HICPMメールマガジン第867号(2020.02.10)

みなさんこんにちは

 

第25回:TND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント)とHICPM

TND(伝統的近隣住区開発)は1980年、「シーサイド」(米国フロリダ)において地場のディベロッパー、ロバート・デービスが、DPZ(アンドレス・ドゥアーニーとエリザベス・フラター・ザイバーグ夫妻)の都市開発思想を生かしたリゾート開発に取り組んだ。当時、EU統合時代のヨーロッパで、ミッテラン大統領(フランス)が構想する「労働時間を短縮し、自由時間を生かした生活」(自由時間都市)の建設と、労働時間の短縮に対応した新しい時代にむけ、人々の豊かな生活を追及する運動が展開されていた。TND運動はデービスによりリゾート開発に取り入れられたが、米国でTNDは国民の住環境事態を考える原点と評価され、一般紙が住宅・都市専門誌以上に取りあげた。

住宅生産性研究会(HICPM)は1995年に創設され、1996年に全米ホームビルダーズ協会(NAHB)と相互友好協力協定を締結し、NAHBのIBS(インターナショナル・ビルダーズ・ショー)で開催されたNAHB会員向け教育セミナーで「TNDになぜ取り組まなければならないか」をテーマに5日間、多数のTNDセミナーが開催された。5日間の会場は参加者が会場からあふれる盛況で、「TNDを取り組みたい」人々の熱気に満ちていた。参加者は豊かな映像と議論の渦に巻き込まれた。そのとき中心的に取り上げられたTNDプロジェクトは、1992年に最初の一般住宅開発されたケントランズ(メリーランド)で、TND住宅が姿を見せたのが1994年ごろであった。

NAHBの国際事業責任者からNAHBとHICPMとが相互友好協力協定を締結したこともあって、ケントランズを紹介された。協定締結に合わせHICPMは、NAHB刊『スケジューリング・フォー・ビルダーズ』(翻訳出版名『CPMのすべて』)の翻訳版権取得と、米国のホームプランシステムの国内への導入のため、先端事業として『トラディショナル・ネイバーフッド・ホームプランズ』(ホームプランナーズ社刊)を勉強するよう指導され、ケントランズを見学するよう勧められた。ケントランズはTNDの計画論を構築したDPZがその計画を指揮し、街づくりした事業である。

HICPMはケントランズを、「TNDを学ぶテキスト・モデル」と位置付け、会員見学ツアーを組み、引率しケントランズを訪問した。その2年前、官僚からABC放送の全額出資の子会社、輸入住宅産業(エー・ビー・シー開発)に迎えられた私は、神戸市と4輸入商社と共同で神戸インターナショナル・ハウジング・フェアー(KIHF)をNAHBの支援を得て実施した。KIHFは3日間、NAHB・IBSに倣い、13講座の教育セミナー、8棟11戸のモデル輸入住宅建設と建材・住宅設備展覧会を実施した。KIHFの準備でNAHBと交流することで米国の技術移転を受けた。シーサイド(フロリダ)は既に完成し、全米で高い評価を受けていたが、私は、「シーサイド」はリゾート開発で、それを緊急に勉強すべき課題とは思わず、私が「シーサイド」を出掛けたのは数年経ってからであった。HICPMの副理事長成瀬大治さんは、1996年「シーサイドこそまず調査すべき住宅地開発と考えて、会員の竹中史郎さんを誘って訪問し、シーサイドを総合的に説明したシーサイドの説明書を購入し、緊急に学習すべきと助言してくれた。

 

