HICPMメールマガジン第796号(2018.08.31)

みなさんこんにちは

「注文住宅」の解説に日米比較は少しせっかちに急ぎ過ぎ、読者の皆さんに不消化のまま送信続けてきたように反省されたので、今月からHICPMメールマガジンは毎週1回、原則、月曜日に送信することに、私自身内容を読者に関心をもっていただけるように、私が現在感じた問題になるように吟味することにしました。今回は、HICPMの理事長(私)が顧問となっているHBK(ホームビルダーズ研究会)の第29回定例会(掛川)に参加した感想をお知らせします。

 

HBK定例会の紹介

8月21,22日の2日に亘ってHBK第29回の定例会の研修会は、参加者の大きな盛り上がりがあり、その状況を紹介することにしました。HBKは、会を創設時にHICPMの取り組みに共鳴し、HICPMの会員の多くが参加して結成された組織です。目下、HBKは会員の能力向上を中心にした研修会によって、多くの会員を集めることに成功しています。それはHBKが本来進めるための「優れた住宅を消費者の購買力の範囲で供給する体制」をつくるためと考えられてきました。米国の住宅産業に見られるような産業界の核心を実現するためには、会員の会の進む方向に対する合意形成が不可欠です。HBKが創設当時の目標を実現するためには、米国のホームプランシステムと同様な合理的設計・施工・建材物流が一体化して機能することが必要ですが,その運動は試行錯誤の繰り返しです。

 

HBKは優れた建材を合理的な価格で供給することを実施していますが、わが国の歪んだ営業変更の経営の中で、少品種の建材を集約的使いながら優れた住宅を設計できないため、「隔靴掻痒」の感を免れません。在来工法、特殊フランチャイズ工法、2×4工法など多種雑多な工法を行なう工務店が参加しているため、生産システムの統一が採れず容認した会であるため、合理的な技術の統合集約化ができないでいます。HBKは優れた建材を合理的価格で供給することで、消費者に優れた住宅を合理的な価格で供給することを目指していますが、現在HBK会員の建設している住宅は多種多様で、会員の要求の集約化ができないでいるため、取り扱う材料や工法の集約化が進んでいません。

 

町並みデザインから始まったスパイラルガーデン

HBKは輸送業を主たる業務として取り組んでこられた日商(笠井社長)が住宅及び住宅地開発に関心を持たれ、そこの流通業の力を取り入れることで住宅産業を大きく変革しようと考えられました。HBK創設当時、HICPMに興味をもたれ、HICPMの海外研修ツアーに参加され、その研修成果を自ら三重県亀山で「スパイラルガーデン」の開発を通してその夢を実現すべく努力されました。住宅地開発のメッカであるロンドン郊外にあるガーデンシテイ「レッチワースガーデンシテイ」を訪問し、そこでレンガの街を徹底的に調査した成果を「スパイラルガーデン」で実践されました。

 

笠井さんは絵心のある社長で、レッチワース・ガーデン・シテイの豊かなシングルファミリィハウスの街並み景観を感覚的に理解され、それを鈴鹿のスパイラルガーデンで実現され、その成果は多くの消費者から高い評価を受け、それを軸に住宅事業を進めようとされました。それは体系的に欧米の住宅地開発を理解されて実践されたのではなく、その街並みデザインを実践させたものであったため、住宅地開発システムに発展させることはできませんでした。2×4工法で取り組まれましたが、それは日本的な2×4工法で、米国やカナダの2×4工法に徹底したものではありませんでした。

 

HICPMとしての指導力を発揮しなかったプロジェクト

私は当時まだHICPMサステイナブルハウスを推進していたときでしたが、設計者の成瀬さんや建材の施工指導をされた小汐さんも死亡され、HICPMのホームプランシステムは推進する力を失っており、HBKの取り組みも成り行きに任せる対応をしていました。今になって考えると、2×4工法に取り組む人は、その合理主義を理解して取り組んでくれるに違いないと勘違いして放任してきました。わが国で2×4工法を行なってきた工務店には私が考えているような気持ちで取り組んでいる人はむしろ少数者で、大多数は2×4工法の合理主義を追求するのではなく、政府が進め日本2×4建築協会が進めている流れに沿って進めているだけで、米国やカナダで実践されている合理的な2×4工法を実践するものではなかった。笠井さんのプロジェクトは顧客を魅了させるスライスレンガを使ったタウンハウス計画でしたが、住宅生産の合理化、生産性の向上に取り組んだものではありませんでした。

