HICPMメールマガジン第776号(2018.07.03)

みなさんこんにちは

昨日7月2日よりHICPMに新事務所で作業を始めました。ボウクスさんの大きな事務所の中に執務室と図書・資料室とHICPMの資料や図書の展示室の3カ所を提供していただき、昨日は執務室と資料室の少しの片づけを致しました。HICPMで作成した印刷物の印刷原稿がほぼすべてそろっていますので、それらを必要とする人には、実費でのコピーサービスをすることもできると思いますが、その体制をボウクスさんのご協力で実施したいと思っています。そのためにはその準備作業が必要となるためその全体構想をボウクスさんと相談することになります。

昨日は自宅からは1時間程度で出勤出来ましたが、乗り換えの際の歩行器のためのエレベーター探しで結構時間が借りましたので、今日は少し大回りでも降り次ぎ1回の途を取ったところ2時間弱の時間がかかってしまいました。これからいろいろ通勤方法を検討してみようと思っています。

FIFAは負けましたが、予選通過のための闘いとは違ってすっきりしてよかったと思いました。人の生き方にも置き換えられると思いました。結果重視かプロセス重視かという選択の問題ですが、生き方の問題ともいえると思いました。

今回の「注文住宅」は輸入住宅政策のハイライトというべきS・V(シアトルバンクーバーヴィレッジ)を取り上げました。

 

第10回 戦後のバブル経済とS・Vヴィレッジ(MM776号)

 わが国は戦後米軍の兵站基地として急激な経済成長をした。わが国が米軍の兵站基地の地位は日米安全保障条約により独立後も継続されてきた。米軍はベトナム戦争で敗北した結果、米軍のための軍需産業労働者のための住宅政策は終了した。代わりに、「プラザ合意」で1ドル240円が130円に急落し、円高ドル安の経済環境でバブル経済が発生した。日本経済は世界の3大経済極になると日銀が地上げを支援する金融緩和を行ないバブル経済が膨張した。その草分け的開発が「SVヴィレッジ」であった。

 

プラザ合意とバブル経済

ベトナム戦争により米国経済は泥沼に入り、ドル危機が発生した。為替は1ドル240円から130円に急落させる「プラザ合意」が先進国首脳の間で締結された。その結果、「円高・ドル安」が短期間に進行し米国からの対日の輸入が急伸し、円高を利用して米国の不動産の買収が全米主要都市の著名ビルに対して行なわれた。三菱商事が米国を代表するニューヨークのロックフェラービルを買収したのに倣って、多くの日本企業が米国内の有名ビルを競って買収し、その経済力を競い合った。しかし、それは基本的に為替の大変動で円の価値が急騰したためで、わが国の産業競争力が高まったためではなかった。その証拠に米国で買収されたビルディングのほとんどは例外なく維持できず、数年以内に手放なされた。

 

それまで米国から輸入していた物資が為替の円高により、その購入価格は半額に引き下げられた。商社は急激な円高を商社の利益として確保しようとしたが、経済はより流動的で商社を通さないで直接米国から「並行輸入取引」が急拡大した。中でも住宅のように高額なものであればあるほど、為替変動利益は大きく影響するため、住宅産業においては総合商社を使わないで直接輸入する「並行輸入」が拡大した。為替は1ドル240年から1年間で100円を切り70円台までにドル価値は急落した。

 

JETROの輸入住宅と住宅金融公庫の「2×4工法モデルタウンハウス」

為替変動は円高方向で一挙に進んだため、金融の専門家でなくても、誰でも円高による為替変動の利益を手に入れることができた。そのうち、日本貿易振興協会(JETRO)は通産省の政策として輸入住宅政策を推進し、「パッケージ住宅輸入」を行ない、建設省と住宅金融公庫と競争し合って輸入住宅政策を推進した。住宅金融公庫の河野総裁は、中曽根内閣が輸入住宅政策を支持したため、この並行輸入で建材を安く仕入れることをさらに踏み込んで、住宅金融公庫の融資対象である2×4工法の住宅には、合板、製材、石膏ボードなど基本的に輸入建材を利用するため、積極的に「2×4工法モデルタウンハウス」事業に発展させ、米国のPUD開発によるタウンハウスを並行輸入住宅事業として推進した。

 

輸入住宅政策は消費者に「より良い住宅をより安い価格で提供できる政策」として国民から支持されることになった。この輸入住宅政策は日本銀行が進めた金融緩和政策と相呼応して全国に拡大した。わが国では政府や日銀が中心になり、産業界を巻き込んで東京はロンドン、ニューヨークと並ぶ世界の3大経済中枢となると勘違いし、日銀の金融緩和を梃に都心の地上げを行なった。都心の地上げが契機となり不動産の買い替え特例減税により、都心から郊外に玉突き現象で土地取引が拡大し全国に伝搬した。狂乱に巻き込まれた国民は総不動産屋とまで揶揄され、リゾート開発にまで投機が向かい、原野商法と言われた詐欺商売が拡大した。金融機関は「土地担保金融」と融資の正当性を説明しながら不動産評価額の数倍どころか、渋谷区青山にあるオーバルビルでは、評価額の700倍を超す担保を設定した事実が行われた。もはやその金融は無担保金融と同じで護送船団による信用貸しが無限に拡大した。