「DPZによるTND」は、ハワードの『ガーデンシティ』の現代的読み替え

私は「ケントランズ」を、1996年から約10年間、毎年訪問しその塾生を観察した、その原点となった「シーサイド」(フロリダ)の持っている意味を文献で理解できてから現地に出掛けた。「シーサイド」を訪問したとき、開発事業者、ロバート・デービスから「なぜシーサイドに取り組んだのか」の説明を現地に立って案内を受けながら説明を受けた。そこでは「シーサイド」の計画思想が、ナポレオン3世の下で「パリ改造計画」を実施したジョルジュ・オースマンの道路計画をシーサイドの道路計画に採用した話や、南フランスで取り組まれていた「自由時間都市」の取り組みと共通した「人々にとって豊かな生活の考え方」と共通するものであった。欧米では地球規模での経済成長を背景にした住宅地開発が取り組まれ、人類共通の生活文化向上の取り組みが、エベネザー・ハワードの「ガーデンシティ」以来の住宅地開発の歴史文化が、「シーサイド」の環境開発に集約されていた。

一方、米国の西部カリフォルニアでは、東部で広がっていたTNDと基本的に違った計画論で豊かな住宅が開発されていた。マイケル・コルベットの開発した「ヴィレッジホーム」とピーターカルソープの開発した「ラグナ―・ウエスト」がその代表する開発であった。いずれも英国の『ガーデンシテイ』を構想した「エベネザー・ハワード」の住宅地経営の思想を受け入れ、20世紀末の要求に応え、住文化を復興させていた。全米各地で取り組まれている多様な住宅地開発を訪問し開発事業者に説明を聞き、入居の始まった事業を見、いずれの開発も住民毎の個性を尊重した開発が展開されていることを知って驚かされた。TNDは米国の東海岸部から内陸部と南部海岸部を中心に面的に開発が拡大していた。

しかし、西部ではピーター・カルソープが提唱する「サステイナブル・コミュニティ」と言う住宅地環境経営の視点が強く出されていた。そのコンセプトは、ヒル・アンジェデリス(事業主)による「ラグナ―・ウエスト」の住宅地経営で展開された。住宅地を人びとは大切に育て住宅購入者の資産形成を叶え、持続可能な住環境になれば人びとは来住し、労働者を雇用する企業は労働者の生活要求を受けて企業も移住する。アップル・コンピューターはこのカルソープの構想に共鳴し、グループ会社全体をラグナー・ウエストに移転させてきた。カーター大統領が開催した「メキシコとの境界上の軌跡」(ハビタット)の開催地「ランチョ・ベルナルド」の住宅地開発や、カリフォルニア大学アーバイン校を住宅地開発の中心に取り入れたアーバイン開発も、新しい時代の開発思想に立っていた。

しかし、1990年代のカリフォルニア州の経済不況に当たり、「高所得者重視の住宅経営」に方向を採った経営者(ヒル・アンジェデリス)と「所得に見合った住宅供給」の方向を求めたピーター・カルソープは、袂を分かち、カルソープには、カナダの木材産業資本(ウエヤ-・ハウザー)にデュポンの火薬工場跡地の開発を全面的に委ねられ、ラグナ―ウエストでカルソープが完結できなかった事業を実施することになった。それが「ノース・ウエスト・ランディング」で、カルソープの思想、「アフォーダブル・ハウジング」が実践されることになった。「アフォーダブルハウジング」のコンセプトは、住宅購入者の取得能力に見合った価格の住宅を供給するものである。「ノースウエスト・ランディング」では、火薬工場を取り壊したレンガやコンクリートの建設廃棄物を建材に再生する作業に携わる労働者も、その労賃で住宅を購入できるように企画された。この住宅地に集中する継続的需要により住宅の資産価値が向上し、居住者が豊かになる経営である。

 

TNDに収斂される過去から現在までの「現在でも評価される住宅地」の共通点  

HICPMがNAHBから教えられた「米国人が高い満足を持って受け入れているTNDの住宅地はどのような住宅地であったか」を振り返ってみると、1996年、HICPMがNAHBと相互友好協力協定を締結し、NAHBのIBSでの「TNDセミナー」で学び、それを契機にTNDを知るために見て歩いた多様な住宅地の全体に共通する「民主主義」の住宅地経営思想であった。それは米国が英国の植民地時代に作られた、「ウイリアムズバーグ」や「アレキザンドリア」の住宅地経営や、ワシントンDCに作られた「ジョージタウン」やフィラデルフィアやチャールストンの内部に造られた住宅地経営から現在まで、居住者が帰属意識を持ち大切にされてきた住宅地経営の伝統であった。