 

HBKの2つの取り組み

笠井さんが取り組んだスパイラルガーデンの住宅は、HBKで取り扱う建材のモデル住宅という取り組みで、街並み計画など取り入れ消費者に魅力ある環境を提供する点で優れた取り組みになっていましたが、わが国の住宅産業に対し2×4工法による技術革新を牽引する事業にはなっていませんでした。HBKが取り組むべき課題の一つは、住宅産業政策としての標準化、規格化、単純化、共通化と言った米国やカナダの住宅産業が取り組んできは課題を取り組んだものであるべきでしたが、HBKは当面の顧客満足の住宅販売にHBKの取り組みが捉われ、生産合理性は表から消滅していました。

 

このプロジェクトに関係された方は販売重視の観点から、顧客満足を実現するために現在の住宅産業界が取り組んでいることを取り入れていく広告・宣伝と住宅販売の観点では意欲的なものでした。しかし、生産性の向上のための標準化、規格化、単純化、共通化という欧米の住宅産業が追及してきた長期的に消費者によりよい品質の住宅を安く提供することは、実践できなくなっていました。笠井社長が意欲的に英国のガーデンシテイを見学し、自らの理解の範囲で具体化したプロジェクトでしたが、わが国の住宅産業がやっているように住宅産業本位の「フローの住宅」で、消費者中心の「ストックの住宅」ではなく、地上の取引に振り回される結果になっていました。笠井さんは住宅供給からは撤退し、建材物流の面に活動領域を絞ってHBK活動を継続することになりました。

 

HBKの重点は結局、目先の営業販売につながるところで、ハワードが「ガーデンシティ」で提唱した住宅地経営の内容に取り組むものではありませんでした。日本の工務店が取り組んできや輸入住宅の取り組みと基本的には同じことの繰り返しであったため、輸入住宅政策が取り組まれ国内で広く取り組まれたとき、米国やカナダ並みの住宅を米国は奏での国民が享受できている安い価格で実現することはできませんでした。その結果、「多様な顧客ニーズに応え、成約を成功させること」がHBKの主たる関心になり、HBKが創設された当時HICPMがそれまでこだわってきた住宅産業体質改善の問題は、住宅産業界の改革といった社会性の高い会員の取り組み課題から後退してしまっています。

 

「ウイングホーム」の営業

8月21,22日掛川で実施されたHBK第29回定例会では、掛川で急成長をし集客に大きな成功を示している工務店ウイングホームの顧客対応の状況を学び、同社で行ってきた顧客対応の仕方を「ロールプレイイング」を取り入れ、HBK会員が学ぶという研修会でした。毎月開催されている同社の住宅見学会には100名以上の集客ができ、顧客は急拡大している住宅経営は、直接的な集客営業に縛られないため、HBK会員にとって「会社の意図通りに顧客を販売成約に誘導する」魅力のあるものでした。当日はウイングホームの社長及び幹部の研修には、HBKの参加者はウイングホーム社長の説明の虜になって聴講し、接客のための技術を理解するため用意されたロールプレイを実践し、参加者は大感激の研修でした。顧客のニーズを引き出し、それを顧客満足による成約に導くことで、現在のわが国の住宅産業の求めている問題への解決が示されていることでは理想的な研修でした。

 

私もその仕組みを理解しようと集中して講義を聞きロールプレイに参加し、ウイングホームの職員教育の理解に努めました。しかし、次の1点を知ったとき、これは基本的にわが国政府がハウスメーカーの営業として推奨している「詐欺商売」の典型的なものであると気付きました。「顧客の購買力が、年収400万円である」前提で、一戸3、800万円の住宅を販売していることでした。日本の住宅の相場で所得の10倍の販売価格を、政府は正当な価格と言ってきました。世界中の日本以外の国で住宅販売価格として所得の10倍の価格を適正価格という国はありません。理論的に購買力を逸脱した住宅を購入できると欺罔し、工事請負契約を締結し、大胡の顧客は20年後に気付かされ、騙されたことに対し、政府は「住宅は減価償却資産である」から中古住宅が価値を失って当然と言い、消費者の自己責任として片づけてきました。

