HICPMメールマガジン第865号(2020.01.29)

みなさんこんにちは

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TND連載;第23回:わが国の都市計画の考え方と欧米の都市計画の考え方

わが国の都市計画及び都市計画法は、欧米の近代都市計画から学んだと言い、欧米の近代都市計画と同じ法律のようにわが国の政府、都市計画学会、大学では説明し、それに異議をさしはさむ人は殆どいない。しかし、わが国の都市計画学や都市計画法で取り扱っている学問分野は、自然科学系の工学部で、都市工学、土木工学、建築工学で、国の行政で扱う都市計画行政は都市計画法をその基本に置いているが、欧米のように都市計画を人文科学(ヒューマニティーズ)として捉えている高等教育機関はわが国にはない。工学部以外の学部で住宅・建築・都市教育を行なっている社会工学(東京工業大学)や人文科学(東京芸術大学、筑波大学)もあるが、欧米の住宅・建築・都市教育を行なっている人間の歴史と文化と言う視点で建築、住宅、都市を考える人文科学教育とは違って物づくりの視点が中心である。

 

近代建築学教育の始まり

欧米の建築教育の基本は、フランスの「エコール・デ・ボザール」の建築教育で、古代ローマのビトルビウスの「建築十書」を基本にルネサンス建築教育を行うこととし、その最も解かり易く解説した建築設計教科書が、アンドレア・パラディオによる「建築四書」である。それを建築設計テキストにしたルネサンス建築教育を行なった。この古代ローマに回帰するルネサンス建築デザインを参考に、ロンドン大火の後のサー・クリストファー・レンによるルネサンス建築様式によるロンドン大火からのレンガ建築による都市復興が行なわれた。その後、ハイドパークで産業革命の成果を世界に誇示した「世界万国博覧会」が開催された。その博覧会開催で得た巨額の利益を使い、アルバート公は、ハイドパークに面する巨大な土地を買収し、そこにロイヤル・アルバート・ホール、ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム、自然史博物館、音楽学校などヴィクトリアン時代を代表するマンションなど多種多様な建築群を建設した。ヴィクトリアン時代の建築を纏めて見られるところである。

そこに建設された優れたヴィクトリアン様式の優れた建築群を見せられた岩倉遣欧米使節団は、「英国の建築技術が欧米で最も進んでいる国」と考え、わが国で欧米に建てられている古代ローマに学ぶルネサンス建築を建築できるように、わが国は英国からルネサンス建築デザインを学ぶことを決意し、英国の新進気鋭の建築家ジョサイア・コンドルをわが国に招聘し、工部大学校でルネサンス建築教育を委嘱した。それに応える形で工部大学校第1期卒業生辰野金吾は、近代天皇制国家を象徴する国家中心の天皇の玄関(東京駅:モデル、オランダ王家のアムステルダム中央駅)、資本主義国家のダイナモである中央銀行「日本銀行:モデル、ハプスブルゲ家(カール5世)ベルギー中央銀行」と議会制による立憲政の中心「国会議事堂:モデル、米国・国会議事堂」を、自ら手掛ける意思をもってそれらの建∹物の設計に臨み、東京駅と日本銀行をルネサンス建築として建設した。

欧米の都市計画や建築設計教育は人文科学部建築学科で教育している。一方、わが国の都市計画は工部大学校建築学科で設計教育を、土木工学で施工教育がなされた。いずれも欧米の都市計画や建築教育のように人文科学教育されることはなかった。わが国の住宅・建築・都市の理解方法は「物づくり」(工学)とされたが、欧米では住宅・建築・都市を人類の歴史文化の弁証法的発展と見る人文科学とされた。欧米では、住宅・建築・都市がつくられてきた社会的、歴史文化の発展として理解するのに対し、わが国の明治維新の最大の課題、江戸幕府が結んだ「不平等条約の改正」を政治目的にした。欧米と対等の国家建設を、西欧文明を模倣することにより、欧米に「追い付き、追い越せ」を政治目標に、外観として西欧文明の実現を追求する「模倣」が、わが国の近代化教育の基本にされた。

わが国は欧米に倣い、歴史文化的な積み重ねの必然として住宅・建築・都市を「人文科学的」に理解せず、「和魂洋才」といってルネサンス思想を学ばず、住宅、建築、都市を機械工学と同様な「物づくり」技術と誤解し、模写・模倣をしてきた。わが国の建築教育は、ルネサンス建築意匠の模倣が行なわれた。建築歴史・文化思想を理解した上で思想表現としての建築設計教育ではなかった。それは物造り技術教育として「図案を模写し、模写通り建築すること」が建築教育であった。関東大震災以降は、西欧の建築教育では国民の人命と財産を守れないとされ、西欧様式建築教育は学校教育から消滅させられた。

 

