HICPMメールマガジン第868号(2020,02.19)

みなさんこんにちは

 

第26回:TNDのデザインを国内に紹介してきたHICPMの活動

サステイナブルコミュニテイの思想:ピーター・カルソープによる「ラグナ―ウエスト」の開発コンセプト

私が最初に「サステイナブルコミュニティ」の住宅計画論を「ラグナ―・ウエスト」でのピーター・カルソープの住宅地開発の計画論として聞いた時の驚きは、今もはっきり覚えている。それまでわが国でもサステイナブルと言う言葉を「持続可能性」と言う言葉に翻訳し、自然体系のエコロジカルな循環性を維持することであるという説明は聴かされていた。又、ピーター・カルソープは、カリフォルニア大学バークレイ校の生態系学者とサスティナブル・コミュニティの共同研究をしていたことを聞いていたが、その考え方が、住宅地開発と住宅地経営に結び付くかに興味を持っていた。その考え方は、「ラグナ―・ウエスト」の基本コンセプトとして多くの都市開発関係者に注目されただけではなく、住宅需要者や多くの産業人から新しい住宅地経営のコンセプトとして着目された。そのコンセプトは「アップル・コンピューターの産業立地」の決定的根拠になっていた。その開発以降、米国の歴代大統領が「サステイナブル・コミュニテイ」を見学するため、「ラグナ―ウエスト」を必ず訪問するようになったと言われる。

 

わが国の住宅地と米国の住宅地

わが国の住宅地は、実質的に「母子家庭の生活空間」に、父親(夫)が宿泊に毎晩帰宅する「通い婚」の住宅地で、「夫婦が協同経営する家族の生活はない」と揶揄されることも多い。わが国にはフェミニズム運動(女権の復興)のような「女性の権利を男性と対等に主張する社会運動」の経験はない。「主権在民」を謳った日本国憲法はあるが、男性と対等な立場の女性は法律制度上、認められていないことも少なくない。それは賃金。処遇、雇用条件、社会的地位において、女性差別は社会的、家庭的、統計上、厳然と存在し、子供や女性差別やDV(家庭内暴力)は社会的に拡大しいている。その具体的事例は快挙に暇はない。家庭にも縮図として女性差別は染みついている。それを意識し、改善する取り組みは遅れている。米国のTNDの住宅を羨ましく思う理由は、TNDを支えている社会構造がわが国に育っていないことで、米国で魅力を感じたTNDをわが国で取り入れようとしても、わが国の家庭生活や住宅地の生活には民主主義は弱く、米国のHOAが実際に受け入れられない。

夫婦共働き、夫の育児休業制度、産後の復職とその労働時間、企業の処遇等々、それらが夫婦対等の家庭経営を否定し、父親の地縁社会での影の薄さと、婦女子の社会的地位の低さになっている。夫の育児休業制度は出来ても、夫は家事や育児を担えず、ゲーム三昧の夫は、育児休業の法違反である。休暇を取っても家事・育児能力を高めず、家事、育児に役立たない夫は、妻には「手間の掛る夫の面倒」で家事労働が増え、「夫の育児休暇はない方がよい」と言う意見さえある。子供時代の教育から、男子の家事、育児の教育をせず、自己中心的な画一的な進学教育で、相手を思いやる民主的な義務教育をしない。そのため共同体を構成する家庭人の役割分担の出来ない人間をつくってしまい、学校教育は日本国憲法に明記された「基本的人権の尊重」の実体を伴わない「念仏」になっている。

わが国と比較し、米国社会は米国人の社会生活に対応した試行錯誤を繰り返し、社会的役割分担による合意形成をするシステムとなっている。米国社会にも多様な状況があるが、住宅地経営を見ると、住民の自治に依って住環境を作り育てることが取り組まれ、失敗も成功もある。ハワードが『ガーデンシティ』で提唱されてきた「住宅地経営管理の自治」が形を変えながら広く取り組まれている。TNDを支えている住宅地経営の「三種の神器」(住民自治を支えるHOA,住民合意を背景に強制権が裏付けられたハードなルールとソフトなルール)である。TNDはこの三種の神器により、その住環境を住民自身が守っている。その住民自治を国家の司法と行政が守っている。