 

メイド喫茶と同じ経営方針

メイド喫茶やメイドキャバレーがわが国で広く普及した営業サービスは、ハウスメーカーの住宅販売に取り入れられ現在のハウスメーカー経営を支えている。住宅建築設計は建築学についての高い知識と経験とを持たないとできないため、建築士法では建築設計は建築士でないと行なってはならないと建築士法では規定しておる。しかし、実際の建築士は建築士法で定められた通りの建築設計能力を持っていない。多くの建築主は、建築主の権力を使って、自らの建築設計を「建築士を奴隷」に使って、自宅を建築主の要求通りに設計する「道楽を楽しんでいる」。実際の建築士は能力を持っていないが、建築士法上の設計を行なう資格を持っているので、建築主に「建築主が建築士としての権利を行使することを楽しむ道楽をさせる」ことで、「太鼓持ち」又は「メイド」として建築主に「ご主人様」と言って仕え、建築主に自分の能力で建築設計ができると喜ばせ、応分の利益を得ている。

 

もちろん建築についての専門的な知識もなければ、経験を持たない建築主は、社会的に評価できる住宅設計をできるはずはない。それはわが国の代願設計しか作成できない建築士に依頼しても同じである。営業マンは建築主の設計した住宅設計をほめちぎって工事請負契約に持ち込めば、住宅業者としての期待利益が得られる。その住宅を既存住宅市場で売却することは全く考えられていない。わが国の住宅産業に共通する「売り逃げ」の住宅販売である。建築主は建築士や住宅会社との間で「芸者遊び」と同じ「住宅設計遊び」を行ない、普通ではできない住宅設計を楽しみ、その道楽の結果住宅の実際の価値の2倍以上の費用(ハウスメーカーの場合、その直接工事費や販売額の40%)を支払わせてきた。

 

「ウイングホーム」で行っている顧客対応は、すべて建築主に質問責めをして、建築主から要求を出させ、その要求を実現する方法が、事例見学会を中心に、過去の顧客の選択を含むウイングホームの用意した消費者の要求を取り込んだ設計内容から選択するような形に追い込み、顧客の要求を取り入れた設計という「一種の群集心理」に巻き込んで、顧客がウイングホームの用意したものを選択するという形式で、「顧客が納得した注文住宅」と信じて住宅を購入している。私が既に作られていた住宅を数件見たが、住宅設計力には、専門の建築設計力は認められず、この住宅を中古住宅で販売したら、その他の中古住宅と変わらず値崩れを起こすだけではなく、既存住宅市場での販売は難しいと感じた。

 

日本ではハウスメーカーも多くの工務店もこのような住宅販売を、「当然」と言ってきたが、それは欧米と比較すれば異常である。年収の10倍の販売価格の住宅ローンをわが国の住宅政策では、「金融機関は政府の指導通り交付する」が、そのローンは返済できる筈はない。わが国のハウスメーカーと同じレベルの住宅供給業者である。ハウスメーカー同様、住宅詐欺商売に引っ掛かった多くの国民は、巨額の金額を巻き上げられ生活ができなくなっても、「自己責任」と言われ、詐欺に引っ掛かったことにも気づかない状態である。年収の10倍もの住宅価格で住宅販売すること自体が「詐欺」であることを気付かせないわが国の住宅政策の一環として、ウイングホームの経営が行なわれている。

 

住宅の詐欺商売は是正されない

私はこれまでも指摘してきた通り、ハウスメーカーの住宅営業販売も基本的に同じ詐欺商売で、消費者が購入した住宅を、住宅市場で購入価格では売却することはできない。「購入価格に見合う価値のない住宅を売りつけられた」という意味で「詐欺商売」と断定できる。日本の住宅産業は政府の住宅政策に従って実施されてきたことは、政府自身が当初住宅建設計画法立法当初は、わが国の成長のため、国民を騙し大きな損失を国民に負わせてきた。それは実際に行なわれている住宅の設計施工及び住宅販売が、建築3法にはっきり違反して行われていることによっても説明できるが、違法行為は、今回のウイングホームやハウスメーカーを含むすべての住宅産業に及んでいると考えるべきである。

