第242回(2007年12月10日)

みなさんこんにちは
  大阪と堺と和歌山に行ってきました。関西でIHPCと共同で進めた2日連続6回シリーズでCMセミナーの最終回を無事完了しました。特に最終回には、名古屋のISO設計の磯村文夫さんにも友情出演で、サステイナブルハウスの思想を、外断熱鉄筋コンクリートマンションで展開されたお話をしてもらいました。

 実は、1999年に名古屋木工機械展で、初めてサステイナブルハウスを開発した時に、一緒に研究開発に参加された磯村さんが、その研究成果をこれまでの事業に展開されて、経営的に大きな成果を上げられました。そこで、その成果を今回のCMセミナーの特別講演として発表していただきました。磯村さんからは、以前にそのお話を聞いていたことから、今年の名古屋木工機械展で、先ず、その成果を発表していただいた所、聴講していた猪谷さんが大変高く評価され、是非大阪でも住宅関係者に聞いてもらいたいということで、磯村さんにお願いして実現したものです。
  1999年に、HICPMが名古屋の木工機械展で開発したサステイナブルハウスは、ハウスメーカーの奴隷になっていて、そこからの独立を願っていたサンピアホームを1つの実験事例として、地場に根を張って成長するホームビルダーをどのように育てていくかという課題の実現として始まったプロジェクトでした。
  私はコンストラクションマネジメントを実施できる体質をサンピアホームに定着させる方法として、そこで取り組むムリ、ムダ、ムラを最小限にしたプロジェクトとして、先ず、ムリ、ムダ、ムラの最小限にした設計図書が必要であると考えて取り組んだプロジェクトだったのです。つまり、設計図書自体にムリ、ムダ、ムラがあれば、その後の施工段階でどれだけ努力しても、ムリ、ムダ、ムラを削減しようとするCMを実践することはできないからです。
  サステイナブルハウスを最初に実践してくれた所は、サンピアホームではなくて、ウイングホームでした。ウイングホームの板東さんは、サステイナブルハウスの考え方で住宅を造れば、ムリ、ムダ、ムラを削減できるということを正しく理解できた最初の人でした。そして、HICPMが開発したサステイナブルハウスどおりの住宅建設を実践して、彼は現場でゴミが驚くほど少なくなることを発見しました。
  予定どおりの価格で、高い品質の住宅が造られ、日経アーキテクチュア誌でも評価されました。そのような成果があげられたことは、坂東さんがHICPMの纏めたサステイナブルハウスを設計図書どおりに忠実に施工したことによるものです。板東さんの努力もありましたが、設計図書が合理的にできたことで、ムリ、ムダ、ムラを削減できたということでした。
  それは、故成瀬太治さん ( HICPM元副理事長 ) が、サステイナブルハウスに先駆けて、自宅でHICPMのモデルとなる建築を建設して、その経験を生かして設計に取り組んでくれたことに、合理的な設計を完成させることができたという経験に依存しています。
  サステイナブルハウスの設計は、HICPMとして、アメリカとカナダの住宅設計について調査し、特に、アメリカのホームプラン、カナダのCMHCによるフレキシブルハウスとの成果としての「ホーム2000」の成果、アメリカの戦後の住宅設計史とレビットハウスとツーバイフォー工法住宅の再検証などを研究して、その成果を盛り込んだものでした。
  板東さんも含めた多くの人達は、サステイナブルハウスとして纏めた住宅の設計自体に目がいってしまって、CMの実践をやるという本来の目的を見失い、サステイナブルハウスの設計図で住宅を建てることが、目的となってしまいました。私としても、CMについての体系だった技術を持たない人に、自由に設計図を与えると、ムリ、ムダ、ムラを削減するという本来のCMの目的を忘れてしまうことに不安を覚えました。また、サステイナブルハウスに取り組んだ人達が、すこしぐらい設計図面を変更してもあまり結果は変わらないといって、だらしなくムリ、ムダ、ムラを許してしまうことを危惧しました。
  それもあって、「設計図書として造ったサステイナブルハウスは、HICPMの承認なしに勝手に変更しては行けない」と言いましたが、その趣旨が伝わらず、物としてのサステイナブルハウスを「固定的な目的化」する誤解の原因になったようでした。板東さんは、サステイナブルハウスとしての設計図を使って住宅を建てることができたので、サステイナブルハウスはマスターできた、HICPMの技術移転しようとしているCM技術は既に実践したので卒業したと勘違いをしてしまいました。
