HICPMメールマガジン第853号(2019.10.28)

みなさんこんにちは

 

第11回 20世紀末の総括:米国の首都の住宅地の都市計画:TND

TND(トラディショナル・ネイバーフッド・ディベロップメント:伝統的近隣住区開発)は「シーサイド」(フロリダ)でリゾート開発として始まったが、その計画コンセプトは、「一般住宅地でも採用されるべきである」と一般紙や社会的にも指摘された。1992年に一般住宅地としてジョージタウン(ワシントンDC)に首都の指導的立場にある人たちを対象に「ケントランズ」(メリーランド)が開発された。首都ワシントンDCでは、人気の高いジョージタウンを拡大できないので、かつてワシントンDCに編入することも検討されたアレキザンドリア(バージニア)が、首都居住者の要求に応え、住宅地が拡大された。さらに、ホワイトハウス(大統領官邸)やキャピトルヒル(国会議事堂)やFRB(中央銀行:連邦準備制度銀行)まで45分以内で到達できる距離圏の「ケントランズ」が開発された。「ケントランズ」の開発は、米国の伝統的な文化を復興するTNDは、ヴィジョニングだけではなく、住宅に使用される材料と工法にまで19世紀末から20世紀に使われていた技術、建材、施工技術に拘って採用された。その結果、経営的には高級高額な開発であっても仕方ないとされた。

「ケントランズ」はこの首都の中枢的な地域での開発であるから、この地域全体の商業・業務施設を開発地区内に計画し、完成形としてはワシントンDCの「ジョージタウン」に匹敵する開発を行なった。「ケントランズ」のダウンタウンには、有産者階級を対象にした現役同然の活動をしているリタイアメント・コミュニテイが開発された。多くの国家的規模で活躍した人の多くは、現役生活からリタイアした後も、自由時間と豊かな資産を持ち、現役社会とも一定の距離をもって関心を持って生活している人びとの生活要求に対応したダウンタウンの賑わいを享受し、同時に自ら豊かさを演出する自由時間都市を形成している。この開発は1960年代に、退職した高齢社会層がスポーツとレクリエーションを享受して生活する「サンシテイ」(アリゾナ)に象徴されるアクテイブ・リタイアメント・コミュニティが一般市街地と切り離した別社会として建設された。一方、「ケントランズ」や「セルブレイション」で実現された開発は、ダウンタウンの商業業務施設の上に都市経営上、とリタイアメント階層の要求に応えたアクティブ・リタイアメント・コミュニテイを経営に取り込み大成功を収めた。この計画としては「セレブレイション」の開発に先立って、リタイアメント階層の一部の生活要求が、「自由時間都市」の提案に示されたように、一般社会の中に取り込んで開発できることが理論的にも実践的にも可能とされたためである。21世紀の都市計画として、急増するリタイアメント階層を都市計画の中心に取り入れることの必要性が認められた。高齢化社会を如何に人びとが豊かに楽しむ社会としてつくるコンセプトで、ハンディキャップの有無や経済的な能力に拘らず、自由時間を生活要求に合わせて使うアクティブ・リタイアメント・コミュニテイが「自由時間都市」として開発されるようになった。

 

ジョージタウンに匹敵するワシントンD.C.の高級住宅地の実現

ケントランズでは当初から開発地周辺にTNDの原理原則を尊重する住宅地開発がワシントンDCで求められていたが、適当な土地がなく実現できないでいた。ケントランズ自体の開発は、計画を実現する上で経営的には、地域全体での長期的開発を見込んで展開されたが、事業的には開発事業者も途中で交代を余儀なくされる厳しい経験をした。結果的に大成功を果たしたケントランズに継続し、地続きのレイクランズが同じ事業者により実施され、経営的に大成功させた。その結果、地域全体の都心機能をジョージタウンに匹敵するほど高度化させた。ケントランズの周辺地域には、ケントランズの商業・業務施設利用を考えた類似のTND開発が急拡大し、その全体がケントランズと相乗効果を発揮した開発が集積した。その結果、時代要求に対応したダウンタウンが形成され、地域の中核的機能を担い、ジョージタウンに匹敵した高い評価がされることになった。ケントランズの開発は、米国の首都ワシントンDCのジョージタウンの経験を踏まえ、急増する高齢者社会に応え、豊かな資産を持つシニア―階層が娯楽・文化を楽しむリタイアメント・コミュニティと取り入れたダウンタウンの環境形成が実施された。