わが国の都市計画は土木とされてきた理由

一方、東京首都の中央官公庁計画に始まる東京都心の都市計画は、明治維新以来、西欧列強にわが国の文明水準を同一と認めさせるためであった。西欧の近代都市計画を見て「富国強兵」政策を欧米の兵法や軍の形式、軍隊の服装や武装により実現する国家づくりが取り組まれた。中でも、国家の軍事力、巨大な軍隊の分列行進を社会的に誇示する場所として大都市の幹線道路が計画された。そして軍隊を送り出す場所、送迎門として、鉄道と道路の施設建設が最重要とされた。そのモデルは、当時フランスのナポレオン3世の時代に首都パリの大改造計画された幹線道路計画や、ロンドンやアムステルダムの中央駅が都市入・退場門(都市の顔)として計画された。鉄道のターミナル駅舎と軍事力を誇示する兵隊が行進する中心幹線道路計画こそが近代都市計画の中心をなす都市施設と考えられた。

明治維新政府が遣欧米使節団を欧米に派遣して学んだ都市計画は、ビスマルク首相が率いるプロシャの富国強兵政治とナポレオン3世によるオースマンが作成したパリ大改造計画に見られるとおり、鉄道のターミナル駅舎を都市の玄関とした近代都市である。岩倉遣欧米調査団が明治政府の国家経営のモデルとして普仏戦争及び普墺戦争で勝利したビスマルクが率いる富国強兵の国づくりで台頭したプロシャこそが、日本の近代国家のモデルと考えた。そこで、東京の都市計画にビスマルクの建築顧問であったウイルヘルム・ベックマンとヘルマン・エンデを招聘し、道路と鉄道に結ばれる首都官公庁計画の作成を委嘱した。当時ヨーロッパではナポレオン3世の時代にジョルジュ・オースマンが計画した放射状道路で造られたパリ大改造計画が近代都市計画のモデルとされ、世界の近代都市計画に大きな影響を与えていた。ベックマンの「東京の都市計画」はその影響を強く受け入れていた。

明治維新政府の考えた都市計画は、当時西欧で始まっていた封建的な城郭都市を解体して資本主義社会の経済活動や軍国主義による国家統治のできる軍隊の威容を誇る分列行進により、国営(鉄道省)の中央駅に集める鉄道と道路交通中心の都市計画であった。明治政府はベックマンの東京計画を受け入れる具体化が決定されたが、そのためには、その東京計画の実施設計をつくり建設工事を担う都市建設技術者の人材の養成が出来ていないことが分かった。政府は工部大学校に都市計画を実現するためのシビル・エンジニアリングを担う技術者養成を行なう学科を作ることになった。

ベックマンによる首都計画を具体化する実施計画と建設工事を担う人材として、工部大学校に欧米の都市計画の建設技術者教育機関であるシビル・エンジニアリング学科が、「土木工学科」として創設された。そのとき以降、わが国では都市計画は土木工学の学問領域とされ、都市施設計画づくりとされた。その結果、人文科学教育としての都市計画は存在しない状態で現在に至っている。つまり、都市計画はわが国では人文科学教育として行なわれていない。しかし、欧米では建築学で都市計画教育が行われていることに倣い、東京大学工学部建築学科で都市計画教育が行われてきた。土木工学は欧米のシビル・エンジニアリング(建設工学)が中国語で「築土構木:土を築いて木で構える」と言った説明から、「土木」と短縮した名称を都市建設技術者養成教育機関として工部大学校土木工学科が創設されの背え刑依頼がなされた経緯がある。明治政府は最初に首都官公庁計画の都市計画は、欧米では建築家が都市計画の設計を行うことを聞いて、ジョサイア・コンドルに東京計画を委嘱した。その東京計画は地味な計画で明治新政府に採用されなかったが、その設計図は現在、法務省資料室で供覧されている。

 

都市計画を作成する上での人文科学的な基本コンセプト

欧米の都市計画は、わが国のように「工学としない理由」を、最も解かり易く説明している事実が以下の2つである。その一つは、都市計画は都市に生活する人々の歴史文化の集積である学問体系として取り扱っていることであり、もう一つは、都市環境を構成する土地と建築物の関係を「土地」とそこで生活する「生活者」が、相互に高い相関関係を持って一体の都市環境と理解されていることである。

住宅・建築・都市を設計計画することは、文章を作るとき言葉を使って思想を構築して文章を作成すると同様、住宅・建築・都市を設計するとき、住宅・建築都市の設計を構成するアーキテクチュラル・ボキャブラリーを組み立て、住宅・建築・都市思想を設計・計画する。アーキテクチュラル・ボキャブラリーは全て人類の歴史文化の発展の中で形成された歴史文化に裏付けられた思想・文化の用語で、その用語形成の歴史に遡って学ぶことが、欧米の住宅・建築・都市教育の基礎である。住宅・建築・都市の構成要素の意味を理解し、駆使できる能力が、住宅・建築・都市関係技術者に求められている。

 