  それ以上のコスト削減の取り組みは、CMではできなく、建材として安い材料を探すこと以外ないと考えてしまいました。そして、サステイナブルハウスの目的を実現しないうちに、その手段として使ったCMの演習課題としてのサステイナブルハウスを何軒か建設したということで、HICPMから学ぶものはなくなったと考えて、それ以上言っても戸谷からうっとうしいことを言われるだけだと考えて脱会してしまいました。
  ISOの磯村さんは、HICPMの開発したサステイナブルハウスを一戸も建設したわけではありません。磯村さんは、サステイナブルハウスの4原則(アフォーダブル、バリュアブル、フレキシブル、ヘルシーアンドセイフテイ ) を追求する取り組みを、鉄筋コンクリート造、鉄骨造等の建築物の生産で取り組んでこられたわけです。その結果、私達が木造ツーバイフォー工法で取り組んだことと同じCMの実践によって手に入れるべき効果を実現することに成果を上げたのです。
  私が、磯村さんに「CMの勉強を基礎からおやりになった方が、これまでの成果を理論的に体系的な技術として会社全体に定着できる」ことを話しました。そして、磯村さんから「それでは、名古屋でのCMセミナーとしてやってくれ」ということになり、名古屋木工機械展でのCMセミナーも実施の運びとなったわけです。その際CMの実践例として高い評価を与えることができるので、磯村さんに経験発表をしていただいたわけです。
  猪谷さんは、建設業をやってこられた上、HICPMの理事として、これまでCMの勉強を関西の工務店の方に普及させることに取り組んでこられたことから、磯村さんの成果を正しく評価されたわけです。そして、「磯村さんの実践は、CMの正に最良の実践例である」というように認識されたことで、今回のセミナーになったわけです。
  今回は、磯村さんのセミナーと合わせて6回のCMセミナーの総括として、私が「CMの実践によって会社として、いかに合理的に利益をあげることができるのか」と言う話をモデルを使って数字で説明をしました。その後、磯村さんと私の発表を受けて、新建ハウジングの三浦編集長にシンポジウムの司会をして頂いて「当面する住宅産業と工務店の問題」を明らかにすることにしました。
  磯村さん、猪谷さんと私とが三浦さんの問題提起に対して対応するというやり方で全体を纏めるとともに、これからの展望を話し合いました。三浦さんはこれまでの住宅産業の環境についてよく勉強しておられて、短時間であったにもかかわらず、参加者の聞きたいことをうまく引き出してくださって、参加者の高い満足をあたえるシンポジウムになりました。
  今回は、今年の関西の最後の集会になりましたので、辰野金吾が設計した南天園というところで、関西の理事と、これまでCMセミナーを支援してくださったリバテイ建設の東さんと淡路市議会議員の竹中さんを加えて、夜中の1時ごろまで、地場の工務店の経営問題を東さんのところの取り組みを例に議論しました。
  そして、翌日は全員が一緒になって、和歌山の東さんのところの売り出しの住宅を見学して、消費者向けのセミナーをしました。消費者向けのセミナーとしてのあり方にも東さんには迷いがあって、応援に駆けつけたHICPMの力や能力を発揮することにはならず、私には大変残念に思われましたが、この経験は次に生かされると思っています。
  今回の堺行きは、もう1つ、沖縄人民党の党首で、沖縄の本土復帰や、沖縄の人々の幸せのために生涯を捧げた瀬長亀次郎さんの娘で、民芸の仕事をされる一方で、父亀次郎の業績の整理に取り組まれている内村千尋さんを囲む会合に出席することでした。内村さんのお話を伺い、話し合いをする機会を持つことができました。
  瀬長さんという人は、私の学生時代の尊敬する人の一人でしたから、とても懐かしく思いました。私にとっては、川上肇、山本宣冶(やません)やブルガリアのデミトロフ、ベトナムのホーチミン、ソ連のレーニンなどといった「人々の幸せのためにその生涯をささげた人」として、憧れの星であり、私の人生に何か大きな指針となるものを与えてくれた人の一人だったことを、今回、あらためて感じさせられました。千尋さんが父亀次郎のことを話されるときの幸福そうな顔を見て、亀次郎さんの人生は素敵な人生だったともう一度励まされる思いでした。
  この3日間に東京では、多くのHICPMの会員で、町造りで不法行為をする業者の肩をもつ行政の、法律を蹂躙する不法行為によって苦しめられている人からの「闘い支援のメール」や、相談が何件もありました。 堺市 でも、駅前のマンション開発は、北側前国土交通大臣が、南海資本と癒着して、都市計画法違反の開発を進めていることにどのように取り組むか、と言う話にも相談に乗りました。このことは私の周りに起こっているような日本全国の行政違反は、日常茶飯事になっていることを証明するものと言えます。