さらに、経済的合理性に徹したレイクランズ開発は、ケントランズで実現できなかった経済性を重視した若年の比較的所得の低い階層のニーズに応える開発により広い購買層を集め高い事業収益を上げた。ケントランズと比較して成長能力の高い若年層のニーズに応え、将来的に成長性のある高い需要に押されて販売価格は高騰し、事業主に高利潤をもたらす事業となった。ケントランズとレイクランズの連続的な開発により広域的な住環境形成を短期間に実現させ、地域全体を成功に導いた。「シーサイド」を基に、ケントランズとレイクランズの2つのTNDの経験を総合的に取り入れ、これらを追い越したとされる「ハワードの叶えられなかった夢」の実現計画が、「セレブレイション」である。

TNDは当時世界的に話題になっていたフランスのミッテラン大統領がヨーロッパ経済統合の政策の基本に据えて展開した「労働時間の短縮」始まる「自由時間都市」開発と呼応した開発であった。米国では、既に、1960年代にアクティブ・リタイアメント階層を切り離したターゲットにした開発が、サンベルト地帯(カリフォルニアからフロリダを結ぶ南部)に多数開発された。「自由時間都市」のリゾート開発として、DPZが計画した「ウインザー」(フロリダ)等のリゾート開発として話題となっていた。そのTNDに、「労働時間の短縮」と言う時代の流れに対応した開発が、1980年、最初にデービスの要請に応えてDPZが展開したTND、「シーサイド」であった。労働時間の拘束から解放された自由時間を利用できる階層は、アクティブ・リタイアメント階層だけではなく、高いストレスから解放され、リゾートライフを願う経営管理者や知的労働者階層を対象に展開された。

米国の首都ワシントンDCには、首都での活動を切らないでリタイアメントライフを享受したいと望む人たちは高齢化社会と情報化社会とともに加速度的に拡大している。アクティブ・リタイアメント階層が急増した。「かつて人類が経験したことのない社会」が生まれている。その事業は、英国のア-バン・ヴィレッジ運動の主宰者、英国皇太子、チャールズの都市開発理論に取り入れられ、新しい都市生活需要を拡大している。アクティブ・リタイアメント階層が社会の多数者となる時代の取り組みは、まだ始まったばかりである。「BBC放送で3日間連続放映され、その後単行本になった「ビジョン・オブ・ブリテン」(東京書籍刊『英国の未来像』)として世界中で広く読まれ、チャールズ皇太子の支持するTNDの理論を世界に広めることになったが、その最先端の街づくりが「セレブレイション」や「ケントランズ」に、人びとで終日賑わうダウンタウンとして計画された「自由時間都市」である。

 

