作ってきたかを話して下さいました。その話を受けて、児山さんは、自らの歴史保存建築をミュージアム運動に繋いで、文化運動として実践している話をして下さいました。 井村さんの話は、堺を考えるときにそこでの人々の生活を豊かにするのが最も大切なことですが、井村さんは織田作之助や大河内伝次郎や、堺にやってきた漱石や子規が、どのように堺を見て、どのように評価したかを、彼らが見たり、感じたことから明らかにしようとする内容でした。このような歴史の捉え方は、これからの堺を考える上で重要で、発展が期待できる発表として、大変興味深い話でした。 町づくりというと、ハードなものづくりの話に偏りがちですが、井村さんの話はそこでの人間の文化生活に焦点を当てているところが、一般にはない大切な視点だと思います。 午後は、猪谷さんの大学の第1期卒業生という奈良女子大学の教授が、猪谷さんの企画で基調講演をしました。しかし、私には「歴史観を持たない博物学」のような、味も素っ気もないものに感じられました。研究者自体の問題意識も感じられませんでした。教授がセミナーの中で取り上げられた多くの事例から、何を訴えようとしていたのか。多分、私にそれを汲み取る力がなかったのでしょうが、私には平べったい物を見せられた感じで、全く興味が持てませんでした。 それにひきかえ、宮川さんのお話は、古墳の話から、中世の自由の話、さらには現代の都市まで、しっかりした歴史観の中で、堺及び 堺市 民が自覚すべき自らのアイデンティティを、歴史文化の中で、市民共通の認識とすべきもの(それを宮川さんはグランドデザインと言われていましたが)を話されて、大変素晴らしい事実上の基調講演だったと思います。 それは、歴史の中で発見できたものが、歴史の中でどのような役割を果たし、それが現代の堺の都市の文化にどのような意味をもち、堺のアイデンティティとしてどのように評価されなければならないかを問いかけるものでした。その中で、土居川が堺の町づくりで果たしてきた経済的歴史的評価と、現代の堺の町を考える上でも土居川が鍵を握っているのではないか、という問題提起は鋭いものがあったと思います。 それに引き続いて、石井修さんというご高齢の建築家が、実際の設計活動を通して、建築はどのように設計されなければならないかというお話しをされました。パワーポイントを使った説明はわかりやすく、大変示唆に富んでいました。石井さんご自身はお感じになっていないかもしれませんが、エンジニアリングとして彼のやってきたことは、アメリカで行われているアースシェルタードビルディングと同じことであり、また、彼の建築についての考え方は、欧米と同じ「建築とは土地に定着して、土地と一体化する」というものでした。多分、彼の建築論は知らず知らずのうちにフランク・ロイド・ライトに影響されていて、建築の四原則を実践されていたという感じを受けました。 私にも話をする機会を与えられ、次のような話をしました。その話は、今回、石井さんが84歳のご高齢にも拘らず、ご講演されるということで、私も石井さんに敬意を表して、事前に石井さんの作品を資料として学んだだけではなく、大阪の19世紀末デザイン風の石井さんの作品を見に出掛け、その建築的な系譜の概略を知った上で、石井さんの前座をやることにしました。 石井修、吉村順三、アントニン・レイモンド、フランク・ロイド・ライト、ライトの話に私を引き込んだ『アメリカンハウススタイル』の著者ジョン・ミルン・ベーカーが、「ニューヨークのMoMAの中庭に建築された吉村順三の書院造りの建築(松風荘)が、日米の建築デザインの架け橋になった」と語ったことを、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の話に繋いで説明しました。その物語は、ライトの「建築設計の四原則」が繋いだストーリーとして話しました。石井さんからこの話について、前向きな感想を頂くことができたので、うまくお話しすることができたのかもしれません。
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