NPO法人住宅生産性研究会(HICPM)メールマガジン第781号)(2018.07.17)

みなさんこんにちは

平成14年、都市再生事業が「聖域なき構造改革」として取り組まれ、都市再生緊急措置法が制定され、それを根拠に都市計画法及び建築基準法が改正され、マンション建て替え円滑化法が制定された。その後16年経過し、小泉・竹中内閣が国民に説明したとおり、不良債権で縛られ経済活動することのできなかった不良企業が再生し、赤字国債に縛られていた政府自身も財政再建を口にするまでになった。安倍内閣が存在できている理由は、小泉・竹中内閣による「聖域なき構造改革」の結果と言っても過言ではない。「景気が良くなれば政治はそれでよいのだ」とする結果主義でよいのだろうか。

昨日「ゲッベルスと私」という映画を見てきました。ヒットラー政権の下でホロコ―ストが行われ、そのNO2の指導者ゲッベルスの秘書は、「私は何も知らなかったから責任はない」と言っているのを知って、都市再生事業で利益の分配にあずかり、私は都市再生事業の下手人ではないので責任はない」と言っているのと同じメンタリティが、支配者側にあることを感じました。憲法違反の都市再生事業をもう一度「都市の原点」に立ち戻って統括すべきではないかが、今回のメールマガジンの趣旨である。

 

第15回 都市再生事業は、経済政策のための住宅地開発か、消費者のための住宅地開発か(第781号)

 

欧米の住宅地開発は、そこに居住することになる消費者のための住宅地造りが、設計・施工・住宅地経営の全ての段階で一貫して行なわれている。それが人文科学的な考えに立った都市開発の設計・施工・経営の基本である。わが国の住宅地開発には人文科学的な考え方はなく、政治、経済の目的のための住宅地開発が行われてきたため、居住者の生活文化とその住環境の形成と熟成は第2義的にされてきた。

 

欧米の都市開発とわが国の都市開発 

  

欧米では、ノースウエスト・ランディング(ワシントン州)やイサクワハイランド(ワシントン州)のような大規模開発も、開発当初には居住人口と都市施設の充足の対応が期待通りに進まないように見えた住宅地が、数年たって出かけてみると設計者の解説通りに熟成していた。同様なことは、一般の郊外開発やリハビリテイションに取り組む市街地形成にも見られる。米国では、開発業者が開発に先立ち「基本コンセプト」を決定し、地方公共団体と開発計画の合意形成により開発のマスタープランが作成される。そして開発事業者が開発計画の経営の骨格と開発計画者の作業部隊を結成し、開発の基本事項である「ストーリー」と「ヴィジョニング」と作業担当者を、シャレット(意見交換)により1週間程度で決定する。その後、計画の詳細を専門家集団による作業チームを作り詳細に決定していく。

 

住宅・建築・都市には、それぞれの業務を適正に行なう技術とシステムとがあり、それを実施する技術者と技能者が、その技術を駆使しなければ計画通りには実現はできない。わが国の戦後の住宅地開発はこのシステムを持たないで住宅・建築・都市をつくってきた。その結果、計画通りに住宅地は造られず、行き当たりばったりの矛盾が都市の不動産の資産価値の下落させてきた。わが国では事業主の政治的要求に合わせ、経済的な条件の下で事業を設計し、建設することでの合目的的な工事をしてきた。しかし、目先の工事目的の解決が優先し、長期的な展望に向けての計画は棚上げされ、先行した工事の修正・変更を前提にした工事しかできないでいる。長期的な設計計画の技術力が低い上、工事を合理的に実施するCM能力が不足し工事費が膨張するため、長期的な利益を考えた計画は設計され難い。

 

わが国では欧米と遜色のない住宅・建築・都市をつくってきたと政府や業界関係者は自負してきた。確かにモノづくりとして、わが国では欧米に比較して遜色のない品質の住宅・建築・都市もつくられたが、そこで実際に作られたものは、計画目標に比較して工事費が高い。その上、わが国の住宅・建築・都市が国民を欧米同様に資産形成に寄与してきたかと問えば、否定的な結果しか見つからない。同様の品質の住宅を欧米の2倍以上の価格でないと消費者は提供できない。長い目でわが国の住宅・建築・都市は常に劣化し、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返し、新築時に一定水準を維持しているに過ぎない。欧米のように計画修繕と善良管理義務を果たすことで資産価値が維持向上されるものではない。

 

