セカンド・エンパイア(第二帝政)様式

オースマンが1853-70年に計画した軸線(黒太線)による放射状道路

オースマンが1853-70年に計画した軸線(黒太線)による放射状道路

ナイトハウス(コロラド州デンパー 1885年)

ナイトハウス(コロラド州デンパー 1885年)

ローエハウス(オハイオ州クリーブランド 19世紀中半)

ローエハウス(オハイオ州クリーブランド 19世紀中半)


セカンド・エンパイア(第二帝政)様式

フランス2月革命の失敗により、 ナポレオン3世が大統領に就任した。 ナポレオン3世は、 市民による革命によって、 国家が転覆することがないよう、 バリケードの築けない町を造る必要がある と考えた。 そのため、 ナポレオン3世は、 セーヌ県知事で首都の行政長官であったジョルジュ ・ ウジェーヌ ・ オースマンを使って、 広幅員の道路を放射状に建設することを指示した。 そのことによ って、「レ ・ ミゼラブル」に登場するようなバリケードを築いて反政府攻撃を行ったり、 軍や警察の移動が妨害されることがない首都を築こうとした。 フリードリヒ ・ エンゲルスは、 オースマンはナポレオン3世の分身であり、 国家権力を武力によって守ろうとする反動的な人物であると批判している。 しかし、 歴史学者ギデオンは、 それとは別の見方をしている。 当時のフランスでは貴族の邸宅には大きな庭園はあったが、 市民の利用する公共公園はなかった。確かにオースマンは、 ナポレオン3世の命令に忠実に従い、 武力による市民弾圧を目的とする放射状の広幅員道路建設の陣頭に立って指揮した事実はある。 しかし、 それはナポレオン3世の命令は絶対的であったために過ぎない。 ギデオンの解釈は、 オースマンは都市計画家として、 庭園を持たない市民に公園を提供すべきであると考え、 その手段として、 ナポレオン3世の命令で建設する広幅員道路そのものを、 公園にしてしまうことによ って、 市民に公園を提供することを策した、 というものである。 現代、 パリの町の最大の魅力は、シャンゼリゼ通り(ブルヴァール)全体が公園になっていて、 そこが市民の憩いの場になっていることといわれている。 1857年、 パリの中心シャンゼリゼ通りに面するルーブル宮殿が拡張された。 その建築物に採用されたマンサード屋根は、 その時代の大きな建築の流行となり、第二帝政様式と呼ばれるようになった。第二帝政様式の屋根、 ドーマーウィンドウ及び軒蛇腹(コーニス)には、 左図のような特色がある。

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