 

たまたまその日のTVで、政府が「身障者雇用」で「虚偽の身障者雇用」を行なって国民を騙してきたことが社会問題になっていました。安倍政権は虚偽を平気で国民に伝える政権である。その象徴的な事件が、安倍内閣が自民党や公明党を引き込んで『正当である』と言っている「森友学園や加計学園」の問題である。現在の安倍政権の「犯罪を犯罪とも考えない腐った政治」の結果である。不等価販売による巨額の利益を挙げている住宅産業から自民党政治家が政治献金を手にしている日本の政治風土の中で、安倍政権は政府自身にやる意思もなければ、実施しようと思っても、立法、行政から民間の事業にまで不正が浸透し、国民を騙して住宅販売した住宅産業を糺すことは、絶対にできない。

 

わが国の住宅政策は、1976年の第3期5か年計画、住宅建設計画法による住宅政策時代に、わが国が米軍の兵站基地として米軍の軍事物資を生産する旧軍需産業(旧財閥資本)の労働者の住宅を供給してきた経済環境が、ベトナム戦争で米国が敗北し突然断絶し、軍事産業向け住宅を供給する必要がなくなったとき大きな転換を余儀なくされた。住宅金融公庫が供給した産業労働者向け住宅や日本住宅公団が供給した特定分譲住宅という軍需産業労働者向け住宅だけではなく、その下請け労働者向けの公営住宅、公団住宅、公社住宅という公共賃貸住宅も、基本的には米軍の軍需産業向け労働者住宅であった。

 

土地代実質「ゼロ」で財政資金「全額住宅産業向け」の住宅政策

米軍の軍需に応える産業向け住宅供給が不要になるということは、当時の政府施策住宅全体が不要になるということを意味していた。当時住宅官僚であった私自身、住宅政策の根底が破壊されると感じて不安を感じた。そのとき和学の住宅産業はわが国の経済にとって大きな比重を占めていてそれをベトナム戦争が終わったからすべてやめるわけにはいかなかった。政府は、軍需産業委に変えて、国民が最終的な住宅購入者となるよう、政府施策住宅によって、軍需産業への住宅や政府施策住宅ではなく、国民を住宅費負担する消費者とした住宅供給に組み替えられた。地価は高騰していたので、政府は土地代を必要としない住宅として、住宅産業向け住宅の供給を住宅建設計画法により行なった。

 

住宅建設計画法はそれまでの軍需産業に働く労働者向けを、直接国民を対象に供給するものにしたもので、そのため、政府は財政負担を土地に吸収されないように、2つの土地代不要の住宅政策を実施した。その一つは、ハウスメーカーを利用した既存木造市街地を建て替えによる「土地取得代金ゼロによる地上げ」とハウスメーカーの住宅販売を結び付けた都市住民対象の住宅供給政策である。もう一つは、都市計画法によって、新しく農業を守るために設定した市街化調整区域に事実時欧土地代ゼロで農地、山林、雑種地を当時の市街地価格と比較したら「ただ」同然の価格で買収し、そこに公営、公社公団住宅を供給することになった。多摩ニュータウンをはじめ大規模開発は土地代ゼロ同然で実施された。

 

都市計画法は完全に破壊され、「線引き制度」を骨抜きにし、市街化調整区域が市街化区域より人口が増大するスプロール都市計画をつくってしまった。政府は財政投融資を都市開発資金として使い、大きな金利を手にしたが、それがわが国の耕地化政策の基本となった。土地代の住宅政策について日本の住宅を大きく変えた政策であるが、政府が都市開発で、商業金利を公団公社の都市開発金利に持ち込んで、財政投融資会計が、巨額な利益を上げてきた結果、公共事業面積を大きく確保し、高額な土地代金としながら、宅地面積が狭く貧しい宅地供給理由は、国民には全く知らされてこなかった。政府は面積200平方メートル以下の宅地に対し、租税特別措置法により固定資産税の課税標準を6分の一にして、他国の半外促進を図った。構造安全のためという説明で雛壇造成で建設した宅地は、結果的に非常に貧しい宅地を供給する結果となり、現在、「空き地」として放棄されざるを得なくなっている。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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