わが国の都市公園で「子どもたちのサッカ-が禁止され、公園の中でカード遊び」に時間を過ごしている。その理由は公園周辺の住民からの苦情に自治体が無責任な責任転嫁を決め込み、公園での子供の活動を不当に禁止している。政治家や自治体職員はもとより、メディア、教育者、社会人も皆、無責任な第3者(評論家)になり、子供たちの立場で問題解決を図ろうと汗を流さない。「子供たちは未来の社会の担い手である」と皆知っている筈なのに、子供たちが健全に育つ環境を破壊し、子供を育てる環境を築き上げない。そのような社会風潮を形成した原因は、政府自民党総裁以下が、不正なモラルハザードを犯し、社会全体に自己中心な無関心を拡大しているためである。

住宅産業界は「差別化」で消費者から不当な利益を奪ってきた。自民党政治・行政の乱れと家庭生活の歪みを反映して差別社会が拡大している。TNDを好ましい住宅地開発・経営と評価し社会的に受け容れるため、わが国は、より個人主義思想が進んでいる米国の「TNDを支えている民主主義」と、米国人家族の社会的生活を律している「三種の神器」の住宅地営の理解が必要とされる。米国の社会を理想化している訳ではないが、メディアで日本人の家庭に紹介される生活同様、社会的な合意形成の生活後取り組まれている。社会で発生する問題を住民それぞれの努力で解決する術が開発されている。「人びとの合意形成をする方法」と「合意を実践するための合理性のあるルールの形成と実践」である。

 

「人文科学と社会科学を骨格とした住宅地環境」と「工学による住宅地形成」

欧米では、建築学は人文科学として基本設計を学習し、利用者とともに成長する住宅・都市空間づくりを学習しているが、わが国の住宅・建築・都市教育は、物づくりを目的とする工学教育で、住宅・建築・都市を理解させようとしてきた。政府は、国民の居住水準を、観念的に「物」として把握し、「合理的根拠がなく、居住水準評価をした住宅」を、高級住宅と「差別化」してきた。住宅・建築・都市空間が「主権在民」の考え方で「個性的空間」としてつくられ、消費者の要求が尊重されることが重要である。住宅・建築・都市空間が時代の要求に対応できなくなれば、わが国では、スクラップ・アンド・ビルドをすればよいと考えられてきた。TNDでは住宅・建築・都市空間は、人類の歴史文化の中で居住者のニーズに応え向上され続け、人びとの生活同様、住環境は居住者の生活要求に合わせて育てるもので、環境が向上され続ければ、人びとはそこに生活したいと願い、住宅資産価値は向上する。

最近、「デザイン住宅」という概念が住宅市場に持ち込まれている。「デザイン住宅」について調べると、「デザインの違い」で優劣を「差別化」する政策と同じである。住宅を販売しやすくするために、「目先の目新しさを優れたもの」と欺罔する住宅用語に過ぎない。それは憲法第14条に違反し差別により「不正利益を得る」産業政策を取り入れたわが国の住宅政策である。憲法で定める「基本的人権の尊重」は、個性の違いを尊重することである。個性は人びとの歩んだ歴史・文化の集積の結果としての性格の違いである。TNDとはお互いの個性を尊重する住宅地開発で、お互いの個性を尊重し合う街づくりである。日本人が米国のTND開発を見てそれを魅力的と感じたり、自分の好きなデザインや、帰属意識の持てるデザインと感じたり、違和感をもつ場合もある。尊重すべきことは、居住者が好きになれて帰属意識を持てれば、居住者はそのデザインの空間を育てることになる。

 