 

都心の業務地が世界の経済中枢の立地する土地として地上げ対象になり、その土地の買収資金は土地の買い替え特例という税金の減免措置と一体となって、土地は玉突き状の買い替えで、都心の土地から郊外の土地へ、大都市から地方都市の土地へ、やがてはリゾート開発から山林原野へと拡大し、国民総不動産という異常事態が発生した。リゾート開発は輸入住宅で日本に導入された住宅デザインや欧米のリゾート情報と一体となって、輸入住宅プロジェクトとして取り組まれた。その中の象徴的な国家プロジェクトは、住宅金融公庫が米国とカナダを引き込んで取り組んだSVヴィレッジであった。

 

S・V(シアトル・バンクーバー)ヴィレッジ

住宅金融公庫の河野総裁は、中曽根内閣が推進した「プラザ合意」の具体化する政策として、前川春雄日銀総裁が提唱していた輸入住宅を実践するプロジェクトであった。当時、「2×4工法モデルタウンハウス」を政策の中心に取り入れた住宅金融公庫は、わが国の公的開発業者の中で最も大量の2×4工法住宅を建設していた神戸市住宅供給公社に、2×4工法による輸入住宅のデモンストレーションプロジェクトの実施を要請した。住宅金融公庫が中心となって、米国(シャトル市)とカナダ〈バンクーバー市〉と共同で住宅販売価格破壊を実施する住宅地開発プロジェクトを企画した。

 

神戸市が開発して西神ニュータウンに神戸市住宅供給公社が米国ワシントン州シアトル市とカナダのBC(ブリティッシュコロンビア)州バンクーバー市が、それぞれ13戸づつの戸建て住宅を建設する開発地を用意し、そこで、米国とカナダのアーキテクトとドラフトマンが、PUD(プランド・ユニット・ディベロップメント)計画とホーム・プラン・システムを利用したサブディヴィジョン(宅地分譲)計画を、米国とカナダの設計者の日本側仲介役(カウンターパーツ)を介して価格破壊の開発をするものであった。当時わが国の住宅価格は相場価格で、坪当たり60万円と言われていた。

 

その住宅と同程度の住宅であれば、米国でもカナダでも坪当たり30万円以下で供給できるとされていた。住宅金融公庫は並行輸入で為替が半額になり、完成住宅を丸ごと輸入すれば、建材の場合、輸送費等の経費をかけ20%の粗利を商社に渡しても、FOB(船積み価格)の1.5倍で建設現場に届けることができていた。その理屈で米国とカナダで坪30万円の住宅を丸ごと日本の現場に届けると仮定すれば、わが国で坪60万円の住宅を坪45万円で建設現場に建設できる。その説明を受けて、「日本では坪60万円の住宅(米国やカナダでは、坪30万円の住宅)を、輸入住宅として坪45万円で供給する「価格破壊プロジェクト」を展開した。話題は全国に広がり、事前の住宅金融公庫が関係したセミナーや現地見学会には、このプロジェクトが実現するまでに延べ50万人以上の住宅関係者を集めた。

 

事前宣伝を完全に裏切った住宅金融公庫事業

実際、神戸で供給された住宅は販売段階で工事費を清算した結果、当初の目標とされた坪45万円では供給できなかっただけではなく、坪60万円でも供給できなかった。しかし、プロジェクトの性格と事前の広報との関係で坪60万円以上の販売価格を付けることができず、神戸市住宅供給公社は坪60万円の価格設定をせざるを得ず巨額な損失を出した。住宅は米国カナダの住宅デザインと住宅地デザインの魅力と建材の優秀さが評価されて高い競争倍率で完売した。このプロジェクトで神戸市住宅供給公社は大きな損失を発生した結果、それ以降、輸入住宅プロジェクトを実施できなくなった。

 

プロジェクトが失敗した理由は、住宅金融公庫の担当者がプロジェクトの技術と経営管理の能力と理解不足で、米国とカナダの設計者の2人のカウンターパートも2×4工法の未経験者で、実施設計を作成できない技術者任せで進めた。さらに施工管理するスーパーバイザーはフレーミングの経験者が現場監督となった職人で、工事費見積もりはもとより、建設業経営管理はできておらず生産性向上はできず、、工事はそれまでのわが国の建設現場と同じで、現場納まりで詳細が決められていた。その当初の予定の材料数量も施工手間もの当初計画の1.5倍になり、計画通りにはできていなかった。

 

