第235回(2007年10月22日)

みなさん、こんにちは
  10月21日、玉川学園での住民集会に出掛けました。開発許可を受けないで工事が着工されるというのでその説明会に出掛けたものです。この開発は、都市計画法の開発許可を受けなければならないにも拘らず、それも受けずに工事説明会までも開催するということで、 HICPM 会員である住民からの求めで出掛けたわけです。
  玉川学園では、日本ERIによる長谷工コーポレイションら8社による日本IBM跡地50,000uの開発を、開発許可なく開発し、違反建築であることを容認した 町田市 長の対応により、都市計画行政そのものが全く無法状態となり、住民の町づくりに対する絶望感が広がっている所です。そのため、住民集会での人の集りは、消極的な感じが漂っていました。日本ERIによる開発は目下、民事と行政事件の2つの訴訟で係争中ですが、相次ぐ裁判の結果によって、住民の司法に対する諦めも広がっているようにも思えました。
  住民集会の前に、今回問題になっている開発地を見て回りました。2,500uの丘陵地で、樹木を伐採した荒地の足元も危険な急傾斜の土地には、直径40〜60cmの大木の切り株が雑草の中に残っていました。何10年も掛けて作られた森林が、開発の許可もなく一方的に切り倒された不条理を見せつけられて怒りを覚えました。一体、 町田市 長も町田の市議会議員達も玉川学園の住民達の怒りをどのように感じているのだろうか。森林伐採に応じた地主もまた、自分の土地や自分の森林をどのようにされようが、誰にも文句は言って欲しくないと言わぬばかりです。
  当日は住民集会ということでしたが、集会は開発業者の説明を受けるということで開催され、業者に騙されないように、私に出席を求めてきたものでした。業者は、工事説明会という準備で臨んできていました。その裏には、 町田市 が、開発許可がなくてもやってよしという趣旨の、暗黙裏の了解を与えてきた経緯があったようです。住民側の会長がまず、これまでの玉川学園を歴史的に考えると言う立場から、全体の議論の仕切りをした後で、私が開発と言うものを法律ではどのように許しているのかと言う、行政法としての問題整理をするという構成で会議は進められました。業者の話は、その文脈の中で聞くことになりました。
  会長の話は、私にとって思いがけなく感動的な話に思われました。会長は、玉川学園の創設から、それに対応した住宅地の開発の歴史と、その発展形として 町田市 が決めた緑の都市計画で、玉川学園地区の住民の都市計画に対するコンセンサスが作られたことを説明されました。その中で会長は、開発当時、配置宅地500坪という開発が、その後、これほどの宅地規模はムリであっても、 町田市 は「緑の町づくり」で、一戸建住宅地として玉川学園地区の整備を定めてきたことを再確認しなければならないことを指摘しました。玉川学園を開設した学園経営者のこの地に掛けた思いが、玉川学園の町の性格を方向付けてきたと言う趣旨を、現在の 町田市 や玉川学園の住民達が踏みにじろうとしているのではないかと言う言葉だったのです。
  私は、10月14日の堺の町づくり勉強会で、西川さんと言う方が制作した「失なわれた鎮守の森」と言う映画を見た後に、やり切れない気持ちになったことを思い出していました。この映画は、 岩国市 長が、アメリカ軍基地の拡大に合わせた米軍住宅建設への反対を選挙公約に掲げて当選し、その公約を実行しようとしたことに対して、防衛省や山口県が、米軍住宅建設受入れ反対の報復処置として、既に安倍前総理大臣が米軍基地各庁に見返りとして公約してきた市庁舎への建替え補助金を、何の合理的根拠もなく支払い停止にしたことに対して、その情報公開のために作られ映画です。
  この映画は、米軍を受け容れる土地として、 岩国市 の中心にあった愛宕山と鎮守の森を、これまで米軍の飛行機の離発着騒音公害を避けるために基地を沖合いに移転させるため、土取り場としてつぶし、その跡地に学校、公園、病院、住宅等を建設すると言う計画で、土取り場跡地を宅地に造成してきました。その住宅地として開発したところへ、今度は米軍の住宅として使わせるという要求が、防衛省と山口県から出されてきたのです。山口県は、安倍前首相の出身地です。県としては、基地拡大で掛かった海の埋立て費用の負担を少なくするために、造成土地を早くお金に換えたいという考えにも思えます。米軍住宅として買ってくれるなら、渡りに船と言う感覚だったのではないかと思います。そこには県民のことなど全く頭にはなく、政府の意向とお金のことしか頭になかったに違いありません