また、英国でエベネザー・ハワードが開発した「ガーデンシティ」が全米に大きな影響を与えたが、最初に、ニューヨークで、ラッセル・セイジ財団がガーデン・シティに倣って建設したプロジェクト「フォレスト・ヒルズ・ガーデンス」や、カンザスシティで、J・C・ニコルズが「資産形成のできる住宅地」を開発したモデルにされた「カントリー・クラブ」で実施した住宅地開発や、自動車の登場した社会で、歩車道分離の町「ラドバーン」で戦前に建設され、大きな影響力を持った住宅地や、TND開発が社会的評価を受けてサウスキャロライナで開発されたアイオン、ニューポイント、ハーバーシャム、ポートロイヤルなどの人気の住宅地や、米国の建国以来の人々が懐かしさを感じている住宅地と、DPZが提唱したシーサイド以降のTND開発を調査して回り、最も新しい開発には、「ハワードの夢の実現」を掲げたウォルト・ディズニーの「最初の入居者にも、街が熟成したときのアメニティを提供する」ことを約束し、生活者に高い満足を与えた「セレブレイション」(フロリダ)まである。

 

ハワードの「ガーデンシティ」、DPZのTND,ディズニーの「セレブレイション」

米国社会に作られたC・A・ペリーの『近隣住区理論』(ネイバーフッド・ユニット)に関係した住宅地は、カリフォルニア州を中心に全米に広がったサスィテイナブル・コミュニティを調査し、それらが21世紀の米国におけるニューアーバニズムの理論と住宅地開発の技法を形成したことを確かめた。そこで、改めて、レッチワース・ガーデン・シティ、ウェルウィン・ガーデン・シティやハムステッド・ガーデン・サバーブ、第2次世界大戦戦後のハーロー・ニュータウン、さらに21世紀に入り、プリンス・チャールズが米国のTNDの建築家レオン・クリエを招聘し、プリンス・ウエールズ〈皇太子領地〉にある領地、「パウンドベリー」のTND「人びとが都市建設年代を意識せず、懐かしい生活を享受できる住環境」の実現を目指す「アーバンヴィレッジ運動」の成果も調査した。

その全ては、私が米国のTNDと関係があると考えた住宅地で、その調査に入った住宅地の建設された期間は200年間にも広がっている。米国で現在広がっているTNDで実現している住環境は、米国人たちが求めている共通のものが、その住宅地の性質になっている。TNDとは、250年の米国人の独立後のの歴史に共通している人びとの生活にとって重要な内容を具備していることを説明している。TNDは「住宅地の生活者は全て個性豊かな人々で、その個性を尊重し合うことで住民相互が尊重し合える生活が送られる」共通の満足である。米国の取り組んだTNDの動きを学び、NAHB会員が実践したTND技術を取り入れようと、私はHICPMを創設以来、その会員たちを引率し、「優れた開発事業」と評価された技術を学ぶようにNAHBに指導され、多くの米国での事業経験を見聞した。

米国社会では主権在民の理想は実践的に取り組まれ、個性を尊重する消費者の価値観を基本にし、為政者や事業主側の評価を社会に押し付けるものではない。多種多様な生活者要求である「住みやすさ」や「売り手市場を維持する住宅地」とは何かの疑問は、生活要求の変化と住環境との市場対応によるため、評価は居住者とともに変化し固定的ではない。住宅・都市は歴史文化視点に立つ人文科学的な成長させる住環境として設計・計画され、長い時間を通して住民の立場から評価しようとしている。米国の事業を、わが国では「差別化」と言う「欺罔販売のし易さ」で扱い、事業成果を「建設工学による物づくり」を事業収益として評価するが、歴史文化的に評価はしない。米国の住宅地は歴史文化を担った家族が生活する空間で、生活環境とされている。TNDは文字通り歴史文化を担った住生活環境空間である。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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