「サステイナブル・コミュニテイ」の提案とアップル・コンピュータ―

全米の住宅地開発は1970年代から大きく転換し、経済成長は住宅産業利益を中心に考える取り組みから、生活者、消費者中心に住宅地の開発を考えるように転換している。その大きな転換は1980年代にピーター・カルソープが、カリフォルニア大学バークレイ校で行なった『サステイナブル・コミュニティ』の講演会で、それは都市計画にエポックメイキングをするものであった。それまでの「産業活動中心にする経済成長重視の街づくり」から、「消費者の生活本位の街づくり」に都市計画のパラダイムシフトをした。かつて、カリフォルニア州で都市開発行政を担当していたヒル・アンジェデリスは、ラグナ―ウエストで経済合理主義にたった開発を企画検討していたが、ピーター・カルソープがバークレイ校で行なった「サステイナブル・コミュニティ」の講演を聞き、新しい都市開発の理論に共感した。ヒル・アンジェデリスは、彼がそれまでの実践に移してきた事業計画を全面的に放棄し、ピーター・カルソープを設計者に招聘し、ラグナ―ウエストの開発を居住者の生活中心の計画にやり直した。ピーター・カルソープによるラグナー・ウエストは、そこでの生活が持続的に充実し続けるサステイナブル・コミュニティである。この開発コンセプトは多くの人々の関心を引いた。中でも、アップル・コンピューターは、カルソープの主張する「優秀な従業員たちは豊かな生活を求めている」都市計画の考え方に共鳴し、優秀な従業員が集まり良い仕事をするためには、従業員も家族も豊かな生活ができる環境が必要であるとことを理解した。その結果、アップル・コンピューターは企業全体としてこの計画が実施されたラグナ―ウエストに移転することを決定し全米を驚かせた。

この事業が先駆けとなって、米国の都市計画やそれに沿った企業の立地計画や「従業員の家族の生活満足を考える住環境の選択が、企業経営や都市経営者に重要である」とされるようになった。そして、「サステイナブル・コミュニテイ」は都市開発の流れの思想を作った。ラグナ―・ウエストの住宅地経営は1990年代のカリフォルニアの不動産不況に遭い、ヒル・アンジュデリスとピーター・カルソープの経営に対立が起こった。ラグナ―・ウエストの熟成を見て,ヒルは高級住宅地への発展を考えたが、カルソープは低所得者を重視することを主張し、この計画から離脱した。カリフォルニア不動産不況は去り、ラグナー・ウエストの経営危機は消滅し、ヒルの方針で、資産家が居住する住宅地となっている。

 

カルソープの都市開発の新展開「アフォーダブル・ハウジング」

ワシントン州のデュポンが所有する火薬工場跡は、土地を購入したカナダの材木工場主ウエヤーハウザーの希望する木材集場とする予定であったが、ワシントン州政府は、首都オリンピアに近い土地の都市的土地利用にすることを要請し、居住者の生活を基本に据えるサステイナブル・コミュニテイの建設をすることで企業と州政府との合意が成立した。この地は北アメリカ調査隊・米国開拓者ヴァンクーバーが「上陸した地」を記念して「ノース・ウエスト・ランディング」と命名された。この地はネイティヴ・アメリカンとの交易を基に地域全体の開発された歴史を持つ土地である。氷河によって造られた海峡が、シケで荒れる太平洋から航行安全性の高い巨大な自然防波堤で囲われた入り江を造っていた。そのため、2つの世界大戦に火薬の安定供給を行なったデュポンの火薬工場経営を可能にしていた。「デュポン火薬工場町」が建設された当時、カリフォルニアではフェミニズム運動が社会を揺るがし、その運動に対応した住宅デザイン、「クラフツマン洋式のバンガロウ型式の住宅」が、2×4工法(バルーン工法)によって建てられた。デュポンの町は米国の西部の民主的な男女同権運動(フェミニズム)の住宅デザイン、クラフツマン様式の発祥の地と成り、デュポンの工場町は「デュポン歴史保存都市」に指定されている。現在のノース・ウエスト・ランディングはサステイナブル・コミュニティを標榜する住宅地としてクラフツマン様式とバンガロウ形式のデザインをヴィジョニングに定めて開発が進められた。

 

クラフツマン様式・バンガロウ形式のパッケージ住宅と橋口信介の「あめりかや」

バルーン工法〈2×4工法通し柱工法〉は、シカゴに本社を置くシアーズ・リーバック社がホームプランブックと住宅のパッケージ販売によって、全米各地に鉄道を利用してDIYパッケージ住宅販売を行なった。当時わが国から米国に日露戦争講和条約締結にために渡米していた小村寿太郎外務大臣・全権使節団長の非公式随員、同郷(和歌山)の橋口信介が、米国で2×4工法住宅がフェミニズム運動と一体的に進められていた「住生活改善運動」が、高品質な住宅が安価に供給されていることを見て、わが国に6戸のバルーン・フレーム工法(2×4工法)のパッケージ住宅輸入を行なった。