このプロジェクトでの米国とカナダからの建材輸入を情報公開で担当したエー・ビー・シー開発㈱は、20%の取引手数料と流通経費実費を受け、「FOB価格の1.5倍で神戸市の建設現場に納品する」という契約を履行しながら、輸入総量が当初計画より50%以上増大したため、大きな利益を上げることになった。私はS・Vヴィレッジの最終段階にエー・ビー・シー開発㈱の担当役員として事業の最終結果を生産する業務を担当して、このプロジェクトは目標に掲げた米国やカナダの2×4工法とは、使用する輸入建材が同じであるだけで、北米とは「似て非なる工事」であることを見せつけられた。

 

輸入住宅プロジェクト

輸入住宅プロジェクトは、「通産省とJETRO」,「建設省と住宅金融公庫」が協力して「輸入住宅政策」を推進した結果、全国各地で広く取り組まれた。そして、円高の影響を受けてすべての計画は、それ以前の事業と比較して建設価格は引き下げられ、工務店はそれ以前の建設事業に比較してより高い利益を挙げた。しかし、輸入住宅プロジェクトとして米国やカナダと日本での建設費比較からは、それ以前と比較して理論的には、4分の3以下になっても不思議ではないにもかかわらず、期待したコストカットの半分も実現できなかった。その理由は、米国やカナダの住宅産業が使っている実施設計図書を使わず、日本の代願設計を実施設計として工事費見積もりと工事管理が行われたためで、CM(コンストラクション・マネジメント)は行われず、日本的な在来2×4工法〈3×6合板〉によって実施され、米国やカナダの工法によらず、米国やカナダのようなで高い生産性を実現できなかったためである。

 

HICPMは1995年に創設されて以来、工務店の施工生産性を高めるため、全米ホームビルダーズ協会(NAHB)と相互友好協力協定を締結し、NAHBの住宅産業技術の国内への技術移転に取り組んできた。中でも、建設業経営管理(CM)の研修テキストを日本語訳にし、全国ベースで研修活動を実施してきた。しかし、住宅産業にCMを技術移転することは20年以上かけてもできなかった。その理由は、日本の住宅産業自体に建設工事費の中に介在する無理、無駄、斑を排除して建設工事費を削減しようという意欲がなかったためであった。わが国の建設工事費は建設業法に定められた工事費見積もりによらず、下請け業者が希望する工事費に粗利を加算する関係者の誰も損をしなく見積もり額の工事請負契約が正当と認められていたため、米国のような合理的な工事費で建設しようとしていない。その水増しのできる工事費見積もりがCM技術を必要とせず、結果的に高い工事費となっていた。

 

結局、わが国における輸入住宅プロジェクトは、政府としては建材輸入額の拡大が主たる政治・行政目標とされたが、消費者に対する住宅価格の切り下げに対しては、政府自身全く関心を持っていなかった。建材輸入に関しても、住宅価格が高くなっても住宅ローンが販売価格通りつけば、工務店は現金決済より与信管理された信用購入を希望し、販売価格が高くなっても住宅ローンが対応し販売は確実にできることで、工務店にコストカットに関心が弱かった。要するにわが国における輸入住宅プロジェクトは、住宅産業の利益本位で進められ、消費者に少しでも良い住宅を安く供給する政策ではなかった。

 

輸入住宅と住宅バブルの崩壊

輸入住宅はS・Vヴィレッジプロジェクトに象徴されるように、当初、コストカットがその目的とされたが、円高が急速に進み地価が急速に高騰し、経済全体がインフレ傾向を強め物価が上昇すると、コストカットは輸入住宅の政策目標から消滅していった。インフレが高進し既存の住宅ローン残高が急激に目減りし、住宅建て替えやリゾート開発が進み、国民の所得自体が急激に上昇すると、住宅の建設価格を切り下げる関心が低下し、10年ごとの建て替え利益に住宅会社の関心が向けられた。

 

住宅金融が住宅業者の希望通りに行なわれると、全ての住宅が住宅ローンを受けて購入できるため、住宅の販売価格に対する感覚がマヒし、高額な住宅不動産の購入に関心が移行していった。そのようにバブル経済で国民は浮かれ、年収の10倍を超す住宅を購入した。国全体がバブル経済に酔い、日本銀行が金融政策として制御できないと感じ、金融引き締め政策に転換した。その結果、政府関係銀行や住宅専門金融機関の倒産が相次ぎ、不良債権が国家経済を機能不全に陥れた。

 

その結果、資金が金融市場から失われ、経済活動が突然停止させられバブル経済は崩壊した。それでも政府は金融緩和政策を行なって景気回復を図ろうと「ゆとり償還制度」という消費者に返済不能な住宅ローンを組ませる政策をとり、多くの消費者が企業倒産やリストラの影響を受け、その後自己破産や自殺に追い込まれた。そのような場合、バブル経済下で支払い能力を逸脱して住宅ローンを組んで購入した住宅は、その住宅ローン返済が不能になった結果、人生の悲劇を生み出すことになった。政府「ゆとり小移管制度」による被害者は、門網ではなく制度の説明を理解してローンを組んだのであるから「自己責任」であると言い、政府の「ゆとり償還制度」をつくった政策責任を全く認めなかった。

73日、MM第776号)

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