NPO法人住宅生産性研究会メールマガジン第758号(2018.02.13)

HICPMメールマガジン第758号(2018.02.13)

みなさんこんにちは

みなさんはいかがお過ごしでしたでしょうか。ヒョンチャンオリンピックはどの協議も若さが何年もの精進の成果を競い合って感動を与えてくれました。私にもあのような若さにあふれた時代があったことを思い出させてくれます。秋田出身の妻が私の誕生日に合わせて東北3県の「みちのく5大雪まつり」の内3つのお祭りに連れて行ってくれました。このお祭りも長い歴史文化を感じさせるすごい無形文化財と感動しました。見学したのは、「なまはげ柴灯祭り」「弘前城雪灯篭まつり」「八戸えんぶり」の3つで、「横手かまくら」と「岩手雪まつり」は今回は行きませんでした。

 

「みちのく5大雪まつり」

全てのお祭りはそれぞれの地域の歴史文化を背負って、人間の力では及ばぬところに神を感じ、子供たちが成人になるときの通過儀礼と一体になった「なまはげ」の民俗芸能は、自然の厳しさと闘いながら、子供らが大人に(成人)になるときの地縁社会での役割と自覚を促す人間社会にとって重要な行事であることが分かり、世界中からの見学客を引き付け、共感をもって楽しめる催しものでした。小雨交じりで、足元の行きは滑りやすく、滑って転び雪水溜まりに足を踏み入れ、「トラベル」の語源(トラブル)を経験しました。

弘前城雪灯篭まつりは、雪の壁に和紙に描かれた極彩色の物語の画廊と美人画や武者の描かれた雪灯篭が、雪造の舞台にイルミネーションの美しい舞台絵画を見ることができました。前川国男の母方の故郷ということで前川国男の多数の建築作品(ほとんどが公共建築)のある都市で、そのメイン会場には建築作品の写真展示もありました。

「八戸えんぶり」は郷土の農作業とそれに関する豊作祈願の郷土の踊りと音曲を一体に組み合わせた一大物語で、小さな子供から大人までがそれぞれの日ごろ鍛えた踊り、歌、音曲を次々の屋外の庭で演じ、それをこの土地の両府と過去後に招かれた賓客の前で演じるという思考です。私たち観光局は開け放たれた座敷から庭で演じられる郷土芸能を鑑賞するというもので、「お殿様」気分で鑑賞出来ました。建築はそのような状況に合わせて庭園を囲う形にできていて、能舞台からその前面の庭で行われる芸能を見る形でした。そこでの解説も含め良く練られた郷土芸能で、農作業の厳しさを神にささげる祈りという形で舞と音曲を奉納するというもので見る人を感動させました。部屋の中でも屋外に解放されていて、零下8度で踊りや音曲を行なう凍死するのではないかと思われる様子の寒さに震える郷土の人たちと近い寒さを感じ、小一時間鑑賞し、充実した時間を経験しました。

 

 

『注文住宅』の連載を致します。

 

住宅産業のための「フローの住宅」政策

日本の住宅政策は「フローの住宅政策」と呼ばれ、住宅建設業者や不動産供給業者の利益を中心に行われている政策で、このような政策を行なっている国は世界中で日本だけの特殊な状態です。それは戦後の日本が先勝直後、主権在民の国家をつくることにし、日本国憲法が1946年に制定されました。しかし1952年6月25日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がソ連の支援を得て、暫定軍事境界線を突破し、南に踏み入り、短期間にフサンまで連合軍を追い詰めました。連合軍は必死に抗戦し、朝鮮中部の仁川に奇襲上陸し抗戦することになりました。

米国が事実上ソ連や中国を相手に戦うためんはどうしても朝鮮の近くに米軍の兵站基地が必要であるということで、日本が占領下時代に米軍の兵站基地とされ、日本国憲法で明らかにした「戦争の放棄」に矛盾し、旧軍需資本(財閥)の解体を中止、旧軍需産業の復興事業を行なうことになり、日本政府には日米安全保障条約による復興する軍需産業労働者向け住宅の供給義務が課せられました。