  西山さんは、その事実をドキュメントとしてみんなに知ってもらおうと、映画を作ったのです。西山さんは、岩国のこの地区の歴史を追い掛けていくと、そこには愛宕山と鎮守の森という空間が、地域の歴史を育て、人々の心のよりどころの空間であったことを発見したことから、そこに焦点を当てての映画を制作することになったようです。私のように、岩国の歴史をよく知らないものでも、この映画を見ただけで、愛宕山や鎮守の森は、単なる空間や森と言うだけではなく、地区の人々の拠り所となり、地区の祭りや様々な行事と言う無形文化財の行なわれるフォーラムと言う役割を果たしてきたことは分かります。この空間を基地の沖合い移転という大義名分の前に取壊しをすることに、地区の人は合意をしました。彼らは、そこに新しい学校や病院や住宅を建て公園を作ることで納得していたのです。
  その住宅地が米軍に取られることで、それはけしからんと言い始めました。鎮守の森を返せと言うのです。鎮守の森をつぶすことと米軍住宅を建設することとは、直接的に関係していません。住民達が、最初に同意した開発計画どおりにせよと言うのはわかりますが、鎮守の森を持ち出してくることには全くの合理性がありません。開発計画によって、造成が進み破壊してしまった愛宕山や鎮守の森が持っていた存在の大きさを、住民達が改めて認識することになったのではないかと思います。
  米軍住宅をここに持ち込むことと、鎮守の森の話を無理に結び付けて、あたかも鎮守の森を米軍住宅のために取り壊したかのように運動を繰り広げようとすることには、大きな間違いがあるのではないかと私は考えます。しかも、町内会の会長や愛宕山や鎮守の森の土地所有者達が、かつて愛宕山や鎮守の森の取壊しを、跡地開発との関係で合意したことを棚上げして、自らの合意した愛宕山と鎮守の森の取壊しの責任を、米軍住宅に責任を押し付けるのは明らかにか違っていると思います。
  玉川学園の住宅地でも、この町の開発時点の理想や町づくりの思いに共感した人々がこの町に憧れてやってきて、その環境の価値を享受したいと思う人々に、結果的にこの街の環境を潰したマンションやアパートを供給してきました。玉川学園の環境を享受する人が、玉川の住宅地の環境を悪化させてきたのです。そのような開発が、町を驚くほど悪くしてきたことに気付き、どこかにその責任を見つけようとする人が沢山いますが、自らは被害者であると言う考えを言い続けている人も沢山います。岩国の町内会長は、米軍住宅が問題になって、愛宕山や鎮守の森を壊した敵役が米軍であるかのようなことを言っているのは、明らかにおかしいのです。玉川でも、多くの土地所有者はその土地の中で、自分だけは相続税のためにできるだけ高く売り払おうとマンション業者に土地を売り払ってきたのです。
  西山さんは、岩国で土地を売り払った地主に愛宕山の歴史に対する歴史認識がなかったという私の指摘に対して大変怒り、彼らは犠牲者であって、それを悪く言うことはない、と言いました。それならば、映画としては、「消えた鎮守の森」ではなく、「合意した跡地開発どおりの開発を」と言う映画にすべきで、「鎮守の森」に象徴される村の無形文化を伝承させるべき空間を惜しんで、それを残すべきであると言うのならば、岩国の町の文化としての「鎮守の森」が如何に大切であったかと言うことを認めることが先決、それを直接、米軍住宅と結び付けるべきではないと思います。
  これについて、猪谷さんは、私の批判に対して批判をしていました。岩国問題の主要矛盾のために西山さんの言うことを指示すべきであると言う批判です。私は、防衛省や山口県のやり方の不当性の影に隠れて、岩国の歴史文化の鍵を担っていた愛宕山と鎮守の森を壊したことを、問題の視点から外すのは間違っていると思っています。特に今、堺の町づくりを「都市は、歴史文化の所産である」との視点で勉強しているときだけに、岩国の経験というか失敗というものを、歴史批判と言う観点から見ることをなくしてはならないと主張しました。これは、西山さんの視点ではないと思いますが、私達の視点でなければ堺の町づくりのためにはならないと思っているからです。