断行された政府による憲法違反の都市再生緊急措置法

わが国の住宅・建築・都市の変革を象徴する大きな事件が、平成14年、都市再生事業として取り組まれた。政府はバブル経済政策の崩壊とその後の財政・金融政策の失敗により国家財政は破綻し、約1、000兆円もの国債の上にわが国の財政が築かれた。不良債権により破綻寸前の国家財政及び企業会計の債務を、「都市生事業」で帳消しにし、それに便乗して公共空間を、不良債権を抱えた民間企業と国家に独占させ・売却させ、経営再建させる政策が断行された。小泉・竹中内閣の都市再生事業の根拠となった竹中金融大臣の経済理論は、企業の不良債権の原因であるバブル経済崩壊による地価下落の損失分を、「聖域なき構造改革」で債務を帳消しにする政府も企業も犠牲を負わない政策であった。

 

小泉・竹中内閣の政権当初、財政収入が不足し360兆円の国債に依存していたが、第3次の小泉内閣の末期には、国債は700兆円に迫っていた。小泉内閣は国債依存政策にそれ以上依存できない国家の財政破綻に怯えた。そこで憲法も法律も蹂躙し、国家の統治を非常事態の認識により「統治行為論」を持ち出し憲法違反の規制緩和を実施した。土地利用規制された高さ制限を「青天井」に撤廃し、容積率を約4倍に緩和し、高層マンション空間として売却できるようにして不良債権処理させた。さらに都市再生政策に便乗した制度を新設し、損失の回復を越す超過利益を企業及び国家に供与させた。

 

都市再生事業で開発された高層マンションの購入者が子弟を就学させようとしたら、義務教育施設が足りず、自治体は仮設校舎を造らされたが、それでも教室が不足した分にはスクールバスで通学させた。都市計画法上では、義務教育施設が対応できない条件での「開発許可」は禁止されている。憲法違反の都市再刑緊急措置法で規制緩和を行っているから「毒食らはば皿まで」で、不良債権で経営危機になっている国家及び企業を救済する目的の開発許可や確認申請に違反があっても問題にする必要はないと行政は内閣の意向を忖度し違法な処分を行ない、司法は違法な行政処分の訴えを却下した。

 

経済優先主義政治は憲法に優先できるか

都市再生法関連の訴訟事件数は行政不服審査請求及び行政事件訴訟として争われ、全国で数万件に上った。司法は国民が提訴した行政事件訴訟で、悉く違法な行政処分を追認した。このように都市計画法と建築基準法違反の都市再生事業が行われ、不良債権に苦しんだ企業は救済された。しかし、国民大衆は都市環境を悪化させられ、開発に伴う都市施設が改善されず危険な環境とされた。わが国の大学の住宅・建築・都市教育はもとより世論を扱いメディアは、わが国の不況からの脱出政策として政府の都市再生事業を容認したが、その規制緩和政策の違憲性や違法性を指摘することはなかった。

 

都市再生事業は不良債権処理のための経済政策として取り組まれたもので、都市再生事業により大都市のスカイライン全体が大きく変えられるスクラップ・アンド・ビルド事業が行われた。国民が、戦後、戦災復興と近代化に向けて約70年かけて建設してきた都市環境を簡単に取り壊し、新しい高層高密度な都市環境に作り変えた。政府や産業界は不良債権が消滅して都市再生事業により日本経済は再生できたが、都市再生事業により既存の都市環境は破壊された。消費者の都市環境の視点は無視されてきた。

 

それはバブル経済で経営の羽目を外した企業と国家の経営の失敗の救済であったが、渋谷区代官山の住友不動産による「ラ・トゥ-ア・代官山」近隣に見るとおり、私有財産守ってきた多くの消費者の健康で文化的な環生活環境を破壊させてしまった。歴史文化を継承しない都市に国民は愛着も帰属意識も持てない。都市再生事業が経済及び財政再建という緊急事態対策として、日本国憲法に違反して断行された。都市環境の変更を不良債権処理という経済効果だけで評価されていること自体が問題である。

 

日本の国土開発行政と「統治行為論」の実践 

都市計画法では都市施設等が不足する状態での開発許可をしてはならず、そのような敷地への建築工事は禁止されている。しかし、その都市計画行政と建築行政は、「聖域なき構造改革」の政治目標の実現のため、国土交通行政は開発道路が存在しない開発に許可を与え、違法な建築計画に違法に確認済み証を交付し超高層マンションが建設された。このような都市再生事業により、開発許可の基準に違反した多数の開発許可がなされてきた。開発が行なわれた結果、都市は都市計画容量を超えた交通渋滞等ライフラインの機能麻痺となり、大震火災が発生したときの都市災害拡大の原因をつくっている。

 

違反開発に伴う住民の目先の不安を反らすため、開発業者による通勤用のシャトルバスが運行された例もある。このように国家が憲法を蹂躙した行為をしても、国家としての統治上やむを得ないとする経済再生行政を優先させる政策を正当化する理論として「統治行為論」が根底にある。「統治行為論」とは、1959年砂川事件で、「日米安全保障条約は日本の統治上不可欠のものであるから、日本憲法に照らし適法か、違法かを司法が裁く必要はない」とした最高裁判所の田中耕太郎の判決で広く知られるようになった理論である。「聖域なき構造改革」は経済危機に対応する統治上の緊急行政判断とされた。