TNDデザインの伝える建築思想と建築思想教育

TNDに好意的である人たちは西欧の歴史文化に親しみを持てる人たちである。TNDのデザインは、新しく生活環境要求に応えるデザインで、過去から現代に伝承されている住環境デザインである。TNDデザインは、伝統的住環境デザイン用語を使って設計した消費者の要求に応える住環境の創作である。デザイン開発の方法は、その他の多くのデザイン開発同様、伝統的近隣住区デザインが担ってきた環境思想を組み合せたものである。人類文化史的に見て豊かな住環境形成を実現してきた住環境用語で設計した住環境開発が伝統的な建築の言葉を使った事業である。

それが社会的に正しく受け入れられるために、住宅建築物とその集合体である住宅環境が、正しい建築用語で作られなければ、TNDの思想は社会に伝達されない。建築デザイン用語でその思想や意思を伝達するためには、建築主や設計者の建築思想を表現する建築用語が使われなくてはならない。意志を伝達する建築デザイン用語を「アーキテクチュラル・ボキャブラリー」と言い、建築物を介して建築物や住環境を見る人たちに設計思想を伝達する。建築家は建築思想を伝えるために建築用語を建築設計・施工で使ってきた。建築家は、住宅建築や住宅地全体に使われる建築デザイン用語を駆使し、歴史文化を担う複雑な建築思想を社会に伝え、見る人々に感動を与えてきた。

建築学教育とは「建築家の思想を社会的に伝達する作文(設計)教育」である。建築主も建築設計者も、過去の建築物が建築家の思想をどのように伝えてきたかを実際の建築物から学び、学んだ建築用語を使い、建築主や建築家の建築思想を建築設計で伝えることで建築文化を育ててきた。豊富な建築用語を覚え使うことで、建築思想を社会に伝えることができる。そのため建築学教育は、実在の建築物や資料価値の認められる建築物や写真などの映像から、建築物に利用されている建築用語を学習し、それを駆使し建築設計がなされてきた。歴史を見ると、建築思想が最も分かりやすい建築物は、建築主がその思想を伝えようとしてきた「宗教建築」や国家統治のための「政治的建築物」である。歴史的に見て宗教思想や政治思想を国民に伝える広報宣伝のメディアこそ建築物の主たる役割であった。

現代でも欧米の建築教育では、実在する歴史建築物のデザインがどのような政治思想や宗教思想を伝えてきたかを学ぶことから、建築思想が建築デザインの形を取って表現された事実を学習している。そのため、建築物をスケッチし、建築写真を複製・編集する作業を行ない、建築を構成する建築用語(ボキャブラリー)を増やすことを、建築教育や職人の技能訓練に取り入れてきた。設計教育は実在する建築物の構造(ストラクチャー)、建築詳細(ディテール)、建築物装飾(オーナメント)の調査を通して、建築物の担っている建築思想を理解するから始められる。それは日本や西欧だけではなく、地球上の全ての建築教育に共通している。建築用語を自由に使えるようになるためには、類似の建築物を調べ、建築用語の違いを知る積み重ねで、その知識を高め、活用できることになる。

明治時代の日本は「欧米との不平等条約を改正する」ため、欧米人と対等の能力を有する国民だと主張し、当時欧米で盛んに建設されていた「ルネサンス様式の建築をつくる能力のある国だ」と欧米列強に「対等」主張するため、「欧米と同等以上の精度の高い建築設計」を建築図案の模写・模倣技術として「建築意匠」教育をおこなった。建築用語の背景には建築思想があることは、当時の日本でも知られていた。その証明は神社仏閣を見れば明らかで、社寺建築を構成する形態、詳細、装飾は、建築思想を解かり易く説明するものであることは常識であった。ルネサンス建築を学ぶようになったとき、政府は建築デザインの担っている建築思想に恐れた。人文科学教育で西欧の建築思想を学べば、日本人の大和魂は失われ、わが国は西欧列強の建築思想に汚染され、植民地にさせられると恐れた。

