第228回(2007年9月3日) みなさん、こんにちは。 住生活基本法時代になって1年2ヶ月が経ちましたが、何か大きな狂いを感じていませんか。その現象として現れていることが、建築基準法の取扱いです。確認手続きが事実上停滞していまして、それが日本の経済活動自体に大きな混乱を与えるのではないかという不安も出ています。 何故、混乱が起こっているのかといいますと、行政自体が建築確認を法律の規定どおりできないためです。なぜできないかといえば、国土交通省が建築基準法の条文を正確に理解していなくて、法律違反の行政通達を告示したことにあります。しかし、国土交通省は、基本的に自らのやった行為には瑕疵を認めず、間違った運用通達に実際の行政事務を合わせようとしていることが問題なのです。 さらに事態を悪くしている理由は、建築関係のジャーナリズムが、例外なく国土交通省の間違いを指摘しようとせず、逆にそれに迎合して、如何に国の間違いを尊重して行政事務を進めることに協力するか、という立場で記事を書いていることにあります。建築関係の雑誌、新聞の記事を読むと、おおよそジャーナリズムではなく、国土交通省の広報誌、宣伝紙のように見えてしまいます。 その背景には、「寄らば大樹の陰」という事大主義、「泣く子と地頭には叶わない」、「お上の権力絶対」という封建思想に、社会全体が支配されていることがあります。民間の住宅、建築産業は、いずれも法律に照らして正しいことをしようとするのではなくて、行政の言うことに従うことに重きを置いています。 そのため、行政に迎合することが仕事を迅速に進めることになるという経験主義に立って、法律に違反した行政が行われていても、行政に逆らわないことこそ、仕事を円滑に進めることだ、という考えになっています。そのため、行政が実施する研修会や行政の考えを説明する外郭団体のセミナーには千人を超す受講者が集り、そのような考え方に立って提灯記事を書くジャーナリズムも売れています。 HICPMでは、日本は国家が国民を放置する国ではなく、法律によって治める法治国なのだから、法律に照らして正しいことを、民間の住宅産業も、いやしくも、それらに法律を守らせようとしている行政も、法律を守るべきであると主張してきました。 当然、行政が法律を守らないときには、行政不服審査請求をし、行政内部で自己浄化、自己是正ができない場合には、司法の場に問題を持ち出して行政事件訴訟をして、行政もまた、法律に照らして正しい事務を行うべきであるという取り組みをしてきました。 しかし、結果は惨憺たるものでした。司法は行政法に関する知識が薄く、行政に対して一種の劣等感を持っていて、行政の言いなりの判決を、被告である行政関係の弁護士の言いなりに書いているのです。 私自身、これまで10回以上裁判をやってきて、判事の行政法に体する自信のなさと、法律解釈の幼稚さを、何度も経験してきました。法廷で行政法の解釈について聞かれることもありましたが、結果は被告弁護士の法律に根拠のない運用を正当化する説明を、判決でおうむ返しするだけでした。 そのため、行政の関係者も司法を完全に侮っており、行政運用の実際によって法律を縛ることができると考えている人も沢山います。要するに、「行政がやったことが法律」であって、「行政の行為は誰にも縛ることができない」と考えています。その背景として、行政処分や不作為については、稟議による決裁を経て行われるため、連帯責任という無責任が横行しているのです。 このような組織的な犯罪の場合、ニュールンベルグの裁判の例を持ち出すまでもなく、「海賊船が不法な海賊行為をしたとき、その海賊船全体が犯罪に対して責任を負い、罪を償わなければならない」という理屈の上で、船長に最大の責任がある、という考え方こそ導入される必要があります。つまり、管理責任、経営責任があることは避けられないという考え方です。東京裁判でも同じ考え方が導入され、行政を管理すべき立場にありながら、取るべき行動を取らず、軍隊の行動を容認した広田外務大臣が絞首刑に処せられたのです。 耐震強度偽装事件で、違反建築を取り締まるべく、建築行政という大軍団を指揮していた国土交通大臣は、何百人という耐震偽装マンションを購入した人達からの納税を受け、建築基準法に基づく安全確保という行政を実施する予算を使いながら、法律で定めたとおりの安全実現を果たせなかったのです。その責任はどうなっているのでしょうか。 北側国土交通大臣は罷免されるか、辞任すべきである、というのが私の主張でした。行政のトップが責任を取られなければ、行政自体にモラルハザードが起きて当然です。現在の混乱は、まさに行政のモラルハザードの表れなのです。 しかし、行政の関係者は、このようには考えていません。連中は、建築基準法が機能停止状態にあることも、国民の安全確保のためにはやむをえないことである、といって憚らないのです。この現在の行政の感覚こそモラルハザードなのです。 私は、この問題でこれまで何度か国土交通省の局長以下幹部の方に説明をし、国民の立場に立って法律に照らして正しい行政をすることを進言してきました。実は、今日もこの問題で建築指導課長にお話しに行く予定です。これらの幹部の方々は、少なくとも私との話し合いにおいては、法律どおりの行政をすることに同意してくれますし、話し合った結果は前向きに取り組むことを確認できています。しかし、いつも、もとの木阿弥になっているように感じてきましたし、今回も同じことになるかもしれませんが、私としてできることは繰り返していかざるを得ないと思っています。 最近になって、より強く感じることは、行政担当者の法律知識の貧しさこそ問題にされなければならないのではないかということです。法律を読む能力が低く、法律を正しく読むことができず、その解説だけで行政を進めているのではないか。行政関係者は、行政に迎合したジャーナリズムの雑誌記事や解説を読んで、それを法律に代わって行政運用の根拠にしているからです。 もっと悪く言えば、行政関係者は、法律はおろか、行政通達自体を正確に読む能力がなく、その解説を掲載した民間の雑誌や新聞の解説を根拠に、行政が行われているのです。今回の法律改正の運用通達自体に法律違反があることを理解せず、理解してもその指摘をせず、違反事実を、行政関係者、行政OBを含んで、全く表に出そうとしていないことに問題の本質が隠れていると思います。 先日、大阪でCMセミナーを行ったとき、建築基準法に関する簡単なクイズ≪小問題≫を出してみました。法律に照らした正解と、行政実務で行われていることの正解との違いを知ってもらいたいと思ったからです。このような試験を行政関係者にやらせてみたら面白いと思います。つまり、行政は、法律に照らして正しいことをするべきか、それとも慣例を重視すればよいのかを、もう一度法治国の原点に返って考えることが大切だということです。 住生活基本法時代は、公営住宅、公団住宅、公庫住宅、という住宅政策が消滅し、代わって、住宅品質確保法、建築基準法、、住宅瑕疵保証法といった国民の住宅不安に行政が応えることが、住宅政策の中心におかれることになったと国土交通省住宅政策課長が私に説明してくれました。 現在の建築基準法の混乱は、政府が予想したことでもやろうとしたことでもありません。それであるにもかかわらず、このような事態が発生した原因は、政府の考えている安全な住宅を国民に提供するということは、行政が観念論で権力を振るって、行政の考える安全を実現していると勝手に考えているだけで、国民の立場に立っていないからです。 まず、行政自体がその能力に見合った行政しか行うことができないということをわからないといけないということで、今日はそのことをはっきり伝えたいと思っています。 |