わが国のそれまで2×4工法は、政府主導で進められた北海道開拓使による官営事業があったが、橋口信介の輸入住宅は、北海道開拓使による2×4工法住宅とは無関係で、商業ベースでの輸入住宅であった。この2×4工法・パッケージハウス供給システムは、米国でのシアーズ・リーバックの開発したホームプランシステムの成果を取り入れたものである。橋口信介が輸入したクラフツマン様式のバンガロウ形式の住宅は、輸入後、小林一三の田園都市開発と相互に影響し合って、首都圏及び関西圏で住宅地開発と住宅販売が拡大された。明治政府は北海道開拓使が採用した2×4工法の技術指導のため、イリノイ工科大学から木構造教師を東京職工学校(現在の東京工業大学)で受け入れ、米国の木構造教育を行なった。東京都文京区にある文化財(銅御殿)の大工は、職工学校で米国の木構造を学んだ。地震国日本の建築では屋根荷重を小さくすることが重要で、屋根を銅板葺きが採用された。

戦後、ウイリアム・レービットにより開発されたプラットフォーム工法は、合板を使った平板構造に技術革新され、居住者の購買能力に適合する価格での住宅供給「アフォーダブル・ハウジング」として、「ノース・ウエスト・ランディング」の事業目標に掲げられた。デュポンの旧火薬工場を取り壊して生まれたコンクリート構造廃材を、新しい住宅地開発に利用するコンクリートブロックに整形し再利用した。そのブロック工場労働者が購入できる住宅もこの開発で供給された。そのため、住宅計画は、標準化、規格化、単純化、共通化が徹底され、生産性を高めることを前提にして、住宅購入者が選択できるようなホームプランシステムが導入された。建設工事の流れを変化させない範囲で、住宅購入者の選択を受け入れる方法である。この開発では歴史文化を尊重したデュポンの市役所、消防署を含む都市が形成され、この地に関係する歴史を経験できる観光資源も整備されている。ワシントン州の南部は経済開発が遅れた地域で、居住者の圧倒的多数は、軍人、軍属、公務員、下級労働者で、所得が中以下の人が多かった。これらの所得者を前提に住宅を提供する「アフォーダブル・ハウジング」が、事業政策として取り組まれた。この事業では多様なデザインの選択肢を提供しながら、住宅購入者がその個人的要求を多くの選択肢から選択できる方法が開発された。住宅生産システムの中で、生産工程の時間的余裕の選択肢として、家具インテリアを含め、支払い能力の中で自由な選択幅を採る方法である。

米国の東海岸で始まったTNDと西海岸で実施された「アフォーダブル・ハウジング」とは、その入居対象も住宅地経営の考え方も違っている。アフォーダブル・ハウジングでは住宅生産の無理、無駄、斑を省く生産方法が施行された。生産合理化で追及された「アフォーダブル・ハウジング」の意味は、米国で広く使われている「低価格」住宅とは違い、「地域の発展を担う人の支払い能力で購入できる住宅」供給である。この住宅地開発の意味を象徴的に説明する事業として、カナダの旧首都であった「ナイアガラ」の歴史文化都市を復興するDPZによるTNDがある。この事業はフェミニズム運動を象徴するクラフツマン様式のバンガロウ形式の高級な住宅開発である。その住宅地に集まった住宅購入者は、「民主主義者」自負する人びとか自らの主張を満足させる住宅として購入していた。カルソープの主張した「アフォーダブル・ハウジング」は、「住宅地開発に関係した労働者の購入できる住宅」を供給した象徴的意味を持たせた「カルソープの住宅供給の思想」で、単に安価な住宅供給をしたものではなかった。

(NPO法人住宅生産性研究会理事長戸谷英世)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です