明治維新、「和魂洋才」が教育の基本とし建築思想を教育を禁止した。意匠教育として、「建築図案の正確な模倣」しか建築教育として行なわなかった。片山東熊が赤坂離宮を設計し辰野金吾が東京駅を設計したが、いずれも西洋の建築意匠の模倣に留め、その背後にある西洋思想(ヘレニズム文化とキリスト教思想)は一切受け入れてはならないとした。建築設計者はデザインを支える思想を持たず、関東大震災後、「意匠教育は人命も財産も守られない」と政府の建築教育の転換によって、西欧建築は建築家がその思想を守らなかったため、明治時代から昭和初めにかけて欧米から導入された西欧の様式建築(近代建築)は、東京大学を筆頭に推進してきた「意匠建築」教育は、大学の建築学教育として崩壊してしまった。

所詮、明治政府が取り入れた「建築意匠教育」は、機械製図同様、精確な「図案」のトレースが求められ、デザイン思想が存在しなかった。建築思想を担う建築の表現する言葉は存在しなかった。明治から昭和の初めにかけ、「近代建築」を設計していた多くの建築家は短期間に「近代建築」へのこだわりを失い、第2次世界大戦を境に、洋風様式建築を設計していた建築家達から「意匠建築」はすっかり忘れられ、戦後は米国から紹介された機能主義建築を近代建築として設計した。東京大学建築学科の丹下健三以下の人達は、米国の戦後の建築を「近代建築」、「現代建築」と呼び、降雨量の少ないカリフォルニア建築を真似た建築を日本国内に建設した。1966年、丹下健三設計の代々木体育館が修繕の利かない雨漏りに悩まされ、社会的批判を浴びた。そのとき丹下は「雨漏りしない建築は建築ではない」と言い、建設省住宅局では丹下健三の行政処分を検討し、手始めに丹下の子分たち、黒川紀章と菊竹清訓の行政処分を行なうことになり、行政処分を進めた私が、政治的圧力により住宅局から追放されることになった。

 

TNDの思想とルネサンスの思想

米国で始まったTNDのモデルは、西欧の産業革命を引き起こしたヘレニズム文化への回帰を思想的に継承するルネサンス思想に回帰するものであった。中世のキリスト教による暗黒時代に、古代ローマのヘレニズム文化への回帰運動(ルネサンス)が取り組まれた。それは産業革命の時代に大航海時代と植民地政策による不平等貿易と倫理に反した奴隷貿易と、国内では、弱肉強食と産業革命による利益追及に血迷った人権蹂躙の「過酷な労働」と「富の不均衡分配」が起こり、極端な階級社会が生み出された。1880年、エドワード・ベラミーが『顧みれば』を著わし、人間が叡智を働かせ計画的な社会経営を行なって人間尊重の社会を造らなければいけないと考え、史上最大の販売記録のユ-トピア・フィクション小説・ベストセラーとなり世界を席巻した。その書に啓発されたエベネザー・ハワードの『ガーデン・シティ』が出版された。その1世紀後、TNDが世界にひろがっている。

ヘレニズム国家の合理主義の弱肉強食が正当化され、国民に対立が持ち込まれ、その弁証法的止揚としてキリスト教が古代ローマ帝国に受け入れられた。中世には、古代ローマ帝国が宗教で政治が歪められ、宗教による合理主義の否定された社会をもう一度、合理主義の社会に戻す取り組みが、合理的な富の分配を実現する時代思想(ルネサンス)として取り組まれた。空想的社会主義が生まれ、人道主義社会の道が開かれていった。しかし、ルネサンスは産業革命を進め、階級対立が社会の緊張を高め、労使協調が叫ばれ、帝国主義的対立から第2次世界大戦に至った。

第2次世界大戦後、国際連盟がつくられたが、米ソ対立から東西の軍拡競争が國際緊張を高め、核軍拡と東西対立から第3次世界大戦の危機が叫ばれた。しかし、平和を求める人類の叡智により東西対立を乗り越えた社会や計画経済が国家や社会の指導理念とする時代の思想が、豊かな社会の実現であり、EUの成立であった。それは米国内でのTNDが生み出された社会であった。(続く)

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷英世)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です