旧軍需産業資本雇用労働者に対しては産業労働者向け住宅を供給することにアンリ、住宅金融高架から産業融資として住宅融資が行われ、その下請け企業に働く低賃金労働者向けには公営住宅が供給されることになりました。その後の政府施策住宅は公営住宅、公団住宅、公社住宅という政府施策住宅として供給されましたが、基本的に軍需産業に働く労働者向け住宅が供給されました。同時の日本には米軍向けの軍需物資の生産側が久野の産業を担っていて、日本経済自体が庁戦争特需に依存していました。

それから23年経過し、ベトナム戦争が終了すると、米軍藤樹関連の住宅需要全体が消滅することになりました。わが国の住宅産業そのものが基本的に軍需産業需要に依存してきたわけですから、その住宅産業需要が基本的に消滅することになったのです。政府が供給する住宅は軍需産業ではなく、需要を失った住宅産業に対し、最終需要者として国民が需要者となる住宅を供給することが求められることになったのです。

 

住宅産業が需要者とすることのできる国民

政府は個人が高額な住宅を購入できるように消費者の購買力を高める住宅産業を救済するための住宅政策を、下記の3つの方法によって実施しました。

(1)   住宅購入者にその購入住宅額全額を融資対象にすることで、住宅産業の販売価格に見合った購買能力を高めさせた。(住宅の購買力は、融資額)

(2)   住宅ローンは、世界最長の35年の融資期間とし、元利均等償還制度(元金後返済)と合わせて、供給される住宅価格全額を融資対象にしました。

(3)   金融機関は融資リスクを負わないよう、融資額の約3倍の担保を押さえ、政府金融を保護しました。融資担保は、融資住宅、その敷地およびローン借り受け人の死亡時給付保険料の受取人です

 

「住宅建設計画法」による住宅政策

住宅建設計画法の時代には、所得倍増計画が順調に発展し、経済成長でインフレが進み、住宅ローン債務は実質縮小したので、持ち家政策は順風を受けて発展しました。住宅建設計画法は、政府施策住宅(公営住宅、公団住宅、公庫住宅)は、土地を購入しなくてよい建て替え住宅と市街化調整区域というタダ同然の農地を購入して公営、公団、公社による中高層マンションによる高密度開発により、少ない地価負担で、国民に賃貸住宅または分譲住宅を需要対象に取り込むことに成功しました。結果的に、住宅建設計画法による住宅産業の財政主導の総需要額は、ベトナム戦争終了以前の軍需産業向け住宅需要額を超え、かつ、住宅投資の波及効果は、その投資額の3倍と高く、住宅産業のための需要保障をはるかに上回る規模になりました。

 

鉄筋コンクリート擁壁で固められた土木業者向け都市開発

この公共住宅政策でマンションを軌道に乗せることに成功したことで、民間住宅産業が一気にマンション供給に乗り出すことになり、住宅政策は経済政策の牽引車になりました。当時、所得倍増と住宅ローンがインフレの高進により、実質目減りしていたことを反映し、住宅の建て替えとマンション建設は加速されました。住宅建設計画法は公共住宅という財政支出と、産業向け金利で財政投融資を潤す政府融資金融により、住宅産業遺体する住宅需要を保障し、やがて、財政政策による日本経済の舵取りを行なうようになりました。建設大臣は経済6閣僚(大蔵、通産、農林、建設、自治、経済企画庁)に加えられ、GDPを拡大する財政主導の経済施策の中心的役割を担わされました。

 

世界的に例のない「フローの住宅」

住宅政策は、国民のためと説明されながら、国民の支払い能力を軽視し、居住環境を無視して高額な宅地に大量の住宅を詰め込むという住宅産業の利益と成長発展のための「フローの住宅」政策とされました。日本の経済政策も、経済活動を活性化するGDPを最大化するための経済成長政策や景気をよくするための経済政策と同義のように考えられました。日本以外の欧米工業先進国では、「主権在民」の政治を行なうため、住宅を取得した国民にとって「住宅を取得することで個人資産形成のできる」「ストックの住宅」政策という国民本位の政策がとられてきました。しかし、日本の住宅政策は世界の住宅政策とは完全に異質で、産業・経済・金融本位の「フローの住宅」政策になってしまいました。

 