 

わが国の都市工学、建築工学、土木工学では、政府の都市再生事業が政治判断として決定されると、それに迎合する論陣を張り、都市計画法及び建築基準法の改正を容認してきた。都市計画法及び建築基準法は憲法第25条を根拠に制定されており、憲法に根拠をもたない都市再生緊急措置法を根拠にした憲法第14条、第19条、第25条等に違反する法律改正は許されない。都市計画事業は、「聖域なき構造改革」の政治・行政目標の実現のために、既存の都市計画や建築行政と連続性のない不良債権処理の経済政策として行なわれた。このような不連続な都市改変は、人文科学的には国民に都市環境形成に危険な断続性を与えるもので、住民のためには立法上、行政上、学問上も行なってはならない。

 

「フローの住宅」か、「ストックの住宅」かの対立する視点

わが国の都市計画法及び建築基準法は、新しい政治および行政に対応できるよう、都市工学、建築工学、土木工学はそれに従った目先の工学教育として対応してきた。都市工学、建築工学、土木工学は、「フローの住宅」政策で、政治・行政の要求に応え、計画を実施するための学問で、計画がスクラップ・アンド・ビルドであれば、政府の行政方針に従ってスクラップ・アンド・ビルドを追認する教育が行われている。しかし、都市再生緊急措置法は時限立法ではなく、日本国憲法との矛盾した関係が継続することは、緊急措置法立法前後の矛盾が、都市の歴史文化を破壊し続ける方法で継続することになる。

 

既存の住宅・建築・都市は都市再生緊急措置法施行全の現行憲法にも届くものである。しかし、都市再生緊急措置法施行後の都市計画法及び建築基準法は、現行憲法下では立法することができなかった法律である。しかし、都市再生緊急措置法を根拠に行った都市計画法及び建築基準法は、改正後の法律は、憲法に適合した法律と扱われる結果、都市再生緊急措置法前後で都市計画法及び建築基準法は、いずれも憲法に適合した扱いを受け、その矛盾は住宅・建築・都市の環境上に矛盾を残すことになる。

 

欧米の人文科学としての建築学は、国民の健康で文化的な生活環境を長い国の歴史・文化・生活問題で取り組む教育を行なうものである。政治や行政のご都合主義で国民の歴史・文化・生活を振り回わすわけにはいかない。仮に法定都市計画を変更しなければならない事態になっても、それは憲法第25条に定めた国民の健康で文化的な生活を向上させるために必要な場合に限られ、不良債権で経営不能に陥った企業救済を理由に、国民の合意でつくられた都市計画を経済的な理由で、国民への矛盾を一方的にお仕着せるような変更が、司法を使って住民の意見を切り捨てて取り組まれてはならない。

 

「聖域なき構造改革」に懸けられる憲法違反の嫌疑

「聖域なき構造改革」は国会で国家の経済危機に対する政策と説明され、国民の支持を得た。しかし、それが憲法で定めた国民の権利を侵害することは説明されなかった。それが都市再生事業として都市計画法及び建築基準法の改正として行なわれ、法律改正及びそれに基づく法定都市計画の改正手続きもすべて改正された都市計画法及び建築基準法に基づき行なわれた。そこで取り組まれた改正内容は、法律手続きを踏んで行われたため、殆どの国民にはどこに問題があったのかは理解されていない。

 

都市計画や建築計画は、都市計画の歴史という時間軸でつくらなければならない人文科学的認識が、都市計画法や建築基準法の背景にある。しかし、日本の学校教育で住宅・建築・都市計画を人文科学教育として行わず、立法及び行政関係者にも学校教育関係者も都市計画法や建築基準法を人文科学的分野の法律という理解が欠如している。その結果、学校教育においても住宅・建築・都市行政においても、住宅・建築・都市環境を歴史文化的な視点で考えることが行われず、都市再生緊急措置法によって不連続な住宅・建築・都市環境行政になっていることの矛盾が認識されないままになっている。

 

自由主義経済では、経営に失敗した企業は消滅させられ、それを肥やしに新しい企業が育つことで国家全体の経済発展が図られてきた。しかし、わが国では、自由主義社会の歴史観を無視し、政治、官僚、産業界が癒着して既得利権を守るために、護送船団の利益をまず優先させる政治が行われた。都市再生事業で、国民共有の都市空間を、不当に不良債権を抱えた企業と国家に無償で供与することが、護送船団が国家を私物化する政治・行政・産業の癒着で行われた。都市再生事業は自由主義経済の原則を踏み外して、消費者を犠牲にして企業救済を行なってきた疑問に答えていない。

NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷英世)

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