第1:都市計画の人文科学的(歴史・文化)的広がりとしての捉え方

欧米では都市計画は、「都市環境」と言う「土地」と土地を建築加工して造られる「建築不動産」を、人々の営みとの関係で、人文科学として理解しようとしている。都市計画関係者は、都市計画を都市で生活する人々の歴史・文化の営みとの関係で理解しようとしている。都市環境は土地に固定された都市の位置(場)と関係している「過去から未来に向けて連続する歴史軸(時間軸)」と、その土地を中心に置いて「四方八方に広がる空間」によって相互に関係付けられる。その無限に広がる空間によって、連続する空間と相互に影響し合う関係を持つことになる。そこには人類文明の発達とともに、その人類の活動をその隣接空間との関係した活動の歴史と、時代の関係して発展する「流れ」をつくる。その結果、人類の文明とともに影響しあう活動域として、空間的な広がりを示すことになる。その空間的な広がりは、単に物理的な連続性だけではなく、そこに生活することになる人類の活動域の広がりとともに拡大し、また、その活動範囲と活動の影響圏は、その活動とともに拡大することになる。

河川、道路や鉄道と言った交通・輸送機関軸のような移動・物流手段や、電気、ガス、水道と言ったライフラインのインフラストラクチャーもあれば、電信、電話、通信の情報インフラの場合もある。また、その立地の基本条件となる日照・日射、空気、騒音、振動、雨、水、風を、自然地形や地質や気象といった自然環境が都市の広がりとともに、耐震・火災、暴風雨と洪水や土砂崩れ等の自然災街や都市災害として関係する。また、戦争や放射能事故、産業公害のような人工的災害も問題になっている。

 

第2:都市環境と人間の生活の営みの相互作用としての捉え方

私自身わが国の都市計画法の改正とその後の都市計画法の施行に関係し、わが国の都市計画法が日本国憲法下にありながら、日本国憲法違反に違反する法律として制定され、都市計画行政は都市計画法違反の行政として行われていることを都市計画行政関係者だけではなく国民にも知らされていないことを見てきた。そこでわが国の都市計画に対する考え方を都市計画行政と都市計画教育に注目して説明する。

欧米の都市計画は土地を加工して造られる生活環境と経済活動の「場」と、そこで生活する「人々の生活の仕方」との相互作用として行われる歴史・文化に根差した「人文科学的理解に立った関係を基にした計画」が作成され、計画さられた都市環境と都市計画により、人びとの行動様式は大きく影響される。一般的に物理的環境や経済活動の土台が都市で生活する人々の行動を規制し、人々の意識や行動が都市環境づくりに影響を与える。都市環境と人々の生活の相互作用が、都市活動と都市環境を形成する。

 

英国の都市農村計画法「わが国の都市計画と都市計画法」

わが国では1960年日米安全保障条約の改正により、新しい日米軍事同盟に組み込まれた。米国の兵站基地としての地位を固定される一方で、米軍の兵站基地となる経済的には大きく成長した。日本人は戦場に出兵せず、国内では戦闘が行われず、米軍に軍需物資を供給することでGDPを拡大した。半世紀前、米軍の兵站基地機能を的確に担うため、憲法に規定した地方自治ではなく、広域的な地域開発により、米軍の極東戦略を担う兵站基地機能を担うことで、経済は成長し都市の無秩序なスプロールが社会問題化した。その一方で、日本国憲法の地方自治の規定に立ち返り、将来に向けて英国のような良い都市づくりを、「英国の都市農村計画法を作成すること」で実現しよう政府は国民に説明したが、わが国の「英国に倣う都市づくり」は、英国の都市を英国人の生活文化を検討することをしないで、先に、「英国のような都市形成は、英国の都市計画法をつくれば可能になる」と考えた。

そして、英国の「都市農村計画法」を忠実に学ぶと言いながら、わが国では英国の都市農村計画法の思想を学ばず、断片的につまみ食いした英国とは正反対の都市計画法をつくった。新しく作った都市計画法では、「都市計画区域について無秩序な市街化を防止し、計画的な市街化を図るため必要があるときは、都市計画に市街化区域と市街化調整区域の区分を定めることが出来る」(第7条)と規定した。そして、第7条第2項で「市街化区域は、既に市街地を形成している区域及び概ね10年以内に優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域とする」と定め、第3項で「市街化調整区域は市街化を抑制すべき区域とする」と定めた。都市計画法の立法当時の建設省都市局の説明では、市街化区域が新都市計画法で整備する都市区域とし、市街化調整区域は農村として保全するべき区域と説明されていた。

市街化調整区域には農業振興地域を設け、そこの農地に対しては農業地代と農業地価に基づく固定資産税を定め、農業経営が経済的に守られるようにした。一方、都市的土地利用をしない限り土地保有ができないような租税制度とし、市街化区域に関しては宅地並み課税を適用した。そのため、市街化区域と市街化調整区域は都市と農村を地租と土地利用を組み合わせた形で、土地利用上、都市と農村とは背反対立区域とすると説明された。都市計画区域に土地を所有する者は市街化区域か、市街化調整区域かの2者択一の選択を求められた。そのように「都市的土地利用」と「農村的土地利用」を対立する土地利用、英国の都市農村計画法で決めていない。英国の都市農村計画法にわが国の都市計画法に登場した「線引き制度」は存在せず、都市と農村とは歴史的に対立する概念の土地利用でない上、わが国の都市の土地利用と農村的土地利用は並立し、都市計画法により対立させることは英国にはない思想である。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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