「住宅建設業」は「住宅流通販売業」に

わが国では、GDP最大化を図るスクラップ・アンド・ビルドを促進するために、住宅購入者の集客支援を行っていた住宅展示場では、建築後10-15年で住宅の再建て替えを計画するような経営を行い、展示場への来場者を誘導するポスティングは、建築後10年を経過した住宅をターゲットに実施されていました。この早期建て替えに向けての集客は、政府の経済政策の後押しを得て、住宅展示場主体のハウスメーカーの経営方針となり、企業利益および従業員の賃金向上を裏付ける経営政策であったため、住宅展示場自体が相乗効果を発揮する場として、ハウスメーカー相互の営業を加速化させることになりました。

 

「住宅を購入すること」で貧困化する国民

この時代に住宅を建設した人はその住宅価格はその年収の5倍を超え8倍になり、10倍を超える価格の住宅も多数取引されました。その経済的背景としては、賃金が定期昇給として増額される以上に、基本給を上げず、企業利益に対応した手当(通勤、残業、家族、子供、遠隔地、職務別特殊)等の各種手当が新増設されました。本給と同額以上の手当が支給されることが一般化され、国民の預貯金や投資額も増大し、住宅の購入価格が高騰しても、それが社会問題化することはありませんでした。

住宅政策で財政需要を呼び起こし、建設大臣は経済成長を牽引するケインズ経済に基づく財政政策を執行する大臣になっていました。その時代に住宅を購入した人たちの中で経済成長の波に乗って経営を発展させました。または、高所得の職業が得られ、資産を形成した一部の人を除き、大多数の人は金融緩和政策を利用し住宅を購入しました。多くの人々は、その後行われた金融引き締めの結果、住宅を売却せざるを得なくなる人は急増しました。

 

「個人責任」か「住宅政策責任」か

住宅の売却により個人資産の過半を失い、またはリストラを受け、退職により収入の途を断たれ人たちの多くは、健康を維持できず、その債務や事故で、重大な心身の疾病を患い、通院と医療費支出により、家計は固定的な赤字経営になりました。公共時代には基本給以上の手当が支給されていましたが、バブル崩壊後の不況期には諸手当がカットされるとともに、正規社員から非正規社員にされ、基本給自体が減額され住宅ローン返済は破綻しました。長寿化に伴い確実に「下級老人」と呼ばれる生活苦に陥らされることになりました。住宅ローンの返済が滞り、住宅の売却をしなければならなくなったことで、これから将来に向けて貧困化させられる人も少なくありません。

 

「自己責任」か、日本の貧困問題

このような現実に対し、私は住宅政策を行なっている政府が企業利益本位の政策を行ない、国民のことを配慮していない住宅政策責任であると考えてきました。しかし、住宅政策の関係者も住宅産業関係者や学識経験者の殆どが、日本のように識字率の高い国で、政府の住宅政策は十分詳細に説明してあり、その説明を読んでいて、住宅ローン返済不応になっているのは、「自己責任」だと言います。そのように大口を叩いている人たちは、現行制度についてどれだけ知っているかと言えばお寒い限りです。運がよくて、事故に遭遇していないだけのことです。日本では政府金融により非常に厳しい状況に追い詰められた情報がほとんど表に出ないようにされています。もし、ローン事故を閲覧できるようにされていれば、住宅政策責任は白日にさらされます。

私自身1980年当時の住宅都市整備公団が誇るマンションに100倍を超える競争倍率で入居しましたが、その3分の一の入居者はローン返済事故でローン返済できず退去させられています。入居後25年でローン残債は70%、マンション価格は購入時の50%、35歳で住宅購入して人は60歳、定年、肩たたき、企業自体も住宅購入時の経済力を維持できないなど、など、個人責任ではなく国家の政治、経済政策、企業の経営不振などの皺寄せが個人に襲い掛かっています。

政府の定めた入居条件を満たした人の30%以上が、入居し続けたいと願いながら退去を余儀なくされている住宅政策は尋常ではありません。もし、欧米のような住宅の資産価値が毎年4%程度上昇する「ストックの住宅政策」でいたら、25年でその住宅資産は3倍以上になり、私の子供たちは「ストックの住宅政策」の恩恵にあずかり、現在の日本のような問題は起きていません。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

 

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